10月25日(月) 昨日あたりから、新潟県中越地震の震源地にマスコミのカメラが入ったので、倒壊 した家や、寸断された道路の映像が次々に映し出されている。 でも、まったく長岡駅が映されない。 それだけ被害がなかったということだろう。 あのとき、長岡駅近くだけは、震度6を喰らったものの、道路が割れたり、ビルが 倒壊するような大事故がなかった。 新潟第2の都市だけに、駅前で火災が起きたら、想像を絶するもっと大規模な惨事 になっていたことだろう。 あとでニュースで見て、おなじ長岡市内の映像とはおもえないような被災地が映し 出されるのを見ると、改めてゾッとする。 そんなわけで、きょうはまず、10月23日(土)にタイムスリップ。 取材旅行の話を、ここに掲載します。 午前9時30分。嫁と東京駅へ。 本日、日帰り取材旅行。 上越新幹線の乗客率の案内板は、×印だらけ。 最近、長野新幹線、上越新幹線は、混むようになってきていないか? 1時間後の新幹線キップを買う。 お店を見たり、資生堂パーラーで、ミックスサンドイッチとコーヒーを飲んで時間 を潰す。 午前10時48分。東京駅から、とき351号新潟行きに乗車。車中、携帯電話ゲーム『桃太郎電鉄TOKYO』の仕事を開始。 脇で、座席をひっくり返して、キャハハハ笑い転げるOL4人組がうるさくて、仕 事に集中できない。 仕方なく、『鉄腕アトム』を読む。 最近『鉄腕アトム』を再読している。 漫画階では、『古事記』、『日本書紀』に匹敵するこの作品は、いまの漫画に比べ ると、スピード感があって、躍動感が漲っている。 セリフも短くて、気の利いた言葉が多い。 最近の漫画は、本当に楽して描いているよなあ。 主人公の胸から上。突っ立ったポーズばかり描いているから、表現力がどんどん落 ちている。敵を殴るシーンで、主人公の腕が、敵の顔に当たっているシーンの漫画が 読める作品が本当に少なくなっている。 大半が、擬音で誤魔化している。 いま、『鉄腕アトム』を読むと、新しく感じるのは、ちょっと淋しい。 午後12時44分。燕三条(つばめさんじょう)で下車。
まずは駅前の「燕三条駅観光物産センター」に入る。 燕三条は、洋食器の産地として、有名な町だ。
なるほど、観光物産センターのほとんどは、スプーン、フォーク、ヤカン、鍋皿な どがズラリと並んで、壮観だ。 でも、いまこの産業も、衰退の一途をたどっているそうだ。 洋食器の生産の大半はいま、中国なんだそうだ。 「中国に洋食器の作り方を教えて、何でわざわざ自分たちの仕事を失くすようなこと したんかねー!」と、地元の人が言っていた。 たしかに、いま日本じゅうで、中国に技術を教えてしまったばかりに、滅んでしま った町は非常に多い。 かつて欧米各国は、明治初期の日本人に技術を教えてくれたときに、肝心要の部分 は絶対教えてくれなかった。 見返りを要求しない日本人の性格は、素晴らしいとおもうけど、わざわざ自分たち の仕事を失うまで、教えてあげる必要はなかったような気がする。 それか、技法をつかう場合に、印税を払ってもらうようにすべきだったんだろうな あ。 ほかにも、燕三条の名産、車麩(くるまふ)、六角巻凧(ろっかくまきだこ)など をチェック。 駅前から、タクシーに乗る。
右に見えるのは、弥彦(やひこ)山。 タクシー運転手さんが自慢げに語っていた。 なるほど、新潟県のあれこれを調べると、必ず、弥彦(やひこ)、弥彦と出てくる のは、この山のせいだったのか。 まわりに大きな山を従えず、すっくと立っているだけによく目立つ。 しかもここは、日本最大の穀倉地帯だ。 右を見ても、左を見ても、水田だらけ。 嫌でも景色が低いので、よけい弥彦山が際立つ。
水田と、薄(すすき)が揺らめく道を、ひた走る。 細い道に、背の高い電信柱が続く。
