6月9日(日)

 ハッ。まだ外が暗いな。
 明け方かな。
 えっ? 午前9時???
 寝過ぎた。
 でもひさびさに、途中で目が覚めることなく、ぐっすり眠れたなあ。
 京都のマンションは、日が当たらない部屋なので、返ってよく眠れる。

 午前10時。パンをひとつかじって、京都駅へ。 
 あわたただしい。
 きょうは、中国地方の数駅を取材して、夜のW杯「日本×ロシア」戦ま
で戻ろうという無謀&欲張りな日帰り旅行を企んでいるので、寝過ごしは
けっこうロスタイムになっている。

 午前10時30分。京都駅。ひかり143号に乗車。

 午前11時23分。姫路駅下車。
 姫路駅というのは、山陽本線、播但線、姫新線といくつもの路線が走っ
ているので、岡山駅と並ぶほど、利用度は高い。
 きょうはここから、姫新線に乗る。
「姫新」線と書いて、「きしん」線と読む。
 かっちょいい!
 姫新(きしん)線で、1番線ホームから始発が発車するというから、ど
んなスマートな列車なんだろうと思うと、これが2両編成のクリーム色と
オレンジ色のいかにもローカル線らしいディーゼルカーだ。
 午前11時35分。ぶずずずずっ…。ディーゼルカーは重苦しそうに姫 路駅を出発する。いい天気だ! 住宅から夏の高校野球の中継が聞こえて 来そうなくらい、いい天気だ。 新緑の森や林が美しい。  10年ほど前は、桜でさえ、さほど美しいと感じなかった私が、こうし て新緑の若葉に感動するようになるのだから、人生何が起きるかわからな いものだ。  ぶずずずずずっ。遅い。ははは。  前の一両目しかドアが開かない駅もある。  駅のホームが短いのだ。  午前11時56分。本竜野(ほんたつの)駅に着く。終点である。
 乗って来た列車は、また姫路に向かって、折り返して行った。    駅に降り立つと、「童謡の里たつの」の大きな看板が目立つ。  市内まで少し距離があるので、タクシーに乗る。
「運転手さん、童謡の里っていうのは、赤とんぼのことですか?」 「そうですよ。この町に生まれた三木露風さんって人が、♪夕〜焼け、 小焼けの〜って歌を作ったですからね!」 「その人が作曲したんですか?」 「そうですよ!」 「三木露風さんて人は、作曲家なんですか?」 「そうです!」  あれ? 待てよ。三木露風って人に聞き覚えがあるなあ。  三木露風って人は、作曲家じゃなくて、歌人か詩人じゃなかったけ?  大学受験の日本文学史だったかで、北原白秋のライバルだったとかで覚 えたような気がする。  もう大学受験なんて、30年も昔のことだから、あやふやだ。  揖保(いぼ)川を渡る。    揖保(いぼ)川というと、連想するものがあるでしょ?  そう。その通り。 「揖保(いぼ)の糸」でおなじみの、そうめんですよ。  竜野は、揖保の糸の故郷でもあるわけだ。  赤とんぼに、揖保の糸。けっこう名物が多いでしょ?  まだほかにもあるのですよ、この町は。  午後12時30分。「うすくち龍野醤油資料館」に着く。  竜野は、うすくち醤油のヒガシマル醤油の本拠地でもある。  入場料が、なんと10円!  ちゃんとパンフレットもくれる。  採算を取る気がないのかな。  よく見ると、「御縁(5円)が重なる重縁(10円)」と書いてある。    醤油が出来るまでの行程が陳列されている。  揖保(いぼ)川は、昔、相当川幅の広い川だったようで、大きな帆の 高瀬舟が走るほど大きかったようだ。  だから「揖保(いぼ)の糸」になってしまったのだろうが、「竜野そ うめん」のほうがいいネーミングだったと思うのは、今日の視点だから だろうか。  へ〜、「うすくち」というのは、漢字で書くと「淡口(うすくち)」 なのか。  さすが「うすくち龍野醤油資料館」。  勉強になるなあ。  小さな町なので、歩いてみた。  川沿いに、白壁の家が続いて、美しい。  電柱があるのが、惜しいなあ。  武家屋敷などもあって、美しいのだから、もう少し気をつかえばいい のになあ。
 ありゃま。醤油の自動販売機っていうのが、珍しいねえ。
