9月16日(月)

 きょうも、よく寝た。
 寝たので、さっそく日帰り小旅行だ。
 腰の落ち着かない男だな、ほんとに。

 午前10時。嫁と、近所のイタリア料理屋「あるとれたんと」に初挑戦。
 石釜ピッツァ、パスタ、ワイン・カフェだそうだ。
 古い町屋を改造したお店だ。
 「町家」とは、蒸し暑い京都独特の建築方式で、奥に細長く、風を通す路地が
あり、奥には小さくとも整った中庭がある、そんな街中の家屋のことをいう。
 京都はこういう町屋を改造した料理店が多い。
 何であれ、こういう形で、古い町並みを残すのは、いいことだ。
 また京都は、朝早くからやっているお店が少ないので、午前10時からやって いるこのお店は、貴重だ。  でも、イタリア・レストランで、モーニングというメニューは、不思議だ。  しかも、野菜のサラダ、スープ、パニーニだけで、900円というのは、ちょ っと値段が高い。  コーヒーは、カフェ・ルンゴというやつ。  エスプレッソを薄くしたものだそうだ。 「それって、ふつうのコーヒーじゃないの?」 「そうなりますね…」  わからんなあ…。
 味のほうは、まあまあってとこかな。  もともと私はイタリアンが好きではないからな。  仕事場からおなじ距離に、イノダコーヒ本店があるから、対抗馬になるのは、 けっこう大変ではある。  午前11時。京都駅へ。  近鉄京都駅から、橿原神宮行きの特急に乗車。  行き先は、大和郡山(やまとこおりやま)。  午前11時29分。西大寺駅で、乗り換え。  午前11時35分。天理行き普通列車に乗車。  午前11時43分。西大寺駅から、4つめの大和郡山駅で下車。  近鉄京都駅を出発したのが、午前11時ちょうどだ。  わずか43分で、大和郡山に着いてしまった。  近鉄特急は、本当に速い。
 大和郡山は、古い城下町だ。  私が大好きな、豊臣秀吉の弟である、豊臣秀長の居城だった。  いわゆるごひいき筋のお城だから、早く来たかったのだが、京都から1時間以 内なので、いつでも来れるからと、来るのが遅れた。    豊臣秀吉が、晩年狂いまくって、朝鮮半島まで攻めに行ってしまったが、あの 暴挙も、弟の豊臣秀長が生きていれば、止めることができたのにといわれるほど、 人望の厚い武将だ。  織田信長が、明智光秀に暗殺された3年後には、大和の国、和泉の国、紀伊の 国を治め、百万石の所領に達し、大納言の位まで、登りつめた。  そのわりに、知名度は薄い。  歴史的資料もあまり残っていないようだ。  おっと、豊臣家関係の話になると、つい長話を始めたくなる。  豊臣秀長の人柄のよさが、匂う町だという話がしたかったのだ。  駅前から、北に向かって歩き、大和郡山市市役所の前を通る。  三の丸城ホールというのがあった。  城下町だけに、いたるところに、お城にちなんだ名前がある。  「本家菊屋」という創業400年の古い和菓子屋さんあった。  古いなんてもんじゃない。  店先で、和菓子をいただけるそうなので、さっそく食べる。  あくまでも取材である。  甘いものが好きだからでは…ある。
 このお店の名物である「御城之口餅(おしろのくちもち)」を食べる。  またしてもお城にちなんだ名前のお菓子である。  つぶあんの素朴な味だが、実にうまい。  20個入り、30個入りが売っていたけど、買って帰ったら、その日のうちに 全部食べてしまいそうなので、ガマンする。 『桃太郎電鉄』に登場させるときは、「御城之口餅」の名前は、「お城のまえ餅 屋」あたりがよさそうだな。  一件、収穫!  おお! お店の天井を仰ぎ見たら、干菓子の型がたくさん飾ってある!  すごいなあ。  創業400年の重みを天井からも感じてしまった。
「秀長百万石」という干菓子を売っているのを見つけて、うれしくなるのは、豊 臣マニアだからだろうなあ。  この町は、金魚の養殖に日本一の町として知られている。  江戸時代、側用人として歴史の教科書にも登場する柳沢吉保(やなぎさわよし やす)の長男である、柳沢吉里(やなぎさわよしさと)が、甲府から城替えで移 ってきて、この町の名物となった金魚の養殖を奨励した。  だから本来なら、柳沢吉里(やなぎさわよしさと)のほうが、豊臣秀長よりも 人気があってもいいものなのに、「秀長百万石」だ。    紺屋町の古い町並みを歩く。 「筆」という看板がかかるお店の前で、おばあちゃんが西に向かって、拝んでい る。どういう習わしなのだろう。西だから、西方浄土か? 単にお天道さんか?
