6月16日(月) 午前5時。函館国際ホテル。 一度起きて、TVをつけて、耳で聞きながら、もう一度寝る。 ほとんど自宅でのすごし方と変わらなくなって来た。 午前8時30分。ホテルに荷物を預けて、家族3人、海鮮市場から、末広町へ。 函館山の急坂、ハリストス正教会への二十間坂を登る。 景色は最高にいいけど、歩いて登るには、最高につらい坂だ。 登り切る手前を右に折れて、ソーセージのお店「レイモンハウス元町」へ。ここは、函館びいきのわが家族が、「鮨金総本店」、「海鮮市場」の次に愛用 しているお店だ。 「レイモンハウス元町」は、函館で70年間、ドイツ式の製法で、ハム・ソーセ ージを作りつづけたカール・レイモンさんのお店だ。 いまや日本じゅうのデパートで買えるようにもなったほど、そのおいしさには 定評がある。 もちろん、ソーセージはおいしいのだが、私たちはへそ曲がりなので、このお 店のジャーマン・ポテトが、絶品中の絶品と思っているのだ。 ところが、このお店で困ることがひとつ。 お店の営業時間と、形態がコロッコロッ変わるのだ。 最初にこのお店を見つけた14〜5年前は、レストランのみの営業だった。 山のふもとの明るいお店なので、お昼のランチには、最適だった。 そのうち、夜は午後6時か、7時に閉まるようになって、何回か行っても定休 日かな?と思った時期があった。 さらに今度はお昼のランチをやめて、1階のファースト・フードっぽいコーナ ーだけの営業となった。 それでも、ジャーマン・ポテトめあてに、何回かは来た。 そして、今回。 こっちも学習能力が上がって来たので、インターネットで営業時間を調べてか ら来た。営業開始時間は、午前9時。 たどり着いたのは、午前9時15分。 ぐはっ! 今度は、メニューに、ジャーマン・ポテトがない! すでにお腹が空いているので、何でもいいから食べたい。 ジャーマン・ハンバーグがおいしそうなので、それでもいいやと思うと、メニ ューのところに「売り切れ中!」のマークが。 開店15分で、売り切れる食べ物とはいったいなんぞや! 函館くらい親切な人揃いで、素晴らしい町はないと思っているのだが、どうも このお店とは、食べ物以外の部分で、親しくなれない。 「売り切れ中!」についても、何の説明もしてくれない。 仕方がないので、レイモン・ドッグ、チュリンガー・フランク、フレッシュ・ フランク、牛乳、ホット・コーヒーなどで、とりあえず、空腹を満たす。
「どうしようか?」 「ジャーマン・ポテト、食べたいね!」と、娘。 「午前11時のランチの時間なら、ジャーマン・ポテトあるみたいだよ!」 「11時までは…?」 「あと1時間半!」 「だったら、あとでまた来て、食べれば?」 「また来るんかい!」 かくて、「レイモンハウス元町」で、軽く食べた家族は、二手に分かれ、嫁と 娘は、金森倉庫群へ。私は、市電「末広町」駅まで歩いて、「ウイニングホール」 へ。 ここは、ホテル兼、原宿のレストラン「ZOOT!」、北島三郎さんの記念館 と、GLAY(グレイ)の記念館が入っているビルだ。 昨年12月に建ったばかり。 北島三郎さんとGLAYの顔合わせというのは、すさまじいものがあるが、2 組とも函館出身という繋がりがある。 「GLAY巡礼の旅」というのを、ファンの人たちが実践しているようだ。 そういえば、GLAYのファンが、台湾や香港、東南アジアに多いと聞いたん だけど、最近の国内旅行って、東南アジアの人たちが日本に来る旅行のほうが、 メインになって来たんだってね。 農作物は中国に依存して、アニメの製作は、韓国に任せる。 石像の生産は、中国。 ファーストフードの店員さんは、東南アジアの人たち。 で、旅行者は、台湾、香港のみなさん。 いったい、日本人はどこに存在するのだろう。 日本人が、日本人相手に仕事をしなくなるというのは、国家が無くなってしま うことなのではないだろうか。 と、偉そうに言っている私だが、『桃太郎電鉄台湾』とか、『桃太郎電鉄中国』 を作る時期かなと、独特のセンサーが起動し始めている。 午前10時10分。そんなわけで、「北島三郎記念館」へ。
