11月2日(火)

 午前10時。しまった。二度寝したので、寝過ごした。
 取材おでかけセットをつかんで、嫁と「イノダコーヒ本店」へ。
 すでに、土居ちゃん(土居孝幸)、柴尾英令くんが到着していた。

 これからご飯を食べるか、取材にいっしょに行くかを、きょうここで決めることに
なっていたのだが、すでに柴尾英令くんが。頬っぺたをふくらませて「ここの、これ
sはおいしいな!」と、イタリアン・スパゲティを食べていた。
「すでに、選択肢が減っているじゃないか!」

 午前10時45分。私、嫁、土居ちゃん、柴尾英令くんの4人で、京都駅へ。
 きょう、土居ちゃん、柴尾英令くんは東京に帰るのだが、寄り道取材。

 午前11時9分。新幹線のぞみ8号東京行きに乗車。

 車中、例によって、『桃太郎電鉄』のアイデア会議。 『桃太郎電鉄16(仮)』の目玉イベントを大幅に変更しないといけない事態が先週 発生したので、どうするかを検討。  思わぬ方向に、派手に発展しそうになって、よかった。  午前11時45分。名古屋駅で下車。  そのまま在来線に乗り換える。  午後12時。ワイドビューしなの11号長野行きに乗車。中央本線だ。  きょうは、先日取材に行った多治見(たじみ)のその先まで行く。

 多治見に行ったときは、快速電車だったので、ベッドタウンに向かう電車におもえ たけど、長野行きの特急は、さすがに早く、あっという間に市街地に出て、川が出て くるや、中部地方特有の渓谷の景色になっていく。  午後12時47分。中津川(なかつがわ)駅で下車。

 私は、中津川という地名に、二重、三重に思い入れと憧れがある。  1971年。中津川フォークジャンボリーという伝説的な野外ライブがここで開催 されたのだ。  その顔ぶれを紹介するだけでも、そのすさまじさの一端を垣間見ることができると おもう。  ブルース・クリエーション ミッキー・カーチス 山本コータロー、カルメン・マキ、 なぎらけんいち、岡林信康、斉藤哲夫 加川良、 ザ・ディランU、 あがた森魚 、 友川かずき、 遠藤賢司、シバ 、山平和彦、はっぴぃえんど、高田渡と、武蔵野タン ポポ団、友部正人、シュリークス、武蔵野タンポポ団、本田路津子、五輪真弓、吉田 拓郎、六文銭、ガロ、長谷川きよし、かまやつひろし、三上寛、 日野皓正クイ ンテ ット…。  若い人には、知らない名前もたくさんあるとおもうけど、はっぴぃえんどというの は、のちにイエロー・マジック・オーケストラに参加した細野晴臣さん、キムタクの ドラマ 『ラブジェネレーション』の主題歌 『幸せな結末』を歌った大滝詠一さん、 天才ギタリスト・鈴木茂さん、ユーミンの旦那で編曲家の松任谷正隆さん、作詞家の 松本隆さんなどがいた伝説のバンドだ。  はちみつぱいは、のちのムーンライダースの鈴木慶一さん、椎名和夫さん、駒沢裕 城さんといった人たちが参加していたバンド。  吉田拓郎さんは、もちろん、あの吉田拓郎さん。  こういった人たちが、一堂に会して、2日間ぶっ通しで誰かがステージに上がり、 歌い、そして当時は、日米安保闘争という学生運動が盛んだったために、最後は不満 分子がステージを占拠して、演奏中止となり、このフォークジャンボリー自体も終わ ってしまった壮絶なライブだ。  当時、高校生だった私は、この夜通しライブを見にに行きたかった。  でも受験生だったので、行くことを親が許してくれなくてね。  私はこの時代の音楽シーンを話り始めたら、千夜一夜でもまだ足りないよ。  ってことは、けっきょく受験勉強を全然やってなかったってことだよね。  事実、あっさり受験に失敗して、浪人生活に入った。  だからこそ、この伝説のライブが見たかった。  その中津川駅の前に、ついに降り立った。

