4月4日(日) 午前10時。最古のさくまにあ・戸田圭祐と、実姉と、イノダ・コーヒ本店で待ち合 わせる。 まずはみんなでイノダ・コーヒ本店の新製品・牛ヒレステーキサンドを食べる。ここ の名物であるビフカツサンドの姉妹品のようなものだから、案の定美味しい。 きょうはちょっとした小旅行の予定。 すでにグルメの師匠・すぎやまこういち先生ご夫妻が懇意にしている宮本さんという タクシー運転手さんに来てもらうことになっている。 度々京都で運転してもらっているので、きょうのような小旅行の場合、とても楽なの だ。そのへんのことは後述。 午前11時。宮本さんがイノダ・コーヒ本店に到着。 まずは勝持(しょうじ)寺に向かってもらう。 昨日仕入れた情報では、この勝持寺のあたりを大原野(おおはらの)といって、桜の 隠れた名所らしいのだ。 京都の桜というのは、醍醐寺、平安神宮、嵐山、円山公園と数多くの名所がある。そ のどこもものすごい混雑で大渋滞するのはもうお約束なので、こういう穴場を狙ってみ たのだ。 なるほど道は空いていて、快適。 勝持寺に向かう途中に、善峰(よしみね)寺という看板が。 これも昨日仕入れた桜の名所だ。 さっそく寄り道してもらって、善峰寺に向かってもらう。 ところが、空いているはずの道が妙に混んでいる。 そのうち、渋滞して動かなくなる。 おや? と思ったら、桜マニアの姉が気づいた。 このお寺は、今年の「そうだ、京都行こう」のテレビCMで流れているお寺だという のだ。 そういえばそんなCMをやっているなあ。 のんきなことに、私はあの「そうだ、京都行こう」のCMにつかわれるようなお寺は 混雑するから、行かないと決めて、名前も覚えていないのであった。 覚えていないから、どんぴしゃりで、このお寺だったのだ。 しまった!と思っても、もう遅い。 急坂をのろのろ登って行く。 なんだか山の中に入って行く。 そろそろ山の中腹だぞ。 嫌な予感がする。 旅先の坂道といえば、必ず私の日記では、へばりまくることになっている。別にわざ とではないのだが、寅さん映画のワンパターンのように、ピンチの連続になる。 やっぱりだ。 タクシーが停まる。 ここから先は、参道を歩けと書いてある。 参道とは、首を後ろの方に反らせないと、頂上が見えない石段かい? どうしてこう も私の旅は、おもしろいように、おもしろいようにできているんだ? 私はおもしろくないぞ。 姉も、登りたくないという。私もおなじだ。 しかし姉は、こうもいう。 せっかくここまで来たんだし、こんな京都市内からはるかに外れた場所には、二度と 来ないかもしれない。 やはり血は争えないものだ。 意を決して、登ることに。 はっはっは。そうはいったものの、本当に急な石段だぞ! 笑っちゃうぐらい、急だぞ! それでもえっちらおっちら、けっこう登れるものだ。 本当にここ数年半身不随になってからのリハビリは、私に強靱な体力を与えてしまっ たようで、ハイキングになれた人より、ちょっと遅いレベルで、坂道を登って行く。 病後、10メートル歩いては、立ち止まり、はあはあ…言っていたのを見ていた姉は、 私の体力にびっくりである。 意外なことに、戸田圭祐は、学生時代、ワンダーフォーゲル部だったから、こういう 道はホイホイなのである。 さくま姉弟は、箱根峠のダンプカーのように、煙を吐きながら、のろのろ運転である。 大事を取って、途中一度休んでまた、石段を登る。 なんとか善峰寺の山門にたどりつく。 よくぞ、登り切れたものだ。 自分をホメてあげたいぞ! それにしてもTVの力は本当にすごいや! 山門の拝観券売り場がなんと行列である。 しかも売り場の先には、またしても石段が。その石段の上には、お堂があって、その 上にはまた石段がある。一体この先どこまで境内は広がっているんだ? 広がっているならいいが、どうも果てしなく上に上にと、広がっているぞ。 善峰寺は、日本一の松というのが、有名らしい。 せめてその松だけでも見て帰るか。 幸いなことに、その松は、最初の石段を登ったすぐにあった。 どんなに大きな松だろうと思っていたら、なんと! 横に長いのである。 龍が横たわっているかのように見えるということから「遊龍の松」と名付けられたそ うである。 確かに横に長い。しかし39メートルしかない。 以前は50メートルあったそうだが、横に長い松というのは、どうも威厳が無い。 せめて海沿いの浜辺にでも横たわっていれば、「ほう!」のひとつも嘆息できるのだ が、あれだけ拷問のように、石段を登らされたあとで、この程度の松では、「だから、 どうした?」である。 この遊龍の松の上には、つりがね堂、護摩堂、多宝塔、経堂、開山堂を始め、10数 のお堂があって、3万坪の境内が続くというが、もちろんやめる。 こんなところで体力を使い果たしたくない。 きょうはまだこれからビッグ・イベントが待っている。 さっさと山門を降りる。 しかし山道は、降りるほうがつらいと聞いていたが、本当につらい。がくんがくんと 膝に負担がかかり、そのうち膝が笑う状態に。 つらいから急ぐと、さらに膝に来る。 膝が笑えば、私も笑う。 笑ったところで楽になるわけでもないのだが、せめて笑う。 宮本さんが待っていていてくれて、タクシーのドアを開けてくれる。そこへもうころ がりこむように、乗り込む。 姉も笑っている。戸田圭祐も笑っている。 高円寺の整体のお兄ちゃんが、人間本当に痛いと、笑い出すといっていたのを思い出す。 