4月12日(金) 午前7時。起床。 目の前の宍道(しんじ)湖では、しじみ漁が始まっていた。 何舟もの小舟が、長い棒を突いては、湖の底をさらっている。 しじみ漁は、1日70キログラムまでとか取り決められているそうだ。 取り放題だと、あっというまに無くなってしまうからね。松江という町は、この宍道(しんじ)湖を彩る夕陽が名物で、絵葉書 などにも必ず写っている。 ところが、この夕陽を見ることができるのは、年間30日足らずなの だそうだ。30日といったら、年間1割以下だ。 でも、私が25年前、松江に来たときは、この雄大で美しい夕陽を見 たのだ。 あの美しさは今もくっきり覚えているし、今回もまたあの夕陽を見る ことができるのだと、楽しみにしていた。 それだけに、昨日の曇り空は、残念だった。 25年前の夕陽を見たときのメンバーは、『いただきストリート』の キャラ・デザインを担当している大川清介に、現在、集英社総務部勤務 の牧野弘、元集芸社営業の牧野正の男ばかり4人であった。ありゃ? ムサシノ広告の伊東正義もいたような気がするなあ。いなかったか? とにかく、実にもったいない夕陽であった。 午前8時。ホテル1Fのバイキング。 このホテルの接客に対する意識の低さはどうにもならないなあ。 宍道湖のしじみをつかったお味噌汁は、絶対不可欠なものだろう。 でもスープとしじみが別々に盛られていてはね〜。 お椀に入っている、しじみの上から、お汁を注ぎこむ方式じゃね〜。 しじみのエキスが出ていませんよと宣言しているようなものだ。それじ ゃ、インスタント食品以下じゃ、おまへんか? もちろん、ほかの食べ物も美味しくない。 悲しい朝食になってしまった。 あまり悪口はいいたくないのだが、立地のよさに胡座(あぐら)をか いているように思えるので、あえて苦言を呈したい。フロントの人たち の応対は悪くない。 ひとえに、油断だと思う。 午前9時。ホテルから、タクシーで、月照(げっしょう)寺へ。 このお寺には、『桃太郎電鉄』の松江駅の物件として、ひときわ珍名 として異彩を放っている「ぼてぼて茶」を飲むことができる場所なのだ。 私は、TVの旅番組で、この「ぼてぼて茶」を見るや、さっそく物件 のなかに取り入れたのだが、まだ一度も実食したことがなかったのだ。 ゲームに登場するほとんどの食べ物は、食べた上で、推奨したいと思っ ている私にとって、松江の「ぼてぼて茶」は、早く体験したいものだっ た。 月照(げっしょう)寺に着いた。 受付に、「お抹茶、500円」とある。 昨日1日のツキの無さがちょっと気になったので、嫁に「お抹茶とは、 ぼてぼて茶のことか?」と、わざわざ聞いてもらう。 すると、ぼてぼて茶は、3年前ぐらいにやめてしまったというではな いか! そげなベイビー! きょうもツキのない1日になってしまうのかあ? しかも、『桃太郎電鉄』の重要なるおもしろ物件名だけに、無くなっ てしまうのは困る。でも、この場を去るしかない。 タクシーの運転手さんが、もう戻って来たので、驚いている。そりゃ そうだ。 「どうしたんですか?」 「ぼてぼて茶を飲みに来たのですが、今はやっていないそうなんですよ〜! 仕方がないので、松江駅に行ってください…」 ところが、運転手さんは「ぼてぼて茶なら、松江城のなかに入ってす ぐの茶店でやっていますよ」というではないか! 「行ってください! ぜひ行ってください!」 きょうの運転手さんには、ツキがあるぞ。 5分ほどで、松江城に着く。 このお城も、かつて25年ほど前に松江に来たとき、登りそびれた お城だ。 ついでに登って行きたい。 でも、まずは「ぼてぼて茶」だ。 お城の茶店のようなところに「ぼてぼて茶、530円」はあった。 ひとことでいうと、「ぼてぼて茶」というのは、お茶というよりも、 お粥(かゆ)のようなもの。一応、箸もついて出てくる。 売店のおばちゃんが、わざわざ「ぼてぼて茶」について書かれた紙を くれたので、ここにメモ代わりに記す。 「ぼてぼて茶」 ユーモラスなひびきの名前をもつ、この食べものは、熱いお茶の なかに、おこわ(私にはお赤飯に見えた)、高野豆腐(こうやどうふ)、 煮豆、漬物などの具を入れたもの。 よく泡立つように、茶の花を入れて、煮出した番茶を、熱いうちに 長めの独特な茶筅(ちゃせん)でたてると、みるみる泡立ってくる。 この時、「ぼてぼて」と音がするのが、名前の由来という。 そのなかに、季節のものを細かくきざんだ具を入れて出来上がり。 お茶が好きな地方な、この地方ならではのおやつといえる。 江戸時代の7代目藩主・松平不昧(ふまい)公の時代には、飢饉 (ききん)のときの非常食だったというが、今日では通人(つうじん) の食べ物とされている。 