5月21日(水)

 午前8時。さすがに、海に浮かぶ古城のようなすごいホテルに、ふかふかのベ
ッドのせいか、夜中に、何度も目が覚めてしまった。

 午前8時30分。2Fのレストラン「敷島」で、朝食。
 満足な味。ホテルの朝食が豪華でも困る。

 午前9時30分。ホテルに、観光タクシーを呼んでもらって、いざ出発。
 きょうは、十津川(とつがわ)というところに行こうと思っている。
 実は、十津川に行くのは、悲願だった。

 最初に、十津川という文字を目にしたのは、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』
だった。

 坂本竜馬を、京都近江屋に暗殺に来た武士が、
「拙者は十津川郷士。坂本先生ご在宅ならばお目にかかれたい」と、名刺を渡し
た。

 この十津川村の武士を名乗った男が、新撰組だったのか、見回り組の人間だっ
たのかは、今日でも定かではない。
 でも、間違いなく私の人生を左右した、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』の文
庫本の8巻の387ページ目に出てくる言葉だ。
 文庫本は、392ページで終わっている。
『竜馬暗殺』の場面は、わずか5ページしかない。
 でも、この5ページが、どれだけの多くの人間の心を揺さぶったか。
 司馬遼太郎ファンなら、間違いなく「拙者は十津川郷士」という言葉を覚えて
いるはずだ。

 このときから、私の「十津川」に対する興味は始まった。
 本で「十津川」という文字を見つけるたびに、気になった。

 1863年。江戸末期、「天誅(てんちゅう)組の乱」という事件が起きた。
 奈良県五條市の代官所を襲った集団があった。
「これからは、徳川の世ではなく、天皇家の世になる!」といった義挙を起こし
た。この乱が、明治維新のスタートと見る人は多い。
 この天誅組に、十津川の人々が参加していたというのを、何かで読んだ。
 日本が勤皇と佐幕のふたつに真っ二つに分かれたきっかけになっている。

 その後、「十津川」の文字を見たのは、西村京太郎さんの『十津川警部』シリ
ーズだ。この十津川村との関連性は、作品のなかに書かれていないような気もす
るのだが、『十津川警部』シリーズを読むたびに、ふつふつと「十津川に行きた
い!」「十津川に行きたい!」という気持ちが募った。

 しかし、その後も十津川に来ることはなかった。
 私の『桃太郎電鉄』は、鉄道の駅中心のゲームだから、鉄道のない場所への取
材はついつい後回しになってしまった。

 人にも、十津川の噂はたくさん聞いた。
 一度でも、十津川に行ったことのある人は、必ず「何もないところですよ!」
と答える。
 もはや、20数年「十津川に行きたい!」と思っていると、もはや十津川に何
もなくてもいいから、行きたくなっている。

 これまでも何度となく、十津川には行きかけている。
 新宮まで行って、あと少しまで最接近したことがあったけど、有名な瀞八丁
(どろはっちょう)までで、その先のバスが見当たらず、断念したことがある。
 いまも、十津川へは、電車はない。
 バスも、1日3便程度だ。

 白浜を出発したのに、ずっと十津川(とつがわ)のことばかり書いている。
 長年、行きたい場所だったので、知識ばかり増えている。
 いちばん有名なのは、十津川村が、日本一広い村だということだ。
 その広さは、十津川村のある奈良県の5分の1を占めている。
 大きいなんてものではない。

 いいかげん、先を急ごう。  十津川村まで、国道311号線がずっと続く。  運転手さんには「道の駅」があったら、寄ってくださいと言ってある。  名産品、特産品が一網打尽でわかる場所だからだ。  午前10時10分。最初の「道の駅」である「ふるさとセンター大塔(おおと う)」へ。