 この場所に来たいとおもってから、なんと33年目の目的地到着だ。  ちょっと遅すぎる。  ただ駅前に立っても、あの伝説の中津川フォークジャンボリーを偲ばせるものは、 ひとつして残っていなかった。  ここでおなじメンバーによるライブでもあれば、毛穴という毛穴がいっせいに開く ような興奮を味わえたのだろうが、いつもの取材先のように、静かに私は迎えられて しまった。  中津川はまた、私の大好きな栗きんとんの名産地でもある。  小学生の頃、栗というのは八百屋で買ってきて、家でご飯といっしょに炊いたりし たものだ。ときどき甘くもなんともなかったり、固かったり、渋皮がついたままのも のを食べさせられて、まずい思いをしたので、あまり好きではなかった。  その後、高校生、大学生になっても、駅前の100円ケーキの乾いたモンブランケ ーキのイメージが強くて、まだまだ好きになれなかった。  私が栗を好きになったのは40歳にならんとする頃だから、わずか10年とちょっ と前だ。  京都東福寺の門前で、山栗を焼いて売っていたのだ。  これを食べてから、すっかりはまってしまった。  その後、都内のおいしいモンブランケーキを食べるようになって、どんどん栗を好 きになり、ついにこの中津川の「すや」の期間限定栗きんとんを毎年待ち遠しくなっ たのである。  ただ、きょうの取材目的地は、中山道(なかせんどう)最大の宿場町・馬籠(まご め)・妻籠(つまご)だ。  先を急ぎたい。

これより北 木曽路

 駅を出て左の「にぎわい特産館」で、きょうこれから取材しようとおもっている、 馬籠(まごめ)・妻籠(つまご)について聞きに行く。  この木曾地方を代表するビッグ・ネームの観光地の取材が遅れたのは、先入観がた くさん入りすぎていたからなのだ。 ・山道である。 ・峠である。 ・石畳である。 ・タクシーが通れないようになっていて、歩かされる。  山道? 歩く? 石畳?  これは、もっとも私が苦手なパターンではないか。  どれもこれも、足の不自由な私には、難攻不落の小田原城よりも行きたく場所だ。  ところが、昨日の「三田(さんだ)紅白松茸合戦ツアー」で、すぎやまこういち先 生から、「ボクは、中津川からタクシーで行ったよ!」という力強いお言葉をいただ いたのだ。  タクシーで行ける!  これは、百万の援軍を得たようだ。  さて、「にぎわい特産館」で、いちばん聞きたいことを聞く。 「馬籠(まごめ)と妻籠(つまご)。どっちからどっちに向かうと、ずっと下り坂に なりますか?」 「えっ? ああ。え〜と。どっちが下り坂というのはなくて…」 「へ?」 「間の馬籠峠というところから、どちらにも下り坂になっているんですよ」  馬籠(まごめ)峠!  そうか! そうだったのか!  峠をはさんだ宿場町同士だったのか。  絵にしてみよう。          馬籠峠           ↓    妻籠宿    △   馬籠宿 ―――――――――△ △――――――――  どうも横から見ると、上記のようになっていて、実は左の妻籠宿は平坦で、右の馬 籠宿は、石畳の坂また、坂になっているそうだ。  ならば、横着者軍団の私たちは、タクシーで、馬籠峠のてっぺんに行き、馬籠宿の 石段を下り、下りきったら、またタクシーに乗って、妻籠宿の入り口まで行くという、 大胆ステキなアイデアをおもいついたのであった。 「馬籠宿のいちばん高い場所まで行ってください」 「北入り口かね?」 「北口なのか、南口なのか、初めてなのでわっかりませーーん」  どうも観光地のタクシー運転手さんは、自分たちがふだんつかっている専門用語を、 初めて来る観光客に強要する悪い癖がある。  車は、農道のような狭い道を登って行く。  何度も向こうからやって来る自動車と、道の譲り合いをくりかえす。  お互い馴れたもののようで、対向車の道の逃げ方も実にうまい。

 少し紅葉が始まった山が、美しい。  青空が広い。  白く大きい雲が、ぽっかり浮かんでいる。  その雲が山に影を落として、まだら模様になっている。 「ほんとに、さくまサンが取材すると、天気いいなあ!」と柴尾英令くん。 「不思議だよなあ。別に狙ってるわけではないんだけど…」  午後1時20分。馬籠宿北入り口へ。

 標高800メートル、馬籠峠のちょっと手前の高札場にたどり着く。陣場というバ ス停も目に入る。  ここから43番目の宿場町・馬籠(まごめ)だ。  石畳で整備された坂というより、これは山の斜面だ。

 後ろから誰かに押されているかのように、ドタドタ降りて行く。  道の脇にいかにも、冷たそうな水が流れている。  触ると、冷たいんだろうなあ。  流れる水の音が、心地いい。