城山公園内の茶店や、市内の郷土料理店へ行けば、食べさせて くれるが、家庭でも「ぼてぼて茶」専用の茶碗と、茶せん、それに 市内のお茶屋さんで売っている「ぼてぼて茶の花」を用意すれば、 具はあり合わせのもので、けっこう「ぼてぼて茶」の雰囲気を楽し むことができる。 食べ方も変わっていて、箸をつかわない。 茶碗の底を、とんとん!と叩いて、片寄せた具を、お茶とともに、 口に流し込む。ひと息で、ポン!と口に放り込むように食べるのが、 通だという。野趣味たっぷりな食べ物である。 とてもじゃないが、私は通人(つうじん)ではないので、「ひと息で、 ポン!と口に放り込むように食べる」ことは出来なかった。 でも、味はさっぱりとしていて、美味しかった。 よく戦国時代に、戦さに出るときに、お殿様が「湯漬けを持て!」と叫 んで、立ったまま、お茶漬けを食べるシーンがあるが、あのお茶漬けのよ うなものだ。 おかげで、今後も「ぼてぼて茶」は、『桃太郎電鉄』に登場することに なった。 ついでに、松江城に登って行くかと、石段を登って行く。 本当はきょう、このお城では「お城まつり」というのをやる予定だった らしいが、今年の桜のあまりにも早い開花に、予定を早めて開催したそう だ。 石段の形が変わっていた。 足を互い違いに乗せていけば、足に負担の少ないような作りになってい るようだ。現在ならではの配慮だ。 ところが、足の不自由な私には、この石段は、バランスの取れない恐い 石段でしかなかった。あっ!と思った瞬間には、グキッと腰をひねってし まって、あとは石段を登るもやっとの状態になってしまった。 いたたたたたっ…。 ぎっくり腰にはならなかったのだが、どうにも歩きづらい。 25年ぶりの初登城は、お城を目の前にして、断念することになってし まった。無念なり〜! 松江城よ! いつか3度目の正直を待っているが、 よい。 姿の美しいお城だっただけに、ちょっと残念だったなあ。 午前10時。お城の後ろにある武家屋敷と、小泉八雲記念館を見に行こ うとすると、お城を出たすぐのところに「島根県物産観光館」の文字が。 おお! これは見て行かねば! きょうの運転手さんは、私たちの急な予定変更に敏速に対応して、ちゃ んと車を停めてくれた。これがごくふつうの運転手さんなだけだろうけど。 この「島根県物産観光館」に行って、よかった。 松江という町が、いかに「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」と 「7代目藩主・松平不昧(ふまい)公」のふたりで成り立っているかが、 よくわかった。 「7代目藩主・松平不昧(ふまい)公」というのは、松平治郷(まつだい ら・はるさと)という人で、とにかく風流な人で、松江にお茶の道を普及 させた。 お茶を普及させたので、その影響で、和菓子も発達した。 ただ、抹茶用の和菓子なので、「若草」とか、「菜種の里」、「山川」 といった、松江を代表する和菓子は、どれもこれも砂糖たっぷりで、食べ たときに、思わず歯が浮きそうになるものばかりであった。 とにかく、この町のどこにでも、「不昧(ふまい)公」の文字が躍って いる。 ひつまぶしのような、ウナギをつかった「うなぎ茶漬け」を出すお店が 市内には多いのだが、これも「不昧(ふまい)公」が好きだったからとか。 午前10時30分。小泉八雲の旧宅と、隣りにある小泉八雲記念館に行 くと、小泉八雲が「不昧(ふまい)公」よりも松江に、大きな影響を与え ていることに驚かされる。 市内のあちこちには「カラコロ」という言葉があふれているのだが、こ の「カラコロ」という音は、小泉八雲が、松江大橋がまだ木造だった頃に、 下駄をはいて、カラコロと音を立てて歩いたことに由来しているという。 人の擬音が歴史に残るのか? しかも、松江という町には、風俗店が無い。 いわゆるソープランドのようなものができると、市が潰してしまうそう だ。 「国際文化観光都市」を標榜しているのが、その理由だそうだが、この清 潔感も実は、小泉八雲の影響らしい。小泉八雲のどこに清潔感があったの か知らないが、そんなところまで意識させるということがすごい。 松江というところは、不昧(ふまい)公にしても、小泉八雲(ラフカデ ィオ・ハーン)にしても、戦国時代の英傑や、明治維新の風雲児を尊敬し ない土地柄がおもしろい。思い切り文科系の町なのだろうか。 それにしても不思議なことがある。 この小泉八雲という人は、ギリシャから、出版社の依頼で、取材しに来 て、松江にいたのは、わずか1年3ヶ月だったんだよ。 一個人のたった約1年が、後々、人口15万人の地方中都市にまで影響 を与えるものなのか? しかも外国人さんだ。 