5月28日(金)


 午前9時。録画しておいた『TVチャンピオン』のヒーロー選手権を見る。タイト
ルの記憶がちょっと怪しいが、とにかく元社員のショッカーO野くんが、準優勝した
番組だ。
 すでに準優勝したことは1カ月前ぐらいから聞いていたし、あの恐ろしいまでの記
憶力はずっと社員だった頃から見ていたので、驚かない。
 むしろショッカーO野くんがすごいのは、ほかにも懐かしのTV番組、芸能関係、
お笑いといった、ヒーロー物のジャンルでなくても、底知れず詳しいことだ。
 とくに礼儀作法については、滅法うるさい。
 あの番組を見た人が、ただのヒーローおたくだと、ショッカーO野くんを思ってし
まったら、もったいないので、参考まで。
 しかし、タカラのくぬぎふみたかサンも、おもちゃ部門で準優勝するし、ナムコの
岸本好弘さんもラーメン部門で出場したことがあるというし、懐かしの『カルトQ』
に、弟子の原口一也が出たことがある。
 さくまサンの回りには、変な人ばかり集まるとは、よく言われて来たが、そろそろ
それを認めないといけない時期に来たようだ。
 でも私の自慢は、一般常識のある「おたくな人」たちが集まっているということだ。
どの人たちもみんな仕事のほうで実績を上げている。
 
 午後12時。代官山のレストラン「マダム・トキ」でランチ。
 先日たまたま通りがかったら、おいしそうなケーキを売っていて、感じのいいお店
だったので、一度来てみようと言っていた。
 なかなかの味のフランス料理。
 それよりなにより、お店の人たちの感じのよさは、最近の接客の悪いお店だらけに
あって、特筆できるぐらいだ。
 予約無しで入ったのだが、「名前をお聞かせください」と言ってくる。名前を覚え
ようとしているわけだ。
 ちょっとしたことだけど、思いつかないサービスだ。
 これからずっと誠意を見せ続けますよという宣言なのだから。
 なるべく速くもう一度来てあげて、名前を忘れるつらさを軽減してあげたいものだ。

 圧巻は、デザート!
 テーブルに載りきれないぐらいのケーキやゼリー(写真参照)のなかから、ひとつ
何かを選ぶのかと思ったら、これがいくつでもOKだという。
「全部でもいいんですか?」
「どうぞ!」
 グルメ・バカ娘が来てなくてよかったー!
 あいつがいたら、ここにあるやつを全部食べてしまうぞ〜。
   食後、いつものように代官山を散歩。  モデルルームなどを見て歩く。  代官山のマンションだけに、豪華、豪華。  しかしマンションが立つ場所は、もっと恵比寿駅寄り。  モデルルームのある場所に立つなら、いいマンションなのにねえ。  午後3時。帰宅。 『さくま式人生ゲーム2(仮)』の仕様書作りをちょぼちょぼと。  けっこう好調。  午後5時。タカラのくぬぎふみたかサンが、『ミクロマン』の脚本家でもある浦沢 義雄さんを連れてくる。
左から→くぬぎサン、浦沢さん
   浦沢義雄さんといえば、『ルパン三世』『魔法少女ちゅうかなぱいぱい』『激走戦 隊カーレンジャー』『有言実行三姉妹シュシュトリアン』『ポワトリン』『忍たま乱 太郎』『はれときどきぶた』など、もう数え切れないほどのヒット作を持つ、有名な 脚本家だ。  私のまわりに熱狂的なファンが多くて、教祖様的存在である。  ところが実は、私と浦沢義雄さんとは、旧知の仲なのだ。  きょうは20年ぶりぐらいの再会。  へっへっへ。ちょっと浦沢義雄さんと、さん付けすると、照れくさいので、20年 前に戻って、浦沢チャンと書かせてね。  昔々、『桂三枝のいたずらカメラだ!大成功』という番組の放送作家同士というこ とで、いっしょに仕事をしていた。  …といっても、当時私は「駆け出し」というのも恥ずかしいほどの若造として、番 組に参加していた。 『ドラゴンクエスト』の堀井雄二も、この番組にいっしょに参加していた…というよ り、この番組の構成の仕事は、堀井雄二から回って来た仕事である。  堀井雄二の話まで始めると、さらに話がどんどん横道にそれていく。  当時、すでに浦沢チャンは、けっこう売れていた放送作家だった。  だから私にとっては、極めて初期に出会ったプロの人なのだ。  しかも1歳上と年齢も近かったので、かなり意識したものだった。  SF作家のレイ・ブラッドベリを読むようになったのも、彼の影響だ。  浦沢チャンと話をしているうちに、忘れていた記憶がどんどん蘇って来て、なつか しい、なつかしい。  浦沢チャンと仕事をした2〜3年後、私と堀井雄二は、貧乏の局地をさまよってい たとか、実は私が浦沢チャンと会ったとき、浦沢チャンはテレビのバラエティ番組の 構成の仕事が嫌で嫌で仕方がなかったというような、当時はわからなかった初めての 話まで聞けた。  私と堀井雄二がTV局に、ギャラとか待遇とかだまされていたことも、浦沢チャン は覚えていた。  午後7時。学校から帰って来たグルメ・バカ娘も加わって、青山骨董通りのしゃぶ しゃぶ屋「十二段家」で食事。  なおも、浦沢チャンとなつかし話。  しかし当時出会った人は、みんないわゆるマスコミ業界で成功した人ばかりだ。ワ ハハ本舗の喰始(たべ・はじめ)さん、東京乾電池の柄本明さん。東京ボードビルシ ョーの佐藤B作さんなどなど…。  つくづく私は恵まれていたと思う。  動くお手本が、毎日、毎日、目の前にいたのだから。  マネて、マネて、マネまくったものだ。  午後9時。最後は、浦沢チャンと老眼の話などをして、別れる。  今後、意外なジョイントに発展するかもしれないなー。  バカ家族は、表参道から裏原宿を抜けるいつもの帰宅コース。  途中、全員へばって、「カフェ・ヴァジー」で、休憩。  グルメ・バカ娘の「さくちゃん、ここのエスプレッソ・バニラアイスは、おいしい よー!」の文字どおり甘い言葉のワナにはまる。  出て来た物は、アイスが4個もある、ボリュームたっぷりアイス。  減量中に、これはきつい!  でもグルメ・バカ娘イチ押しなだけに、美味しい!  まったくいつのまにこういう情報を仕入れるのだ、このガキは!  午後10時。帰宅。  思えば、浦沢チャンと出会った頃のTV時代は、私の中で、完了していた世界であ る。それがこうして浦沢チャンと再会できたことで、20年前が現代に繋がった。  長いこと仕事をしていると、言葉で言い表せないような楽しい思い出というのもあ るもんだなあ。 


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