 大塔村は、「だいとうむら」と思い込んでいたけど、「おおとうむら」と読む のだったのか。日本語は難しい。 「大舞台」というのも「おおぶたい」と読むけど、「だいぶたい」と読んでもい いような気がする。歌舞伎用語なんだろうけど、「だいぶたい」をわざわざ「お おぶたい」と勢いが減るような言い方をすることのほうが、もどかしい気がする。 「最低」という文字は、よく投稿者が「最底」と誤字する。  でも意味からすると、「最底」のほうが、どん底な雰囲気が出ていて、いい気 がする。 「ふるさとセンター大塔(おおとう)」は小さかった。  金山寺みそに、しいたけと、いかにも山林の地域の特産品しか売っていない。  喉が渇いたので、お水を買おうとしたら売っていない。 「この辺は、水は買ってまで飲むものではないですから…」と、お店の人に説明 される。そりゃ、そうだろう。  こんにゃく梅うどんを買って、外の自動販売機で、ペットボトルのお茶を買う。  うひょ〜〜〜!富田(とんだ)川の川原がきれいだ。  紀伊半島は緑がきれいだ。  森林の緑だ。

 だから、晴れた日がよく似合う。  曇り空だと、せったくの緑色が目立たなくなって、地味な景色になってしまう。  きょうは、私の取材パワー100%なので、朝から快晴!  いつもの晴れ男法則、全開である。  午前10時39分。今度は「道の駅」の「熊野古道(くまのこどう)中辺路 (なかへじ)」という難しい名前の場所に寄る。

「熊野古道」だ。  熊野古道は、お伊勢参りのように、かつて熊野詣に訪れるために、先人たちが 熊野三山(本宮・新宮・那智の熊野大社)をめざして通った古道のこと。  ああ!何だか画数の多い漢字が並ぶだけで、イヤになるよね。  それどころか、「自然林の続く苔むした古道」とか、「深い緑」、「清らかな せせらぎ」、「路傍にたたずむ史跡や石仏」、「苔むした石畳を踏みしめて、い にしえ人のロマンに触れる」…。  こういう言葉が並ぶだけで、怖気(おじけ)づいてしまう。  お伊勢参りとか、四国八十八ヵ所の巡礼とかは、民間信仰のようだけど、この 「熊野詣」は、高貴な人たちの信仰だったようだ。  多少の誤差は、許すように。  私は、まったく信仰心がないので、この手の話題が苦手なのだ。  本屋さんに並ぶ「熊野古道を歩く」といった本には、手も触れてこなかった。  だいたい1ヶ月かけて歩くと聞いただけで、もうダメだ。 「道の駅・中辺路(なかへじ)」の話に戻る。  ここには、牛馬童子という伝説があるようで、牛と馬の2頭を並べて、2頭に またがって乗る、おもしろいというか、乗りづらそうだなあ!と感じるキャラク ターがあった。

 タクシーの運転手さんの解説を聞いたけど、よくわからず、ときの天皇が街道 の宿場ごとに何10人かの子どもをつくって、それぞれ、○○○王子とか、○○ 童子という名前がついたという下品なというか、男としてはうらやましい部分し か、頭に入ってこなかった。  はっはっは。こういうこと書くと、すぐ「あなたは宗教を冒涜している!」と いったメールが来たりするけど、私には宗教を冒涜するほどの知識すらない。  あなただって、横浜ベイスターズの選手、しかも「2軍の選手の名前を間違え た!」と私にののしられても困るでしょ。  こういう人がいるから、私は宗教が苦手。  熊野川が見えて来た。  おお!これが有名な熊野川か。  幅の広い、雄大な川だ。  紀伊半島は森林が美しいけど、川の色まで緑色している。  あっというまに、近眼が直りそうな、やさしい緑色だ。  今年1年分も森林を見てしまったと思えるくらい、ずっと木々を見ている。  この単調な道を1ヶ月かけて歩く人たちがいるんだから、えらいなあ。  熊野川の川原に「がんばれ木の芽!」と書かれた大きな文字があった。  何でもNHKのテレビ小説『ほんまもん』のロケが来て、そのとき作ったもの らしい。池脇千鶴ちゃんが主演のドラマだそうだが、私はNHKの朝の連続テレ ビ小説というのは、ほとんど見ない。子どもの頃は見ていたけど。  いずれにしても、ロケ地を見たいという観光客が押し寄せて、ゴミを置いてい ったりして、地元の人たちにとっては迷惑だったそうだ。  観光資源があるような場所だから、ただ荒らされただけだったんだろう。  午前11時16分。熊野本宮大社を素通りして、とにかく十津川村をめざす。  熊野本宮大社(かまのほんぐうたいしゃ)は、帰りに寄るつもり。  もし、寄り道していて、十津川に行けなくなったらイヤだ。  私は、めっぽう心配性。  国道311号線には「道の駅」が多い。  3つ目の駅「奥熊野古道ほんぐう」へ。