「うすくち龍野醤油資料館」別館に着いた。  なんと、先ほどの入場料10円のチケットが、共通入館券になってい る。  10円なのに、わざわざ共通入館券にすることないのに。  この町の人たちのお人よしな性格が、にじみ出てくるようだ。  午後1時。さらに歩いて、龍野城跡へ。  竜野は、「竜野」と「龍野」。どっちに表記を統一したらいいだろう。  JRの駅は「本竜野」なのだ。  市は「龍野市」だ。  町の中心地に来てみると「龍野」の表記が多い。  で、その龍野城跡。  お城というよりも、邸宅のようだ。  日曜日とあって、カップルやグループで訪れる若者たちが多い。  美しい町から、デートコースにはいい町だな。
 さて、この龍野城。  歴史的には、非常に盛りだくさんなお城だ。  応仁の乱のあたりから、お城はあったんだけど、蜂須賀正勝とか、福島 正則といった、戦国時代のビッグ・ネームが、城主になっている。  その後、江戸時代になって、天領になったりもしたけど、信州飯田から 脇坂家が移封されて来て、城主になって、そこからずっと、脇坂氏が、城 主を勤めた。  この脇坂家。関が原の戦いのときに、小早川秀秋といっしょに、東軍に 寝返った脇坂守治くんの末裔なのだ。  で、この脇坂氏は、寝返ったとはいえ、江戸時代では外様大名になって しまったので、幕府の目を恐れ、いかにも城郭というお城を建てずに、邸 宅風のお城にしたようなのだ。けっこう商売人な家系のようだ。  築山の日本庭園もあって、こざっぱりしているのも、外様のせいだった のか。  その後、『忠臣蔵』でおなじみ、浅野内匠頭が江戸城で、吉良上野介に 斬りかかった刃傷事件。あの事件で浅野家はお家断絶になったわけだけど、 赤穂城を受け取って藩主になったのが、この脇坂家。けっこうちょこまか と、歴史の舞台に登場する家だ。  のちには、老中まで輩出しているのだから、よほど政治のうまい人たち が代々いたのだろう。  龍野城跡の脇にある、龍野市立歴史文化資料館にも行ってみた。  比較的なだらかな道が多いので、いつもならこの暑さだし、へばっても いい頃なのだが、まだ歩けそうだ。  というよりも、町並みが楽しいので、疲れない。  暑いのに、適度に風がある。  最高に気分のいい天気だ。  霞城(かじょう)館の前から、武家屋敷跡を抜けて、赤とんぼの歌碑に たどり着いた。 童謡の『赤とんぼ』が、人が訪れるとセンサーで流れる ようになっている。
 歌碑には、三木露風さんの作だと書いてある。  でも、どう見ても作詞担当のようだなあ。  歌碑の脇に、観光売店「さくら路(みち)」があった。  龍野まで来て、そうめんを食べずに帰るわけにはいかない。  朝食が菓子パン1個なので、お腹も空いている。  お店に入って、香露(ころ)700円の冷やしそうめんを注文する。 「そうめんは、しばらく時間がかかります」と書いてあるので、お店のお ばちゃんに先ほどからの疑問を聞いてみる。 「童謡の『赤とんぼ』の作曲者は誰ですか?」 「あれ? 誰だったかしらね。作詞は、三木露風さんですね」  やっぱり、三木露風さんは、作詞だったのだ。 「あれ?、作曲は誰やったかね。宇野…、いや、宇崎…」  おばちゃん、宇崎じゃ、宇崎竜童さんになってしまうよ。山口百恵さん の作曲者でしょ。それじゃ。 「ちょ、ちょっと待ってください!」  おばちゃんは、調理場のおばちゃんたちに聞きに行った。 「野口雨情やったかいね!」 「山田耕作さんやないの?」  どうやら、私の質問はお店の人たちを大混乱に陥れてしまったようだ。  本やら、パンフレットを引っ張り出してきて、必死に読んでいる。  お店の名前に「観光売店」とあるから、よけい困らせてしまったのだろ う。  そのうち、ホッとした顔で「山田耕作でした! 『荒城の月』とか作曲 した山田耕作さんでした!」と教えに来てくれた。  おばちゃん、『荒城の月』の作曲家は、滝廉太郎だ。ははは。まあいい や。おもしろいから。 『待ちぼうけ』などの作曲で有名な、山田耕作さんか。  山田耕作さんの「作」は「筰」という難しい字だったな。  冷やしそうめんが来た。  さすが、揖保の糸の町だ。そうめんの量が多い。  ん? ん? やけに美味しいぞ。  30度を越える暑さのせいだから、氷で冷えたそうめんが、美味しい のはあたりまえなんだけど、想像以上に美味しい。  そうか。ワサビだ。  そうめんというと、ショウガが薬味としてついてくるけど、このお店 の薬味は、ワサビだったのだ。ワサビって、そうめんに合うねえ。  実に、んまいっ!!!