 両側には、江戸時代をおもわせるような古い人家、旅館が並ぶ。  店先の文字は、栗きんとん、栗きんとん、五平餅、栗きんとん、栗きんとん、五平 餅、栗きんとん、栗きんとん、五平餅、五平餅、栗きんとん、栗きんとん、栗きんと ん、栗きんとん、五平餅のくりかえし。

 午後1時30分。「大黒屋茶房」へ。  みんなで、栗こわめし定食。 「栗こわめし」と「栗おこわめし」はどう違うかとお店の人に聞くと、大差なく「御」 がつくかつかないか程度だというので、ホッとする。 『桃太郎電鉄』の物件名としては、栗おこわ屋にしたかったからだ。

 栗おこわは、もち米のもちもち感もよく、栗の味もいい。  栗好きの私は、栗が3つしか入ってなくて不満だったけど、土居ちゃんは3つでじ ゅうぶんといっていたので、これでいいのだろう。  いっしょについてくる岩魚の昆布巻きと、冷凍姫リンゴがおいしかった。    食後、木曾馬籠本陣資料館へ。  江戸時代、参勤交代でやってきたお殿様が入る部屋などが再現されている。

 しかし、毎年参勤交代でこんな急峻な山道を旅するのって、現代からは信じられな いね。  幕府以外の藩を疲弊させるためという「参勤交代制度」のひどさが、こんなところ からでも、よくわかる。  しかもこの天下の悪法が、200年以上も続いたのだから、明治維新の暴発は、暴 発ではなく、大爆発になったんだろうなあ。。  午後2時。藤村記念館へ。  藤村というのは、小説家の島崎藤村(しまざきとうそん)のことだ。  この馬籠の出身で、この記念館は島崎藤村のお兄さんの家だったそうだ。

 島崎藤村といえば『夜明け前』が代表作。  中学生ぐらいのときに読んだが、途中で挫折したことだけは覚えている。  明治維新直前の動乱を描いた作品だというのが、ここでわかったので、もう一度読 んでみたくなる。

 そういえば、この馬籠のある山口村では、いま大問題が起きている。  来年3月の市町村合併だ。  この山口村は、長野県だが、なんと岐阜県の中津川市に編入を宣言したのだ。  数多くある市町村合併の騒動のなかでも、ひときわ目立っている。  もし実現すれば、教科書や、文学史に載っている島崎藤村の出身地は、長野県から 岐阜県になってしまうわけだ。  これはまぎらわしい。  何でも、最初のうちは、長野県もこの村の岐阜県への編入を容認していたらしい。 ところが、ここに来て、長野県知事の田中康夫ちゃんが、反対し始めているそうだ。  そりゃ、そうだろう。  自分の在任中に、県の面積が減ったというのは、ちょっと格好悪い。  いつも斬新なアイデアを出す康夫ちゃんなのだから、岐阜県に編入するこの山口村 とおなじ面積を岐阜県からトレードしてもらえばいいのにね。  地元の人によれば、長野県といっても、長野放送は入らず、生活様式からNTTま で、ぜんぶ名古屋圏の所属なので、長野県民である意識は薄いらしいのだ  長野県というのは、日本のど真ん中で、実に大きい県で、なんと8県と接している。 こうい問題も起きるわけだ。  署名運動を募集している家があった。  私としても『桃太郎電鉄』の「地方編」台帳に、いまは長野県に記載しているけど、 来年の3月にどっちの県に所属するかは、大きな問題だ。 「地域王」の判定にも影響する。  いずれにしても、早く決着がついてほしい。  それにしても、踊り場のような場所もなく、ひたすら石畳の急坂が続く。  膝に、石の固さがびしびし伝わって、痛い。

 土居ちゃん、柴尾英令くんが、頬っぺたをふくらませて、串ぬれおかきをうれしそ うに食べている。 「ああ〜〜〜、のどが渇く」 「お醤油だからね」  やってることは、おばちゃんたちの4人連れと変わらない。  柴尾英令くんが「人がいる観光地はいいなあ!」とつぶやく。  たしかに平日にもかかわらず、観光客は非常に多い。  おばちゃんばっかだけど。  観光地というので取材に行ったのに、観光客にひとりも会わずに帰る場所もけっこ うあるからね。  さすがは、馬籠(まごめ)と妻籠(つまご)だ。

