1月28日(木) 午前10時30分。ゲームを大量に鞄に詰め込んで、わが家を出る。何だかやたら春の 日射しのように、ぽかぽか暖かい。冬の京都に向かうのだから、マフラーまで首に巻いた のだが、次第に汗をかいて来た。 とても1月の末とは思えない暖かさだ。 午前11時21分。ひかり223号。 早くも大失敗! 東京駅構内で、伊勢、奈良、和歌山、大津といった歴史街道のキャンペーン展を開いて いたので、ついついパンフレットなど集めていたら、あっというまに新幹線出発の時間が 来てしまった。 急ぎ足でホームに向かうも、階段の途中で、発車のベルが鳴る! やばいぞ、やばいぞ! エスカレーターに乗ろうとしたら、下り専用。 ええい! 足がまだ不自由なのに、階段を登るしかないのか! まだ走れないんだよ。 左足を放送禁止用語させながら、必死に跳ねながら進む。 発車のベルが鳴りやむ。きえ〜! もうダメだ! ええいっ! 本当に映画のワンシーンみたいに、一番近くの車輌に飛び込む。 ふうっ! 間に合ったんだ〜! 手足が不自由になってから、きょうぐらい必死に動いたのは、初めてだ。はあはあ…。 息が上がって、苦しい。本当に苦しい。 午後1時。なぜか名古屋駅で降りる。 恒例寄り道旅行だ。 去年から焼き物の常滑(とこなめ)の観光MAPを鞄の中に入れたままにしていて、最 近紙が折ったところから切れ始めたので、早く常滑に行ってみたかったのだ。 午後1時46分。名鉄新名古屋駅。常滑行きの電車がなかなか来ない。名鉄のホームは すごくて、4本もプラットホームがあるのに、私が立っている4番線は、1分おきに、電 車が発着する。 しかも次から次へと来る電車はおなじ方向に向かうのではなく、竹ぼうきの先のように、 先に行けば行くほど、違う方向に向かって進んで行く。うっかり乗り間違えると、南と東 ぐらい違う方向へ行ってしまうのだ。 地理にくわしい人なら、知多半島へ行く電車と、徳川家康で有名な岡崎に行く電車が、 おなじホームから出ているといえば、驚いてもらえると思う。 平然と迷わずにじっと電車を待つ、名古屋の人たちに、ちょっと感動。 午後2時30分。常滑駅着。やっぱり鞄を名古屋駅のコイン・ロッカーに置いてくれば よかった。重たい。コイン・ロッカーって、今300円もするなんて知らなかった。小銭 がなかったので、そのまま常滑まで来てしまったのだ。 電車は常滑駅に近づくにつれて、車窓から海が見えて来る。 電車から見る海が好きだ。暑いに日にミネラル・ウォーターを飲んだ時のように、すが すがしくなる。旅行中1回でも海を見ないと、旅をした気分にならない。 まずタクシーで観光MAPで一番遠い、とこなめトイレパークに向かう。名前からして、 絶対行ってみたいでしょ? 常滑(とこなめ)というと、焼き物と、常滑競艇で有名な町 だけど、町じゅう「INAX」の看板が並び、INAXの工場がそこらじゅうにある。 抗菌トイレは、INAXのINAXさんだ。 確かにトイレは陶器だから、INAXがあってもおかしくない。 どうやら常滑は、 INAXの城下町のようだ。トイレだけに、浄化町といったほうが、 シャレてるか。 そのINAX東工場の真ん前にあるトイレパークと来れば、行かないわけにはいけない。 しかし、運転手さんに「トイレパークまで!」というと「?」という顔をする。 「INAXの東工場です 」「ああ!」。 嫌な予感がする。 予感はすぐに的中。着いたところは、幼稚園の校庭にでもありそうなトイレが3つぐら いあるだけである。 わざわざ観光MAPに「トイレパーク」と書くな! トイレとだけ書け! ここに来る ためだけに、こんな遠い所まで来てしまったではないか! こっちは足が不自由なんじゃ い! 不自由なら、旅行するな! その通りだ! しかもひとりでこんな遠い所まで来る な! ひとりでツッコミを入れるしかない。 仕方なく、とぼとぼ「やきもの散歩道」と呼ばれるコースまで歩いていく。途中まった くの宅地を歩いたのだが、おもしろい町だ。焼き物の町だから、突然門柱がタイル張りの 家に出くわしたりする。 とにかく昭和30年ぐらいから時間が止まってしまったような町で、お肉屋さん、八百 屋さんといったお店がみんな潰れたままで放置してある。「国産プリンス自動車」と書か れた看板が、つい先ほど張ったばかりのように家の壁にへばりついている。 どの道からも、焼き物の登り窯(のぼりがま)の煙突が見えるのは、なかなか風情があ る。 しかしちょっと登り窯に向かって、路地に入ると、いきなり登り道になる。