 ええっ? ええ〜〜〜? 「本日休業」???? 「道の駅」が休業しちゃうの?  まいったねえ。いままでの「道の駅」のなかではいちばん規模が大きそうで、 期待していたのに。  この国道のどのお店も商売気がない。  休業ぐらいしてしまうかもしれないなと、納得させらる威圧感を感じる。  いよいよ国道311号線から、国道168号線に移る。  沿道の看板や標識に「十津川」の文字が増えてくる。  何もないとわかっているけど、わくわくしてくる。  滝が増えて来た。  このあたりには、あたりまえのように滝があって、小さな岩から、ちょろちょ ろと滝が流れていたり、切り立った岩から、細く長い滝が流れ落ちている。

 たまに、「十二滝」とか名前がついているけど、そのほとんどには名前すらな い。やはり珍しくないのだろう。  道も狭くなって来た。  曲がりくねった♪ロン〜グ、アンド、ワインディングローードだ。  十津川への道は、昔はもちろん、舗装などされていない道だったから、本当に 「秘境」という言葉にふさわしい場所だったらしい。  十津川村のパフレットには、こう書いてあった。 「今も昔も  ここは秘境、  でも時代はいつも  ここから変わる」  いまは、国道はすべて舗装されていて、さらにいまもバイパスを建設中で、た だの遠い村になって来た。

 午前11時37分。十津川バスセンターへ。  ここだ。私がバスで来ていたら、利用するはずだったバスセンターだ。  必死にインターネットで、バスの時刻表を調べたけど、どこにも載っていなか ったバスセンターだ。  もうこれだけで、何かひとつ小さなことを達成したうれしい気分。

 記念にバス乗り場の案内窓口に行く。 「あの〜、バスの時刻表があったら、いただきたいんですが…」 「え? あ? はっ。はい!」  こんなものをほしがる人などいないのだろう。  係りの人は「少々お待ちください」といって、あちこち探し始めた。 「ありました。どうぞ!」と手渡されたものは、コピー紙片面にプリントされた もの1枚だけであった。  ようするに、白黒印刷。  バスの時刻表を見て、うなった。  私がインターネットで探せなかった時刻表だ。  奈良県の大和八木駅から出る急行バスは、1日3便。  午前9時15分。午前11時。午後12時45分。  おい、午後1時の前で終わりかい。  しかも十津川温泉まで、3時間半。  まいりました。  奈良方面から、バスで来なくてよかった。  十津川には、タクシーもないというから、着いたとしても「日本一大きい村」 をどう探索すればいいのだろう。  村営のどこでも降りることができるバスがあるらしいのだが、台数が圧倒的に 少ないので、利用者はいないとか。  午前11時46分。「十津川特産物直売所」へ。

 さしみこんにゃくが多い。  ブナしめじがおいしそうだ。  十津川のほとんどは、森林だけど、そのほとんどが、ブナ林だ。  実はこの森林が何かを知りたくて、わざわざここまで来た理由のひとつ。 『桃太郎電鉄』の物件たったひとつのために、現地まで行くことは多い。  梅ジュースを買う。  しそジュースも買う。  こういうジュースしかないところがいいよね。  先を急ぐ。もうすぐお昼だ。  午後12時10分。ついに十津川村役場まで来た。  村役場の前の「十津川歴史民族資料館」へ。

 うげっ。この石段を登っていくの。  きょうはずっとタクシーに乗りっぱなしとはいえ、各地の「道の駅」でけっこ う歩いている。  ここまで来て、断念するわけにもいかないので、石段を登る。  十津川はほとんど平らな場所がないから、仕方がないんだろうなあ。  数えたら、石段の数は66段。  ひ〜〜〜、へばりましたあ。