 お店のショーウインドウには、見事な筆が並んでいた。  孔雀の羽を集めて作った筆まである。  おばあちゃんのほうから話しかけてきた。 「どこから来なすった?」 「東京からです!」 「あれまあ! 遠いところから!」  おばあちゃんの驚き方って、いいなあ。  しかし、その後がすごかった。 「東京いうたら、私の息子が、官軍の東京局におりましてな…」  官軍? 明治維新の? まさか!  おばあちゃんのお父さんなら、官軍もありえるけど、息子さんだからな。  あっ。たぶん、海軍の統計局ですな。 「息子が東大出て、海軍の統計局におったとき、よく行きましたよ!」  太平洋戦争だって、じゅうぶん古い。  さらに、古い町並みを歩く。  大和郡山のシンボル的な、紺屋町の川沿いを歩く。  紺屋町というだけあって、藍染めがさかんだったらしい。  この細い川で、藍染めを洗ったそうだ。
 この話は、箱本館「紺屋」で知った。  箱本(はこもと)というのは、自治組織のことで、地子(じし)を免除された 特権を与えられた13の町のことだそうだ。  地子(じし)って、何だ?  調べてみよう。  地代の一形態。土地の産む利子の意味。 「ちし」とも読む。古代では、班田収受した余りの田乗、その他の公田を、国家 が農民に小作させて賃租と呼び、賃租料を地子と呼んだ。地子は収穫の1/5で あった。  はっはっは。よけい、わからなくなってしまった。  まあ、税金を免除された13の町ってことだろう。  この13の町が、今も大和郡山に残っていて、この町のグレードを上げてい る。 ・本町  ・今井町  ・奈良町  ・蘭町  ・柳町  ・堺町 ・茶町  ・豆腐町  ・魚塩町  ・材木町 ・雑穀町 ・綿町 ・紺屋町  豆腐町とか、魚塩町という名前に風情を感じる。  この税金免除の特権を与えたのも、豊臣秀長なのである。  ますます、豊臣秀長のファンになってしまうではないか。
 この箱本館「紺屋」は、大和郡山を訪れたら、絶対行ったほうがいい所。  藍染めを体験もできるし、豪商の栄華を知ることもできるし、何より、金魚の 意匠をつかった美術工芸品が美しい。
<お勧めメモ>  箱本館「紺屋」  大和郡山市紺屋町19の1  開館時間 9:00〜17:00  月曜日休み。月曜が祝日の場合は、翌日。  大人300円、子ども100円。  午後12時30分。お土産屋さん「こちくや」に入る。
 店内は、金魚のグッズだらけだ。  大和郡山は、さっきも言ったが、全国の金魚の生産高の60%を占める、金魚 の養殖日本一の町なのだ。  金魚は中国から室町時代に伝来して、500年になるそうだ。。  大和郡山と金魚の縁は、江戸時代に柳沢家が転封して来た際に甲府から持って 来た。  幕末の頃は、この藩の武士たちの副業として、大いに栄えたそうだ。  今でも、年間8000万匹、錦鯉は300万匹生産されており、国内はもとよ り、欧米諸国や東南アジアにも輸出しているそうだ。
 金魚グッズをいくつか買う。  それにしても、この大和郡山はもったいない町だ。  この紺屋町の古い町並みを整備すれば、一大観光地として、発展するのに。  あとちょっとで、古い町並みだらけになるのに、ごくふつうの民家が格子窓の 家の隣りに、どでん!と建っている。
 城下町。  創業400年の和菓子屋さん。  金魚の生産日本一。  藍染めの家。  筆屋さん。  観光地になるのに、じゅうぶんな要素が、こんなにある。  もったいない。もったいない。
 日本じゅうに、こういうもったいない風情のある町がたくさんある。  しかし、私が和菓子屋さんで、「御城之口餅(おしろのくちもち)」を食べた あたりで、カッ!と、天気がよくなり始めたのは、なぜ?  どんどん、暑くなってきた。  昨日、一昨日と、京都が涼しくなってきたので、すわ、取材の季節到来!と喜 んでいたのに!  取材するのに、天気がいいのに越したことはないのだが、汗がだらだら出るほ ど暑くなることはないのに。  また、私の仕事モード、ピーカン病かい?
