5月1日(土)


 京都ホテル6F「入舟(いりふね)」で、朝粥定食。
 きょうもいい天気。
 さて、きょうは今年のGW小旅行シリーズのメイン・イベントだ。
 なんと、織田信長の安土城に登る!
 ワー! ワー! ワー!
 歴史ファンの羨望の声が聞こえるかのようだ。
 えー? えー? えー?
 と同時に、心配の声も聞こえる。
 そうなのである。
 何たって、標高200Eの立派な安土山なのだ。
 ハイキングコースというより、ほとんど登山に近い。
 こんな山を私が登っていいのだろうか。
 登れるだろうか…。

 午前11時30分。タクシーの宮本さんに来てもらう。
 一路、湖東の安土(あづち)をめざして発進。
 宮本さんから、昨日撮った写真をいただく。
 嫁が昨日デジカメで撮った写真をコンピュータ上ですっ飛ばしてしまっただけに、
とっても助かる。
 でも京都には、スキャナーが無いので、写真の公開は、5月6日以降ね。うちの
グルメ・バカ娘が、まるで週刊朝日の表紙モデルみたいにきれい写ってるからぜひ
見てね。
「おまえ、オレの前でこういうちゃんとした顔してみろよ!」と言ったくらいまと
もに写ってる。
 すぎやまこういち先生は、カメラ業界でも有名な方だけど、先生の影響で始めた
宮本さんの腕前もなかなかのものだ。

 午後1時。近江八幡を通って、いよいよ安土城跡に到着。
 ここは5年前ぐらいも来たが、そびえる山を前にして、もちろん即決で、登山を
やめた。ははは。
 まさかもう一度この地を訪れる日が来ると思わなかったし、登ろうという気にな
ったことも不思議である。
 やっぱり4年前脳内出血で倒れて、歩けなくなることのつらさと、歩けるときに
歩いておかないと、二度が無いという気持ちがすごく強くなったのだと思う。 
   さ〜〜〜〜て、登るぞ!と意気込んだものの、いきなり尻込み。  石段がどこまでもそこまでも空に向かって、ずっと続いている。  一体何段あるんだろう。  見える範囲内でも、2〜300段ぐらいはありそうだ。  石段のひとつひとつの間隔が広い。  2〜3歩進んでやっと一段をまたぐほどだ。  しかも石段のひとつが高い!  冗談ではなく、次の石段に右手を突いて「よいしょっと」と言いながら登るとい うより、よじ登る。
   20段ほど登ったところに、豊臣秀吉邸跡があり、そのすぐ右に前田利家邸跡が ある。やっぱり本当にふたりが仲良かったことを想像させるが、ふひ〜、ふひ〜。 もうすでにへばっている。  グルメ・バカ娘はもう上着を1枚脱いだ。  うっそうと繁る木々のせいで涼しいはずなのに、汗ばむ。  これは一筋縄では行きそうもないぞ。  う〜む。どうしよう。  早くも豊臣秀吉邸跡にたたずみ、やっぱり登山はやめようかと悩む。でもここで やめても、歴史好きを続けるかぎり、いつかまたここを登りたくなるに違いない。  そのときはもっと体力が落ちているに違いない。  足は不自由なものの、ここ20年間では一番体力がある。  今しかチャンスはないと思う。
   ウッチャンナンチャンのテレビ番組で、ウド鈴木がスポーツにチャレンジするく らいの、おぼつかない足どりで、石段を一歩、一歩登って行く。ひ〜。  途中、脇道があって、お墓とかあるようなのだが、無視して山頂をめざす。うっ かり脇道を登ったばかりに、山頂を断念するハメになると後悔しそうだからだ。  とにかく目標は、登頂!    何100段を登ったところで、石段と石段の間隔が短くなり、石段のひとつの大 きさも小さくなってきて、登りやすくなる。  登りやすくなったが、もうすでにこっちは疲労し切っている。  暑い。暑い。汗がしたたる。  登頂に成功したら、脱ぐぞと決めていた上着を、ついに脱ぐ。    スタートのとき、ちょっと前を登っていた人たちがちっとも降りて来ない。すで にこっちは途中で、深呼吸したり、切り株に腰掛けたり、丸太の木に座り込んだり して、ちっとも進んでいない。  だからもう最初のころにいた人たちは折り返して、戻って来てもいいはずである。  ということは、山頂はまだまだ遠いということではないか! 嫌なことに気づい たもんだ。    