5月19日(月)

 雨だ。
 この時期の雨は、寒いね。
 洋服を厚手にしたり、薄着にしたり、毎日忙しい。

 午前11時。嫁と、銀座の「渡辺内科クリニック」へ。
 いきなり先生に「このところ、血圧が高いですねえ!」といわれてしまう。
「ぎくっ!」。
 実はけっこう気にしていたのだ。
 仕事上の問題はこのところ少ないので、血圧が上昇する原因にはならないはず。
 横浜ベイスターズの最下位が原因か?
 これは大きな原因にはなる。
 でも、そうだとしたら、きょうの血圧は低いはずだ。
 昨日は、快勝ですからの〜! 2〜3年に一度くらいしか見ることができない
球場での満塁ホームランを見たから、最高に気分はいい。

 きょうの血圧。135―86。

 やった!
 そうか。やっぱり横浜ベイスターズの低迷が原因だったのか!
 いや、たぶん体重のせいだろう。
 3月くらいにちょっと食べ過ぎて、体重が増加しすぎてしまった。
 あのときから血圧も高くなっているからだ。
 このところ、ミートピアサヌキのおかげで、連日の暴飲暴食を途中で断ち切る
ことを覚えた。この減量方法も、実は横浜ベイスターズの打線が、途中で断ち切
られてしまうことから思いついたんだけどね。

 午前11時30分。タンメンのおいしい銀座の「中華三原」へ。
 雨だから、お客さんは少ないと思って来てみたんだけど、しっかり満員。
 おいしいお店に、天候は関係ないんだなあ。
 いつものように、「麺、軽め!」と指定。

 それでも食べて行くうちに「麺が増えてないか?」というくらい量が多い。  きょうはちょっとキャベツの味が落ちていたけど、やっぱりタンメンの味は、 日本一だな。  午後12時30分。帰宅。  並びの喫茶店「らぴす」サンで、ひと休み。  午後1時。自宅にて、『桃太郎電鉄12(仮)〜地方編』の『全国編』のテス ト・プレイ。 『全国編』も、32年目に突入。  今回、鉄道経営のイベントって、線路ごと、プレイヤーの色になっていない?  って言っても、これをチェックできるのは、私と札幌の開発チームしかいない。  前作では、レールだけプレイヤーの色になったんだけど、今回は枕木の部分ま で色がついている。  これは、これ見よがしでいいなあ。  ほかのプレイヤーが、自分んちの鉄道を通ってくれているのが、ひと目でわか る。  しかし、こうしてこんなに早い時期にテスト・プレイできる喜びって、ふつう の人にとっては何にも感じないだろうけど、ゲーム業界人が知ったら、殺意を覚 えるだろうなあ。  みなさんには、信じられないことでしょうが、テスト・プレイの時間が、2週 間しかないなんてことは、ざらだからね! 「そんな短い時間で、テスト・プレイってできるんですか?」って、思うよね?  できないですよ。  昔、あるメーカーの作品見せてもらって、「ここのイベント、惜しいなあ!  ここのチューニングがよかったら、このゲーム、おもしろくなるのに!」と言っ たら、テスト・プレイの時間が1週間しかなかったそうだ。  それじゃ、五線譜に、オーケストラの譜面を想像で書いて、せ〜の!で、演奏 したら、ハラホロヒレハレ〜〜〜!みたいなもんだよ。  いやはや。テスト・プレイできる喜びを噛みしめながら、35年目に突入。 もう鉄道はぜんぶ買ってある。そろそろ本社ビルを建てるぞ。  夕方、ふと、まだ『桃太郎電鉄12(仮)〜地方編』で書き上げていない文章 があったので、下書きを始める。 『地方編』のほうで、99年プレイしたときの<おまけ>を、今回、「取材して 気に入った町ベスト5」にしてみようと思うのだ。  第5位は…。  あははは。もう失敗しませんぞ。  以前、うっかりこの調子で、今回の『地方編』がどこだか書いてしまったから なあ。まあ、近いうちに発表するつもりだけど。  まずは、軽く書いて、推敲を繰り返そう。  午後7時。嫁と、芝の東京プリンスホテルへ。  きょうは、最近どの雑誌や新聞にも載っている「小池一夫塾」の6月スタート の壮行会と称して、師匠の小池一夫さんに講師陣がごちそうになるという会であ る。  メンバーは、小池一夫師匠に、マネージャーの天野顕仁くん。  劇画原作者・梶研吾(かじけんご)くん。  漫画家の岡崎武士(おかざきたけし)くん。  東京プリンスホテル1Fのお寿司屋さん「五徳(ごとく)」で食事。  紀伊勝浦のマグロを始め、ひらめ、ミル貝、芽ネギと、日頃お寿司にはうるさ い私と嫁が、「うーーーむ!」とうなるようなおいしさだ。  でもなあ。お寿司の場合、人によって、ネタが変わるからなあ。  このお店のご主人と懇意な小池一夫師匠だから、こんないいネタが出ているよ うな気もする。  私が小池一夫師匠が主宰した「小池一夫劇画村塾」の一期生となったのは、も う25年も前のことだ。  代々木のオリンピック村研修センターで、250人の塾生が集まって、小池一 夫師匠の話に興奮した話などを、なつかしく会話。