 さて、ここではたと困った!  このあと、佐用(さよ)から、津山(つやま)に行って、岡山まで行 きたいのだが、どうにも電車の接続が悪い。  悪いなんてもんじゃない。  1時間に1本しか、列車はなく、しかもその列車は、津山までの4分 の1にも満たない駅までしか行かない。乗り継ぎがないのだ。  佐用(さよ)まで行く列車が、龍野に着くのは、なんと1時間後だ。  ということは、本竜野駅に私が着いた時点で、佐用(さよ)まで行く 列車は、2時間半後だったわけだ。  ちょっと、四国の時刻表よりも、ひどいよ。  仕方がないので、タクシーを呼び、佐用(さよ)駅まで行ってもらう。  だいたい「姫新(きしん)線」といいながら、「姫路」と「新見(に いみ)」を直通で結ぶ線は、1本もない。 「東甲線」といいながら、東京から甲府まで直通の列車がなくて、東京 駅から飯田橋ぐらいまでしか列車が無いようなものだ。「東甲線」な んて路線はないけどね。  この話を運転手さんにすると、「姫新線」はほとんど廃線になること が決まっていたようだ。学校に通う子の交通機関がなくなるので、しぶ しぶ廃線を諦めたので、時刻表はもうムチャクチャらしい。ムチャクチ ャというより、どんどん本数を減らす一方だそうだ。  しかし、昔は軽自動車も、箱根の坂道なんかを登れずにひいひいいっ ていたものだけど、今の軽自動車は、高速道路も坂道もすいすい走る。  これとおなじうように、列車だって、小型で走りのいいディーゼルカ ーの車両ができてもいいような気がする。  どうも電化されていないことを言い訳にしているだけの気がする。  遅い。本数少ない。  だからお客さんが乗らない。  乗らないから、さらに本数が減る。  この悪循環に陥っているだけだ。  マイクロバスのように小さな1両の電車が、30分に1本スイスイ走 れば、乗客は増えると思う。  午後2時。佐用(さよ)に向かう途中で、「揖保の糸資料館そうめん の里」という看板が目に入ったので、寄り道してもらう。  大学の校舎並みの大きな建物だ。 「運がいいと、そうめんの実演を見ることができるんですよ」と、運転 手さんが言っていたけど、なんとまあ、運のいいこと。資料館に入って、 数秒後に、そうめん作りの実演が始まった。 「袋出し」とよばれる、長い箸をつかって、そうめんの本数を増やして 行くさまを見ることができた。観光客にも、実演させてくれる。  通路で、実演というのも、ちょっと不思議。
 こんなにきれいで、おもしろい場所なのに、「そうめんの里」は、龍 野市の観光パンフレットには、全然載っていなかったなあ…と思ったら、 「龍野遊歩」の紙のはじっこにポツンと載っていた。  解説すらない。  なんだか、もったいない。  しかし、龍野はよかったですよ。  赤とんぼ。揖保の糸そうめん。うすくち醤油工場。川沿いの白壁の家。 龍野城跡。  醤油まんじゅうという、美味しいおまんじゅうも売っていた。  これだけ見どころがある町も珍しい。  桜と紅葉も美しいそうだから、申し分ないね。 「播磨の小京都」と、パンフレットにあったけど、まさに「小京都」の 名にふさわしい。 そうだ。『桃太郎電鉄』シリーズで、小京都ラリー カードっていうのもいいな。全国の小京都のなかから、私が気に入った 町を8つ選ぶ。いいなあ。  この龍野も入れてあげよう。角館(かくのだて)、津和野(つわの) あたりも入るな。  という風に、旅先でアイデアを練るわけですよ。  たぶん龍野には、もう一度来るだろうな。  いや、来たい町だ。  午後2時30分。佐用(さよ)駅に着いた。