 十津川村の過去最大の事件というのは、明治22年の十津川大洪水だ。  大規模な山崩れで、死者は168名。  168名といったって、5000人ぐらいの村で、168名は多い。  なにしろ、残った人のうち2691名が、北海道に移住したというのだから、 そのすさまじさがわかるだろう。  北海道の地名・新十津川は、この十津川村の人たちが移住して、築き上げた町 だ。  十津川を出て、明治維新の挙兵に加わった人たちのこともここでわかった。  こんな山深い村の人たちが、いち早く、明治維新に参加しているのは、不思議 としかいいようがない。  明治維新だけでなく、昔から中央政権に何かが起きると、この村の人たちはか けつけて、戦いに参加しているらしい。  十津川は学問も盛んだったようで…、文武館の話とかしていると、どんどん小 難しくなるからやめよう。  この日記は、論文ではない。基本的にお笑いだ。  午後12時22分。「道の駅・十津川郷」へ。

 いきなりメロン・アイスや、トウモロコシなどを売っていて、ここまでの道の りにあった「道の駅」のさしみ、しいたけ中心の品物とはまるで違うので驚いた ら、北海道の新十津川から届く特産品だった。  いまでも、この十津川村と、移住先の北海道新十津川は繋がっているんだな。  新十津川から、十津川に戻って来ている人も多いらしい。  不便な場所から、災害に遭って、北海道という不便な場所に行って、その場所 を開拓して、また不便な場所に戻ってくる。  こういう人たちの精神が残っているおかげで、かろうじて日本という国は成り 立っているような気がする。  食事をしていこうかと悩むのだが、実はきょう、これからここに泊まらずに、 京都まで帰ろうという大胆不敵なことを考えているので、空腹だけど、先を急ぐ。  本当は、十津川村でいちばん有名な場所・谷瀬(たにせ)のつり橋を見て行く べきだろうが、何が嫌いって、私は飛行機よりも、つり橋がこの世でいちばん嫌 いだ。怖いという以上に、飛び込みたくなってしまうからだ。  しかも、谷瀬(たにせ)のつり橋は、ここから30キロメートル先にある。  30キロ!?  車で行っても、1時間近くかかるじゃないか!  日本一大きな村・十津川村は、どこまで広いんだ!  ますます谷瀬のつり橋まで行かないことに対して、後ろめたさが抜けていく。  帰ろう。ははは。  十津川村から、再び、熊野本宮(くまのほんぐう)大社をめざす。  どこまでも森林と渓谷が織り成す景色が美しい。  午後1時6分。熊野本宮大社へ。  私の性格をよく飲み込んでくれたタクシーの運転手さんが、裏技をつかってく れて、熊野本宮大社のすぐ脇まで、車を走らせてくれた。  本宮の入り口からは、ずっと石段が続く。  あの石段を登りたくないなあと思っていた。

 熊野本宮大社は、全国に3600もあるといわれる熊野神社の本店だ。

 総本宮(そうほんぐう)というのか。  ここは近年、日本サッカー協会のシンボルマークであるヤタガラスはここに由 来していることが知れ渡って、訪れる人が増えている。

 カラスは、その色とか、最近の都会の食べ物を荒らすイメージなどから、あま り好まれていないが、「未知の土地を歩く者を導いて道案内する」ということで、 神の使者として世界中に共通して祀られている。  古事記や日本書紀に登場する熊野の三本足のヤタガラスは、初代天皇の神武天 皇の道案内役として、熊野から吉野を経て大和へと導いたといわれている。  そのご、神武天皇は橿原の地に日本統一を成し遂げるが、その一助を担ったの がヤタガラスだったという。  そのヤタガラスである。

 3日前、小池一夫師匠にごちそうになったとき、翌日から紀伊半島を旅すると いうことをお話したら「さっきまで、オレは熊野本宮大社の宮司さんと会ってい たんだ」と言われて、びっくりした。  これはひょっとすると、ヤタガラスの導きか?と、実は行く予定のなかったこ の熊野本宮大社を旅程のひとつに加えた。  何のご利益があったかわからないが、とにかく手を合わせて来た。  午後1時47分。「道の駅」へ。  今度の「道の駅」の名前は「瀞峡(どろきょう)街道・熊野川」。  いよいよ新宮側の名所・瀞峡(どろきょう)に近づいた。