 けっこう充実している商店街を歩く。  まだこれから、いくつか見たい場所があるのに、そろそろ足が疲れ始めてい る。 それより、暑さが、本当につらい。  豆腐アイスの看板にふらふら〜と、誘われて、ぱくり!  おお! 豆腐の味が口いっぱいに広がって、美味しいぞ!  でも口のなかが、甘くなって、べたべたして気持ち悪い。
 あ〜、もうダメ!  本屋さんで、涼んで行こう!  いかん。初めての本屋さんは、本が欲しくなる。  ふだん見慣れていない書棚だけに、魅力的な本がこっちに向かって微笑んでい る。荷物が増えるだけだ。ガマン!  でも、2〜3冊、購入。  近鉄大和郡山駅まで戻って、タクシーに乗ることにした。 「金魚資料館まで!」 「金魚資料館? ああ!…」 「できれば、金魚資料館のあとに、大和郡山城も見たいので、待っていてもらえ ますか?」 「15分くらいかね?」 「私たちは初めて行くので、わかりませんよ!」 「……………………!」 「戻りたいなら、ほかのタクシー呼びますからいいですよ!」 「そうですな!」  嫌な運転手だ!  近鉄大和郡山駅前のタクシー会社だ。  思わず、運転手の名前をメモった。  嗚呼! ここにその名前を書いてやりたいよ!  それより、愛想がよければ、大和郡山から、私が大好きな伊賀上野は、比較的 近いから「大和郡山城のあとは、伊賀上野まで行ってくれますか?」と言ってあ げたのによ〜! 残念だったなあ! 2〜3日分が稼げたぞ!  せっかく気に入った町も、こういう愛想のない人ひとりに会うと、少なくとも フレンドリーでやさしかった3人分ぐらいを、打ち消してしまう。  タクシー運転手と会話のないまま、車は大和郡山の南東に向かって進む。  奈良の山は比較的低くて、圧迫感がなくていい。  農道の小さな道を、右に曲がったり、左に曲がったりするうちに、金魚の養殖 場が増えてきた。  畑とおなじぐらいの数で、金魚の入ったプールのような池が、いくつも、いく つも見えてきた。  コンピュータ用地図ソフト「プロアトラス」で見た、シミのように点々と青い ものは、この池だったのか。  でも池の水は、どこも深緑色だ。
 この池はあとで聞いたのだが、わざと緑色にして、金魚の餌であるプランクト ンを繁殖させているのだそうだ。  こういう風にしておくと、夏は暑さを防ぎ、冬は、寒さを防ぐそうだ。  天然の温度調節なわけだ。  昔の人の知恵って、本当にすごい。  この池は、「金魚田(きんぎょだ)」とか、「金魚池」と呼んでいるそうだ。  たしかに金魚の水田のようだ。  午後1時30分。金魚資料館へ。  金魚資料館というよりも、「やまと錦魚園」という金魚を養殖しているお店だ。  全国から、金魚を買うために、ここに来る。  私と嫁は、金魚の買い付け業者でも、知識が豊富なわけでもないので、ちょっ と場違いな人たちだ。  場違いなまま、養殖場を見学する。 「高級金魚飼育池」と書いてある。
 ここでは水のきれいな水槽が10個以上並んでいて、どいの水槽にも、金魚が 泳いでいる。  水槽ごとに、2000円、3000円、4000円といった正札が浮いている。  ってことは、1匹4000円ってこと?  10000万円の札があったってことは、1匹1万円!?  比べちゃいけないのは、わかっているけど、こんな小さい金魚1匹が、フラン ス料理のフルコースとおなじ値段?  1000円刻みの金魚の値段の差が、ちっともわからない。  そうかと思うと、びっしり3000匹の稚魚が入った籠(かご)には、600 0円の札が。1匹200円?
