1月29日(金) きょうは一転して、寒い京都。 京都が寒い時は、北海道よりも寒い。 風がなければ、それほどでもないのだが、比叡おろしと呼ばれる冷たい風が、京都盆地 に吹くと、骨にしみる痛さだ。 午前11時30分。壬生寺の南門前に、美味しい焼きそばのお店があると、週刊ポスト に書いてあったので行く。 壬生寺は、この京都の麩屋町三条のマンションの前に、7年前ぐらいから京都の宿泊所 にしていた場所だ。 最近あまり行っていないのと、当時は仕事ばかりで、まったく近所を散策していないこ とを思い出して、行ってみることにした。 ちょうど壬生寺は、2月2日から始まる「壬生狂言」の準備の真っ最中であった。 壬生寺のすぐ側のマンションにいた時もとうとうこの有名な壬生狂言を見ることもなか った。 今回はちょうどいい機会なので、2月2日にまた来てみようと思う。皮肉なもんだ。家 が遠くなってから、やっと行ける。 午後12時。確かに、焼きそば屋「丸福」は、壬生寺の南門の前にあった。でも本に 載っていなかったら、絶対入らないね、この店は。週刊ポストの取材文には、一見何の変 哲もない外観だが…とあるが、この家のどこが、変哲もないのだ。 変哲以外の何物でもない! 古めかしいなんてもんじゃない。 「おんぼろ」という言葉が、こんなに似合う店も珍しい。 失礼な言い方だが、誰も異論をはさまないだろう。それだけの迫力がある。 入口が木のドアというだけで、これはすごいと思ったが、さらにそのドアに「引く」と 書いてあるではないか。 ちょっとひとりで入るのには勇気がいる。 ギギギッと音をさせて入る。 思った通り、殺風景な店内。コンクリートむきだしに近い。 週刊ポストによれば、旧きよき時代の日本の商屋のたたずまいだそうだ。この文章書い た人と、一度膝を交えて会話してみたい。 「ウソを書くにもほどがあるぞ!」 何たってコートを脱がなくていい。暖房がない。 お茶はポットから自分で入れる。まずい。ほこりくさい匂いのお茶だ。うげげ。 さらにお品書きを見ると、日本そば屋なのである。 でもお客さんは、みんな名物の焼きそば580円を食べている。 覚悟を決めて食べることにする。 けっこう時間がかかって、やっと焼きそばが来る。 見た目、文化祭の焼きうどんである。 焼きそばというのに、麺が太いのだ。 小さい皿にこぼれるように盛ってある。お店の人の愛想はさほど悪くはない。 食べる。つるっとした太い麺。チープな味だ。まあ、屋台や縁日の焼きそばよりはまし かなと思いながら食べていると、お肉が。あれ? 固くない。しかも牛肉だよ、これ。 焼きそばは豚じゃないの? この牛肉は柔らかくて美味しいぞ。キャベツも悪くない。 何だかだんだん美味しく感じて来たぞ。 やばいぞ。けっこう美味しいと感じ始めているぞ。 いかん。はまったようだ。 土居ちゃん(土居孝幸)と宮路一昭くんが来週来るから、黙ってここへ連れてこようか な? 何というだろう。 午後12時30分。壬生寺の北にある八木家というのは、新撰組が屯所につかっていた ことで有名なのだが、きょうはなんと「公開中」という張り紙があるではないか。京都は こういう風に、期間限定公開がやたらと多いのだ。 この八木家は、和菓子屋も経営していて、この和菓子屋のほうへは、家が近かったもの だから、何10回も来ているけど、新撰組が宿舎にしていたという高札はあるものの、一 度もこの「公開中」にぶつかったことがなかった。 さっそく入る。 観光協会から派遣されたご老人がわざわざ解説してくれる。 8畳ぐらいの小さい部屋がいくつもいくつもあって、解説を聞いている部屋はなんと、 あの芹沢鴨(せりざわかも)が、近藤勇たちに惨殺された部屋だというではないか。なん だ、ここだったのか。 ずいぶんと小さいものだ。 ってことは、惨殺した部屋を新撰組は、その後もつかってたってことか? ご老人は、天井とは色を塗ったり、壁を塗ったりはしたというが、そのまま寝泊まりし てしまうんだ。しかも芹沢鴨惨殺の時の刀傷が、隣の部屋の鴨居のところにまだ残ってい る。 「刀傷には絶対ふれないでください」という張り紙が妙に滑稽だ。 文机がひとつ置いてあって、芹沢鴨が逃げようとした時に、つまいづいたそうだ。 そんなに大騒ぎした部屋をそのままかい? さすがに新撰組の神経ってやつは、鉄パイプのように不図太いようだ。 どうも殺戮集団としか思えない新撰組というのを、私はあまり好きになれないのだが、 どういうわけか、いつも縁がある。 