7月8日(火)

 午前4時30分。バシャバシャバシャッ。
 叩きつけるような外の雨の音で、目が覚める。
 うへ〜。この激しい雨には、まいるなあ。

 きょうは、城崎から、鳥取、倉吉まで、走行距離約100キロの取材に挑戦しようと
思っていたけど、これじゃ無理だな。
 VAIOの入ったキャリーバッグに、傘の旅は、敵中横断三千里になるだけだ。
 このままおとなしく、京都まで帰ろう。
 城崎駅から、2時間半で、京都に戻れる。

 そうと決めたら、何やらもったいなくなって、露天風呂に入る。
 昨夜は、暗くて景色が見えなかっただけに、朝風呂は景色が、見えて気持ちいい。憎
い雨の音ですら、ここちよいリズムだ。
 雨にけぶる向かいの山の緑色もいい…。
 24時間お湯が流れっぱなしって、何かもったいないなあ…。

 午前6時。『めざましテレビ』を見ながら、いや、聴きながら、二度寝。

 午前7時30分。そろそろ旅館の人が起こしに来る時間だ。
 私はどういうわけか、目覚まし時計というものを使ったことがない。
 正しくは、使ったことはあっても、ベルが鳴る前に起きてしまう。
 起床予定時間の30分前から、遅くとも10分前には、カッ!と、目が覚めるのだ。
一度くらい、映画やドラマによく出てくる、寝ぼけ眼(まなこ)で、目覚まし時計を止
めてしまって、遅刻するというのを、やってみたいほどだ。
 きょうも10分前に、カッ!と目が覚めた。

 あれ? 雨があがっているぞ。
 どうしたもんか。
 快晴ではなく、たまに小ぬか雨が降る程度だ。
 晴れそうだな。
 取材旅にでかけるか。
 女心と、私の取材旅は、ころころ変わるよ。

 午前8時。朝食。

 お粥が中心の典型的な日本旅館の朝食と思いきや、どの料理もおいしい。  焼き魚は、カレイだ。  カレイといえば、城崎の近くの香住(かすみ)が、有名だ。 「はい、香住の笹カレイです!」  やっぱりね。いまはカレイが旬だしね。  やっぱり、山陰地方は食べ物がおいしいからいいねえ。  イカもおいしかった。塩辛ほど漬け込んだ味ではなく、沖漬けのようなあっさり感が よかった。いかソーメンっぽかった。  海苔ではなく、焼きわかめというのもいいなあ。  思わず、お粥をお代わり。  朝食は、大満足。  午前9時。旅館のロビーで、コーヒー。  ロビーから見えるガラス越しの庭園がきれいだ。  ちょっとした滝のようになっている。

 この先に5万坪の庭があるわけだな。  このまま2〜3日、ここに逗留していたら、社会復帰できなくなりそうだ。  午前9時30分。フロントで、観光タクシーをお願いした。  観光タクシーだと、時間制で料金が決まるので、いくら寄り道しても、料金はおな じ。私の場合、せっかちなので、時間制だと、非常に料金が安くなる。 「西村屋ホテル招月庭」は、小さな旅館が多い城崎にあって、大きなホテルで、しかも きれいで、サービスもよかったので、もう一度泊まってもいい旅館のリストに載せる!  そのうち、旅のお勧め本を書いてみたい。  その前に「西村屋本館」の老舗旅館ならではの応対を味わってみたい。  やっぱり、もう一度冬に、松葉ガニを食べに来るべきだな。  午前10時。香住(かすみ)に向かう。  予定通り、100キロの旅をめざす。  東京でいえば、直線距離にして、小田原までの旅だ。

 途中、カエル島が見えるところに、寄り道。  いわゆるカエルに見える島だ。  よく獅子岩とか、天狗岩とかあって、「どこをどう見れば、獅子や天狗に見えるん じゃい!」という島が多いんだけど、このカエル島は、本当にカエルが座っているよう に見える。  日本海の荒海ならではの、奇勝、奇岩だ。