 あの頃の塾生というのは、大阪冬の陣、夏の陣に、真田幸村といっしょに集ま った食い潰れ浪人だらけで、年寄りから若者まで、本当にたくさんの人がいた。 「パチンコで食べています」、「ヒモをやってます」という信じられない人から、 毎週、北海道から飛行機を2本乗り継いで、塾に通っていたお金持ちの人もいた。  そんななから『犬夜叉』の高橋留美子さん、『北斗の拳』の原哲夫くん、 『ドラゴンクエスト』の堀井雄二くん、『グラップラー牙』の板垣恵介くんたち が輩出した。  原作者の狩撫麻礼(かりぶまれい)、工藤かずやサン、たなか亜希夫、中村真 理子さん、山本貴嗣(やまもとあつじ)くん、たかしげ宙くん、こいでたくクン、 菊池晃弘といったところも、劇画村塾出身だ。  今度、梶研吾(かじけんご)くんが、「劇画村塾の人々」みたいな本を書くよ うだから、楽しみだ。  午後9時。梶研吾(かじけんご)くん、岡崎武士(おかざきたけし)くん、天 野顕仁くんと、東京プリンスホテルの喫茶室で、お茶。  梶研吾(かじけんご)くんは、劇画村塾の4期生だ。  では、岡崎武士(おかざきたけし)くんはというと、実は昔、私が漫画家養成 雑誌を主宰していたときに、よくうちの編集部に来ていたのだ。  あの『精霊使い(エレメンタラー)』 などで知られる岡崎武士(おかざきたけ し)くんだ。いまは大病して、漫画家は引退して、イラストレーターと3Dキャ ラクターの会社を経営しているそうだ。たぶんこの辺のことは、いまのアニメ・ ファンとか、漫画ファンのほうがくわしいんだろうね。

 最近、5年ぶりに会う人や、10年ぶりに会う人が増えているんだけど、岡崎 武士(おかざきたけし)くんの場合は、15年ぶりだそうだ。  情けないことに、15年ぶりというのも、私はよく覚えていない。  それどころか、岡崎武士(おかざきたけし)くんはしきりに「あの当時、さく まサンに教えていただいたことが、のちのちすごく役に立ちました」「当時教え ていただいたことがさっぱりわからなくて、あとになって、ようやく理解できる ようになったんですよ」と言ってくれたのだが、はっはっは。ま〜ったく覚えて いない。 「へ〜〜〜、そんなこと私が言ってたの?」 「へ〜〜〜、いいこと言ってたんだね、いまの自分にその教えが必要だな!」 「いやあ、まったく覚えてないなあ…すまん!」  それどころか、当時、私は岡崎武士(おかざきたけし)くんを「破門」したら しいんだけど、それすら覚えていない。  でも、井沢どんすけは、私に3〜4回、破門されていると言っていたしなあ。  私は自分の言った言葉に責任を持って生きて来たつもりだけど、ま〜〜〜った くいいがげんだったことが、よくわかるなあ。  ほとんど、長嶋茂雄さん状態だなあ。  長嶋茂雄さんは、立教大学出身だから、校風なのかも。はっはっは。  いつもいうように、人を育てるなんてことは、その人の1.2〜1.5倍にし か膨らませることは出来ない。  10の人は、15にしかならないけど、100の人は、150にもなる。  他人のたったひとことで、人生の転機を迎える人もいれば、おなじことをいっ しょに聞いても、何も変化のない人もいる。 「努力をしていても、成功するとはかぎらない。でも成功した人は、必ず努力を している」だ。 「小池一夫塾」は、ちょっと受講料は高いかもしれないけれど、小池流キャラ作 りを知っている人と、知っていない人では、大学受験において『試験に出る英単 語』をやっている人と、いない人ぐらいの差が出ますぞ。  もうそろそろ「小池一夫塾」の募集は締め切りなので、業界で生きて行きたい という人はぜひ!  私も小池一夫師匠の授業は、25年ぶりに受講しようと思っている。  間違いなく、さくまあきらという人間の成分の25%は、小池一夫師匠の教え からで、10%は、集英社の名編集者だった花見萬太郎さんからの教えから成り 立っていると思う。  まあ、私にとっては、筆頭株主みたいなものだ。小池一夫師匠は。  もちろんほかにも、多くの映画や、多くの出会った人から、影響を受けて、い まのさくまあきらが出来上がっている。  午後10時。帰宅。  ところで、明日から取材旅行にでかけて、週末は、京都、大阪だ。  昨日、軽井沢で、また明日から旅行?といわれるかもしれないけれど、軽井沢 は東京から1時間。旅行と思っていない。  京都に戻ったら、いつものように日記を更新します。

 

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