10月1日(水)

 午前4時30分。函館湯の川プリンスホテル渚亭。
 また早く目が覚めてしまった。
 目が覚めたついでに、部屋付きの露天風呂に入る。

 昨日、一昨日と、暗い露天風呂に入っていたので、よくわからなかったけど、効能書 きのところに、この旅館は部屋付きの露天風呂が65室あって、その数は日本一なんだ そうだ。  そんなこと知らずにこの旅館を選んでた。  それにしても、波の音で目覚める温泉旅館っていうのはいいねえ。  このところ全国各地の部屋付きの露天風呂の豪華旅館に挑戦していた。  ここはそういう豪華さとか、サービスのきめ細かさなどはないけど、何より津軽湾に 面して立つ景観のよさは、抜群だ。  今後もこの旅館を利用してしまうかもしれない。  ただし、ご飯抜きにする。  函館は、やっぱり海鮮市場か、朝市でご飯を食べないともったいない。  鮨金総本店もある。  露天風呂に入ったあと、ぐだぐだとテレビを見ながら仮眠。  新幹線の品川駅開業のニュースが多いなあ。  次に京都に行くときには、品川駅から乗ってみよう。  午前9時30分。土居ちゃん(土居孝幸)、柴尾英令くんが、ヤサカタクシーの宮本 さんが運転するワンボックスカーで、湯の川プリンスホテルまで迎えにきてくれる。 「どうする? お昼までご飯ガマンして、先に観光する?」 「朝から、イカを食べるでしょう!」と、柴尾英令くん。  昨日、寝不足のまま北海道に来て、おとなしかった柴尾英令くんが、元気を取り戻し た。 「さくまサン、いかいか亭のある市場、何ていいましたっけ?」と柴尾英令くん。 「海鮮市場だけど…?」 「はい。わかりました!」と、カーナビを触りまくって、海鮮市場をカーナビに入力し ようとしている。 「柴尾英令くん! 海鮮市場まで15分くらいだし、私は函館にマンションを持ってい たほど函館はくわしいから、カーナビに入力する必要ないよ〜! しかし、柴尾英令く んは、メカニカルなものが大好きだねえ!」 「今回、カーナビの操作は、ぜんぶ柴尾英令さんにまかせています!」と宮本さん。 「柴尾英令くんは、初めてつかうカーナビをパッパッと触れちゃうのがすごいよねえ!」 と、土居ちゃん。 「触れるものなら、おっぱいでもボタンでも何でも好きですよ!」と、柴尾英令くん。 「柴尾英令くん! ギャグまで言わんでいい!」  午前10時。函館の海鮮市場まで戻って、私がごひいきの「いかいか亭」へ。

「さあ! 朝ビールだ! 朝ビールだ!」  すっかり柴尾英令くんは元気だ。

 イクラ丼、三色丼、いかいか丼などを注文して、イカ刺し、イカの塩辛、イカのごろ 焼きなども頼んで、みんなで突っつく。

 デザートは、夕張メロンだ。

「えっ? 柴尾英令くん、夕張メロン食べないの?」 「あんまり、メロン好きじゃないんですよ!」 「ほ〜れほれほれ、おいしいよ!」 「うまっ!」  食後、海鮮市場で買い物。  やっぱりお土産を買う場合は、朝市より海鮮市場のほうがいい。

 よって、今後はそぞろ歩きしながら、その場で食べて楽しいのが、駅前の朝市、お土 産品を買うなら、海鮮市場でという統一見解にしようと思う。  海鮮市場のほうが、お土産品の品揃えも豊富だし、通路が広いし、ぜんぶまとめて送 ってもらえる点でも、非常にいい。  朝市のほうは、気に入っても1軒、1軒、バラバラに宅配便の宛名を書くのは、面倒 だ。

 午前11時。私が6月に行って、驚いた「北島三郎記念館」へ。

 こういう人の趣味に左右されるような場所に、何人ものひとを連れて行くというのは、 勇気のいることだ。  これが全員、北島三郎さんの熱狂的なファンとわかっていれば気も楽だが、スポーツ 好きでない人をホッケーの試合に連れて行くようなもので、冒険だ。

 でも、みんなを連れて行きたかった。  それほど、あのとき私は驚いた。  もちろん、きょうのメンバーは、北島三郎さんの大ファンというわけではない。  でも案の定、コマ劇場の舞台を再現した『まつり』のSFXは、みんなの度肝を抜い た。

「これは、おもしろいや!」 「北島三郎人形がよく出来ている。歌いながら、ちゃんとこっちと目が合うのがすごい!」 「子どもの頃の苦労した話をさんざん聞かされて、この曲が待っているというのは、日 本人がいちばん好むパターンじゃないですか!」  よかった、よかった。  これで函館の必見ポイントとして、北島三郎記念館をイチ押しにできる。 『桃太郎電鉄14(仮)』の演歌の親父記念館の%を、もう少し高くしよう。

ありがとう、さぶちゃん!