 なおも、馬籠宿の急な坂道を下っていく。  道の脇を流れる水は、水車に吸い込まれていって、独特の観光地の景観を作り上げ る。立ち止まって、じっくり水車を眺めたいのだが、急坂で重力がかかり、足が止ま らない。  石畳の道は、やっぱり歩きづらいなあ…。  それでも、遠くを見ると東山魁夷の絵に登場するような尖った林が美しい。  私は絶対「海が好き」派だったのだが、最近山の景色もいいなとおもえるようにな ってきた。  木曾の木製品のお土産屋さんも多い。

 午後2時30分。馬籠宿の南のはずれにたどりついた。  全長600メートルほどなのだが、平地まったくゼロの坂道だけに、きつかった。  ここからまたタクシー。  土居ちゃんが「妻籠(つまご)まで!」というつもりで「つまごめまで!」といっ て、大爆笑になる。  土居ちゃんが間違えるのも無理も無い。  馬籠(まごめ)と妻籠(つまご)っていいうのは、覚えづらいよね。  どうせなら、夫籠(ふごめ)・女籠(めごめ)だったら、ツインになって、覚えや すくて、もっと観光客でいっぱいになっただろう。  でも、馬籠(まごめ)と妻籠(つまご)との距離は、ツインにするような近さでは ない。江戸時代は、中山道の42番目と、43番目の宿場町だ。  明け方、妻籠(つまご)の旅館を出て、馬籠峠を越えて、ようやく、馬籠(まごめ) にたどりつくような距離だ。  その距離をタクシーはわずか10分ぐらいで、走ってしまう。  午後3時。妻籠(つまご)へ。  島崎藤村が、「木曾はすべて山の中」と書いたように、まわりは山だらけなので、 午後3時にもかかわらず、もう薄暗くなり始めている。  空気も冷たい。

 ダイナミックな川が流れている。  木曽川かとおもったら、蘭川という名前だそうだ。  八百屋さんだ。  このあたりは、里芋が名産のようだ。  いろんな種類の里芋を売っている。  赤芽里芋という種類を初めて見た。  やたら大きくて、春先の竹の子のようだ。  あとで調べたら、抜群においしい品種らしく、コロッケにするとうまいんだそうだ。 五平餅、栗きんとんに、この赤芽コロッケを名物に加えて、食べ歩きできたらいいの にね。  筆柿を売っていた。  まだ一昨日、土岐市で買ってきた富有柿も食べきっていないのに、「今年はまだ筆 柿を食べていないから…」と、わけのわからない理由をつけて、嫁に「筆柿を買って くれ」とおねだりする。  わが人生の残り少ない時間のすべてを、柿に捧げたいほど、私は柿が好きだ。  時間のすべてを捧げようにも、秋しか柿に接することができないんだけどね。

 妻籠(つまご)の町並みに入る。  これは、すごい!

 最近、歴史的景観を保存する町は、全国でも増えている。  でもその多くは、古い家を保存して、新しく建てる家は、昔風に建築する、いわば ニュー古い町並みだ。  飛騨高山に至っては、年々「古い町並みが増えている」という不思議な現象が起き ている。  この妻籠(つまご)の古い町並みはほんとに古い。  古いわけだ。  ここでは、昭和43年に「妻籠を守る会」が結成され、以下の住民憲章が作られた。 ・家を売らない。 ・家を貸さない。 ・家を壊さない。  これは厳しい取り決めだ。  あとで地元の人聞いたら、もっとこまかい取り決めがあるそうだ。 ・お客さんを呼び込まない。 ・看板をつけない。 ・店の前に張り出して商品を出さない。  これだけ徹底すれば、江戸時代の宿場町は、こんな感じだったんだろうなあとおも えるわけだ。  まさにタイムスリップしたような錯覚に陥る。

 ねずこ下駄を売っているお店があった。  ねずこ下駄というのは、木曽の五木(檜・さわら・ねずこ・翌檜・高野槙)のひと つ・ねずこをつかった下駄だそうだ。  ねずこなどいうのは、初めて聞いた。  筋の通った美しい木目と防湿性に富んだ軽 くて丈夫な材質らしいが、何より 信州木曽谷の山中で数百年の風雪に耐え育ったというキャッチフレーズに、そうだ。 いまここにいるまわりに生い茂っている木は、みんな数百年の老木だったんだなと気 づかされる。  町並みどころから、風景そのものが古かったんだ。  午後3時15分。五平餅の「湯屋」へ。