 入場料無料の金魚資料館には、金魚に関する資料や、ちょっと大きめな家庭用 の水槽に、いろんな種類の金魚が入っていた。  金魚マニアなら、名前をあげただけで、大喜びするのだろうから、名前だけ列 挙しておく。
 朱文金、水泡眼、鵞頭紅、土佐錦、蝶尾、浜錦、鯖尾、秋錦、長州オランダ、 桜錦、丹頂、青文魚…。  土佐錦ぐらいしか知らないなあ。  出目金というのは、品種じゃないの?  好きな人にとっては、たまらなくうれしい金魚の数々なのだろうが、桜錦など、 頭の上に、イクラのようなものを乗っけていて、私にとっては、たまらく気持ち 悪いものであった。    金魚は、やっぱり、赤くて、小さいのがいいなあ。  ここまで乗ってきたタクシーの運転手が、気分悪かったので、この「やまと錦 魚園」さんで、何か金魚の入門書でも買って、タクシー予約の電話番号でも聞こ う。お店の人はいないかな?  ありゃ? ロック歌手になったら、人気の出そうなハンサムくんだ。 「ここの跡取り息子さん?」 「いえ、違います!」 「ええっ!? じゃあ、金魚が好きで?」 「はい!」  ふーーーん。こういう若者がいるからこそ、大和郡山の金魚の系譜が途絶えず にすむのだなあ。いいことだ。  このハンサムくんから、いろいろ金魚の話を聞く。 「金魚田」のことを教えてくれたのも、彼だ。
 何か本でも買おうと思ったのだが、どの本も専門業者用で、私が買っても、何 の役にも立たないというより、読んでもちんぷんかんぷん。  金魚のグッズでも売っていれば、買えるのだが、とにかくこのお店は、専門業 者相手の養殖場のようだ。 「もうしわけなんだけど、タクシー予約の電話番号を教えてくれるますか?」 「はい。呼びます!」 「あ、いや、電話番号さえわかれば…」  あれ。もう。電話してくれちゃったよ〜!  こっちは一匹も、金魚買っていないのに〜!  このハンサムくん、すごい! えらい!  渋谷にたむろするバカ男たちよ、このハンサムを見に来い! 「ありがとうございましたあ!」。  これしかハンサムくんに言える言葉はなかった。  また大和郡山に対するイメージが、ぐぐぐーーーーん!と、アップ〜!  今度の運転手さんは、よかった。  大和郡山のことをたくさん教えてくれたし、大和郡山城址を、外堀、内堀の順 に回ってくれて、大手門から入って、天守閣があったところまで、乗り入れてく れた。  しかし、大手門のなかにまで入って行けるお城というのも、珍しい。  これもまた、豊臣秀長の人柄か。  もっと不思議なのは、お城の石垣の上に、ふつうの人家が何軒も立っているの だ。武家屋敷を市民に開放したわけでもない。  ごくふつうの分譲住宅が、お城の敷地内にあるのだ。  当たり前といえば、当たり前。  よく考えると、不思議だ。
 大和郡山城址に、天守閣がなくて、よかった。  3層の天守閣が復元でもされていたら、とてもじゃないが、もう登れない。  紺屋町あたりを歩いたせいで、もうガス欠寸前。  春には、大和郡山城址の桜は、最高に美しいそうだ。  お城と桜は、よく似合う。  電信柱を地面に埋め込めば、もっと美しいだろうなあ。    JR郡山駅まで、行ってもらう。  へ〜、JR郡山駅って、こんなに大きくなったんだ!  今もリニューアル中のようだ。
「とりあえず、これで大和郡山の取材は、終了ね!」と、私が嫁に言ったとた ん、雨がぽつぽつ降り始めた。  またかい!  おや? 踏み切りの向こうに、「赤膚焼」の文字が!  大和郡山に着いて、和菓子屋さん「本家菊屋」で、御城之口餅を食べたとき に、お店の人にお茶を出していただいた。  あのときの器がよかったので、名前を聞いたら、「赤膚焼(あかはだやき)」 と教えられたのだ。  せっかくだからと、「赤膚焼」の工房に寄ってみる。  嫁は、全国各地の焼き物工房の、ぐい飲みを集めているから、ひとつぐらい買 って行くか!