 午後12時。柴尾英令くんに絶対食べさせたかったお店へ。それはもちろん、胃袋の伝 道師・カール・レイモンの「レイモンハウス元町」だ。

 ジャーマンポテト、ソーセージの盛り合わせ、ハムの盛り合わせ、ガーリック。・ハ ンバーグ、ガーリック・トーストなどを、みんなでつつき合う。

「昼ビールだ! 昼ビールだ!」と、柴尾英令くんがビール好きのドイツ人のような大 きなお腹を揺らせて、うれしそうだ。  宮本さんは、昨日から、美しい景色を見ると「帰りたない〜!」といい、おいしいも のを食べると「あ〜、もうこれでいつ帰ってもいい!」といい、矛盾した言葉を連発し て、みんなを笑わせる。

 午後1時。五稜郭(ごりょうかく)へ。  五稜郭(ごりょうかく)は、昨日江差(えさし)で見た「開陽丸」の榎本武揚(えの もとたけあき)率いる江戸幕府の残党が最後に立てこもったお城だ。  上空からこのお城を見ると、☆の形をしていて、1864年幕末にヨーロッパのお城 を参考に築いた近代的なお城だ。  ☆の形をしたお城なので、死角がなくなって、砲火を浴びせやすいということらしい が、どう見ても平たいお城なので、砲火を浴びせやすいのかもしれないが、砲火を浴び てしまうのも得意なんじゃないだろうかと長年思っている。  するとやっぱり司馬遼太郎さんが書いておられた。

 本来、この形の城は、突き出た海に築いてこそ能力を発揮する。  平地に置いては何の役にも立たない。  こんな無用の長物のお城も珍しいというような書き方だったと思う。  私は高い所が苦手なので、土居ちゃん、柴尾英令くん、宮本さんに五稜郭タワーに 昇ってきてもらう。  五稜郭タワーから見ると、このお城が☆の形をしているのがよくわかる。  一応、かつて私は2〜3回くらい昇ったことはある。  待っている間、私と嫁は、トウモロコシを食べながら待つ。  今回、5泊6日の旅で、トウモロコシを8本くらい食べた。  ちなみに五稜郭を観光するなら、絶対春である。  このお城の桜の美しさは、いまも忘れられない。  ほぼ最北の桜なので、ゴールデン・ウィークに見ることができる場合が多い。  さて、ここから大移動が始まる。  メカ・コップ柴尾英令くんが、カーナビに次々に経由地を入力して行く。

 カーナビは本当に便利だ。  北海道で道を間違えると、間違えたと気づくまでに、最低1時間はかかる。  そのくらい、道が1本道で、目印がない。  大沼公園を抜けて、国道5号線をひた走る。  駒ケ岳が、雄大だ。  ちょこんと、先が尖っているのが、雄大なわりにかわいい。

 午後3時。森駅に寄る。

 デパートの駅弁大会で、必ず富山のマスのすしと人気第1位を争うのが、ここ森駅の イカめしだ。  正しい表記は「いかめし」。 「いかめし」というのは、生イカの胴体のなかに、もち米とうるち米を混ぜたものを詰 め込み、甘辛いたれでじっくり炊き上げたもの。  しかも「元祖いかめし」は森駅前の柴田商店でしか発売しないことで、鉄道ファンに はおなじみである。  ところが、きょうここに来てみて初めて知ったことがある。  柴田商店=いかめしの製造元というのは、間違いだったのだ。 「いかめし」を製造しているのは、阿部商店というところで、この阿部商店は、全国展 開を嫌い、各地の駅弁大会にも、出張して行って、その場で作るそうだ。日持ちしない 食べ物だからのようだ。  だから函館市内でたくさん売っている真空パックの「いかめし」は、すべてこの阿部 商店のパチモンということになる。

 その阿部商店が唯一、卸しているのが、この森駅前の柴田商店ということになるらし い。 「姻戚関係にでもあるのですか?」と根掘り葉掘り聞きたかったのだが、柴田商店の迫 力満点、タイムスリップ・グリコのリアル・バージョンのような門構えに圧倒されて、 深くは聞けなかった。  最近すっかり取材魂が衰えている。いかんなあ…。