 香住港は、山陰を代表する漁港だ。  香住(かすみ)の朝市センターに寄る。  魚市場だ。 「へ〜い、らっしゃい! らっしゃい!」  元気な声が聞こえてくるはずが、シーーーーーン。

 私と嫁が近づくと、あわてて明かりをつけたり、ビニールシートをめくったりしてい るぞ。ほかにお客さんは誰もいない。  うーーん。魚の匂いからして、寂れているなあ…。  たこ焼豆というのがあった。 「タコと豆と、どっちに近いんですか?」 「いやあ。ははは。タコ焼き風味の豆菓子です!」 「ははは。正直ですねえ。朝市だからタコをつかったやわらかい食べ物かと思った!」 「いやいや。お菓子なだけです」

 あまりの正直っぷりに、たこ焼豆を買った。500円。  これが意外と、後を引くソース味で、やめられない止まらない状態に。  ありゃ。何じゃこりゃ?  1枚のポスターが気になる。 「三姉妹船長」?  3人の女性が、船長さんみたいな制服を着ている。  女性は、漁船に乗らないんじゃなかったっけ?  それとも、テレビ番組のロケ地としてつかったのだろうか?  ポスターだから、写真に撮るまでもなく、またタクシーに乗って走り出すと、港でや たらと「三姉妹船長」の看板を見る。

 ますます気になる。  運転手さんが教えてくれた。 「遊覧船の船長さんですよ! このあたりでは、有名です」  JR香住(かすみ)駅へ。  本来は、城崎から、ここまで電車で来たかったんだけど、電車は1時間に1本。もち ろん、鈍行。  香住の先の浜坂(はまさか)まで行く列車は、2時間に1本しかない。  うっかり降りて、駅前にタクシーがなかったら、駅で1時間すごさないといけない。 地方に来ると、平然と次の電車まで、3時間ないという攻撃を食らわせてくれるので、 最近は観光タクシーに頼っている。  香住駅は、想像したよりも大きくて、駅前にタクシーもあったし、名物のカニの看板 やら、カニの絵が、あちこちに。  タクシーの屋根のマークまで、カニだ。

「おや! 船長さんがいますよ!」と、運転手さんが声を上げる。  あっ。あの制服は、「三姉妹船長」さんだ。  駅前で、遊覧船の勧誘をしていた。  運転手さんが、女性船長さんに声をかける。  旧知だったようで、談笑している。  この女性は、三姉妹のいちばん上の女性だそうで、結婚して生まれた子どもが、また 女性で、2代目の「三姉妹船長」が成立するそうだ。

 ちなみに、「三姉妹船長」さんの遊覧船は、かすみ丸といって、40分ぐらいのコー スで、湾内観光をしてくれる。  とても遊覧船に乗っているヒマはない。  おいしいものばかり食べて、取材しているように見えないだろうけど、これが『桃太 郎電鉄』の取材だ。  でも三姉妹遊覧船というのも、現地の人なら「何でそんなの知ってるの〜?」と喜ん でくれるかもしれないなあ。  香住(かすみ)から、浜坂(はまさか)方面に向かう。  このあたりの道は、曲がりくねっていて、海に出たかと思うと、山道を登り始める。 山を登りきったかと思うと、急勾配の坂を下りて、海辺に出たり、港に出る。実にあわ ただしいというか、急峻な道だ。  運転手さんが、「余部(あまるべ)鉄橋を見て行きますか?」という。 「えっ! あの大事故で有名な?」 「そうです!」  1986年というから、昭和61年だ。  もっと昔の話のように思えたが、もう17年前になるのか。  12月28日午後1時24分余部鉄橋から、回送中のお座敷列車が突風にあおられ、 鉄橋より転落した。  列車は、真下にあったカニ缶詰加工工場を直撃し、工場で働いていた主婦ら5人と最 後尾にいた列車車掌の計6人が死亡、6人が重傷を負った。  当時、私はまだ鉄道ファンではなかったのに、この余部(あまるべ)鉄橋の事故は鮮 烈に覚えている。  本来は、鉄道写真の絶景の題材として、人気の場所だ。  明治45年。高さ41m、長さ309mの陸橋として完成した。  当時は東洋一の鉄橋と呼ばれと、日本海を背景にして、強風を真っ向から受ける雄大 な景色は、多くの鉄道雑誌を飾った。

