6月14日(土) 「釧路よろしく!」 上から読んでも、下から読んでも、「くしろよろしく!」。 駅の文字を見て思いついた。 雨は上がったものの、釧路は曇り空。 午前8時。ひとりで、釧路駅へ。家族3人は、きょう電車で小樽に向かう予定。 きょうが土曜日というのを、すっかり忘れて、あわてて指定席を買いに来た。 混んでないと思うかもしれないが、南千歳、新札幌から、指定席を埋められた ら、釧路から札幌に向かう私たちのための座席は無くなる。 運良く、なんとか座席は確保できた。 釧路駅構内で、いわしのほっかぶり寿司が売っていた。 『桃太郎電鉄』にも登場する、ほっかぶり寿司だ。 いわしの握りに、大根を巻いたもの。 大根が白いので、ほっかむりをしているように見えることから、ほっかぶり寿 司よ呼ばれている。 せっかくなので、市内を歩きながら、ホテルまで戻る。
何だか、とても人口20万人近くの街とは思えない淋しさだ。 地方にGAPや、ユニクロが進出すると、どこもおなじ町に思えて好きではな いのだが、こうも駅前に大きなビルが無いと、何でもいいから、元気なビルがで きてほしいと思う。 帯広でも感じたんだけど、北海道の15万人以上の都市は、音楽立国をめざし たら、どうだろう。 音楽の専門学校を作る。 すると、近隣の若者がやって来て、人口が増える。 音楽をやる若者が増えれば、女性も集まる。当然、ファッションを気にするか ら、ブティックが出来る。当然、当然、「スターバックス・コーヒー」が出来る だろう。当然、当然、当然、カップルが出来れば、子どもが生まれる。人口も増 える。 街が若々しくなる。 若者が東京や、札幌に行くのを食い止めることができる。 うまくすれば、函館出身のGLAYのようなバンドが生まれたら、全国区でそ の都市の価値を高めることもできる。 安室奈美恵や、ダ・パンプで沖縄が有名になったように、本州から移住する人 が増える。 音楽の夢が破れても、若者が確保できることにより、産業は興せる。 町じゅうに音楽があふれていたら、素晴らしい町だと思わない?
午前8時30分。釧路プリンスホテルに戻る。 ヤサカタクシーの宮本さんが、すでにワンボックスカーを掃除していた。 「昨日の雨と霧で、どろどろですわ〜!」 「宮本さん、3日間ありがとうございました!」 「いれいえ、こちらこそ、帰りたな〜い!」 宮本さんと、ロビーに戻ると、嫁と娘が荷物をまとめて待っていた。 ほどなく、土居ちゃん(土居孝幸)、北海のトド・柴尾英令くんが現れる。 全員揃ったところで、宮本さん運転のワンボックスカーで、昨日、霧でまった く全貌をつかむことが出来なかった「幣舞(ぬさまい)」橋へ。
「幣舞(ぬさまい)」橋っていうのは、読みづらいよなあ。 鈴木宗男ちゃんの肝いりで建設された「幣舞(ぬさまい)」橋は、なるほど豪 華。こういう風に豪華に豪華を重ねて行って、総工費を上乗せして行ったんだろ うなあ。
午前9時30分。和商(わしょう)市場へ。 釧路駅のすぐ近くだ。
和商(わしょう)市場という名前は、「和商(わしょう)」=わっしょい、そ れと「和して商う」ということから、付けられた。 昭和29年に出来た歴史ある市場ということらしいんだけど、昭和29年創立 だと、私よりも若い。