組み紐みた いに細い道を登ってくねくねと登って行く。 これは足の不自由な人間にはつらい。 しかもほとんどの家が焼き物を作っている家のようで、細い道をよろよろ顔を下に向け たまま、はあはあと歩いて行くと、いつのまにか、人の家の庭に入って行ってしまう。 その家も、死んでいるのか、今も生きているのかよくわからないくらい、ほこりだらけ の家ばかりだ。 坂が急になると、道に瓦が埋まっている。 さらに道の土手には、茶色の土管が埋まっている。地滑りしないように、補強している のだろう。補強剤に、土管をつかっているのが、なんとも豪勢だが、異様な景色だ。小学校の壁のタイル絵 本当に昭和30年代にタイム・スリップしたようだ。 私の子どもの頃に逆戻りしたみたいだ。近所の悪ガキだった、野口くんや大沢くんが、 いきなり家の影から飛び出して来るような気になる。誰だ、野口くんと大沢くんは? 町でナンバー1,2の暴れん坊だ。氷屋のNちゃんも、サンダルばきで出てきそうだ。坂 道のてっぺんにたどり着いて、息をはあはあ言わせていると、小学校1年生ぐらいの女の 子が上がって来て「こんにちわ〜」という。 やっぱりここは、昭和30年の町なのではないのか? 大林宣彦監督の尾道を舞台にした映画に出演しているみたいだ。 奇妙な町だ。音が少ない。風の音が大きい。 登って、下って、膝が笑う。でも依然として、町は静かなままだ。 そこら中に「やきもの散歩道Aコース」「やきもの散歩道Bコース」の立て札はあるの だが、それ以外の物がまるでない。 この町で一番有名な「土管坂(どかんざか)」にようやくたどり着く。 ここか? こんだけ? 確かに両側に土管が埋め込まれ、道にも瓦が埋め込まれ、異様 な景色だが、今まで歩いて来た道でも、やたらと見た風景で、もう驚いたあとだ。しかも 全長10メートルもない。 100メートルぐらい続けなきゃ! これで観光スポットにするには、無理があるぞ〜。 観光MAPには、土管坂の側に、水琴窟(すいきんくつ)もあると書いてあるが、もう いい。足はへろへろだし、信頼関係が崩れた。駅まで戻る体力が残っているかもあやしい。 どうせタクシーなんて空車のまま走っていない。歩いて帰るしかない。 午後3時45分。なんとか常滑駅にたどりつき、電車に乗る。そうか。2時間ぶっ通し で歩いていたのか。平地じゃないし、まいったよ、こりゃ。 午後4時30分。新名古屋駅着。腹が減った。朝、東京の自宅で食べたロールパン2個 と黒豆珈琲しか胃の中に入っていない。 常滑で何か食べようと思っていたのだが、とても名物はないし、あやしいお店が多いの で、つい入らずじまいのままだったのだ。 昨日すぎやまこういち先生ご夫妻から聞いた、神田須田町のおいしいとんかつ屋さんの 話を思い出す。とんかつかあ。名古屋といえば、みそかつが名物だなあ。食べたいなあ。 名古屋で一番有名な、みそかつのお店ってどこだろう? 知らないなあ。『桃太郎電鉄』 の作者が知らないのはいけないなあ。また食べるときの言い訳が始まった。 地下街の本屋で、調べる。 タクシーで「大須の矢場とんって知ってますか?「ああ、矢場とんね!」 話が早い。店の前まで連れて行ってもらう。 「矢場(やば)とん」。矢場というのは特別意味があるのではなく、地名であった。 ブタの絵が目立つお店だけど、なかはありふれた定食屋さん。 せっかくだから、一番値段の高い、鹿児島産生黒豚ひれかつ定食1900円を食べる。 名物は、わらじとんかつですよと言われたが、揚げ物をそんなに食べてはいけない。 みそかつのタレが、美味しい。マイルドなんだけど、きめ細かい味。ちゃんとみそかつ 用特有の、こってり感もちゃんとある。 鹿児島産の黒豚を注文したのは、失敗したかも。ちょっと肉が上等すぎて、微妙にタレ と合わない。もっと安い肉の方が、このタレには合うな。 今後も名古屋でちょっと時間があまったら、このお店に来るだろうな。 必ず行くお店とまではいかないけれど、けっこうお勧めの店。 午後6時。ひかりで、京都に向かう。 午後7時。京都のマンションに着く。 今回京都で、ゲームをやり倒す計画だったけど、早くも挫折。 寄り道旅行でへばりすぎた。 もうひとつの計画である本を読むことにする。 中公新書の『信長の親衛隊』という本がけっこうおもしろい。 永六輔さんの『もっとしっかり日本人』(NHK出版)、『歌謡界一発屋伝説』(宝泉 薫・彩流社)など読む。
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