 午前10時45分。その余部(あまるべ)鉄橋へ。  へえ〜! 下から見上げると、思ったより低く見えるなあ。  40メートルの高さか。  あれほど世間が驚いたニュースだから、100メートルくらいの谷に、まっさかさま に落ちたのかと思っていた。

 慰霊塔も建っている。  この鉄橋には、補修工事用の鉄梯子がついている。  よくこの鉄梯子に登って、鉄橋の上のほうまで行って、いざ降りる段になると、怖く て降りられなくなる人がいるらしいから、上から見下ろすと怖い鉄橋なのだろう。  余部(あまるべ)鉄橋の下の喫茶店で、コーヒー・ブレイク。  喫茶店から鉄橋を眺めていると、おもむろに赤い1両の電車が通った。  1時間に1本程度だと思っていたので、嫁もデジカメを構えていなかった。あわてて 撮ったが、最後尾しか撮影できなったので、まさに、電車が鉄橋を渡るかのように見え る写真になった。  単線ならではの、マジックだ。

 午前11時30分。諸寄(もろよせ)港が見える丘へ。  運転手さんお勧めの景観だったのだが、あいにく曇り空で、もうひとつ。  悔しがる。  わかる気がする。  江戸時代、北前船で、風がやむのを待つ、風待ち湊として栄えた諸寄(もろよせ)港 が眼下に見えるポイントだけに、晴れていれば、さぞやダイナミックな構図になったこ とだろう。

 運転手さんから、香住(かすみ)町と、浜坂町が合併しそこなった話を聞く。 最近 流行の市町村合併だ。  とんとん拍子で話が進んでいたものの、庁舎をどこに建てるという段になって、香住 町がいい、浜坂町がいいと、紛糾して、とうとう決裂してしまったそうだ。 おとなげ ない顛末だ。  でも、こういう市町村は圧倒的に多い。  馬鹿げたことだ。 「いまどきの若者は…」とは、大人の誰もが口にする言葉だが、いまどきの大人もこん なもんだ。  午後12時。鳥取砂丘に着く。  おなじみ日本一の砂丘だ。

 私は20数年前に一度来て、砂丘のあまりの小ささに愕然としたことがある。  これが日本一の砂丘か?  そう思ったので、本来は、鳥取砂丘に寄らずに、先を急ぐつもりだった。  でも、嫁が一度も見たことがないのと、どっちみちタクシーで通りががる道だったの で、寄って行くことにした。  お土産品屋さんの最新土産事情もチェックしておきたい。  ありゃ? こんなところに階段なんて、あったかな?  そうか。以前、鳥取砂丘を登ったときに、靴のなかにいっぱい砂が入ってしまったの で、階段をつけたのか。どうせ小さい丘だから、この階段を登れば、頂上につくように してしまったんだな。  便利なことを考えたものだ。

 ふう、ふう、ふう。砂混じりの階段は疲れるな。  ふ〜〜〜ッ! 登りきった。  嫁に向かって「なっ、小さいだろ…えっ? あれ? あれれれれれっ!?」  ここは頂上ではなく、この先には広大なすり鉢状の砂地があって、その先に、鳥取砂 丘最大の丘がそびえていた。  その丘の上の人が、ここから米粒大の大きさに見える。  遠いんだ…。  まるで映画『スターウォーズ〜ジェダイの復讐』の冒頭で、ジャバ・ザ・ハットが出 てきた砂漠のシーンのような広さだぞ。  海もきれいだ。  宝石のようなブルーだ。