先の見えない石段を登りきると、次の石段が見える。  ひいひい言いながら、その石段を登りきると、ちょっと平坦な道があって、また 石垣と石段が見える。  がくがくがくっ。  膝が笑う。  まったくもって、過去最高につらかった、彦根城に匹敵するつらさだ。  なにしろ、石段は舗装された平行な石段ではないのだ。  大きな石を、横に4〜5個無造作に並べただけなので、こっちの足の裏はねじれ たり、滑ったり、混乱をきたしている。  ロック・クライミングを45度に倒したような道だ。  もし途中で雨が降ってきたら、とても降りられそうもないくらい急である。  山頂に近づくにつれて、平らな場所も増えて来て、休みながら登るには好都合に なってくる。  汗が引いてから歩けるというのは、大きい。  デブは大半、汗で自滅する。  午後1時45分。やった! やった! やった!  常人なら25分かかって、登るところを、45分もかかって、とうとう登頂に成 功!  ふひ〜〜〜〜〜い! まだちゃんと両手で万歳ができないので、片手で万歳をす る。  グルメ・バカ娘に「どんどん顔がやつれて来ているよ!」と言われる。何と言わ れようと、私は登頂したのだ!  私のなかでは、エベレストだか、K2だかの登頂に成功した人とおなじぐらいの 満足感に満ちあふれているのだ。  いや〜、うれしいもんだねえ。  清涼飲料水をぐいっと飲む。  んまいねえ!
へろへろ〜〜〜〜!
   それにしてもこんな高い山頂に、わずか3年で地下1階地上6階の天守閣(天主) を建ててしまうのだから、すごいもんだ。  標高200Eまで、自動車ぐらいの大きさの石段をいくつもいくつも引き上げた こと自体が信じられないし、いったいどのくらいの建設費がかかったんだろう?  あの時代にはローンなどというシステムは無いだろうに。  たとえ30年ローンで建てたとしても、完成後3年で、織田信長は本能寺の変で 死んでしまうのだから、どういう建築計画だったんだろう? 織田信長は即金で建 てたのだろうか?    それはともかく、山頂から琵琶湖が一望できる景色は、雄壮だ。  この時代、琵琶湖は富士山と並ぶステータスだったんだろうなあと思う。琵琶湖 に城を建てることは、地方の人が現在本社ビルを東京に建てるようなもんなんだろ うなあ。    さて、往々にして、下り坂のほうが歩きづらいものである。  とても、さあ降りようと言いだせない。  迫り来る困難が想像できるからだ。  子どもは元気だ。グルメ・バカ娘はさっさと山を下り始める。  こっちは身体を石段と平行にして、右足を降ろして、よいしょ! 左足があとを 追いかけるように、よいしょ!と、おそるおそる下りていく。  途中、無視して寄らなかった、織田信長廟(信長のお墓ね)とか、信長の息子で ある織田信雄(おだのぶかつ)家代々の供養塔などを見ていく。  折から、山桜が雪が舞い散るように落ちて来て、幻想的な雰囲気になる。織田信 雄の供養塔に貯まった水をトカゲが飲んでいる。気持ち悪いというよりも風情を感 じる。  4年前に死んでいたら、こういう景色を見ることなく、人生を終えていたんだな あ。  努力する人にしか、幸せの女神は微笑まないというけど、本当だなあ。つくづく。  こっちがゆっくりゆっくり歩いているせいか、グルメ・バカ娘が走って戻ってき た。こんな険しい石段を走ること自体尋常でないのに、ほとんど下のほうまで降り て行って、来ないから寄り道しながらまた登ってきたという。2往復するか? こ んな難所を。  ただの「美味い物喰い娘」なだけではないようだ。  若いって、いいよなー。体力が有り余っている。  しかし戻ってきたグルメ・バカ娘のおかげで、総見寺(そうけんじ)跡や、三重 の塔、仁王門まで見落とさずにすんだ。
   ただしこっちの道は、本当に「まっさかさま」という言葉がふさわしいぐらい急 な石段で、グルメ・バカ娘がしゃべりかけて来ても、返事ができなくなる。  宮本さんが探してくれた、木の杖のおかげで、だいぶ下りるのが楽になる。若い ときは杖なんて持っていると、かえってジャマだったのに、この歳になると、とて も便利に感じる。