なつかしい風景だ。 宮沢賢治とか、山下清の絵などで見た風景だ。 漫画マニア向けには、石ノ森章太郎さんの『ジュン』の世界だ!といえば、一発で わかってもらえるとおもうけど、いまはこの作品を知っている人も少なくなっている。 大河津分水路の脇を走る。 分水路と地味な支線の名前がついているが、幅の広い大きな川だ。 日本一の信濃川の分水なので、固有名詞をつけてもらえなかったようだ。 この間の台風23号のせいで、この分水路は、濁流になっていた。 すごい! まるで滝のようだ。
「ふつうなら、きれいなんですけどね」というタクシーの運転手さんの気持ちがよく わかるくらい茶色く濁っている。 野積(のづみ)橋を渡る。 午後1時30分。国道402号線の左側に突然、魚市場が現れた。 寺泊(てらどまり)の魚市場だ。 大型観光バスが、何台も並んで、どんどんお客さんたちが吐き出されている。 あまりにも、唐突な景色に驚く。
何でも昔、国道のもう一本裏側のほうの魚屋さんが、たまたま一軒、国道沿いにお 店を出したところ、大いに繁盛したので、あれよ、あれよというまに、お店が増えて、 いまでは100軒近くの大型鮮魚店が軒を連ねるようになって、「魚のアメ横」とま で呼ばれるまでに発展した。 だから寺泊港のほうに、ほとんど鮮魚店がなかったのか。 ふつう海鮮市場っていうのは、港を中心に発展するもんだからね。 「一場食堂・やまろく苑」に入る。 2階の大広間の食堂へ。 ちょうど団体客5〜60人ぐらいが、帰ったばかりで、戦場跡。 必死にお店の人が、片づけをしている。 「ここのお客さんたちは、どのコースで、寺泊に来るんですか?」 「月岡(温泉)→弥彦→寺泊ですね!」 そうか。立派な観光コースが出来上がっているんだな。 私は、マグロ丼定食。 嫁は、二色丼定食。 ほかに、イカの浜焼き、イカ納豆など。
ここでは名物の「番屋(ばんや)汁」が飲みたかった。 「番屋」というのは、漁師さんたちの休憩所のこと。 そこで毎日、朝ごはん時に捕れた魚でお汁を作って食べていたのが、番屋汁。 おいしそうだね。 日替わりでいろんな魚などを豪快に入れて、魚の出汁だけで作るお味噌汁というこ とになる。 もちろん、ここで食べる番屋汁は、観光客用にアレンジされたものだろう。 味は、まあまあ。 本物の番屋汁は、もっとお味噌が濃くて、もっと塩っぽいのだろう。 だから本物を出しても、お客さんの口には合わないだろうけど、漁師さんがその場 で採れた魚をその場で調理した番屋汁というのを、一度食べてみたくなった。 それにしても、お椀が大きい! いかにも漁師さん用といった感じだ。 番屋汁は『桃太郎電鉄』の物件にするには、いい名前だ。 食後、大型鮮魚店街を散策する。 あれこれ、試食。 さっきのお店で食べたイクラは、本物をつかっていたけど、やっぱりなかには「手 作り」と書いておきながら、人造イクラを売っているお店もあった。 これでは「手作りの人造イクラ」だ。 観光で、何度も寺泊に来てくれるお客さんを育てないといけないのだから、本物の 味を売るべきだとおもうなあ。 どうせなら、人造イクラ、○○○円。本格イクラ、○○○○円のように区別して売 ればいいとおもう。 せっかく、これだけの観光地になっているんだから、この場所が廃れないための努 力をすべきだ。 私の印象では、この寺泊大型鮮魚店街は、観光地化しすぎていて、わざわざ私が応 援しなくてもいいような気がした。 私は、一生懸命いいものを作っているけど、宣伝が下手そうな場所を応援して行き たい。 でも、一軒、これはというお勧めのお店があったよ。 いが栗団子というのを、店先で売っているお店。 ちょっと会話していて、その親切そうな話しぶりが気に入ったので、このいが栗団 子を買ってあとで食べたんだけど、これがおいしかった! 見た目は、おこわのおにぎり。 栗と、小豆が形のまま、埋め込んである。 これだけでも、けっこうおいしかったんだけど、なかから、あんこが出てきた。 このあんこが、おこわに合う。