 嘘だ…。  あんな小高い丘に、私が登れたわけがない!  嫁も、私が登ったという話を信じない。  私も半信半疑だ。  でも、登ったことは間違いない。  砂丘の定義は、風によって運搬される砂が堆積してつくった小高い丘や、堤状の砂の 高まり。  定義がわかったても、何にもならない。  砂丘はつねにその形状を変えるというから、私が見たときより、3倍くらい隆起した に違いない。  いや。砂丘が縮んでいるというニュースは聞いたことがあっても、隆起した話は聞い たことがない。  とすると、前より大きく見えるということは、私の人間性が小さくなったということ か? それはあまりにも合点がいきすぎる解釈だぞ。

 ちなみに、遠くに見える鳥取砂丘最大の丘は、高さ約90メートルもあるそうだ。本 当に登ったのかな。私も心配になってきた。  でも、25年前といえば、私は25歳だ。  あの頃は、草野球チームを作り、夏になればプールで、バタフライを泳ぎ、背泳で、 とんぼ返りターンを華麗に見せていた最後のせんこう花火時期ではないか。 あれか ら、すっかり体力がなくなってしまったので、自分がパワフルだった時期を忘れてし まったよ。  あの頃の体力なら、登れたはずだ。  怖いものなど何もなかった頃だから、鳥取砂丘ですら小さく見えたのだろう。  そんなわけで、鳥取砂丘最大の丘にもう一度登る気もなく、「砂丘会館」へ。  おお! この砂丘会館には、以前も来たことがあるぞ。

 さすがに、梨をつかったお土産品が多いなあ。  梨キャラメル、梨ゼリー、梨チョコ、梨だんご、梨リーフパイ、梨ヨーグルト、梨わ らび餅、梨ドレッシング…。  ちょっと「何でも梨で作ればいいもんではない!」と、苦言を呈したくなる氾濫ぶり だ。  試食して回る。  へえ〜! この「梨福(なしふく)」という赤福を小さくしたようなお餅は、わざわ ざ試食用に、3分の1くらいのサイズのものを作って、食べてください!と勧めている のか。えらいなあ。  試食したら、滅法うまい。  こんな企業努力ができる会社がつくるような品物だもんな。  この企業努力に敬意を表して、2箱買う。

 午後1時。鳥取砂丘を後にする。  まだ進みますよ、きょうは!  何たって、100キロ走行の予定だ。  ふつう、この辺で、京都に戻るもんだけどね。  今回、いちばん寄って見たかった場所がまだ残っているので、行く。  そういえば、さっきの鳥取砂丘。  やたらと、「福部(ふくべ)」という文字が多かった。  どうやら、鳥取砂丘とういうのは、鳥取市にあるのではなく、福部村にあるらしいの だ。正しくは、鳥取県岩美郡福部村ということになる。  本当は、福部村としては、「福部(ふくべ)砂丘」を名乗りたかったんだろうなあ…。  車は、鳥取空港の近くの白兎海岸を走る。  鳥取といえば、因幡の白うさぎの伝説があるだけに、町中に「白兎(はくと)」の文 字があふれている。  白兎建設とか、やたらと会社名にもつかわれている。  JRの特急スーパーはくとは、伯備(はくび)線の「はく」と鳥取の「と」だと思っ ていたけど、「白兎」のスーパーはくとだったのか。

 おお! 見えてきた。見えてきた。  ハワイの文字が。  ハワイアロハホールなんてのもあるぞ。  ハワイ海水浴場もある。

 ここは、羽合(はわい)町だ。  ハワイとまったく音がおなじなので、ハワイづくしにしている。  羽合温泉としても、けっこう有名だ。  町役場の人たちが、アロハ・シャツを着ていることでも、有名。  午後2時。倉吉(くらよし)駅に着く。 『桃太郎電鉄』では、出雲、松江と、鳥取の間にある☆印カード売り場だ。  この町に、白壁の古い町並みがあるというので、『桃太郎電鉄12〜西日本編〜』を 発売する前に来ておきたかった。 『桃太郎電鉄12〜西日本編〜』の『西日本編』のほうで、「白壁の町並み」というイ ベントが発生する。  萩の武家屋敷の町並みとか、柳井の白壁の町並み、竹原の江戸時代の町並み、。脇町 のうだつの町並み、関の五十三次の町並み、。長浜の鉄砲鍛冶の町並みといった町並み をフィーチュアするイベントだ。  11都市12ヵ所が対象になっているんだけど、唯一訪れていなかったのが、この倉 吉(くらよし)の白壁の町並みだったのだ。