和商(わしょう)市場の名物「勝手(かって)丼」を試す。 「勝手(かって)丼」というのは、丼に白いご飯だけが乗ったものをまず買う。 丼の値段は、120円〜300円まで。 300円だと、かなり丼も大きく、ご飯の量がすごい。 このあと、市場で好きな海産物を買って、お店でお醤油をたらしてもらって、 食べる。 よく市場などに行って、この新鮮な魚を買って、この場でご飯があったらなあ! と思うことはよくある。 私なんぞ、京の錦市場で、この願望が満たしたいがためにマンションを買って しまったほどだ。 だから「勝手(かって)丼」というシステムは、理想形だ。 何でも昔、北海道は、オートバイでやって来て、ケチケチ旅行をする若者が多 かった。オートバイの音から、ブンブン族と呼ばれるほどだ。 その彼らが、市場に来ても、1尾4000円も、5000円もする蟹を食べる ことが出来るはずがない。 でも、この「勝手(かって)丼」なら、蟹の足半身くらいが、100円で食べ られる。この食べ方がまたたくに評判となって、この「和商市場」では、「勝手 (かって)丼」がポピュラーになったそうだ。
そんなわけで、私は、150円のご飯丼を、嫁と娘はふたりで、300円のご 飯丼を買う。 私が、丼を持てないせいだ。 嫁が私の丼を盛る間に、娘は、嫁と自分の丼を作る。 「蟹の味噌汁は、いかがですかあ?」と言われるが、丼と味噌汁を持ったら、両 手がふさがってしまう。 すると、「このお盆を持ってきなさい!」と、トロ箱のようなプラスチック製 のお盆を貸してくれた。親切だ。
さあ、このお盆を持って、市場じゅうを探索だ!と、思いきや、どうも「勝手 (かって)丼」専用のネタが用意されている。 スーパーの独身用小分けカップのような容器に、シャケが2切れ、トロ1枚 で、100円という風に、売られていて、ちょっと興ざめ。
テレビで見たときの「勝手(かって)丼」は、おばちゃんが、樽に入っている イクラをひしゃくのようなもので豪快にすくって、「どうだあ!」と言わんばか りに叫んだり、大きなシャケをズシャーーン!とさばいて、「ほれ、どうだ!」 と、威勢よく丼の上に乗せていたような気がする。 あの豪快さがいかにも、北海道らしいと思ったのだが、タレントさんがいたの と、テレビ用の演出だったのかな。 ちょっと、これでは「勝手がわからない丼」だ。 そんなわけで、ちょびちょびと、小分けの魚介類を選び始める。 どうも1箱で売っているウニと、「勝手(かって)丼コーナー」と隔離された スペースに置かれたカップにちょびっとのウニの色が違いすぎる。 トロも、ちょっと買いたくないなあと思えるような色だ。 あれ? 娘の姿が消えた。 「勝手(かって)丼」のときのモデル要員だぞ!と言っていたのに、何事だ、け しからん! と思ったら、向こうの商店で買い漁っているではないか。 聞くと、近くの山崎鮮魚店のお兄ちゃんから、「ここより、あそこの魚のほう が新鮮でおいしいよ!」と教えてもらったのだという。
くそ〜〜〜ッ! うちの娘には、食べ物の女神様がついている。 私と、土居ちゃんは、運悪くほとんどを鮮度の悪いお店で購入してしまったの で、柴尾英令くんが買い始めようとしているところを、インターセプト。 娘が教えてもらった「さとむら」で買うように指示する。
みんなの戦果。 ・土居ちゃん 1700円。 ・宮本さん 1620円。 ・柴尾英令くん 1560円。
何だかんだ、あれこれイクラやエビやイカなど乗せてしまうから、けっきょく 1500円以上になってしまう。 あれ? 全日空(ぜんぶ肉食う)男・柴尾英令くんが、1560円と、少食の ふりをしているのは、どうしたんだ!? 「いいじゃないですか! たまにはこれくらいでも!」 「ダメだよ! デブ・キャラを守ってくれないと!」 さすがに暴飲暴食ツアーの最終日だけに、柴尾英令くんの胃袋も白旗を上げた ようである。 さて、食べ終わったので、市場でも見回すかと思ったら、柴尾英令くんがいな い。あれ? どこに行ったんだ? うそっ! 「さとむら」商店で、また「勝手(かって)丼」を始めているぞ!
「ああっ! 柴尾英令くん!」 「わっはっはっは! お代わりですよ!」 そういう手だったのか〜!