 姫新線と、智頭急行の2本が走る駅なのに、小さい!  しかも商店街も小さい!  大きなイチョウが名物なだけ。  駅の時刻表を見て、愕然とした。  佐用(さよ)から、津山まで行く電車は、1時間後だ。  まったく。  本当に不便な路線だ。姫新線は。  再びタクシーに乗る。  ただ津山まで行くのは、もったいないので、平福(ひらふく)に寄っ てもらう。  かつて因幡街道随一の宿場町として栄えた町だ。  400年前には、利神(りかん)城という山城の城下町でもあった。  そのため、漆喰(しっくい)の剥げ落ちた土蔵とか、陣屋跡とか、お 屋敷がけっこう残っている。 「宮本武蔵決闘の場」なんていうのもあった。
 宮本武蔵が初めて決闘をした場所らしい。  来年の大河ドラマは『宮本武蔵』なのに、「道の駅・宿場町ひらふく」 では、宮本武蔵まんじゅうのひとつも売っていない。便乗する気がない のかなあ。  ちなみに、以前私が行った、智頭急行の宮本武蔵駅は、ここから近い。  平福(ひらふく)は、これから注目される町になるだろう。  かなり整備し始めている。  家を白壁にして、道路の際までせり出す建て方をすると、行政から、 助成金が出るそうだ。ついでに、時代劇に出てくるような、お団子を売 ってる茶店なんかも再現するといいのに。
 運転手さんがこの平福(ひらふく)出身の人で、話し好き。いろいろ このあたりのことを教えてくれた。なかでも、知り合いの葬式があると、 仕事を2日間休んで、葬式に出ないといけない風習があるというのには 驚いた。  別に手伝いらしいことがなくても、休むのが当たり前なのだそうだ。  この運転手さん、若い頃に東京に住んでいたことがあるので、平福 (ひらふく)の近所付き合いの煩わしさが嫌で仕方ないようだ。  しきりに「また東京に行きたいなあ!」を連発していた。  上月(こうづき)駅に寄る。  駅に野菜の直売所が隣接されていた。  けっこう評判がよくて、表彰されたりしているようだ。  駅の場所って、誰もが知っているのだから、もっと商売に利用すべき だ。
   姫新線には、上月(こうづき)駅とか、、三日月(みかづき)駅とか、 美しい名前の駅名が多い。佐用(さよ)駅も、小夜(さよ)駅みたいだ し、佐用駅は「星の都宣言」をしている。  月の台分譲地なんて、看板もあった。  だったら、姫新線は、播磨銀河鉄道線という名前にするとか、星月夜 (ほしづきよ)線、ミルキーウェイ線とか名前を変えて、駅名も星とか、 月にちなんだ名前ばかりにすれば、鉄道マニアが殺到すると思うんだけ どなあ。  名前変えるだけでいいんだから、予算も少なくてすむよ。  午後5時。津山駅に着いた。
   陽気な運転手さんは、とうとう自宅の住所と電話番号を書いた紙を私 にくれた。 「今度来たら、ホテルに泊まらずに、うちの家に泊まってください!」 とまで言われてしまった。きょうもこれから京都に帰るんだけどなあ。  津山はやたら、町が大きい。  もはや夕方になってしまったので、町をあまり見て歩く時間が無い。  津山駅で、時刻表を見る。  が〜〜〜ん!  またしても、1時間に1本攻撃!  しかも急行は、2時間後。ぎょえ〜!  ひどい。中国路の鉄道は、まったく努力無しだ。  このまま津山駅から鈍行に乗っていたら、W杯の中継時間に間に合わ なくなる。  ベルギー戦を見ていないだけに、ロシア戦はなんとしても見たい。  またタクシーに乗る。  きょう3度目だ。  津山市内を1周してもらって、そのまま岡山駅に向かってもらう。  津山は、本能寺の変でおなじみの森蘭丸の弟の森忠政(もりただまさ) が築いた津山城の城下町だ。お城といえば、桜。  