2010年6月10日(木)


 午前9時30分。きょうも暑い。
 朝からなぜ暑い!
 どうせ私のせいだろ。
 私の晴れ男伝説が恨めしいよ、ほんと。

 孔子廟の前を通り、東山手の古写真資料館・埋蔵資料館に向かう。
 あれ? 古写真資料館・埋蔵資料館の表示も現れない。

 おお! 有名なオランダ坂だ。  さすがに急だなあ…。  近くのタバコ屋さんで、古写真資料館・埋蔵資料館の場所を聞く。  ハハ…ハハ…ハ…!   オランダ坂の中腹にあるって…。  あのオランダ坂を登るんだ。  朝から急坂はしんどいよ。

 東山手地区町並み保存センターという文字はある。  ああ! どう見てもここだ。  外国人居留区になっていたんだな。  おなじような色と形の洋風住宅が、7件もあった。  そのうちの何件かが古写真資料館・埋蔵資料館のようだ。

 迷路のような道を歩いて、1件、1件見て行く。

 最後に見た家が、古写真資料館・埋蔵資料館だったよ。  早くも汗びっしょり。  きょうはこれから、もっと面倒な場所に行くんだよ。  午前10時30分。風頭(かぜがしら)公園の坂本竜馬像の近くの バス停「佐久間商店前」へ。

 坂本竜馬像は以前も行っているので、スルー。  ガイドブックにも、佐久間商店前とあったので気になったけど、雑貨 屋さんのようだ。  しかもきょうはお休みのようだ。  でもこのお店がランドマークになっていて、ここから坂本竜馬が作っ た日本最初の株式会社「亀山社中」へと続く龍馬通りが始まるのだ。

 その「亀山社中」へは、いままでも何度となく来ていて、毎回急降下 の坂道に泣かされている。  何しろ山の斜面にへばりつくように建っているので、タクシーで目の 前につけることができない。  さっきの「佐久間商店前」が、タクシーでも最寄りの場所なのだ。  あー、またあの過酷な坂道を降りて行くんだな。  きょうは朝からこの坂道を覚悟していたから、伏兵のオランダ坂に、 必要以上にへばったのだ。  本当にへばるのは、これからだ。

 石段をひとつひとつ降りて行く。  おお! かつては、こんな手すりなどなかったはずだ。  でも、ちゃんと、きつい。  へっほっ、へっほっ…。  うんとこしょ、うんとこしょ…。  坂本竜馬がこんな不便な場所に亀山社中を作ったのは、ひとつには、 薩摩藩が家賃を負担してくれたから、  だからそんなに予算がない。  もうひとつは、坂本竜馬が亀山社中を作ったときも、まだ脱藩の身だ ったから、繁華街をうろちょろするわけにいかなかったから。

 うー、こわい、こわい。  見晴らしはいいけど、景色に見とれたら、石段を踏み外して、真っ逆 さまだ。  午前11時。「亀山社中記念館」に着いた。

 ふだんは、土日のみ公開だ。  NHK『龍馬伝』のおかげで、今年は無休のようだ。  大河ドラマがあると、こういう特典がつくので、来たくなる。  あれ? 以前来たときのなかの雰囲気が全然違うぞ。  ずいぶんきれいだし、すっきりしている。  以前はもっとごちゃごちゃしていた。  案内の人に聞いてみる。 「以前ここに来たときより、ずいぶんきれいになったような気がするん ですが…」 「ああ、それは昨年の8月に、復元されたからでしょう。以前は、個人 の方が所有されてましたから」 「ああ! そういえば数年前から、ずっと閉館していた」 「その個人の方の家を、いろんな資料をかき集めて、当時の竃山社中に 近い形で、復元したんです」 「ああ、それで本当の玄関は、こっち側だったとここに書いてあるわけ ですね」