 瀞峡(どろきょう)は、熊野川の渓谷を底の平らなジェットホイル船で、観覧 する紀伊半島の観光名所だが、私は25年前に乗って、つまらない思いをしたの で、きょうも乗らない。  だって、ジェットホイルに乗って、切り立った行き止まりの川原まで連れて行 かれ、そこで1時間たったら、船でまた来たときの船着場まで戻るといわれて、 頭に来た。  行き止まりの川原には、テントのお土産品売り場しかないんだよ。  逃げ場を無くしておいて、物を売るだけという自由のまったくない商売のやり 方が気に入らなかった。  ほかにあるのは川原と、崖だけ。  川原で、1時間ぼ〜〜〜ッとしていろ!というのは、せっかちな私には拷問で ある。若い頃だから、川原の石をぜんぶ川に投げ入れてやろうかと思った。  午後2時41分。ついに新宮(しんぐう)駅へ。  なつかしい新宮駅だ。 『桃太郎電鉄』の目的地として、おなじみの新宮駅だ。

 紀勢タクシーの殿水慶太さんとは、ここでお別れ。  なんと総走行距離数は、170キロメートルだったそうだ。  170キロメートルといえば、東京から静岡までの距離だ。  時間にして、約5時間。  しかも観光タクシーということで、メーターを倒さずに走ってくれたので、び っくりするほど安い値段で走ってくれた。  最初のうち、ひょっとすると、10万円ぐらいするのかな?と心配だったんだ けど、東京―新大阪間の一人分のグリーン車ほどの値段で走ってくれた。  これは信じられないくらいの安さだ。  解説もわかりやすいし、安全運転だったし、でしゃばり過ぎず、無愛想でなか った。こういう人は貴重だ。  もう一度、紀伊半島を訪れるときは、また紀勢タクシーの殿水慶太さんに頼も う。…とここに書いておけば、名前を忘れても、ここさえ見ればいい。  新宮駅で、帰りの列車のキップを買う。  駅は、20数年前に来たときと、ほとんど変わっていなかったけど、駅前が変 わった。お店が増えたし、大きなビルが増えていた。  近年、駅前から家が消えていくところが多いのに、これは珍しい。  とても3万人だった人口が、2万人にまで減少したという町には思えない。  午後2時30分。新宮駅近くの「めはりや」へ。  めはり寿司の代表的なお店だ。  めはり寿司というのは、もともと山仕事に従事していた人たちのお弁当用のお にぎり。  山菜などを入れたおにぎりを、高菜を醤油漬けにして巻く。  その大きさが、ソフトボール大の大きなものだったことから、食べるときに 「目を見張る」ことから、めはり寿司と呼ばれるようになった。  しかし、きょう紀伊半島を巡ってきた「道の駅」で売っていためはり寿司は、 どれもおはぎ大の小さいものばかりだった。  このお店は、めはり寿司で有名なお店だったから、大きいのだろうと思ってい たけど、やはり小さい。  お店の人に聞いてみる。 「大きなめはり寿司って、もう作っていないんですか?」 「大きいのは、人気がなくてねえ。取材のときに作るぐらいですね」 「はあ〜。たしかに食べづらいですもんねえ!」  ということは、私はめはり寿司が大きかった頃に食べた歴史の証人ということ になる。20数年前に新宮に来て食べためはり寿司は、本当に目を見張るほど大 きかった。  おためしセット、1050円を食べる。  めはり寿司2個、おでん、串かつ、豚汁付きだ。