北島三郎さんのCDは、ベスト版を1枚しか持っていないけど、日本の歌手の なかでは、ナンバーワン・ソウル・シンガーだと思っている。 私にとっては、ナットキング・コール、フランク・シナトラ、ジェームス・ブ ラウンといった人たちと、比べるべき歌唱力だと思っているので、演歌歌手とも 思っていない。 エスカレーターに乗って、2階へ。 えっ。解説のお姉さんがつくの? できれば、さっさと見て、GLAYのほう も見て、さらに市電に乗ってから、「レイモンハウス元町」まで戻りたいと思っ たんだけど…。 まあ、郷に入っては、郷ひろみ。 取材も兼ねているので、1回目は言われたままに行動するのが、礼儀というも のだ。 たまたま居合わせた、私よりちょっと上の夫婦といっしょに解説を受ける。 ガイドのお姉さんが、夫婦に何やら聞いている。 「どちらからお越しですか?」 「札幌からだっ!」 「北島三郎さんは、お好きですか?」 「好き、好き。サブちゃん、大好き!」 「あんたっ。一曲歌ってあげれば、『兄弟仁義』!」 「あはっはっは!」 「がっはっはっは!」 「おふたり、仲がよろしいですね」 まあ、「くくくっ」だ。 館内は、けっこうどころか、かなり楽しかった。 ガイドのお姉さんの話術が巧みだったわけではなく、北島三郎さんの生い立ち 自体が、劇的なので、聞いているだけでも、おもしろいのだ。 渡島知内(おしましりうち)で生まれたというから、本州から青函トンネルを 抜けたところの木古内(きこない)駅よりも、さらに西に行ったところだ。 生まれた頃は、家がにしん漁の網元をやっていたので裕福で、残っている家族 写真でもいいところの坊っちゃん風に写っている。 当時の、にしん漁といえば「にしん御殿」と呼ばれるくらいお金持ちなのがあ たりまえのような職業だった。 その後、にしん漁が途絶えてから、苦しい生活が始まった。 中学を出たら、働きに出るつもりだった北島三郎さんは、勉強が出来たので、 7人の兄弟が、北島三郎さんを高校に行かせるように説得して、なんと、船を1 艘売って、学費に当てたのだという。
しかし、その登校は大変で、知内(しりうち)から、函館まで1時間半の列車。 学校に間に合うためには、午前5時30分の汽車に乗らないといけない。 北島三郎さんは、朝ご飯用のお弁当と、お昼用のお弁当とふたつ持って、函館 西高校へ通ったそうだ。 そのお弁当も、黒砂糖ごはんといって、ご飯の上に黒砂糖をまぶしただけのも のだったとか。 えっ? 函館西高校といったら、さっき、「レイモンハウス元町」へ登った坂 よりも、さらに上にある坂道ではないか。ってことは、北島三郎さんは函館駅か ら、ここまで歩いたってこと。 こっちのほうが、私には驚いちゃうな。 北島三郎さんの3分の1程度歩いただけで、私のふくらはぎは、すでにパンパ ンに張っているよ。
長い話になってしまった。 「北島三郎記念館」には、このときの汽車の車内を再現していたり、上京して流 しでギターを弾いていたときの渋谷の恋文横丁あたりが再現されていたりして、 「新横浜ラーメン博物館」みたいな雰囲気。 3Fは、劇場になっていて、新宿コマ劇場のミニチュア版といった感じで、七 福神の山車の上に乗った北島三郎さんが、『まつり』を歌う。 この演出はおもしろい。 というより、私には昨年暮れ、12月4課の今年のバッファロー吾郎くんたち の「お正月特別公演」が思い出されてしまった。
いやあ。期待していなかったせいもあるんだけど、じゅうぶん、たっぷり楽し める場所だった。北島三郎さんのファンでなくても、楽しい場所だ。
一方、GLAYの記念館である「Art of GLAY」のほうは、GLAYのフ ァン以外の人には、まったく楽しくない場所。 GLAYをモチーフにした、CGやアートが、展示されているだけ。 私は、北島三郎さんよりも、GLAYのほうが、CDを多く持っているし、ビ デオまで持っているけど、何の役にも立たなかった。 おかげで、家族との待ち合わせ時間に間に合うことになってしまった。 午前11時。再び、「レイモンハウス元町」へ。 本当は「北島三郎記念館」を15分程度見て、市電でちょっと遠くまで行って、 ここまでタクシーで戻ろうと思ったのだ。あの急坂をもう一度登るのを横着した かった。「北島三郎記念館」が予想をはるかに上回るおもしろさだったせいで、 また急坂を登るはめになってしまった。
ゆっくり登ったせいで、古い豪奢な家とか、民家を改造した茶房とか、いろい ろ風景のいい場所を発見できた。 やっぱり、いつかは函館に住みたいかも。 リタイアしたら、足腰が衰えないように、坂を登り、親切な町の人たちと、笑 いながらすごすのがいいかな。
「レイモンハウス元町」の2Fへ。 私と娘は、ガーリック・ハンバーグ。 嫁は、イカのマリネの何という名前だったか、忘れた。
ジャーマンポテトは、家族3人で、一人前でじゅぶんな量なのを知っているの で、一皿だけにする。 おそらく、鉄板焼きの伝道師・柴尾英令くんは、この食べきれないジャーマン・ ポテトに歓喜しながら、悶絶してくれることだろう。 ここのガーリック・ハンバーグは、このところハンバーグの格付けランキング に燃えているわが家族にとっては、ベストテンにランキング入りさせてもいいく らいの味ということで一致する。