 長万部(おしゃまんべ)から、道央自動車道に乗る。  高速道路だ。  カーナビは本当に便利だ。  ちょっといじわるして、遠回りしても、その地点から高速道路に入るルートを再び検 索してくれる。  これって、『桃太郎電鉄』の目的地を示すピンクの矢印とおなじであることを、いま さらながら気づく。私は10年前ぐらいから、カーナビ機能をゲームに搭載していたの か。もっと自慢すべきだった。  だいぶ、日が暮れてきた。  午後5時。室蘭のインターチェンジで降りる。  室蘭港に架かる白鳥(はくちょう)大橋を渡る。  ぐんぐん空に向かって、飛び立つようなつり橋で、私はちょっと怖いぞ。  でも美しい橋だ。  すでに午後5時を過ぎたので、橋はライトアップされていて、まさに室蘭港に羽を広 げる白鳥のようだ。  10年の歳月をかけて、平成10年に完成したばかりだそうだ。風力発電でライト アップしているらしい。  室蘭駅へ。

 室蘭は鉄鋼の町だ。  でも鉄冷え以降、日本の不景気のエースのように言われ、衰退の象徴のようにニュー スで伝えられ続けた。  だから私も取材が遅れて、やっといまごろ初取材になってしまった。  だから、あの美しい白鳥大橋には驚いたし、室蘭駅の駅舎が新しいことにも驚いた。 けっこう室蘭は、這い上がりつつあるのでは?  古い朽ち果てた鉄工所も残っているけど、新しい建物も多い。  室蘭に来たかぎりは、地球岬に寄って行きたい。  海の水平線が丸く見えることで有名な岬だ。  母恋(ぼこい)駅という変わった名前の駅を右折、急坂を登って、地球岬。  そういえば、この地球岬。地図で見ると、チキウ岬と表示されていることが多い。何 か意味でもあるのかと思ったら、本来の名前は「ポロ・チケップ」(親である断崖)と いうアイヌ語がついていたらしい。  その「ポロ・チケップ」の「チケップ」が、「チケウエ」と転化され、さらに「チキ ウ」となって、というとう「チキュウ」となって、地球岬という当て字が使われたとい うのが真相らしい。  まだ進化中というのが、物事の定まった現代でおもしろい。

 さすがに午後5時30分の北国は、真っ暗で、地球が丸く見える水平線も暗くてよく 見えない。  その分、キタキツネを何匹も見ることができた。  6月の富良野で、1匹のキタキツネも見ることができなかったので、ここでキタキツ ネをこんなに間近に、たくさん見られるとは思っていなかった。

 大きな灯台越しに、イカ釣り船の漁火が見える。  函館の湯の川プリンスホテル渚亭から見えた漁火よりも遠くに見える。

 あっ! そっか!  この漁火は、昨日、一昨日と渚亭から見た漁火とおなじものだ!  函館と室蘭は、内浦(うちうら)湾、通称:噴火湾を間に挟んで、対岸にあるのだ。  だから函館沖の漁火より、こっちから見える漁火が遠く見えるのだった。  どんどん寄り道をしている。  きょう宿泊予定の旅館に到着時間が遅れることを伝える。  スーパーに寄る。  ちょっと調べていることがある。  室蘭では「焼き鳥」は、「鶏肉」+「長ネギ」ではなく、「豚肉」+「玉ねぎ」+ 「洋がらし」なのだ。  だったら、「焼き豚」ではないかと思うのだが、「焼き鳥」という名前で定着してい る。  何でも第二次世界大戦後の物資不足のときに、たまたま室蘭では豚がたくさんいたの で、「焼き鳥」の鶏肉の代用品として、つかうことが増え、そのまま名前は変わらず、 定着してしまったようなのだ。  しかも室蘭だけにこの風習が定着して、外に広まらなかったというのも、おもしろい。  というわけで、スーパーで、この「焼き鳥豚」を探しに来たのだが、なかった。 室 蘭市内には、この「焼き鳥豚屋」は、20軒ほどあるらしいのだが、ずっと見てきたか ぎりでは、1軒ののれんも発見できなかった。  まあ、あったとしても、私たちの胃袋はエマージェンシー状態だし、まだこれから旅 館の料理を食べないといけない。  もともと私が日本旅館に泊まらず、ビジネスホテルに泊まることが多いのは、夜はそ の街の名物料理を食べに行くことが多いからだ。  日本旅館に泊まると、山の上なのに、ゆるい刺身を食べさせられるのもイヤだという こともある。  午後6時30分。登別(のぼりべつ)温泉へ。