大型鮮魚店街なのに、いが栗団子、2個320円を推薦するのもなんだけど、露店 で売っているイカの浜焼きの串といっしょに食べるとおいしいとおもう。 西山なんとかというお店で売っていたんだけど、大型鮮魚店街のどのお店でも売っ ているので、ぜひ! 再び、国道402号線をまっすぐ南下して、出雲崎(いずもざき)に向かう。 海岸沿いに、日本海が見える。 天気がいいのに、海の色は鈍色。
日本海らしい海だ。 サーファーたちの姿が、見え隠れする。 出雲崎(いずもざき)という町は、前から一度来てみたかった町だ。 なにしろ、松尾芭蕉が『奥の細道』で、「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」を残 した場所だからだ。 『奥の細道』で、松尾芭蕉が名句を詠んだ場所で、行っていないところがいくつか残 っている。 そのなかで、行ってみたい場所の筆頭が、この出雲崎なのだ。 いまサーファーたちの名所になっているのが、いかにも「荒海や」だ。 そのうち、国道の東側に不思議な家の集落が見えてきた。 人家なのだが、どの家も、妙に細長い。 手塚治虫さんの『ブラックジャック』で、ピノコが「アッチョンブリケ 」と叫ん でいるみたいだ。
これは独特の建築様式で、「妻入り」という名前がついている。 「妻入(つま)り」とは、不思議な名前だ。 奥さんがよく出入りする家? どういう意味だ? ちょっと、調べてみたんだけど、「大棟が直角になっている」と言われても、何の ことかわからないよね。 ほかにも調べてみたけど、専門用語の羅列した解説しか手に入らなくて、うまく説 明できない。 「出入口」の位置によって、妻入り(つまいり)と平入り(ひらいり)があって、 屋根の三角部分を正面とするものが妻入りで、横の直線部分を正面としたものが平入 りなんだそうだ。 要するに、土地のない場所に、たくさん家を建てたいがために、細長くなった家の ことのようだ。 この「妻入り」という建築様式は、日本各地に見られる様式らしい。 でも、海岸沿いに4キロメートルも続くのは、ここだけなので、日本一の「妻入り の町並み」ということになる。 午後3時。道の駅「越後出雲崎天領の里」へ。 出雲崎天領の里時代館に入る。
出雲崎は、江戸時代、幕府の直轄領だった。 佐渡から掘り出された金を、まず出雲崎の代官所に運び込む町だけに、当時、越後 でいちばん栄えたそうだ。 この金を日本中に運ぶときにつかった「御奉行船」が、実物大で再現されていて、 これは圧巻だ。
ほかにも、江戸時代に栄えた町並みを、この「時代館」で再現している。
この「時代館」の一角で、おばあちゃんが紙風船を作っていた。 いまも出雲崎は、紙風船の生産で、全国生産の90%を占めている。 江戸時代、江戸で浪人が内職で始めた紙風船作りが、ここ出雲崎で定着したそうだ。 「最近の若い人は、紙風船の遊び方を知らんようです」 「えっ? お手玉みたいに上に突くやり方をですか?」 「へえ。で、膨らませたものを、ぱあん!と割ると、いい音がするっていいよります」 「う〜ん! そういう使い方をするかあ」 見慣れた紙風船のほかに、フグとか、朱鷺(とき)、金魚、タコといった変わり種 の紙風船がった。 朱鷺(とき)なんか、きれいだよ。