午後12時5分。食後、家族3人で、再び「北島三郎記念館」の前まで降りて、 市電「末広駅」から、湯の川行きの路面電車に乗る。
乗ると同時に、娘が居眠りを始めたくらい市電は、のんびり、ごとごと、ゆっ くり走る。 以前からこの路面電車はよく利用していたけど、終点の「湯の川駅」にだけは 行ったことがなかったので、乗ってみたかった。 スロー・フード、スロー・ライフとか叫ばれるようになって来たから、路面電 車も、スロー・トラフィックとして、ブーム間近だろうなあ。 『桃太郎電鉄14(仮)』あたりでは、路面電ラリーカードにしようと思ってい る。 そういえば、この車両には、シルバーシートがない。 ないわけだ。 乗客のほとんどが、老人だ。 数えたら、乗客の21人中、若者は4人だった。 シルバーシートを作る必要がない。 しかも函館の人たちは、基本的にすぐ席を譲る人たちなので、優先席など、ま ったく必要ないだろう。 一般道路でも、函館のトラックの若いお兄ちゃんたちも、道を譲る。 路面電車は、函館駅前で右折して、松風町へ。 松風町から、五稜郭へ。 あっ、以前私たちが住んでいたマンションが見えたっ! なつかしい風景だ。 しかし、せっかちな私には、ちょっと路面電車のあまりのスピードにあせりを 感じ始めた。五稜郭公園前で、すでに市電に乗り始めてから、30分が経過して いるのだ。まだこの先、6〜7駅ある。 実はそろそろ、東京へ帰る列車の発車時間が近づいているのだ。 待ち合わせの時間にまず遅れることのない家族だけに、大丈夫とは思うのだが、 不安は隠せない。 午後1時40分。終点の「湯の川駅」に着いた。 まだこれから、函館国際ホテルに戻って、荷物を乗せて、函館駅に行って、ち ょうど1時間後に列車は、発車する。
とても「湯の川駅」の近辺を散策する時間無しと、判断。 滞在時間30秒で、タクシーに乗る。 まるで鉄道鉄ちゃんみたいな行動だ。 ここでも、路面電車の遅さが実証された。 40分かかったところを、タクシーは15分で、国際ホテルに着いて、荷物を 積み込み、5分で、函館駅に着いてしまった。 ここで、ちょっとメモ。 <次回、私が函館に来るためのメモ> 「第6回全国路面電車サミット2003IN函館」 10月2〜5日。 何があるのか、わからないけど、来てみたい。 4日間も開催するのだから。 午後1時5分。まだ30分弱、発車まで時間がある。 たまには、私が悪名高きと評している、「函館朝市」に行くことにするか。 言っておくが、私は「函館朝市」が大嫌いだ。 新宿歌舞伎町の客引きよりも、強引なババアたちの袖を引っ張る「買って! 買って!」攻撃。 あげくのはてに、イクラの偽物を買わせる商法が大嫌いで、長いこと函館の人 自体を嫌悪していた時期は長かった。 その後、函館で知り合った人はみな親切なことがわかったので、憎悪の対象は、 「函館朝市」限定に切り替えた。 「函館朝市」には、「第一」と「第ニ」がある。 「第一」のほうが、かなりリニューアルされてあったし、何より強引な客引きが 影をひそめていた。
「おかしいなあ。あのくそババアたちが、みんないなくなっちまったなあ!」 「若い人が増えてるよね」と、娘。 「くそババアたち、みんな死んだのか!」 「たぶん、みんなで旅行にでかけているんだよ!」 ひどい言い方の親子である。 「朝市」の「第ニ」のほうは、昔のまま。上野御徒町のようだ。 「ここだよ、ここだよ。この辺のくそババアたちがひどかったんだよ」 売り場はあるものの、みんなビニールシートがかけられている。 娘が言っていた「みんなで旅行」もあながち嘘では…、いや、朝は、午前3時 から、フェアレディZで出勤してくるような、くそババアたちだ。 お昼が過ぎたので、帰ってしまっただけなのだろう。
もう少し、時間がありそうなので、市場の端っこで、かに汁、夕張メロン、夕 張メロン・ソフトなど買い食いする。 かに汁を売ってくれたお兄ちゃんは、親切で、「今度来るとき、また寄ってね」 と、誠実な応対だった。 「海鮮かにまん」というお店のかにジャガまん、シャケまんがおいしかった。
「ねえ、さくちゃん、今度いつ函館に来る?」と、娘。 ということは、暗にまた近いうちに来たいということを意思表示しているのだ。 「9月か、10月かな。これからずっと『桃太郎電鉄12〜西日本編』のテスト・ プレイが続くから!」 「今度来たら、ここの生ウニを食べようね!」 「おまえが来たいのは、町じゃなくて、食い物だっ!」
午後1時40分。函館駅から、スーパー白鳥24号に乗車。
すごいや! スーパー白鳥! グリーン車のひとり用座席のシートに、コンセントがついているだけではなく、 グリーン車全席に「パソコン専用」のコンセントが付いていた〜! えっらいぞ、スーパー白鳥! 気に入った! なじみ客になってやるぞ!