「すみませ〜ん!」  あれ? 誰もいないのかなあ。  電気も点いていないしなあ。  無用心だ…。  お店に入ったときに、ピンポ〜ン! ピンポ〜ン!と鳴っているのに、誰も出 て来ない。帰ろうとすると、いかにも陶芸家といった感じのご主人が出ていらっ しゃった。 「きょうはお休みですか?」 「いや。どうぞ!」  どうもお客さんが来たら、営業時間といった感じだ。  お店に電気が点いて、赤膚焼を見せてもらい始めたとたん、雨がザザーーー ッ! 夕立だ。  私が仕事モードから、離れた証拠か?  頼むよ。こういう変な呪縛に縛られたくない。  赤膚焼だって、嫁の趣味かもしれないけど、私にとっては、重要な取材のひと つだ! そう言ったとたん、雨がぴたりとやんだ。  やめてくれ〜〜〜!  午後2時40分。JR郡山駅から、関西本線に乗車。    午後2時50分。JR奈良駅着。  郡山駅から奈良まで、ひとつめの駅までだった。  古い駅舎の雰囲気は、昔のままだなあ。  エスカレーターもない。  この辺は、大和郡山もそうだけど、近鉄線と、関西本線の激戦区だったのだ が、相当昔に、近鉄の圧勝で決着がついてしまったので、まったく利用価値のな い路線に成り下がっていた。  ところが、さきほどの親切なタクシー運転手さんによると、かなりJRが巻き 返しを図っていて、みやこ路快速という電車を走らせるようになったという。  JR郡山駅が新しくなったのも、その一貫だな。  でもJR奈良駅は、古いまま。  夜行列車が停まって、ここからフェリーに乗りそうな雰囲気の駅だ。
 JR奈良駅から、またタクシーに乗る。 「奈良町の古い町並みが見たいんですけど…」 「どの辺?」 「いや、初めてなので、よくわからないので、いちばん奥のほうまで行ってくだ さい!」 「……………」  返事がない。ただのしかばねのようだ。  どうもきょうは、運転手さんに外れる。  この運転手の名前もメモしたぞ。  午後3時。奈良町の入り口で下ろされる。  奈良町というのは、奈良の東南に位置する、古い町並みを保存している一角だ。  いきなり店先で、お水でわらび餅を冷している和菓子屋さんが目に入る。
 これは美味しそうだよ!  また陽射しが強くなり始めたので、もう吸い寄せられるように、お店に入って しまう。  ガラスケースのなかの和菓子は、どれもこれも美味しそうだ。  何はともあれ、わらび餅を注文。  もうひとつは、奈良町だんごにした。  この町並みの名前がついているのだから、これでしょう。  いずれも600円、お抹茶付き。