 坂本竜馬がつかっていたピストルや、月琴、着物などが展示されてい るが、もちろん複製。  だいたい歴史上の宝物は、東京か、京都に持って行かれてしまう。

 それにしても、いつもここに来て、思う。  慶応元年(1865)の夏に、亀山社中を結成して、2年後の慶応三年 (1867年)に、坂本竜馬は暗殺されてしまうのだ。  土佐藩を脱藩してからも、わずか5年。  何と密度の濃い人生なんだろう。  坂本竜馬は、33歳で亡くなった。  石川キンテツは、今年の7月1日、33歳になる。  くっくっく…。笑っていただけただろうか。  ひょっとしてと思って、石川キンテツの年齢を調べて、私は思わず 吹き出してしまった。  亀山社中には、20人ぐらいの社員がいたそうだ。  でも、10畳・8畳・3畳しかない部屋に、20人も入りきれない。  小曽根英四郎という長崎の商人が、亀山社中を援助していて、眼鏡橋 のほうの家にも亀山社中の連中を住まわせていた。  歴史上の人物の影には、必ず商人の援助がある。  最近、歴史上の人物よりも、影の商人のほうに興味が移り始めている。  今回の長崎でも、大浦慶という女傑に非常に興味が湧いた。  吉田松陰がペリーの船に乗って、米国に渡航しようとして失敗した頃 に、この女傑は24歳ぐらいで、上海に密航したそうだ。  いままでこの「亀山社中」の近所には、何もなかったんだけど、今年 はさすがに『龍馬伝』の年。  お土産物屋さんや、軽食が食べられるお店がいくつも出来ていた。 「亀山の里」というお土産物屋に入る。  多くの有名人のサイン入り色紙に混じって、ケンドーコバヤシくんの 写真とサインがあった。  はっはっは! またカメラ目線を外して、映っている。  ケンコバって、いつも写真を撮ろうとすると、斜め下を向いて映る。  そうだ。今回長崎に来たのは、ケンコバがきっかけだったんだっけ。  このサイン入り色紙を、ケンコバに送ろう。

「ケンコバが、何度も長崎花月の話をするので、悔しくて、長崎に来た。 昨日、花月で、きょう、亀山」  返事が来た。 「さすがさくまさん! 動きが早い! 卓袱料理は最高ですね!」  ケンコバも「花月」の卓袱料理、気に入ったんだ。  おいしかったもんなあ…。  このお土産屋さんの脇が、坂本竜馬のブーツが、モニュメントになっ たところ。

 みんなが順番待ちして、ブーツのなかに足を入れている。  私も以前、ここに来て、足を入れた。  今年、坂本竜馬のブーツが、実際に復元されて町の靴屋さんなどで売 り出されて、革製なので、ン万円もするのに、飛ぶように売れているそ うだ。 「亀山社中」の近くに、「亀山社中資料展示場」というのがあるような ので行ってみる。  以前来たとき、こっちはなかった。

 なかに入ってみると、以前の「亀山社中」にあった写真とかが壁に貼 られていた。  どうもこのレイアウト、以前の亀山社中とそっくりだ。  こっちに移転したんだな、たぶん。  さーて、これから本格的に町中まで、さらに石段を下り続けないとい けない。  ひーこら、ひーこら…。  このあたりの人は、来年の7月にアナログ放送が終わったら、どうや って地デジテレビをここまで運ぶんだろう。  宅配便の人とか、新聞配達の人とかって、このあたりの家に物を運ぶ の大変だろうなあ。

 次から次へと、私はおばあちゃんに追い抜かれて行く。  さすがに、この辺に住んでいる人は、みんな健脚だ。  ひー。わかっちゃいるけど、しんどい。  午前11時30分。平地に着いた。  まっすぐに歩けない。  もうダメ…。歩けない。  お腹も減っている。  たまたま来たタクシーをひろう。  午前11時45分。出島ワーフへ。

朝市食堂」で、お刺身定食。  今朝、初めての食事なのに、晩ご飯のような気がするほど、オランダ 坂と亀山社中の石段で、きょう1日の仕事を終えた気分だ。

 長崎湾を眺めながら、デッキで食べる。  お刺身定食、おいしい。  水イカがとくにいいけど、切り干し大根が格別おいしかったような気 がする。

 湾内に停泊中の船に「軍艦島クルーズ」の文字が書かれている。  軍艦島は、1960年代、石炭で栄えた島だ。  人口密度は、東京の9倍に達し、世界一を誇った。  1970年代に入ると、石炭産業が寂れ、閉山となった。  私もDVDまで買った興味のある島だけど、いまや遺構にになってい るだけだから、行きたいとまでは思わないなあ。  でも、今年の8月、200人乗りの軍艦島クルーズの新しい船が就航 するそうだから、廃墟マニアには、朗報だとおもう。  さて、かなり疲労しているのだが、行きたい場所がどれも比較的近い 場所にあるので、歩くしかない。 「夢彩都」という商業施設に寄る。  巨大スーパーだ。  さらに長崎県庁方面に向かって歩く。  カステラの文明堂総本店の前を通る。  文明堂は、成り立ちがけっこう複雑で、この長崎の文明堂総本店は、 明治33年に創業した老舗。  ♪カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂〜のCMソング で一世を風靡したのは、日本橋文明堂で、別会社。