津山は、桜の町として、桜マニアには有名な町のようだ。  それにしても、あの森蘭丸には、まだ弟がいたのか。  本能寺の変で、森蘭丸は、森力丸、森坊丸と、3人も死んでいる。あ の本能寺の変ですっかり森蘭丸の系譜は絶えてしまったと思っていたの だがな。  岡山までの道は、石州瓦の家並みが続く。  3月の山陰の旅で知った、石州瓦だ。  濡れたように黒い瓦が美しい。  観光で来たお客さんがよくこの瓦の美しさをいうようだ。  それでも、最近瓦職人の仕事が減って、続々廃業に追いやられている ようだ。  土の壁塗りをする左官屋さんなんかは、もうこのあたりでは絶滅寸前 らしい。  政治家もさ。多少の賄賂ぐらい受け取っていいから、漆喰(しっくい) の壁の町並みを作るとかに努力しないかね。でないと、昔の技術が死に 絶えてしまう。  流行はつねに繰り替えすから、そのうちまた漆喰(しっくい)の壁の 家を欲しがるようになるはずだ。そのときに職人さんがいなかったら、 日本美も途絶えてしまう。  午後6時20分。岡山駅に着く。  新幹線の時間までに、8分しかない。  あわてて改札口に急ぐ。  またしても「桃太郎電鉄まつりずし」は売り切れ。  最近は鉄道マニアの間でも、売り切れが話題になっている「桃太郎電 鉄まつりずし」だ。私もまだ一度も食べていない。  代用品として、栗おこわ弁当を買って、新幹線に飛び乗る。  午後6時28分。ひかり172号。  岡山駅始発の列車だったようで、車内はガラガラ。  さっそく、栗おこわ弁当を食べる。  午後7時49分。京都駅。  駅前からタクシー。  きょうはもうタクシー乗り飽きた。  おばちゃんの団体が強引に横入りしようとするが、タクシーの運転手 さんが拒否して、ちゃんと並んでいた私を乗せてくれた。えらい。 「まったく、おばちゃんたちの団体は、かなわんですわ!」 「昔はうら若き乙女だったんだろうにね!」 「まあ、人生あと少しだから、我慢してあげなしょうがないんでっしゃ ろな!」  そうかもしれないな…。  午後8時5分。京都のマンションに到着。お見事でしょ? W杯「日 本×ロシア」戦のキックオフ前に戻ってまいりましたぞ! まるで時刻 表トリックの犯人みたいに、正確でしょ?  タクシーつかい過ぎたけど。  龍野、佐用、平福、上月、津山と、5ヶ所も取材できた。  不思議と疲れもない。  むしろ、W杯「日本×ロシア」戦の観戦のほうが疲れた。  ゲームの自動車レースのときに、身体が右に左に傾くように、前半は 右に、後半は左に傾きながら観戦。  前半、優勢でも、後半になったら、流れがガラッと変わることがある からと心配した矢先に、稲本選手のゴール!  日本が勝ったことは、もちろん感動したけど、日本チームの選手たち が、後半、素人目にもわかるほど走力が落ちているのがわかるくらい、 死に物狂いで戦っていたさまのほうが、感動したなあ。  背の高さがまったく違うから、ほとんどヘディングは、ロシアに奪わ れていた。  それでも勝ったのが、素晴らしい。  すごいねえ。本当に強くなったんだね、ニッポン。  ベッケンバウアーとか、ミューラーなんていうサッカー選手の現役時 代をを知っている世代の私には、W杯なんて月よりも火星よりも遠い、 夢のまた夢だったんだけど、こうしてW杯初勝利だもんなあ。  大勢で騒ぎながら見るW杯もいいけど、ひとりでじっと見るW杯もい いね。  終わってから、じわじわ感動がこみあげてくる。    明日は、私もクールダウンだ。  なぜ「休みます」と言えぬ。
 

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