「第一滝本館」へ。  このあたりの地名が「滝本」なので、「第一滝本館(だいいちたきもとかん)」で あって、「第一滝本・本館」ではない。  この「第一滝本館(だいいちたきもとかん)」に来るのは、実に25年ぶり!  さすがの私も、25年も間をおいて泊まりに来る旅館は初めてだ。  25年前の話をすると、長くなる。  正しくいうと、24歳のときだから、27年前ということになる。  27年前。私は大学を卒業したものの、卒業と同時に、まったく仕事がなくなってし まったのだ。それまで学生ながら、テレビのバラエティ番組の構成作家をやり、いくつ かの雑誌でコントを書いたり、雑文を書いていた。学生ながら、貯金が100万円以上 あった。  ところが、卒業と同時に失業。  フリーなので、失業という言葉もあてはまらない。  月収2〜3万円という貧しさに喘いだ。  あっというまに貯金は底を尽き、通帳の残金375円という、まさに風前の灯火にま で追い詰められた。  しかも、入るべき原稿料はすべて支払われ、持ち金375円のまま、いまから新しい 仕事をしないかぎり、未来永劫に渡って、入金ゼロの人生になってしまう直前だったの だ。  さすがの私も、フリーライターを諦め、就職することを決意した。  おそらく就職したら、大好きな旅行も気軽にできなくなるだろう。  そう考えて、親からお金を借り、「最後の旅」と決めて旅立ったのが、北海道10日 間の旅だった。  そのとき訪れたのが、この登別「第一滝本館」なのだ。  長い前説だ。  あれから27年も経っているので、「第一滝本館」は昔の面影などまったくない。さ らに巨大な旅館になっていた。

 むしろ、昔のままの風情だったら、感傷的になりすぎて、土居ちゃんたちといっしょ にいることがつらくなってしまったかもしれない。  あのときの旅が、本当に人生最後の旅であり、夢の終わりの旅だった。  明るい話をしよう!  …と思う間もなく、大事件が発生する!  今回の旅は、函館→登別→襟裳岬→帯広である。  まさか9月26日未明の「十勝沖地震」など予想もせずに、さっさと日程を決めて、 ホテルも決めていた。  大地震とはいえ、そうずっと震度5や6が続くわけがない。  連日、余震が続いたものの、震度3、震度2、震度1と毎日どんどん弱くなっていた。 一昨日の函館は10階の部屋だったので、震度以上に揺れを感じたが、それっきりだっ た。  震度1程度の余震さえガマンできれば、日程どおりに進めると、われわれは進軍して きたのだった。  ところが、襟裳岬一体が、通行止めのニュースが飛び込んできた!  柴尾英令くんと、嫁がそれぞれ電子手帳で、交通情報を検索する。  ヤサカタクシーの宮本さんが、フロントに行って、交通情報を聞く。  私はPHSの調子が悪いので、VAIOでインターネット検索できず。  土居ちゃんは、お酒を飲んで、目がとろ〜ん!  気持ち良さそうだ。  テレビの北海道ニュースが、襟裳岬に向かう途中の静内(しずない)で、がけ崩れが あったことを流した。  嫁と柴尾英令くんが、襟裳岬から、広尾までの黄金道路が通行止めになっていること を探し出した。  日高本線は、鵡川(むかわ)ー静内(しずない)間が、バス代行運転になっているそ うだ。  宮本さんが、襟裳岬まで行って、浦河の手前まで戻り、国道236号線で、広尾まで 越えるルートを提案する。  しかし、襟裳岬自体、行くことができない。    どうやっても、襟裳岬から、広尾を抜けて、帯広に出ることができないじゃないかあ!  今回の取材旅行の最大の目的は、襟裳岬だったんだよ〜!  けっきょく、明日の襟裳行きを断念する。 「みんなに襟裳岬に行くゆうて来たのに…」と、宮本さんが悔しがる。 「私も襟裳岬は悲願だったんだけどねえ…」  明日のコースを変更することにした。  がっくり…。  襟裳岬は、何度も計画しては、やっと実現できる寸前まで来れただけに、よけい悔し い。そうそう何度も宮本さんを出動させられない。とてもじゃないが電車だと時間がか かりすぎる。苫小牧から様似までだけで、3時間10分だ。そこから襟裳岬に行って、 帯広までバスだ。あまりにも遠い。  「第一滝本館」の料理はおいしかった。  鍋物のスープがおいしくて、ご飯を入れて食べたかった。

 午後9時15分。NHK『そのとき歴史は動いた』は、黒田官兵衛特集だ。  歴史上の人物でいちばん好きな武将だ。  北海道にいて録画できないのが残念だが、まあほとんどのエピソードは知っているの で、おさらいのようなものだ。と思ったら、最後のエピソードは初耳。ちょっと調べて みよう。  それにしても、襟裳岬行き断念のショックは大きい。  疲れがド〜〜〜ッと出てきた。  明日は、どこに行こう。  とほほ…。

 

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