5月13日(火) 昨夜午前2時30分。『桃太郎電鉄12(仮)〜地方編』の『地方編』テスト・ プレイ99年終了! ひゅ〜〜〜、どんどんどん、パチパチパチッ! 自分に拍手〜〜〜! 花火〜〜〜! 総資産は、8兆2081億8110万円! 最後の年に、えんま社長にぱろぷんてカードで、2兆5000億円奪われなけ れば、10兆円に到達したのに、残念! って、これじゃまったく桃鉄ファンの反応だよ。 もちろん、こまかい部分の手直し箇所が見つかったし、次の作品へのアイデア がたくさん浮かんだ。 午前11時30分。嫁と、白金台の「ラ・ボエーム」へ。 このお店に来ると、きょうこそほかのものを食べようと思いつつ、いつもの蒸 し鶏と青ネギの和風ソース。食後、白金台から自然教育園のほうに向かって、裏道を歩いたり、表通りを歩 いてみる。いわゆる「隠れ家」と呼ばれるようなお店が、ぽつんぽつんとある。 こんな裏通りでも商売になるのは、白金台だからだろうなあ。 気がついたら、目黒駅に着いてしまった。 このままいつも洋服を買う「ベイウオッチャー」まで行こうと思ったけど、白 金台から目黒駅まで歩いて、すっかりへばった。たぶん歩けないだろうと判断し て、帰路に着く。 毎日30分のウォーキングは、いちばんほどよい運動だ。 1時間歩くと、眠くて仕方なくなる。 午後1時30分。帰宅。 NHKビデオで「消えた鉄道を歩く〜汽笛が響いた街 夕張」を観る。 語りは、女優の中山忍さんだけど、同行者が、鉄道作家の宮脇俊三さんだった ので買ってみた。 炭鉱の町として栄えた北海道夕張には、かつて4本もの鉄道が通っていたそう だ。古い映像も入っていて、往時の繁栄が忍ばれる。 こういう旅の景色を見ているだけで、また旅に出たくなる。 「いつも旅行ばかりしているじゃないか!」と突っ込まれそうだが、私としては もっともっと旅行がしたい。 午後2時。蔵人総合研究所の赤根豊くんと、遠山孝司くんが来る。 毎度おなじみ経営の話。 税金の話は、本当に難しい。というより、税金制度は本当に変だ。 人をたくさん雇ったり、物をたくさん買ったり、新規事業に投資しないと、税 金は減らないと言われるけど、私は人を雇う気はもうまったく無いし、欲しいも のは無いし、物書き以外の仕事はする気がない。 「コンピュータを買うのは、経費になりますよ!」と、赤根豊くん。 「ダメだよ。コンピュータ壊れても、柴尾英令くんか、菅沼真理(通称:すがねま チャン)さんが来て、あっという間に直してくれる!」 「鎌倉の家で料理屋さんをやりますか?」 「食うのが好きなだけで、客商売は、まったく才能がない!」 午後4時。『桃太郎電鉄12(仮)〜地方編』の手直し作業。 この数日間で出た気になるところがたくさんあって、あちこち直す。 池毅(いけたけし)さんの曲があまりにもいい曲なので、メッセージを全面改 稿したイベントもある。 いい曲を書かれると、それにふさわしいメッセージを書かねばと思う。 うれしい苦しみだ。 午後6時。ライターの坂井淳一くんが来る。 彼とは、なんと10年ぶりの再会。 先日、「プティ・ポワン」の北岡さんから「このあいだフランス大使館で、さ くまサンのお弟子さんだという人に会いましたよ!」と言われた。 「フランス大使館? 弟子?」 とてもじゃないが、私の弟子を名乗るようなやつが、フランス大使館に行くは ずだない。 せいぜい韓国焼き肉屋だ。 という話で、北岡さんが思い出してくれた名前が、坂井淳一くんだったのだ。 「な〜〜〜んだ。坂井くんは弟子じゃないですよ! 白泉社の編集さんだった人 で、私が漫画評論家だった頃の知り合いですよ」ということになる。 当時、坂井淳一くんは、『月刊コミコミ』というマニアックな雑誌を編集して いて、『ベルセルク』の三浦建太郎くんとか、克・亜樹くん、山本貴嗣(やまも とあつじ)くん、士郎正宗さんなどを担当していた。 