 五平餅は、木曾地方に古くから伝わるご馳走だ。  自家製のお米をすりつぶし、串に刺し、山ぐるみの味噌だれを塗って、炭火で炙る。  一般によく知られた五平餅は、しゃもじの形をしているとおもうが、ここでは、丸 い大きな団子状。

 4人とも、五平餅の意外な大きさに戸惑う。 「これって、ご飯をすりつぶしたものだから、ご飯をいまから食べるんだよね」 「おやつじゃなくて、主食だよな!」 「4人で、2皿にすればよかったあ!」 「なっとく!」  4人で、ふうふう、はあはあいいながら、食べる。  土居ちゃんは、胃薬を飲もうか迷っている。  でも、昭和43年創業のこのお店の五平餅は、くるみ、ごま、ピーナッツまでつか った豪華版なだけに、抜群においしい。  なおも歩く。  妻籠は、800メートルと、600メートルの馬籠よりも、長い。  でも平坦な道なので、圧倒的に楽。

 馬籠と、妻籠は、どちらに来たらいいというのではなく、やっぱり両方来ないとお もしろくないだろうね。  作られた古さを嫌うなら、妻籠がいい。  豪快な景色がいいなら、馬籠がいい。  妻籠ではいまも、この古い家を利用した昔ながらの旅館が営まれている。  ここに泊まったら、夜は淋しいだろうなあ。  夜中に、明かりひとつなく、物音ひとつしないのだろう。  商店街に生まれ育った私には、苦手そうだ。

 午後4時。歩いた。歩いた。歩いた。歩いた。歩いた。歩いた。歩いた。歩いた。 歩いた。本当によく歩いた。

 午後4時30分。再び中津川へ。  中津川で絶対寄って行きたかった「すや」へ。  日本でいちばんおいしい栗きんとんを作っているお店だ。  あれ? もうお店閉まっちゃった?  いや。薄暗いだけだ。  この建物は異常に古いな。  馬籠、妻籠にあってもおかしくないんじゃない?  えっ? 創業は、元禄年間?  松尾芭蕉の時代だ。  もちろん、江戸時代の建物をそのままつかっているわけではないけれど、いまの建 物になってからも古そうだ。

 なんでも、江戸時代にひとりの武士がこの宿場町に住みつき、「十八屋」の屋号で 酢の店を開いたそうだ。 「酢のお店」で、「すや」なわけだ。  有名な大田蜀山人も、この酢をつくっていたころの「十八屋」を本のなかに書いて いるそうだ。 「すや」の栗きんとんを知ったのは、東京新宿伊勢丹の季節限定。  あまりのおいしさに、毎年「すや」の栗きんとんがやってくるのが、待ち遠しくな り、そのうち栗の季節に一度、中津川の本店まで買いに来たかった。  実は、先週も新宿伊勢丹に、そろそろ入荷していないか、チェックしに行ったくら いだ。  栗きんとんは、取れたての蒸した栗を半分に切り、竹ベラで実を取り出して、こし、 砂糖を入れて炊きあげます。この時すべての栗をこしてしまわずに、少量だけ粒を残 のが、すや独特の製法なのだそうだ。  そうなんだよ。この「すや」の栗きんとんは、独特の食感なのだよ。  おまけに、栗と砂糖のみで、ほかのものは一切加えないんだって。  でも、しっとりしているのよ。  このしっとり感が、「すや」の栗きんとんの真骨頂でね。  ほかのお店では、絶対真似ることのできない部分なのだ。  このしっとり感は、水を加えず、栗の水分だけで作るらしい。  あとは、茶巾で包み、もとの栗の形にもどすように絞る。  意外と単純な製法だけど、栗の状態と砂糖のかげんと、炊き方に、ベテラン職人な らではの腕が、おいしさの秘密なのだそうだ。  こういう食べ物というのは、本当に個人技次第だから、腕のいい職人さんが死ぬと、 そのお店まで潰れてしまう。  栗きんとんを作るようになってから、何年になるのかまでは知らないけれど、 「すや」のすごさは、味わってもらうしかない。  名古屋の人なら、松坂屋本店地下1階で買うことができるから、この至福の栗きん とんを味わってみてほしい。 『地方編』では、絶対臨時収入の最高峰になるはずの物件だよ!  午後4時45分。中津川も、中山道の45番目の宿場町だ。 「すや」の先に、中津川宿本陣跡、脇本陣跡、うだつのある古い建物などがあって、 少しずつ保存しようとしている。  桂小五郎の隠れ家などもある。