 午後1時。文明堂総本店の先に「喜久屋」という小さなお饅頭屋さん があった。

 無造作な店舗で、味の良さだけでずっとやって来ましたよと言わんば かりの店構えなので、串だんご、80円。饅頭、80円を食べてみる。  串だんご、旨し。

 ちょっと濃いあんこだけど、疲れた身体に実においしい。  お饅頭は皮に塩味がついている。  正しくは「喜久屋大波止饅頭店」というお店で、創業は慶応元年のよ うだ。長崎では本当に創業明治以前で初めて、ほう、古いな!と思える からすごい。  うーん。この先の坂を登らないと、お目当てのお店に行けない。  登るしかないなあ…。  ペットボトルのお茶も切れたよ。  炎天下だ。  ひー。ひー。  長崎では、この程度の坂は、坂のうちに入らない。  ふー。登り切った。  おっ。長崎県庁だ。

 写真見て。  ものすごい旧字体の「長崎県庁」の文字だ。  ATOKで、旧字体探すの面倒。ハハハ!

 おっと! 長崎県庁って、海軍伝習所の跡地に建ったんだ。  長崎海軍伝習所は、安政2年(1855年)に江戸幕府が海軍士官養成の ために設立した教育機関だ。  一期生のなかに、勝海舟や、薩摩藩の五代友厚がいる。  いま『龍馬伝』で、坂本竜馬たちが必死にお勉強しているのは、神戸 海軍伝習所。こっちのほうが古い。 「長崎雑貨たてまつる」に寄る。

 長崎の歴史や風景にした布雑貨や書籍などを扱う趣味の色の濃いお店。  坂本竜馬も、わざと首から下をデザインとして描いているのがおもし ろい。  ん? 何だ? 内山田洋とクールファイブみたいな人たちが並んでい るようなデザインのトートバッグだ。 「思案橋」と描いてある。  お店の人が「クールファイブなら、もうひとり多いですよね」という。 「ひょっとして、コロラティーノですか?」 「よくご存じで!」

『思案橋ブルース』は、1968年4月に発売されたご当地ソングで、私が大 好きだった歌だ。  私が中学生の頃、東京オリンピックのちょっと後、2本立ての映画館 の映画と映画の間に、このグループが出て来てこの歌をうたったので驚 いたことを覚えている。  いまでも長崎の思案橋を訪れる度に、♪泣いているような〜長崎の町〜 とイントロの部分が、脳内を流れる。  40年以上経っているのに、まだ覚えてるよ。  あまりにも知名度が低い曲なので、嫁にも話題にしなかった曲だ。  これも何かの縁だと、トートバッグを買う。  浜の町に出た。  長崎で一番の繁華街だ。  大丸デパートがある。

 午後1時30分。「梅月堂」へ。  創業明治27年。老舗の洋菓子屋さん。  長崎の人なら誰でも知っているシースケーキ発祥のお店だ。  でもこのお店は、シースクリームという名前で売っている。

 2階の「サロン・ド・フィーヌ」という喫茶室で、このシースクリー ムを食べる。  事前に写真などで見ていて予想していた私が子どもの頃によく食べた 桃のケーキの味だ。  こんな上品な生クリームじゃなかったけどね。  生クリームがうまい。  しかもスポンジが、ふわふわ。  これはうまいや!