とにかく、このおばあちゃんがいい味してるんだ。 朴訥に、ていねいに、ていねいに、あれこれしゃべってくれる。 このおばあちゃん目当てで、来てもいいくらいの魅力がある。 お話を聞いたあとは、紙風船を買ってあげましょう。 いい笑顔を見せてくれるよ。 道の駅「越後出雲崎天領の里」のあたりはいま、本格的な観光地になるべく、計画 的に整備しつつある。 「妻入り」の町並みは、歴史国道に認定されて、観光の目玉にしようとしているし、 石油記念館というのも、リニューアル工事中。 近くには、良寛様の記念館もあるし、芭蕉園もある。
歴史がいっぱいある場所なので、今後が楽しみだ。 お土産センターで、買い食いした「こしひかりアイス」が、非常に美味だった。 午後4時。芭蕉園に寄って、出雲崎から、長岡駅へ。
午後4時15分。「まちなか花火ミュージアム」へ。 日本一といわれる長岡の花火について解説してくれるところ。
無料だし、市営なので、あまり期待して行ってはいけない。 液晶テレビで映していた花火の種類の映像は、きれいだった。 花火シアターで、CGを上映してくれたけど、子ども向け。 できれば、花火が出来上がるまでのドキュメントを上映してほしいとおもったけ ど、それは大人の言い分。 子どもが、長岡の花火に興味を持って、未来に向かって、長岡の花火を伝承して 行ってくれないと困る。
午後5時。長岡駅に戻り、「みどりの窓口」でキップを買ってことあと、あの「新 潟県中越地震」に遭遇したのであった。 まったく、地震の気配はなく、あの凄まじい揺れのなかでも、ここが震源地はおも っていなかった。 出雲崎は、震源地から少し距離があったけど、あの紙風船を作っていたおばあちゃ んは、無事なのだろうか。心配になる。
金沢市・しば犬 ―――――――― さくまさん、こんにちは。しば犬です。 土曜から日記が更新されてないんで、どこか取材へ行かれたのかなと思ったのです が…。 まさか長岡方面へ行かれてるとは! 日記の最初に地震と出会ったと書いてあったとき、もしかして脱線した「とき」に 乗っていたのか、と思って心配してしまいました。 もしかしたら、まだ地震の時の体験がいろいろ思い返される事があるかも知れませ んが、それは急性ストレス反応といって、大事件に遭遇した際は、ある程度仕方ない 症状のようです。
●さくま「いまだに、ベッドに仰向けになると、地面が揺れているように感じてしま うよ」
手近な参考書とか調べてみたのですが、大体は時間が解決してくれるそうなので、 気楽にしていればいいみたいです。
●さくま「ってことは、仕事を早く再開したほうがいいな」
三島市・農林14号 ――――――――― さくまさん、こん○○わ、農林14号です。 さくまさんが、新潟中越地震を体験されたということで、大変心配しております。 身体への傷よりも、精神的なショックのほうが治りにくいとも言われています。 できるだけ精神が安定する場所におられたほうがよいと思います。 どうかご一考お願い申し上げます。
●さくま「みんな、心配してくれて、ありがとう! 私よりも、被災地のみなさんの 心配をしてあげてください!」
さいたま市・丹野洋一郎 ――――――――――― さくまさん、さくまさんの奥様、23日の日記を読み、びっくりしましたが、お二 人ともご無事ということなので安心いたしました。 まさか、さくまさんが地震の現場におられたとは。 日記を読んで、地震が起きた瞬間の凄さ、特に今テレビでは映像になっていない地 震の凄さを知りました。 お二人がご無事で、いま現在東京におられるということがわかっているので言える ことなのですが、23日の日記は地震の凄さや恐怖が十分に伝わってくるとともに、 不謹慎ながらも、ぼくは読んでいて端々にエンターテインメントを感じてしまいまし た。すいません。
●さくま「いやいや。私だって、東京に戻ってくるまでは、無我夢中だったからね。 あの当日の日記を書いてからのほうが、じわじわ恐怖心が募ってきたよ」