土居ちゃんが「そういえば、柴尾英令くん、立ち上がる前に、ボソッと、うま ッって言ってましたよ!」と、教えてくれた。 恐るべし、北海のトド、やん衆・柴尾英令! 市場をグルッと回って、茹で立て3本500円のトウモロコシを買って、みん なで分けて食べる。 茹で立てのトウモロコシほど、おいしいものはない。 ああっ! なんとか滑り込みセーフで、北海道にて、茹で立てのトウモロコシ を食べることが出来た。これ以上の追加点は、比類なし。
午前10時。釧路駅前で、土居ちゃん、柴尾英令くん、宮本さんとはお別れ。 3人は、きょうの夜の飛行機で、東京、京都へと帰っていく。 このあと3人には、厚岸(あっけし)、根室(ねむろ)への取材を頼んである。 本当は昨日、行く予定だったけど、釧路から根室まで、130キロもあるんだ って! 『桃太郎電鉄』では、わずか3マスなのになあ。 とてもじゃないが、私は行けない。 「それでは、地元のみなさん、3日間ありがとうございました!」と、私がギャ グを飛ばすと、土居ちゃんが、「また来てきんしょっと!」と、釧路の人が聞い たら怒りそうないんちき方言で返す。
家族3人は、釧路駅のステーションデパートを物色するも、失望色。 いきなり「本」の看板があるので、喜ぶと、これが古本屋さん。
ターミナル駅の本屋さんが、古本屋さんかい! こんな調子なら、鈴木宗男ちゃんに、北海道知事にでもなってもらって、釧路 駅を建て替えてもらったほうがいいな。 こんな老朽化した駅舎では、釧路市民も活気が出ないよ。 午前11時20分。スーパーおおぞら6号に乗車。 ひたすら草原を走る列車のなかで、お仕事開始。 またしても、スーパーなので、座席にコンセントが付いている。 札幌まで、4時間の長旅も、仕事をしていれば、あっという間だ。
心配された私の体力のほうも、宮本さんの運転のおかげで、歩き回ることがほ とんどなくて、体力をたっぷり温存することが出来た。 列車は、白糠(しらぬか)、池田、帯広と停まり、まるで今回の取材旅行のお さらいをしているみたいだ。 新得(しんとく)、トマムは、駅が小さいなあ。 トマムから、ずっと駅がないまま、千歳空港の近くの南千歳駅まで、停車駅無 し。南千歳から、新札幌で停車して、札幌駅へ。 午後3時15分。札幌駅に着く。
ぎょぎょぎょ〜〜〜ッ! 変わったとは聞いていたけど、札幌駅の南側は、昔の景色を忘れるくらい変わ っちまったんだねえ。 JRタワーホテルは、でかいなんてもんじゃない。 高さの前に、駅の改札口から、フロントに行くまでで、歩き疲れた。 別にきょう泊まるわけではないけど、今後のために偵察。 大丸札幌もすっかりおしゃれな建物になってしまった。 大丸札幌の7Fへ。 ここに京都でおなじみの「イノダコーヒ」が開店したというので、来てみた。 京都以外、決して進出することのなかった「イノダコーヒ」が、なぜ札幌に。 しかし、きょうは土曜日。 すでに行列が出来ている。 待つか。 そんなに時間はない。 札幌なら、また来るだろうと、断念。 再び、札幌駅に戻る。 午後4時16分。快速エアポート155号に乗車。
札幌滞在時間、わずか1時間。 銭函から広がる、荒い海を眺めながら、小樽へ。
午後4時47分。小樽駅へ。
へ〜。地下道に向かう階段にエスカレーターが出来ていた。 でも駅自体は、全然変わらないねえ。 小樽市は、人口15万人。 今回、旅して来た場所の人口を比較してみる。 ・札幌市 180万人。 ・旭川市 36万人。 ・函館市 28万人。 ・釧路市 18万人。 ・帯広市 17万人。 ・小樽市 15万人。 ・富良野市 2万人 いわゆる札幌市のひとり勝ち。 というより、札幌に近い小樽市の15万人が意外だ。 まあ、人口は面積によっても違う。繁華街がまるでないのに、近隣の町村を合 併につぐ、合併で併合して、水増し人口をめざしている市は多い。 私の印象だと、札幌>帯広>小樽>旭川>函館>釧路の順番で、大都市だなあ と感じた。 いずれにしても、札幌に180万人もの人が集まるんだから、帯広、釧路、函 館で、人口移動を食い止めるべきだろう。 小樽駅から、ホテルに向かう。 ううっ。寒い。 寒いわけだ。気温は14度。 今回の旅行で、いちばん気温が低い。
あれ? こんなアーケードって、あったっけ? 「都通り」というの?