 このシースクリームには、ちょっとしたエピソードがある。  発売当初の形が、豆の莢(さや)に似ていたので、シースクリームと いう名前を付けた。  ところが、豆の莢(さや)なら「ポッド(pod)クリーム」になるはず で、刀の鞘(さや)の「シース(sheath)クリーム」と名付けてしまっ たそうだ。  このシースクリーム、昭和30年代に初めて作ったんだけど、この誤 用に気づいたのは、2005年。つい最近のことだという。  ちょっとおもしろい。  ここで、私はすっかり動けなくなってしまった。  歩数計は、9000歩。  いまの私には限界をはるかに超えている。  午後2時。ホテルモントレ長崎に戻り、シャワーを浴びて、熟睡。  もはや無理の利く年齢じゃないんだから、休むときは、休む。  午後4時。『竜馬がゆく』(司馬遼太郎・文春文庫)の7巻を読み終 える。  確か長崎が出て来るのは、7巻で最後だったような気がする。  まだ足が痛い。  2日連続の1万歩超えは、ダメージ大きい。  午後5時。ホテルからいちばん近い路面電車の電停「大浦海岸通」へ。  おっと、蛍茶屋行きの路面電車が到着してしまった。  路面電車に飛び乗る。

 私は海が見えて、歴史があって、路面電車が走っている町が好きだ。  函館、富山、広島、鹿児島…。  だから長崎も大好き。  今回、のんびり日がな一日路面電車に乗り続けることを実行したかっ た。  でも、長崎には歴史がありすぎて、まずは効率よく回らないといけな い。どうしてもタクシーを多用してしまう。  やっと路面電車に乗れた。  でも、大浦海岸通から思案橋に行くには、築町(つきまち)で、路面 電車を乗り換えないといけない。  この乗り換えを考えると、つい敬遠してしまう。  しかもこの乗り換え、ふつうに考えれば電車を降りたら、またお金を 払って、次の電車に乗る。  ところが長崎の路面電車は、一律120円。  乗り換えるときは、電車のりつぎ券というのをもらって、次の正覚寺 行きの路面電車に乗り換えることができる。

 それを実行してみた。  ふーん。何か半信半疑。  それでも一律120円になったのはつい最近のことで、20年間長崎 の路面電車は、一律100円だったそうだ。

 午後5時18分。思案橋で下車。  お目当てのお店が、午後6時開店のようなので、アーケードの商店街 を歩く。  最近地方取材に行くと、シャッター商店街の町並みが多い。  長崎のアーケード街は、よく人が歩いている。

 午後6時。銅座町の「宝雲亭」へ。

 2年前のスカパー「桃鉄の旅」のときに、嫁が見つけたひとくち餃子 のお店。何しろ2日続けて来たほど。  初日は、テツandトモ、土居ちゃん(土居孝幸)と行って、2日目は私 と来た。

 撮影につかったお店じゃないのに、お店の人はサイン入り色紙を指射 して「これの人ですよね?」と、私たちのことを覚えていてくれた。  嫁が2日連続で来たので、覚えていたのだろう。  厳密にいうと、サイン入り色紙は、テツandトモと土居ちゃんが描いて、 私は翌日来たので、私はサインしていない。  私のサインよりも、土居ちゃんの直筆のほうが貴重だろう。  事実、あれから土居ちゃんの絵を写メして行くお客さんがけっこうい るそうだ。  ひとくち餃子は、おいしさと大きさを知っているので、いきなり2人 なのに、5人前注文!  おいしくて、注文してから、わずか15分でぺろり。  白いご飯がメニューにないのが残念だけど、十分満足。

 自宅用に、クール宅急便を送る。 「宝雲亭」は、長崎に来たら、必ず寄るお店に認定っ!

 午後7時。思案橋入り口の「東洋軒」で、サラダパンなるものを買お うとしたけど、売り切れ。  せめてもと夜食用に、ジャムパンを買う。  これがびっくりするくらいふわふわで、おいしかった。

 歩数計は、ついに1万3000歩を突破したので、路面電車を乗り継 ぐ気力無く、タクシーでホテルに戻る。

ホテル並びの英国領事館跡。風情があるねー!

 午後9時。きょうの『秘密のケンミンSHOW』の東京一郎転勤シリ ーズは、長崎が舞台。  長崎で、長崎特集を見るのも妙な気分だな。  やっぱり長崎の山の斜面の坂道を取り上げていた。  番組では、平地から登っていた。  私はきょうてっぺんから降りて「亀山社中」に向かったけど、とても 登って行きたいとは思えない。  予定では、きょうが長崎最後の夜。  足が痛くて、眠いのに眠れない。 *口蹄疫被害に対する義援金を募集しています<宮崎県> http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/fukushi/fukushi/shakai_fukushi/html00165.html

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