まさにその状態だ。 宮本さんに、最初の予定だった、勝持寺に向かってもらう。 また石段が長かったらどうしよう?などと言いながら、向かう。 そうだ、忘れていた。 テレビのCMで咲き誇っている善峰寺の桜は、まだ五分咲きで、とてもCMのように 満開ではなかった。 さらに、このお寺から眺める京都市内は美しいという評判だそうだが、3人ともまっ たく見る余裕などなかった。 どうしてみんなこんな大変なところまで歩いてくるのだろう。 タクシーで直前まで来てもらって、こんなに苦しい道を、麓からずっと歩いて来る人 が多いのには、尊敬を通り越して、疑問すら感じてしまう。 午後1時。勝持(しょうじ)寺に着く。 こっちは平地にお堂が建っているので、ひと安心。 花の寺と呼ばれるだけあって、なかなか桜がきれい。 有名な西行(さいぎょう)法師が隠遁したそうで、西行桜と呼ばれる桜がこのお寺の 売りになっている。 残念ながら五分咲き。京都市内は満開なのだが、ここは山の中だから少し開花が遅れ ているようだ。 まだ足が完全には回復していないので、とにかく休みたいという理由から、本堂で抹 茶をいただく。 この部屋から見える桜がきれいだ。 この桜のために、このお堂は建てられたんだろうなあ。 風流だねえ。 午後2時。亀岡に着く。実はきょうの小旅行のメインはここから始まる。 歴史にくわしくない人でも、「本能寺の変」ぐらいは知っているだろう。明智光秀が 織田信長を暗殺した、あの事件である。 その明智光秀が本能寺までたどった道をきょうこれから、宮本さんにタクシーで走っ てもらおうという計画なのだ。 それなら亀岡から京都市内までタクシーで走ってもらえば、片道料金ですむではない かという人もいるだろう。 きょうの3人は、全員血液A型である。 初対面の人に、亀岡から走ってもらうことはできても、途中で景色を見たいから、停 めてくださいと言えない性格揃いなのである。 だからすぎやまこういち先生ご夫妻が懇意にしていて、面識もある宮本さんにお願い したのだ。 おかげでまず、宮本さんが、亀岡城跡をぐるりと一周してくれた。 とてもA型3人では、こういう遠回りするような道を要求できない。おおよそ周囲1km。 かなり大きな城だったようだ。 この亀岡城が、明智光秀の居城だった。 この城をスタートして、中国地方に向かう予定だったのを、途中で進路を変えて、 「敵は本能寺にあり!」と叫んで、京都に攻め入ったのである。 その場所が、沓掛(くつかけ)という場所で、姉と代わる代わる写真を撮る。 もちろん今はマンションが林立していて、昔を思い起こすような景色はひとつもない。 歴史好き同士が、ああでもない、こうでもない、明智光秀の真意はどこにあったのだ ろうといったことを推理しながら、車は進む。 亀岡を出発して、1時間も立たないうちに、桂川を越えて、あっというまに、京都市 内に入る。 あれ? そんなに早いの? あれだけ歴史に残るビッグ・イベントだから、少なくとも歩いたなら、丸1日以上、 タクシーでも半日が潰れると思いこんでいた。 姉もそう思っていたようだ。 あまりにも拍子抜け。 午後3時。もう当時の本能寺跡に到着してしまう。 亀岡から、わずか20kmだから、現代人が歩いても、4〜5時間の道のりである。 あっけないほど「本能寺の変」というのは、短時間のドラマだったようである。 どんな歴史小説でも、何10ページも割いて、書きつづる箇所だから、何日にも渡る 大ドラマだと思いこんでいた。 でもおかげで、このあまりにも短い小旅行で、私が「本能寺の変」について、思い浮 かべていた仮説が、正しいとさらに確信を得ることができた。 それはさすがに内緒ね。 いつかこの辺のことを、小説、またはエッセイで書こうと思っているんでね。 ちなみに現在京都の御池河原町にある本能寺は、この「本能寺の変」のときの本能寺 ではない。 西洞院通り、六角通り、油小路通り、蛸薬師通りに囲まれた、本来の本能寺は、織田 信長とともに全焼した。 その後豊臣秀吉が、現在の京都ホテルの近くに本能寺を建立したのだ。 午後3時。ブライトンホテルで、きょうの小旅行は完了。 「本能寺の変」の旅は、とても楽しかった。 でも行程の旅は、何10年来の悲願だっただけに、もう少し劇的であってほしかった。 どう劇的であったほしかったのは、どういうことなのか思いつかないんだけどね。 あれほど恋いこがれていた行程だけに、当時の本能寺跡に着いたとたん、雷のひとつ も鳴ってほしかった。 できることなら、さらに雷とともに、タイムワープして天正10年6月2日の「本能 寺の変」まで飛んで行ってほしかったね。 それじゃ、SFだ。 午後5時。御池地下街のクイックマッサージ「ナチュラル・ボディ」で、姉と共に、 マッサージを受ける。 疲れを明日に持ち込まないようにしないとね。 午後6時。戸田圭祐がこよなく愛すお店「忘吾(ぼあ)」で食事。 朝堀りのタケノコのお刺身なんかが出て、美味しいこと、美味しいこと。タケノコの 季節だねえ。 午後8時。マンションに戻る。戸田圭祐は大阪に戻る。 とうとう横浜ベイスターズは、開幕3連敗である。 この調子だと、今シーズン135試合全敗も夢ではなくなって来た。シャレにならんぞ。 私が応援しないと、やっぱり弱いなあ。 まだ平気でいられる自分が奇妙だ。 きょうはさすがに疲れたから、『さくま式人生ゲーム2(仮)』のまとめ作業は、 中断。 風呂入って寝よ。