 駅前の交番も、倉造りになっている。    これは期待ができるぞ!と思ったのだが、駅に「白壁MAP」が置かれていない。駅 前の大きな周辺MAPの看板にも美観地区とか、歴史的建造物とか、土蔵、白壁の文字 がない。  うーーん。  倉吉駅から、川を越えた先に、どうやら、古い町並みがあるようなんだけど、特筆さ れていない。  城崎から、ずっと運転してもらった観光タクシーの運転手さんに、もう少し運転して もらって、白壁の古い町並みを探してもらうことにした。  その前に、「二十世紀梨記念館」という魅力的な名前の場所に行く。  午後2時15分。倉吉パークスクエアという巨大な建造物群のなかに、「二十世紀梨 記念館」はあった。  すごい建物だなあ。  あまりにも大きくて、広いので、「二十世紀梨記念館」の標識はあるものの、一向に 見つからない。  掃除をしていたおばちゃんに聞く。 「二十世紀梨記念館って、どこですか?」 「あ〜、ここをまっすぐに行ってにゃあ、左に曲がったところだにゃあ!」  こっちの人は語尾が「にゃあ!」になるのか、いいにゃあ。  あった、あった。  体育館だと思ったところだ。  斬新なデザインだ。さぞや名のある建築家の設計なのだろう。  バブル絶頂期に建ててしまった、無駄の限りを尽くした公共の建物なんだろうなあ。  えっ!? 平成13年に出来たばかりの施設なの?  げげげげっ!? 総工費135億円〜〜〜?  広さ、14ヘクタール?  ヘクタールでいわれると、全然規模がわからないけど。  不景気のご時世に、こんな贅沢のかぎりを尽くしたような建物を造るか?

「二十世紀梨記念館」も、本当に贅沢なんだよ。  広いスペースに、巨大な梨のモニュメント。  梨が出来上がるまでの解説ビデオが、なんとフォログラフィーだよ。あの映画『ス ターウォーズ』の1作目で、レーア姫が、主人公に依頼したときの、立体映像だよ!

 記念館としては、よく出来ているよ。  お金かけているだから。  しかし、子ども向けに、梨につく害虫まで、遊具にして乗せて遊ばせる必要はどこに あるんだ?  つい、私は大好きなモスラに似たものがあったので、喜んでしまったけど。

 いやあ! 贅沢だ。  でも、135億円かけて、こんなものを維持するんだったら、倉吉の物産センターを 作ったほうが、よかったと思う。  梨もいいけど、鳥取砂丘でも売っていた大きなスイカは、倉吉産のものだったぞ。梨 が中国を通って、韓国から伝わったことなど、インターネット上に掲載すればいいんで あって、わざわざ何10億円もかけて、立体的に見せる必要などないと思う。  それより、倉吉の梨とスイカを、他県の人にもっともっと食べてもらうべきではない のか? 鳥取砂丘に観光に来たお客さんを、そのままごっそり、倉吉の奥座敷、三朝 (みささ)温泉まで引きずり込んで、帰りには、大型観光バスをこの場所に駐車させて、 函館の朝市のように、名産品を買わせたほうが、よかったと思う。  いまでも駐車場には、300台近くの車を停車できるらしいぞ。  松葉ガニ、笹カレイ、二十世紀梨、長いも、ラッキョウ、スイカ、近隣にたくさんお いしいものがあるんだから、観光客が食べられる場所がよかったはずだ。  市民の人たちが、温水プールがほしかったから作ったというけど、何人の声だ?  20万冊の図書館は、評価されるべきかもしれないけど、古い建物を利用して、保存 すればよかったんじゃないか?  1Fの喫茶店「カフェ・ド・マンスイ」に、オリジナル梨パイというのがあるので、 食べようとしたら、まだ梨が入荷していないので、作れないというではないか! お店 の窓ガラスに、7〜10月まで限定のオリジナル梨パイの写真が貼ってあったら、誰だ って、お店に入りたくなるじゃないか!  ないなら、写真を外しておけよ。  それでも、せめて一太刀と、生どら焼と、梨プリンは食べる。  文句はいうけど、うまい!  だからこそ、オリジナル梨パイが食べたかったじゃないか!