陰ながら、さくまさんがこれからは安全な場所で「バッタリ」しますようにとお祈 りさせていただきます。
●さくま「今回痛感したのは、非常事態に、携帯電話はまったく無力だってこと。そ れと情報が入らない恐怖感は、言い知れないものがあった。今後取材のときは、カー ド式ラジオを持ち歩こうとおもったよ!」
加茂市・丸倉よしの ――――――――― こんにちは、さくまさん。丸倉よしのです。 …当たってしまいましたね。 まさか中越地震発生時本当に新潟、しかも「あの」長岡にいたなんて。 そして長岡駅のホームにいたなんて…。 でも当たっても嬉しくないです。 日記の画像もみましたが、私たちが揺れのすごさに慌てふためいていた時、長岡駅 のあのような状況だったのですね。 なまじ知っている場所なだけに、あの時の長岡駅のパニック状態が手に取るように 解ります。 そして長岡駅を出た後、さくまさんの行動も地元で地理状況がわかるだけにいかに 的確だったかもわかります。 タクシーの運転手さん、プロです。
●さくま「今回、助かったのはあの運転手さんのおかげだよ。田村さんだったかな あ。見附の人だった」
私の家はたんすの上の軽い箱等が落ちたくらいですみましたが、親戚宅はガス・電 気が止まり、父親が応援に行きました。 親戚も被害が少なかったので幸運に感謝するばかりです。 さくまさんにも、奥様にも怪我が無くて何よりです。
●さくま「実は、私も肘を少し、嫁は膝を少しぶつけているけど、ケガっていうほど ではない」
まだ、上越新幹線も、在来線も復旧に時間がかかるようで心配です。 一日も早い復旧を祈るばかりです。
●さくま「長岡っていうのは、江戸時代末期の戊辰戦争で、町の8割を消失しちゃっ たんでしょ。で、第二次世界大戦のときは、B29の爆撃で、大半が焦土と化してし まった。 でも、いまは新潟第2の都市に発展している。 今度もまた力強く、復旧するとおもっているよ」
横浜市・冬眠 ―――――――― 長岡市で地震に遭われたということで、無事で何よりです。 実は、僕も災害復旧支援として新潟へ、ボランティアに行くことを志願しました。 ・・・というか、考えるまでもなく決めたので今日出発なんですが。 僕は金銭的な都合で、ここ2年間大学を退学しており、バイトで復学のために資金 作りをしているので云わばフリーターみたいなのもです。 時間を作ろうと思えば作れるし、災害がある度に「救援物資は来るけど人手はこな い(国民性なのでしょうか、日本の外交みたいですね)」と言われているので、社会 勉強を兼ね、最初から寄付するつもりで家で眠っている燃料式の発電機に毛布、水2 4Lに大量の軍手、そして週刊少年ジャンプの最新号を発売日なので10冊ほど持っ て行ってきます。 週刊少年ジャンプが救援物資?と思われるかもしれませんが、災害に遭われた方は 避難所ではプライバシーや食料ははもちろん、店も開いてないから娯楽もないそうな ので本の救援物資が意外と有難いそうです。
●さくま「これはいい配慮だね。子どもたちがヒマを持て余さなくてすむし、静かに していてくれるからね!」
僕は災害に遭ったことがないので、これだけでは足りないかもしれません。 世の中って、実際に被害者の立場にならないとわからないことばかりです。 何日間ぐらい滞在しているかわからないので、今回の桃鉄研究所に投稿できません が、僕はもう研究員にさせて頂いたので満足ですし、5点に達していない他の方を優 先的に載せて研究員にして下さい。 お願いします。
●さくま「みんなの分まで、がんばってきてね!」
新潟県・くにはら ―――――――― さくまさん、お疲れ様です。 さくまさんが乗り損ねたMaxときには、生島ヒロシさんが乗車していて、6時間も の間、電車内に缶詰状態だったそうです。