   私が一段下りると、石がずしん! ずしん!と揺れるそうだ。  そおっと、足を置ける状態にないのだ。  最後の20段ぐらいは、垂直に近い。  健脚な宮本さんですら「うっ」という声を上げる。  さすがのスーパーウーマンである嫁も、膝が笑うと、めずらしく弱音を吐く。  よーーーーーし、最後の一歩!  午後2時40分。どしん! やった! やったあ! 『電波少年』の朋友(パンヤオ)が、アフリカ大陸からスカンジナビアまでヒッチ ハイクした気持ちがわかるぞ〜!  嫁もグルメ・バカ娘も、宮本さんもうれしそうだ。  宮本さんは明日タクシーの仕事がお休みで、よかったと喜んでいる。たぶんみん な明日は思い切り足が痛くなるんだろうなあ。  午後3時30分。さらに宮本さんの運転で、近くの「文芸の郷」と呼ばれるとこ ろへ行く。  ここは「信長の館」といって、セビリア万国博覧会のときに、日本から出品した 安土城の5階と6階の原寸大模型が展示されている。  壁が金箔で、床が人の顔が写るぐらいテカテカした、漆塗りの黒だ。とにかくひ さしぶりに「豪華絢爛!」という言葉をつかうのにふさわしい展示物だ。  数年前、安土城跡の登山を断念したときも、この「信長の館」だけは見て帰った。 そのときもいつか家族を連れて来て、見せてあげたいと思った。娘も中学1年生に なったので、そろそろ見ても記憶に残る。  あの頃に比べると、レストランもできたし、土産物屋もできたし、この「文芸の 郷」は、今後どんどん発展して行くようだ。  安土城跡のほうも、20年計画で、発掘調査を続けて行く予定らしく、現在5年 目ぐらいだったかな。15年後ぐらいには、安土城の復元を始めるかもしれない。 さらに5年と見て、あと20年は長生きしないとなあ。  最近こうして残り時間を計算することが増えて来た。  午後4時。近江八幡の和菓子屋「たねや」で、ちょいと甘い物を食べる。さすが に甘い物を欲するぐらい疲れた。  私なんぞ、あんみつと抹茶アイスのペアセットだ。  グルメ・バカ娘は、あべ川餅。  食後、一路京都をめざしてGO!  宮本さんの安心できる運転に甘えて、車中で家族3人寝させてもらう。グルメ・ バカ娘など、ぐがー、ぐがーと、いびきをかいている。運動に疲れた身体で寝るな んて、何10年ぶりの快感だろう。  午後6時30分。京都のマンション着。  車を降りても、口々に「よくあの山、登れたなあ」と、みんなで自画自賛。こう いう連帯感はいいものだ。  午後7時。グルメ・バカ娘が、車の中で寝たら、すっかり元気回復してしまって、 三嶋亭の肉が食いたいと言いだす。ほうら、始まった!  しかし電話するも、さすがにGW。満員で入れない。  仕方なく、いつもの「忘吾(ぼあ)」に行く。  運動したあとはご飯が美味いというが、本当に美味い!  このお店ともすっかりなじみになったので、ぶっくりするぐらい大きなイカの耳 を刺身にしてサービスで出してくれた。  そうそう。私たち家族はやたらと食うスピードが早い。お酒を飲まないせいもあ るんだけど。  そのせいで、いつもこの「忘吾(ぼあ)」のご主人は、私達が来ると、「料理出 すの遅くてすみません!」と気をつかってくれる。  それを見たグルメ・バカ娘が、「初めて来た頃は、料理が出るのが遅かったけど、 最近早いね」という。  娘よ! まだ甘いぞ、観察力が!  早くなったのではない! 通常のおまかせ料理に、ところどころ、さっきのイカ の耳やら、ナントカのおひたしといった箸休めを入れて、時間稼ぎをするようにな ったのだ。  おかげで私ら家族は、おなじ料金で、他人より何品も多く食べているのだ。わっ はっは。早食いも芸のうちとは、このこと…ではないな。早食いは、三文の徳とい うことにしておこう。    午後8時30分。御池地下街。いつものクイック・マッサージ「ナチュラル・ボ ディ」で、足を揉んでもらう。  午後9時30分。京都のマンションに戻る。  とてもクイック・マッサージ程度では疲れがとれていない。  寝る。寝る。きょうのところは、とにかく寝る。


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