ん? 明治維新の箱館戦争ときの榎本武揚(えのもとたけあき)のことを小樽 は売り出そうとしているのかな。 榎本武揚(えのもとたけあき)は、明治維新後、北海道開拓史になって、石炭 産業に尽力し、小樽の鉄道を整備したりしたのか。 小樽駅も作ったのか。 それで、小樽としては、榎本武揚(えのもとたけあき)と密接であることを言 い出したんだな。 竜宮神社というのも、榎本武揚の創建らしい。 でも、榎本武揚とはまた地味な人物を選んでしまったもんだねえ。 小樽市がお金を出して、男前のトレンド俳優でもつかって、歴史ドラマで、榎 本武揚を取り上げないかぎり、話題にならないと思うんだけど…。 あれ? 「西川ぱんじゅう」店がある。 「西川ぱんじゅう」というのは、パンとまんじゅうの間ということで、カリカリ っとした皮のなかに、あんこが入った今川焼き風の食べ物。 ってことは、ここはやっぱり昔、ふつうの道だったところだ。 アーケードは、最近つけたんだな。
午後5時。きょう宿泊する「オーセントホテル小樽」に着く。 しかし、うちの娘が行きたいと言っていた「北一(きたいち)硝子館」の閉店 時間が、午後6時と判明。 荷物だけ預けて、「北一(きたいち)硝子館」へ急ぐことに。 歩いて10分ほどのところだけど、急いでいるので、タクシーで急行する。 言ってみて、驚いた。 いや、ぶったまげた! いや、もう愕然とするくらい、まさに驚愕に震えた。 あんな小樽運河沿いにぽつん!とあった「北一(きたいち)硝子館」は、な、 な、な、な、な、なんと、いまでは5号館までに増えていた。 しかも、「北一(きたいち)硝子」の通りには、「小樽大正硝子館」とか、 「小樽ガラス工芸館」とか、ほかにもたくさんのガラス工房だらけで、まさに」 ガラス細工のお店の秋葉原状態。
いつのまに、小樽はこんな町になっていたんだ。 小樽へは、何年かに一度は、取材に来ていて、あまり変化がないので、もう限 界の町だと思い込んでいた。たしかに「北一(きたいち)硝子館」だけが、一生 懸命お客さんを集めていたけど、まさかここまでパチもんのお店が乱立するほど 発展するとは思いもしなかった。 それどころではない。 函館の「海鮮市場」のように、たらば蟹を売るお店がいくつも出来て、石造り の蔵を改造した喫茶店や、蔵のふりをしたお店など、もうこれでもか、これでも か、わっしょい、わっしょい、見事な観光地に変貌していた。
札幌で有名な雪印パーラーまで出来ていたぞ。
通りには、「昆布」の看板が目立つ。 しかも「七日食べたら 鏡を見てごらん」の看板も付いている。 お店の名前は「大正クーブ館」。 何だ。その名前は。 店内は、昆布だらけ。 昆布製品専門店だ。 場違いのように、中国の楊貴妃について書かれたプレートまで壁に貼ってあ る。まさに横浜中華街の昆布食材のお店といった感じだ。 でも試食した「昆布梅」に不覚にも、はまり、買う。 昆布のなかから、とろ〜りと、梅が出てきて、甘さのなかにちょっとだけ甘酸 っぱさが広がって、やみつきになりそうな味だ。 「大正クーブ館」の「クーブ」は何かと訪ねると、昔から、日本じゅうで沖縄の 人がいちばん昆布を食べるそうで、沖縄では昆布のことを「クーブ」というの で、この名前にしたのだそうだ。 沖縄の人がねえ。 江戸時代の北前船が、遠く沖縄まで昆布を運んだせいなんだって。 あいかわらず、現代まで歴史は通じているもんですな。
あやや? あややったって、松浦亜弥ではない。 しばらく歩いていくと、また「昆布」、「七日食べたら 鏡を見てごらん」の 看板がある。 でもお店の名前は、「不老館」。 「あれ〜、さっきのお店と似てるのに、お店の名前が違うぞ!」 「あ〜〜〜、お客さん! おんなじ、おんなじ! あっちの店も、こっちのお店 もおなじ! 値段も品物もいっしょ!」 「でも、お店の名前が違いますよ!」 「それでも、お店はいっしょ!」 「いったい、こういうお店、いくつあるの?」 「小樽に4店舗、ございます!」 