●さくま「おや! 実は、朝、燕三条に向かう新幹線のなかで、前の席に座っていた のが、生島ヒロシさんだったのだ。あの地震のあと、生島ヒロシさん、帰って来れな くて大変だったろうなあ!と、嫁と話していた。 日帰りの仕事だったんだ。 ひょっとしたら、行きも帰りもいっしょだったわけだ!」
もし、指定席が空いていたら、さくまさんも同じく大変な状態になっていたでしょ うから、同じ地震に遭遇したのでも、不幸中の幸いだったのかも知れませんね。
●さくま「6時間電車のなかで、缶詰状態のほうが、つらかったかもよ。待っている 間も、ずっと高架の線路の上で、ぐわんぐわん揺れただろうから。いつ橋桁が崩れ落 ちるかとおもったら、気持ち悪くなっていたとおもうよ!」 というわけで、ここから改めて、10月25日(月)の日記。 みんなが心配してくれるので、きょうは丸一日ちゃんとおとなしくすごしたからね。 午前10時。喫茶店「らぴす」サンで、モーニング・セット。 あの土曜日、新潟に行くと伝えたのは、「らぴす」の渡辺さんだけだったのだ。 もちろん、新潟のホテルに着いて、真っ先に無事を報告している。 改めて、無事を報告。 午前11時。車検に出していたニッサン・シルビアが戻ってきた。 実は昨日、持って来てもらうつもりだったけど、帰って来れそうもないとおもった ので、地震に会った日に、きょうにしてもらった。 あいかわらず、シルビアちゃんは、かわいいなあ。 午後12時。嫁と、銀座の「渡辺内科クリニック」へ。 院長先生に「きょうは、むちゃくちゃ、血圧高いとおもいます!」と告げる。 「それは、まずいですね。何があったんですか?」 「血圧を測ってから、いいます」 きょうの血圧。 175−104。 高いよ。やっぱり! 院長先生に、長岡駅にいたことを話す。 「それは高いわけですねえ」 それでも昨日よりは、精神的にも落ち着いてきたこと告げる。 午後1時。東京駅へ。 「みどりの窓口」で、10月23日に乗る予定予定だった上越新幹線のキップの払い 戻し。 私の場合、郡山から、東北新幹線で帰ってきたので、東北新幹線のなかで、車掌さ んに事情を話したら、事故証明をわざわざ直筆で書いてくれた。 そのキップを持ってきた。
「みどりの窓口」は、キップをキャンセルする人や、新潟方面に行くには、どうした らいいかを相談する人で、いっぱいだった。 空席情報のコンピュータ・ディスプレイの「上越・長野新幹線」のところに、「あ さま」という文字しかないのが、痛ましい。 あの脱線した新幹線の復旧は、相当時間がかかるようで、下手すると、今週いっぱ い不通かもしれないそうだ。 大丸地下で、メゾンカイザーのパンなどを買う。 午後2時。帰宅。 少し、仕事を開始する。 嫁がいったん外に出て、帰ってきた。 何をしに行ったのかとおもったら、郵便局で、日本赤十字社新潟支部宛に、義援金 を送ってきたそうだ。 あのとき、私も嫁も、逃げ出すので、精一杯で何もできなかったからね。 私のように、身体の不自由な人間がいたら、さらに足手まといが増えるだけだしね。 せいぜい、あの非常に助かったタクシー運転手さんに、お見舞い代わりに多めにタ クシー代を払った程度のことしかできなかった。 歴史でも、あとから「こうすればよかった。ああすればよかった」と後世の人間は 安全な位置で物をいうけれど、本当に現場にいる人間には、俯瞰で物を見る余裕なん てひとつもないよ。 仕事を始めたものの、さすがに、調子出ず。 ベッドにひっくり返って、休む。 まだ疲れが溜まっているせいか、すぐうとうと眠くなって、しばし仮眠。 午後6時。家で食事。 今夜は、日本シリーズ第7戦でも見て、おとなしくすごします。
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