新撰組の近藤、土方、沖田がいたのは、東京日野市だ。 私が生まれたのは、東京杉並区。どちらも武蔵野である。 そしてその後私が函館に買ったマンションが、なんと五稜郭の側である。ここで新撰組 最後の男・土方歳三が死んでいる。 で、京都で最初に買ったマンションがこの壬生寺の側である。 さらに私のおばあさんの家に、上野山の戦いの時、新撰組が逃げ込んで来たという。お ばあさんというのが、東京のどこの家かもよくわからないのだが(四谷の牛込町ではない か?)、とにかく妙に縁がある。 ひょっとすると、いつか新撰組を仕事にする日が来るのではないか? いつもそう思っているのだが、今はまだ新撰組を好きではない。 きつい言い方をするが、私は自分が頭がいいと思ってるバカを、この世で一番嫌ってい る。 だから評論家という種族を最も嫌っている。 映画評論家にしても、えらそうに言っても、けっきょく映画作れないんだろ?と言って しまえばおしまいである。けなす以外の批評があってもいいのに。 淀川さんには、謙虚さがあった。 どうもまだ私の頭の中では、新撰組がまだこの範疇から抜け出ないでいる。もう少し歴 史に詳しくなっていけば、気持ちも変わるのだろうが、なかなかこの気持ちは変わらない。 長くなった。解説のなかで、新撰組がいた当時、庭から二条城が見え、玄関からは松原 遊郭の灯りが見えたという。 当時の壬生は、ほとんど京都のはずれ。田んぼだらけだったと歴史の本に必ず書いてあ る。 そうだ。まだ松原遊郭の跡というのを見に行ったことがない。このまま南に下って行け ばいいというから、行ってみよう。 その前に壬生寺正門前に、武家屋敷をそのまま喫茶店にしたお店が開業していた。 以前はなかったはずだ。入って休む。新撰組の解説は楽しかったのだが、畳の部屋を歩 いているうちに、足が寒くて仕方がなかったので、暖をとりたかった。 広い。15畳ほどの部屋が、4つも、5つもある。 まずどこからこのお店に入っていいのかわからない。 通された部屋は、まるで徳川慶喜が、大政奉還をした二条城の広間のようである。 ここにひとりで座り、畳の部屋の座布団で、カフェオレを飲む様は、風情があるというよ りも、異様である。 午後1時30分。ひたすら南下する。 壬生寺商店街とかいうところも通って、南へ南へと歩く。 途中やたら大きな公園に出る。中堂寺公園だそうだ。知らんなあ。 山陰本線の丹波口駅に出てしまった。 足がそろそろもつれて来た。 まっすぐに歩けなくなってきた。 ダメだ。もう帰ろうと思った瞬間に、島原大門が見える。ここかあ。立派な門だ。 ここに遊郭が移転した時に、ちょうど天草四郎の島原の乱があったそうで、その移転の あわただしさと、島原の乱のあわただしさぶりが似ていたところから、この地を島原と名付 けたというのがおもしろい。 古い町並みが、なかなか風情がある。 西郷隆盛や、久坂玄瑞が利用したお店、角屋(かどや)が歴史的建造物として残っていて、 趣がある。 午後3時。京都のマンションに戻り、休む。散歩のつもりが、ちょっとした小旅行になっ てしまって、へばった。寒い時にあまり散歩するものではない。必要以上に疲労する。 午後5時。1日1時間ゲーム宣言。『レガイア伝説』を始める。 『レガイア伝説』をやるのは、3回目だ。いつも忙しくなって、すぐやめるハメになってい たので、やっと腰をすえてできる。 戦闘の爽快感がいい。 子どものキャラのセリフは、ひらがなばかりで、大人のセリフになると、漢字が増えると ころなんかは、さすが柴尾英令くんがフリーライター出身だけのことはある。 でもその細かい配慮に何人の人が気づくだろうか? ゲーム業界人は、まずメッセージを読まないからなあ。 午後7時。あっというまに2時間が過ぎる。最初の1時間を突破できたRPGは、なかな かやめることができないからなあ。 食事をしに外で出る。寒い。 寒いなんてもんじゃない。 なんとか河原町通りまで出るが、もう寒くて、何を食べたいのか、まったく浮かばなくな る。 一番近い志津屋でパンを買い、必死にマンションまで戻る。 何とも淋しい夕食になってしまったが、とてもあの寒さの中を歩くのは危険だ。高血圧に 寒さは天敵なのだ。 きょうはおとなしく、テレビでも見ながら、本を読もう。
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