 ここの、わらび餅!  うままままま〜〜〜いッ!  きーーーん!と冷えたわらび餅の清冽さは、思わず黙ってしまうほどの美味し さだ! 口当たりの爽やかさがまた!  絶句の連発だ。  けっこう私は、京都、鎌倉の絶品のわらび餅を食べてきていると思ったのだ が、これはまったく違う、新しい食感のわらび餅だ!  まず、形が違う。  豆腐のように四角く切られた透明感のあるわらび餅だ。  ふつう、きなこがぐにゃぐにゃのままのわらび餅にからまっているのだが、こ のわらび餅は、まさにきなこをさらっと、かけただけ。  それだけ、わらび餅自体の味に自信があるのだろう。  とにかく、うまい!  驚くほど、うまい!  もうひとつ食べたいくらい、うまい!  絶対もう一度来るぞ!と思わせたくらい、うまい!  珍しく、甘いものを暴食する私を止めるのに必死な嫁が、ガラスケースの和菓 子を食べたいと言い出す。  そんな提案を断る私であろうはずがない。  でも、そのお菓子の名前を忘れた!  きょうは、あっちこっち行ってるからなあ。  記憶容量にも限界が来ている。
 ニッキ味と、はったいこ味の2種類だ。  これも抜群に美味しかった。  えっ? 奈良町小路(ならまちこみち)っていうの。  そうか。そんな名前だったか。  注文してから、最後の仕上げを店の奥でやってから持ってきているのが、よく わかる。和菓子のできたてだ!  も〜〜〜、このお店の和菓子を、全部食べたい!  竹筒ようかんも食べたかった!  これは、みんなにお勧めするっきゃない! <お勧めメモ> 「御菓子司なかにし」  奈良県奈良市脇戸町23  0742(22)3048  営業時間 10:00〜17:30  月曜日定休。  奈良町の古い町並みを歩く。  ここは白壁の土蔵の町ではなく、格子窓の町屋の民家が数多く保存されている。  さきほどの「御菓子司なかにし」も、100年近い、古い二階建ての町屋だ。  古い町並みの範囲は、けっこう広い。  行けども、行けども、ぽつり、ぽつりと、古い町並みが絶えない。  もちろん間に、新しい建築の家も建っているのだが、派手な家はほとんどな く、格子の家に、遠慮するように建っている。  この統一感を、大和郡山にも見習ってほしい。  大和郡山は、本来このくらいの規模の観光地になれるはずだ。  どの家の軒先にも、「身代わり猿」が数匹、吊るされている。  飛騨高山のさるぼぼによく似た、猿のぬいぐるみがぶら下がっている。
 その昔、病気、疫病の元になるとされている、三尸(さんし)の虫が、コンニ ャクと猿が嫌いだというところから、この町では、この「身代わり猿」を吊り下 げる風習があるそうだ。  今と違って、昔は病気になること=死を意味するからね。  切実な話題だったのだろう。
 暑い!  それにしても暑い!  もう汗でびしょびしょだ!  頼む! 取材中に晴れすぎないでくれい!  まさか大和郡山よりも歩くはめになるとは思わなかった。  1日2ヶ所の取材は欲張りすぎた。  でも、ここまで奈良町の町並みが整備されていて、見事な非日常感を演出して いるとは思っていなかった。  古都が本気を出すと、規模が違うね〜!  いい町だ!