何だかよくわからないけど、「紅虎餃子房(べにとらぎょうざぼう)」っぽい 繁殖の仕方をしている途中と、理解しよう。 いやはや。ほかにもソフトクリーム屋さんんも多いし、あいかわらずお寿司屋 さんも多い。でも古くからあるお寿司屋さんもみんな改装していた。 いったい、小樽に何が起こったんだ!? 小樽駅から、札幌方向にふたつめの駅、小樽築港(おたるちっこう)駅に、マ イカルとか、小樽よしもと、石原裕次郎記念館などが出来て、小樽の中心地は移 ってしまったとまで言われたのに、いつのまにか小樽本体の逆襲が始まっていた。 たしか2000年11月に小樽に来たときは、こんな賑やかな通りは、まった くなかったと思うのになあ。わずか3年で、ここまで変貌するか? したんだろ うなあ。 今回、小樽に来たのは、この情報をどうやらうちの娘がTVで、仕入れていた からのようだ。いつのまにか最近、じわじわ私の仕事を継ごうと企んでいるよう な気がしてならない。 私に教えを請いに来る人は、たくさんいるが、みなさん妙に私を買いかぶって、 せっかくいろんなことを教えてあげても、少ない言葉のなかにたくさんの秘密が 散りばめられているのだろうと勘違いして、理解力が落ちる場合が多い。 その点、うちの娘は私がたいした人間ではないことをよく知っているので、私 のゲーム作りの秘密をするすると学んでしまっているようなのだ。 しかし、この小樽のガラス工房通り(私が勝手に名づけた。まだ名前はない) は、おしゃれを演出するため、石畳の道の連続で、足の不自由な私には、拷問の 道。小樽運河にたどり着く頃には、まったく足が前に出ない状態に。 食べるお店を探していたせいもあるんだけど、小樽というと、お寿司か、フラ ンス料理のイメージだ。 お寿司屋さんは、今朝、釧路で「勝手丼」をやって来たばかりだ。 おまけに1週間前、函館の「鮨金総本店」の福田さんに、また1週間後に食べ に来るよと約束してしまっている。それは明日だ。 フランス料理のようなこってりしたものを、食べる気力はない。
うへっ。小樽運河のレンガ倉庫のところには、東京で人気のラーメン店が集結 して観光地になっていた。 札幌の「すみれ」、渋谷「でび」、高田馬場「がんこ」、池袋「大勝軒」、横 浜「くじら軒」、博多「一風堂」。 ちょっと毒々しいラインナップだなあ。 ほとんどが東京で食べられるお店だらけだけに、入る気がしない。 しかし、ああ! こうやって、あそこは嫌だ、ここは嫌だと言っていると、私 の足は完全に動かなくなってしまった。 気温も、11度まで下がってきた。 緊張で、左腕が痛くなっている。 とりあえず、ホテルに戻ろう。 しかし、戻るにしても、小樽名物の長くて緩やかな坂が待ち受けていた。 娘に後ろから押してもらって、なんとか坂を登る。 うんしょ、うんしょ、うんしょ、ひ〜〜〜。 そのうち、鞄まで嫁にもってもらって、坂を登る。 うんしょ、うんしょ、うんしょ、ひ〜〜〜。 それでも、もう足が上がらない。とっとっとっ…。 映画『スタンド・バイ・ミー』を思わせるようなトロッコを置いた、電車の引 込み線を公園風にしたおもしろい場所があったのに、見る気もしない。ひ〜。 娘は、元気だ。
午後7時。オーセントホテル小樽に着いた。 本当に動けなくなった。 嫁と娘だけ、食事に行ってもらって、私は菓子パンですますことに。 ただでさえ、暴飲暴食を続けてきたのだから、この辺で、食事量を落としてお いたほうがいい。 足がじんじん、じんじん、電流が走ったままのようだ。 とにかく、ベッドにひっくり返って、パンを食べる。 日記の下書きも始めるが、誤字・脱字のオンパレードで、こりゃ、危険な状 態。 テレビのBS放送のタイタニック号沈没の秘密みたいな番組を見て、心身 ともにクールダウンさせることにする。 明日は、1週間の取材旅行の最終日。 はたして、私の体力が持つかどうか、かなり不安。
水天宮の夜祭りがありました。
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