「中山道歴史資料館」に入る。

 ありゃ。入館時間は、午後4時半までだった。  展示室の明かりもすでに落ちている。  土居ちゃんが、「もう閉館時間ですか?」といかにも「開けてほしい」といわんば かりの口調でいうと、歴史館の人が、明かりをつけて、見せてくれた。 「ありがとうございます!」  さすがに、4人で「ありがとうございます!」を大合唱だ。  この歴史資料館は、今年の4月にオープンしたばかり。  広くて、きれいで、展示の仕方も見事。  こういうきれいな資料館が、馬籠にあってもよかった気がする。  馬籠だと、資料館の建物自体が、古い。  展示物も、歴史ファンには興味深いものが多い。  国学者の平田篤胤(ひらたあつたね)の書状、書簡などが多く、中津川宿本陣間取 り図とか、街道図が多く、地図好きの私にはうれしい場所だ。  中川宿での「ええじゃないか」の様子を書いたものまであった。  明治維新の長州戦争絵図、吉田松蔭、勝海舟の書などもある。  「中山道歴史資料館」を出ると。すっかり日が落ちていた。  なおも、中津川宿を歩く。  この通りを、歴史的景観の保存に力を入れたら、ここは馬籠、妻籠を上回る観光地 になるとおもうなあ。  何たって、「すや」があるし、恵那(えな)のもう一方の栗きんとんの雄である 「川上屋」の支店もある。一昨日、土岐市で食べたキャラメルモンブランプリンのお 店ね。

 いずれも、販売だけで、栗をつかった和菓子や、デザートが食べられるお店がない のが、残念。  中津川に、栗が食べられるお店がたくさん出来たら、馬籠、妻籠に向かうお客さん たちをここで堰(せ)き止めることができちゃうよ。  …って、真っ先に私が堰き止められちゃうんだけどさ。  柴尾英令くんと、うちの嫁が、古い造り酒屋に入って行って、出てきたら、ふたり ともお酒の入った袋をぶら下げていた。

 やけに、柴尾英令くんが、にやにや、目を輝かせているとおもったら、日本酒を試 飲して、いい気持ちになっちゃっていた。  商店が途絶えた。  思ったよりも、中津川市街の奥まで踏み込んでしまった。  駅までの道のりが遠い。

 午後5時30分。中津川駅へ。  ひ〜〜〜。歩いた。歩いた。歩いた。  午後5時32分。中央本線快速名古屋行きに乗車。  一昨日取材に行った多治見(たじみ)までが、各駅停車で、そこから快速になる 電車。 「向かいに来てちょ」「もうすぐ着くだな〜〜も〜」という、いかにもこの土地の おばあちゃんが、平然と電車のなかで携帯電話をしている。  ワイドビューしなの号では、味わえない雰囲気だ。  午後6時44分。終点名古屋駅で、下車。  電車のなかで「五平餅がまだ残っている」「とてもご飯食べられそうもない」とい っていたが、名古屋に着くと、土居ちゃん、柴尾英令くんも、私の「このお店で食べ て行く?」という提案をまったく拒否しない。  午後7時。菊井町の「鶏三和」へ。  昭和8年創業の名古屋コーチンのお店。  意外とひょろ長いビルの3階で、名古屋コーチンの水炊き鍋。

 名古屋コーチンのつみれがおいしかった。  それと、豆腐に驚いた。  わざわざメニューに、くすむら豆腐と書いてある。  箸で持っても、崩れないのだ。  だったら、高野豆腐のように、固いのかというと、やわらかい。  しかも、おいしい。  すごいね。

<私がもう一度行くためのメモ> 「鶏三和(とりさんわ)」菊井町本店 住所:愛知県名古屋市西区名駅2-1-8 電話:052(565)0656 営業時間:17:00〜21:30 定休日:月曜 アクセス:JR名古屋駅から徒歩10分

 午後8時40分。名古屋駅へ。  土居ちゃん、柴尾英令くんは、東京へ。  私と、嫁は、午後8時45分発。新幹線のぞみ247号新大阪行きに乗車。  午後9時23分。京都駅で下車。  午後10時。ふぃ〜〜〜! 京都の家に着いた〜〜〜!

 
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