昔々、20年前ぐらい、私は白泉社のすぐ近くに事務所を借りていたので、よ く坂井淳一くんが遊びに来ていたのだ。 その後、私がすっかり漫画評論家は廃業状態になって、すっかりゲーム作家に なってしまったので、なんとなく疎遠になっていった。 そんな人とインターネットがあると、いとも簡単にまた会えるようになってし まうのだから、インターネットは本当に文明の利器だ。 10年ぶりに会った坂井淳一くんは、フードライターになっていた。 『ブリオ』、『ダイム』、『アリガット』といった雑誌で、日本中のおいしい物 を紹介したり、酒蔵を訪ねる記事を書いたりしているそうだ。 どうも、そういう記事を書くためにインターネットで調べると、どこを調べて も、私の日記が出てきてしまうそうなんだなあ。 坂井淳一くんごひいきのお店が、私がよく行くお店のようなのだ。 午後6時30分。そんなわけで、家族3人と、坂井淳一くんの4人で、近所の 「樋口」へ。 坂井淳一くんは、「青山穂積」は何回か行っていて、一度「樋口」に来てみた いと思っていたという。それはよかった。。 という会話が出来るくらい、坂井淳一くんはおいしい料理屋さんの取材をやっ ているようで、何でもかんでも、詳しい、詳しい! 「あっ、やっぱり『京都M』は、×××ですか。舞妓さんの団扇がいっぱい飾っ てありますよね!」と、いった調子だ。 どうも、坂井淳一くんが仕事で一生懸命取材しているお店に、うちはのんきに 何の目的もなく、ただおいしいからという理由だけで、行っているようなんだ ね。はっはっは。 「へ〜〜〜、すっかりライター稼業になっちゃったんだねえ!」 「昔、ボクが編集者を辞めて、ライターになろうとしたら、さくまサンが5年待 ったほうがいいと言ったんですよ!」 「えっ? そんなこと言ったの? ははは!」 「だから、5年待ってライターになったから、ボクはさくまサンの弟子だと思っ ているんですよ!」 「ありゃま!」
横から、うちの嫁が「この人、いろんな人に、早い! 待ったほうがいいって いいまくってたみたいですよ! ある人なんて、10年待ったほうがいいって言 ったくらいですから!」 「はっはっは。10年待たせてしまったのは、柿添尚弘くんのことだ!」 う〜〜〜ん。当時いかに、思いつきで適当なアドバイスを送っていたかが、よ くわかるようなエピソードだね。 はっはっは、はっはっは。 照れ笑い、照れ笑い。 笑ってごまかすしかない。 最近、「昔さくまサンに言われたおかげで、今日こういう仕事が出来るように なりました!」と言ってくれる人が多いんだけど、ひと〜〜〜っつも覚えていな いんだなあ! はっはっは、はっはっは。 照れ笑い、照れ笑い。 笑ってごまかすしかない。 うっかりアドバイスなんかするもんじゃないね。 まあ、アドバイスはアドバイスを受けた人の感性が素晴らしければ、1を聞い て10を知るものでね。偉いのは、私の思いつきの1を10にした人だ。 私が100アドバイスしても、1も実行しない人のほうが圧倒的に多い。 そんなわけで、坂井淳一くんから、東京、京都、大阪のおいしいお店をたくさ ん教わったんだけど、絶対覚えられそうもないんで「メールしてくれる?」と、 すぐさま降参。
午後9時30分。帰宅。 坂井淳一くんも、大洋ホエールズ時代からのファンといっていた横浜ベイスタ ーズは、ちゃんと負けていた。 最近じわりじわりと、横浜ベイスターズ・ファンが集結しつつある。 これは2〜3年後、横浜ベイスターズの黄金期の予兆。 早く阪神タイガースが優勝してしまって、うちの番にしてくれい。 今夜は、『桃太郎電鉄12(仮)〜地方編』の手直し作業。
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