 午後3時。古い町並みを探しにいく。  行けども、行けども、道路案内にも「倉吉古い町並み→200m」とか「倉吉美観保 存地区→500m」といった文字が出てこない。  道行く人に聞こうにも、ほとんど人が歩いていない。  午後3時30分。やっと、あった。  川から引き込まれたよな小川沿いにいつくかの土蔵が建っている。  白壁土蔵群というらしい。  赤瓦の町並みという言い方もあるらしい。  赤い瓦は、どこにあるんだ?  ああ、あれか。  赤い瓦とうか、赤褐色だぞ。

 うううーーーん。  南北朝の時代は城下町として、江戸時代は、陣屋町として栄えたらしいんだけど、あ まりも古いまんまなので、観光地に見えない。  古い商店街も、現役の商店なのか、観光用に古い商店を復元しているのか、さっぱり わからない。

 もうちょっと、観光地として、整備しないと、「わああ、きれい!」とか「いいねえ !」といった感嘆符の声を上げづらい。  ちょっとここの町の人は、飛騨高山の先の飛騨古川(もうすぐ飛騨市)を視察しに行 ったほうがいい。  小川も、あっちのほうが、ちゃんと掃除して、きれいな水にしている。    倉吉パークスクエアに135億円もかけるくらいなら、この古い土蔵の町並みに、1 35億円かければよかったじゃないか!  案内板ひとつない。  古いまんまほったらかしている。  そういえば、倉吉にはいろんなデザインのトイレがたくさんあるって聞いていたけど、 これも全然見当たらないぞ!  どうも、倉吉は看板に偽りありだな。  ひさびさの大外れだ。  ひそかに、今後『桃太郎電鉄』の目的地にもつかえそうな町として期待していたのに なあ…。  とりあえず、白壁土蔵の町並みは、2%→3%→5%の収益率を、1%→2%→3% に減棒しよう。  午後4時。倉吉駅に戻る。  ここで城崎の運転手さんとは、お別れ。  村役場出身の人らしい実直で、真面目な方だった。  さて、ここから京都まで帰る。 「スーパーはくと」という特急が、この倉吉駅が始発で、終点が京都駅なのだ。  便利な路線でしょ。  倉吉駅から、米子駅に出て、伯備線で、岡山駅まで行って、新幹線で京都も考えてい たんだけど、倉吉の駅員さんに質問したら、「そりゃあ、スーパーはくとのほうが、全 然早いですよ!」と、自慢気だった。  始発駅としてのプライドがあるのだろう。  ちなみに、あとで時刻表で調べたら、京都までスーパーはくと10号では、3時間3 6分。  倉吉から米子、岡山経由で、京都まで帰ると、岡山駅から、のぞみ30号に乗っても、 4時間10分。30分ほど、スーパーはくとのほうが早い。  熱心に、スーパーはくとの時刻表まで私にくれた駅員さん、あなたは正しかった。  しかし、いきなり駅のアナウンスで、「スーパーはくとは、山陽本線の事故で、30 分遅れて到着します」と、あわただしく言っているではないか。  当然、この特急が到着して、車内清掃をして、スーパーはくと10号になる。  発車時間も遅れるかな?  さきほどの「そりゃあ、スーパーはくとのほうが、全然早いですよ!」の駅員さんに 聞くと、「たぶん、15分もあれば車内清掃も終わって、時刻表どおり、発車できると…、 いや、遅くとも、10分遅れ以内で、発車できると思います。すみません!」と、慎重 な発言になっていた。  駅構内の喫茶店で、発車時間を待つ。  午後4時49分。スーパーはくと10号は、定刻どおり発車。  駅員さんの喜ぶ顔が目に浮かぶ。  スーパーはくとは、倉吉→鳥取→智頭(ちず)→大原→佐用(さよう)→姫路→明石 →神戸三宮→大阪→新大阪→コースで、京都に着く。 『西日本編』でも、このコースは再現しているので、お楽しみに。  智頭(ちず)は、重要な☆印カード売り場で、大原は、隣りの宮本武蔵駅をつかい、 佐用も物件駅として登場する。  おお! ひょっとしてと思ったけど、スーパーはくとのグリーン車に、パソコン用の コンセントがついていたぞ。  倉吉の駅員さんが、「そんなグリーン車でなくても、指定席、いや、自由席でも、始 発駅ですから乗れますよ!」と言っていたのだが、このコンセントがあるかどうかを確 認しておきたかったのだ。  北海道では、スーパーとついた名前の列車には、すべてコンセントがついていた。  そうか。スーパーという名前の列車は、JR列車共通のコンセント付きなのか。  覚えておこう。  しかし、コンセントをつかうより、睡魔のほうが勝っている。  VAIOを充電するより、寝る。  さすがに、100キロの走行は、疲れた。  車に乗っていただけだけど、車窓からの景色を忘れまいと、目をこらしているので、 目がしばしばしている。  ほとんど発車と同時に寝た。  左側の車窓に、羽合温泉のある東郷湖がちらりと見えた。  鳥取駅で、目が覚めた。  早いな。  智頭駅あたりで、倉吉駅で買ってきた駅弁「カニ寿し」を食べる。