 串かつが、その場で揚げるていねいな作り方なので、じつにおいしかった。  おでんも味噌風味で、いい味。  めはり寿司も、独特の醤油だれが香ばしくて、あいかわらずのおいしさだった。  たしかに、このくらいの大きさのほうが、食べやすいな。  このお店は、めはり寿司のお店というだけでなく、おいしい食べ物屋さんとし て、さくま遺産に登録! <私がもう一度行くときのためのメモ> 総本家めはりや 住所:新宮市緑ヶ丘1の1の39 電話:0735(21)1238 時間:9:30〜22:00 休日:第2、第4水曜日休み。  午後3時。まだ時間が少しだけあるので、もう1ヶ所、取材を欲張る。 「浮島の森」へ。  その名のとおり、沼地に浮く島とあっては、見たくなるよね?  見ないほうがいいですよ。はっはっは。  最後の最後で、ババをつかまされた気分。  まず「浮島の森」といいながら、周囲が森でなく、住宅。  群生する植物群といいながら、近所の家の洗濯物が見える景色は、どうも偽物 ではないかと思ってしまう。  しかも入り口からすぐ浮く島に乗れると思ったら、ぐるっと円周の板の上を回 されたあげくに、海の浮(うき)のようなものに渡された橋の上を歩かされる。  この橋は不安定だから、ぶよぶよしているけど、浮島の森の土の部分には、降 りることができない。  まるで「踊り子さんには、手を触れないように〜!」と言われているようなも のだ。踊り子さんが洋服着たままでね。  ずっと、この調子で、島を横切る橋を渡っておしまい。  わずか5分。

 腐敗土(ふはいど)の下に発生したメタンガスのせいで、島が浮き上がったと 言われているけど、浮いているかどうかも確かめられない。  この程度なら、雨のあとの練馬区の石神井公園や、杉並区の善福寺公園のほう が、よっぽど、土がぶよぶよしていて、浮いているみたいだったぞ。  ひさびさに「行ってはいけない」宣言! 「森」と言いながら、住宅街にあるのは、卑怯!  駅前に戻って、徐福(じょふく)寿司で、さんま姿寿司、昆布巻寿司、納豆巻 を買う。  なんと、新宮駅から、京都駅まで、4時間以上、特急に乗っていないといけな いので、夕食用に買ったのだ。  駅の売店で、那智黒かりんとを買う。

 午後3時47分。京都行きスーパーくろしお30号に乗車。  のんきなもので、単線の普通列車が到着しないので、2分遅れで発車。

 この路線は、大小40もの奇岩が並ぶ橋杭岩(はしくいいわ)といった海の景 色が楽しい。  また夕陽が最高に美しいところだ。  でもさっきまでいい天気だったのに、私の取材が終了してしまったせいか、列 車が発車すると同時に、曇り空になってしまった。

 それでもずっと、海を眺めて、海が見えなくなる和歌山から先は、寝て行こう と思っていたら、新宮駅で買った、那智黒かりんとをぽりぽり食べているうち に、お腹がいっぱいになって来て、つい、うとうとと眠ってしまった。  そういえば、那智黒かりんとのパンフレットに「口あたり軽く、さっくりとし たおいいさ。一度食べ出すと、止めるのに強靭な意志力を要します」と書いてあ った。何が「止めるのに強靭な意志力」だ!と思っていたけど、本当に食べ始め たら、やめられなくなってしまった。  たかが、かりんとのくせに〜〜〜!

 那智勝浦に着いたあたりで、あっさり熟睡。  ああ! 1時間あまりの絶景を損したあ!

 しかし、きょうは白浜から十津川、本宮、新宮まで回って、5時間。  新宮から直通で、京都まで帰るのに、特急で4時間。  紀伊半島の交通事情は、ちっとも好転しない。  道端の看板に「紀伊半島にミニ新幹線を」とあったけど、最初からミニ新幹線 と消極的なのが悲しい。  午後8時16分。京都駅着。  いやあ、自分ん家に帰って来た気分だなあ。  実際に、自分の家はあるんだけどね。  十津川を回っていたときより、電車に乗っていたときのほうが、つらかったな あ。紀勢本線は本当によく車両が揺れる。  あの揺れは、絶対お客さんの数を人知れず減らしていると思う。  ミニ新幹線を走らせてほしい。  午後8時30分。京都の仕事場へ。  電車のなかで食べられなかった、さんまの姿寿司、昆布巻寿司、納豆巻を食べ る。納豆巻がべらぼうにおいしかったけど、新宮駅の特産じゃないしなあ。

 横浜ベイスターズひさびさの快勝をテレビで見て、就寝。

 

-(c)2003/SAKUMA-