 午後4時。「ならまち格子の家」で、休むというより、へたり込む。  観光案内所なのだが、ベンチが、うれしい。  足がじんじん、汗びっしょり。  もう、疲れたよ〜!  この奈良町の町並みには、見どころも多い。  書道美術館、奈良市史料保存館、時の資料館、奈良町資料館、今昔工芸美術館、 ふとんの資料館、元興寺、奈良町物語館、奈良オリエント館、ミニFM局、藤岡 家住宅、誕生寺、音声館、ならまち振興館、名勝大乗院庭園文化館、今西家書院、 あしびの郷…。
 見たもの、見なかったもの、休館日だったもの、いろいろあるけど、これだけ 見る場所がある。  ちょっと時間と体力が足らなさ過ぎた。  どうせなら、この町に着物で来たお客さんは、全品1割引きみたいなキャンペ ーンをやらないかなあ。町に着物姿の女性があふれて、もっともっと古都にふさ わしくなると思うのだが。  着物姿が増えれば、外国人も増える。  一石二鳥だ。  きょうも、この奈良町界隈をよく、外国人さんたちが歩いていて、高級感をか もし出していた。  午後4時30分。あしびの郷まで、戻る。  食事の時間にはまだ早いのだが、とにかく足を休めたいので、夕食の時間にす る。  あしびの郷は、この「ならまち」のシンボル的な場所だ。  その広さたるや、600坪。  マンションを建設しようとしていたのを、奈良町の若者たちが地域活性化のた めにとお金を出し合って、この「あしびの郷」を作ったそうだ。  まだまだ立派な若者はいる。  奈良漬を売るお漬物屋さんがあって、奥の大きな建物では、料理が食べられる。 ここでは、ジャズ・コンサートも催されるようだ。
 ふひ〜ん! とにかく座りたい。  へばった、へばった!  おつけもの御膳 1200円を注文する。  ちっともお店の人が注文を取りに来ないけど、体力を回復させることが、先決 なので、このままずっとこうしていても、いい。  そのくらい、疲れている。  おつけもの御膳が来た。  疲れた身体には、このくらいヘルシーな食べ物のほうがいい。  お漬物が10種類以上、味噌汁、魚の焼き物、凍み豆腐など…。
 焼き魚が美味しかった。  もちろん、お漬物も!  食べ終わる頃に、お店の人が、お代わり用にと、ご飯とお茶を持ってきた。  そんな、今ごろ持って来られても、もう食べられないよ!  だいたい、お茶を持ってきてくれたのは、うれしいけど、湯呑み茶碗がないじ ゃないの! まいったなあ…。  あっ。ひょっとして!?  このご飯と、お茶で、最後はお茶漬けにしろ!という意味か?  そうだ、そうに違いない。  これが、うまかったあ!  残ったお漬物をかき集めて、全部ご飯のなかに入れて、お茶をかけて、ずずず ずずっとすする。うまい! お茶とご飯とお漬物が、見事にハモっている。  ご飯も食べ終わってしまった。  また歩かないといけない。  わかってはいるのだが、気持ちがまだ動けない。  近鉄奈良駅までは、まだまだけっこう遠いはずだ。  あと1回、途中で喫茶店にピットインする必要のある距離だ。  きょうはタクシー運が悪いので、もうタクシーは乗りたくない。  午後5時。意を決して、下御門(しもみかど)商店街を歩く。  この商店街も、すでに古い町並み候補地のようだ。  さすがに、奈良の中心地の商店街だけに、シャッターが降りたお店はない。古 いながらも、元気に活動している。  この下御門通りは、途中から「もちいど通り」と名称が変わるのか。 「もう一度通り」とは、うまいネーミングだとおもったのだが、よく見ると「も ちいど通り」であった。 「もちいど」の「もち」は、お餅に関係しているといった高説が書かれてあった のだが、もう忘れた! 歩き通すことで、精一杯だ。  とても取材する力が残っていない。  完全に足がもつれていて、まっすぐに歩くことができない。  健脚な嫁まで、疲れたといっているのだから、よほどの事態だ。  道案内に「猿沢池(さるさわのいけ)」とある。  見ていくか悩む。  有名な池だ。  修学旅行で来たことがある。  もう30年以上も昔のことだから、行っておくか。  ちょっと、意識朦朧状態に入っている。  猿沢池は、奈良時代、帝の寵愛が衰えたことに悲嘆した釆女(うねめ)が身投 げをしたとの言い伝えが残る池だ。  興福寺五重塔を水面に映した風景は奈良の代表的な景観のひとつなのだが、も うこれは夕暮れ時なので、映っていない。  ライトアップが美しいらしいけど、そんな時間まで、もう待てない。  早く帰りたい。