うれしさのあまり、3時間ぶっ通しで、VAIOを叩いて、手首が痛くなって しまった。三沢駅の手前で、腕を休めることにする。 午後4時43分。八戸駅に着く。 新幹線の乗り換え時間は、12分。 あわてて、駅の売店で、お弁当を買い込み、新幹線乗り場へ。 午後4時55分。新幹線はやて24号に乗車。 以前は、北海道から、帰ってくるとき、盛岡で「ああ、だいぶ近くなったな あ」と思い、仙台で「ああ、あとちょっとだ!」と思ったけど、まだ八戸駅が、 どんな感想になるのか、よくわからないなあ。 どちらかというと、スーパー白鳥が、快適なので、青函トンネルを抜けたとき に、ああ、東京が近くなったなあ!と思った。 八戸駅から、VAIOをつかうと、仙台の先で、バッテリーが切れてしまうは ずなので、しばらく横になって、仮眠。 座席の関係で、うちの娘は、ふたつ後ろの座席になってしまったのだが、こっ ちの席にやって来て、「臭い…。苦しい…」と、つらそうな顔をする。 どうやら、乗客の誰かの靴下が、桁外れに臭いらしい。 嫁も、すごい匂いだと言っている。 嫁と娘は、「犬の鼻」と呼ばれるくらい鼻がいいので、臭い匂いが耐えられな くなってしまうそうだ。 私は、子どもの頃、蓄膿症で病院に通っていた時期もあるくらいなので、匂い には鈍感。 しかし、乗客の足の匂いは、訴えようがないし、乗務員さんに注意してもらう 筋合いでもないし、困ったものだ。 おかげで、娘は東京まで、ずっと映画『エレファント・マン』のようにカーデ ィガンで顔を覆って、苦しんでいた。
午後6時。八戸で買ってきたお弁当を食べる。 私は、「大漁市場〜八戸港旅情編」。 嫁は、「南部のかっちゃ」。 「南部のかっちゃ」の「かっちゃ」とは、お母さんの意味らしい。 幕の内弁当のように、八戸の名産がいっぱい入っている。
私の「大漁市場〜八戸港旅情編」は、よく考えたら、イクラ、ウニ、カニと、 ここ1週間食べて来た食べ物ばかり入っている。何でいまさらまた食べるのかと 思ったら、やっぱりメインの八戸名物イカぽっぽに、気持ちが誘われたようだ。 八戸のイカぽっぽは、おいしいけど、駅弁についているお箸では、イカぽっぽ をつかもうとすると、つるつる滑るのが、困った。 でも、やっぱりイカぽっぽは、おいしいなあ。
食後、VAIOを取り出して、仕事開始。 『桃鉄研究所』の原稿を執筆。 午後8時8分。東京駅に着く。 お昼過ぎまで函館にいて、こんな時間に帰って来れるのは、やっぱりいいねえ。 スーパー白鳥なら、いちばんヒマな青森から青函トンネルの間を、快適に仕事 できるので、実際の時間より、さらに短く感じた。 何だか、東京のほうが、寒いね。 風が強いだけかな。 午後8時30分。帰宅。 まずは、ベッドにひっくり返る。 お風呂に入って、「ああ、やっぱり自宅のお風呂がいちばんだ!」と、つぶや く。 1週間の取材旅行、めでたく完了。
-(c)2003/SAKUMA-