 昔もこの駅弁を食べたけど、きょうも酸っぱかった。  この酸っぱさは、尋常ではない。  本当はこの駅弁を買いたくなかったのだが、これしか売れ残っていなかった。  売れ残るわけだよな。  万が一を考えて、倉吉駅で、カニめんたいを買っておいた。  最悪、カニめんたいとご飯だけで食べられると思ったのだ。  ところが、「カニ寿し」は、酸味がご飯にたっぷり染み込んでいて、カニめんたいで 食べようとすると、さらにまずくなった。  嫁は、カニ寿しを半分食べたところで、ギブアップ。  長万部のカニちらし寿司は、最高においしいのになあ…。  20数年前から、酸っぱい、カニ寿しがいまだに売られているということは、この酸 味が好きという人もいるのだろう。  ぜひ、そのおいしさを教えてほしい。  別に私が苦手だからといって、追従する必要はない。  味覚は、最終的に個人のものだ。  99人がブスといっても、たったひとりが美人に見えれば、素晴らしい恋愛ができる ように、味も個人の自由だ。  食後、VAIOを取り出して、仕事。  午後8時25分。あっというまに、京都だ。  このスーパーはくとはいいなあ。  ディーゼルなのに、一生懸命走ってるのがいい。  午後9時。例によって、ヤサカタクシーの宮本さんが迎えに来てくれて、京都のマン ションまで。  さっそく仕事をしようとしたら、VAIOのインターネットが繋がらない。  緊急救命室ER男・柴尾英令くんに電話。  遠隔操作で、あそこをクリックして、***が出てきたら、****をクリックして と、映画『アポロ13』のように、手動飛行!  …といっても、うちの操縦士は、嫁だ。  私が操縦すると、いつのまにかデスク・トップの壁紙の模様が変わる。変える気もな いのに。  なんとか、修復完了。  でもその後も、インターネットが繋がったり、繋がらなかったり。  ええい、疲れているんだから、西村京太郎さんの本を読みながら、寝る。

 

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