 だいたい、周囲約360メートルの小さな池だ。  石神井公園や、善福寺公園の池よりも圧倒的に小さい。  あ〜、もうダメだ。  たとえにつかう場所が、自分が子どもの頃、よく遊んだ池を引き合いに出して しまっている。全国区のわかりやすい池を出す気力がなくなっている。  疲れた。本当に疲れた。  猿沢池には、無数の亀が泳いでいる。  何でこんなに亀が多いんだ?  池の水が緑色なので、亀の食用に適した微生物が多いのかな。  もう何も考えられない。  近鉄奈良駅まで、あと500メートルぐらいにまで近づいているので、さっさ と猿沢池を後にする。  奈良町の古い町並みと、猿沢池近辺は、もう一度体力があるときに、ゆっくり 来る。ずいぶん見逃したものも多い。  東向(ひがしむき)通りを歩く。 「大仏の鼻くそ」という間抜けな名前のお菓子を売っていた。
『アド街ック天国』で、焼丸印の新商品として取り上げられそうな、間抜けな珍 商品だ。商売柄、買わないといけないのが、つらかったりする。  いつもなら笑えるのだが、今は義務感だ。  えっ? 固いの、これ。  カナヅチで叩いて割ると、金平糖が入っているの。ふーん。  ダメだ。感動回路が、完全にショートしている。  午後5時30分。近鉄奈良駅に着く。
 改札口にいちばん近いところに、「スターバックス・コーヒー」があった。  うれしい。休みたい!  キップを買ったら、ここで休むぞ!  えっ? ええっ? そ、そんなあ! 「スターバックス・コーヒー」は、9月20日オープン?  へにょへにょへにょ〜〜〜!  開いていると思ったのは、従業員さんたちの練習風景だったのか。 「スターバックス・コーヒー」で休むために、午後6時の特急にしたのに〜。  30分間、どこで、どうしてればいいのだよ〜!  座らせてくれ〜!  また地上に出て、喫茶店を探す気力はない。  とにかく4番線のホームまで降りて行く。  おお! 近鉄ビスタカーが入線して来た。  ドアが開いているぞ。  もう乗っていいのか。  おばちゃんが、座席をひっくり返す作業をしている。  座らせてくれ〜!  人相の悪いおばちゃんは、「ホームで待て!」といったことを怒鳴っているよ うだ。偉そうな態度だ。  もうドアのところに寄りかかるだけの力しか残っていないので、もたれかかっ ていると、人相の悪い頬骨が飛び出た猿顔の婆あは、さらに「電車から降りろ!」 といっている。  ジャマにならんでしょう。この位置は。  体力があったら、絶対ケンカになっただろうなあ。  仏像の弥勒菩薩が限りなく美しいように、この婆あは、限りなく醜悪な顔をし ている。この婆あの顔は、率先して醜悪になったとしか思えない顔だ。  午後6時。近鉄奈良駅を発車。  発車と同時に、私も嫁も、熟睡。  あっという間に寝て、あっという間に起きる。  旅行好きではない人に、「京都と奈良は時間的にどのくらい離れていると思う?」 というと、まず、2時間とか、3時間といった答えが返ってくる。  正解は、36分である。  近いでしょう! 近いのですよ!  京都のホテルに泊まって、奈良まで遊びに来て、京都のホテルに戻るほうが、 身体は楽チンなのですよ。36分ですぞ!  でも、今はこの36分間が恨めしい。  正味30分しか眠れなかった。  近さのせいで…。  もっと寝たかった。  午後6時36分。近鉄京都駅に着く。  午後7時。三条御幸町の「ラジオカフェ」に、3日連続で行く。  きょうは、よく歩いたご褒美に、チョコレートパフェを食べる。
 このお店のケーキは美味しいのだが、ここ2日間ずっとガマンしていた。  あ〜〜〜、疲れた身体に、甘いものが美味しいなあ!  でもおかげでまた太った。  午後7時30分。京都の仕事場に戻る。  ベッドにひっくり返って、しばし動けず…。  午後8時。横浜ベイスターズの見事な負けっぷりを見ながら、本日の日記を書 き始める。資料をひっくり返しながら、書かないといけない部分もあるので、今 夜じゅうには、とても終わりそうにない。
 

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