しかも、この1年3ヶ月の間に、ちゃっかり、小泉セツさんという娘さ んと結婚までしている。早い! もちろん、松江に住んだあとは、早稲田大学の先生になったりしたので、 その実績は高まったのだろうが、ずっと松江に住んでいたかのような印象 が強いよね。 とにかく松江の人の小泉八雲に対する畏敬の念は、異常だ。 小泉八雲の旧宅の庭園が美しかった。 ますます日本庭園が好きになった。 録音テープで、カエルの鳴き声を流しているのだと思ったら、本物のカ エルの鳴き声であった。カエルも田舎だと、騒音でしかないが、こういう 庭園に一匹だと、実に風情が増す生き物だ。 午前10時45分。田部(たなべ)美術館へ。 楽山(らくざん)焼と、布志名(ふじな)焼のコレクションが展示され ている。この膨大なコレクションは、元県知事さんの持ち物だったそうだ。 それにしても、元県知事さんからして、茶道具を集めるほど、松江では、 松平不昧(ふまい)公に影響されてしまうのかあ。すごい影響力だなあ。 午前11時。カラコロ工房へ。 これだ。またしても小泉八雲だ。小泉八雲が、松江大橋を下駄で歩いた 音が、銀行を改造した、けっこう大きなお土産品屋にまでつかわれている。 昨夜、京橋川に行ったときに、ひときわ目立つライトアップで、松江城と ともに、くっきり浮かび上がっていた建物だ。 木工製品やアクセサリーを体験学習することができたりする、明らかに 女性客向けの観光スポットだ。 煎茶チョコレート、抹茶チョコレートといった商品も売られていた。 本当にお茶が好きなところだなあ。 でも松江がお茶の名産地というのは、聞いたことがないぞ。 煎茶チョコレートを買って、パッケージを見ると、静岡掛川のお茶をつ かっているとあった。お茶が好きなだけで、生産まではやらなかったのか。 まあ、お殿様の趣味というだけだから、どこのお茶でもよかったわけだな。 さて、ここで松江の取材は、お終い。 「ぼてぼて茶」の命運は繋がったし、不昧(ふまい)公と、小泉八雲の影 響が強いことがよくわかった。また宍道(しんじ)湖に、松江城のお堀に と、水の都と呼ばれるわりに、毎年水不足に悩まされるなどという話も聞 いた。 観光地としては、この町は、山陰の湯布院になる可能性じゅうぶんな町 だ。現にそうしようとしている。 京橋川沿いの石畳の歩道や商店街は、もうちょいまで来ている。 松江城の後ろの武家屋敷群も、もうちょいと広ければ、さらに観光客が 増えると思う。 どうやら私は、過渡期の松江を訪れてしまったようだ。 松江城のお城のお濠を走る観光用の遊覧舟が、まだまだ田舎臭い。ホテ ル、旅館が古すぎる。この辺をもっとおしゃれにすれば、国際文化観光都 市の名前にふさわしい町になることができそうだ。 ここから、いよいよ鳥取県の境港(さかいみなと)まで行く。 ええっ? 隣りの県まで行くの?と気づく人も多いことだろう。 酔狂極まりない展開だが、これも仕事だ。 驚いてはいけない。 きょうはこれから、境港(さかいみなと)まで行って、さらに一気に京 都まで戻る予定だ。もちろん、電車でね。 午後12時。運転手さんの提案で、境港(さかいみなと)に向う途中、 大根島(だいこんじま)に寄って行くことにした。 この何とも平凡な「大根島」という名前が、実は考え抜いた名前だった というから、歴史というのはおもしろい。 江戸時代、この大根島では、朝鮮人参を栽培していた。 当時も、朝鮮人参は高級品なので、ここを襲撃しようとする輩が多かっ たそうだ。なので、わざわざ「大根島」という名前をつけることによって、 大根を作っている島だということを定着させて、朝鮮人参を作っているこ とをカムフラージュしようとしたという。 なるほどねえ。おもしろいことを考える人がいたもんだねえ。 逆に、今は大根島という名前が恥ずかしいようで、大根島という名前が 消えようとしていて、八束(やつか)町という名前が定着しつつあるよう だ。 『桃太郎電鉄』で、大根島という名前を再び、色濃くしてあげようかな。 うふふ。 大根島の「由志(ゆうし)園」へ。 1万坪の庭園に、牡丹(ぼたん)が咲き乱れている。 本来、牡丹が咲くのはもうちょっと後らしのだが、暖冬のせいで、ちょ うど今満開の時期に当たるそうだ。これは運がよかった。 おかげで、小学校の運動会のときに、ティッシュペーパーでつくった、 大きなピンクの牡丹のような花をたくさん見ることができた。 ここが完成したのは、昭和50年。当時、橋もなく、陸続きでなかった この島に、何トンもの土や庭石、樹木を運び込んで、8年の歳月をかけて 作り上げたそうだ。この島にはいろんなことを考え、実行する人がたくさ んいるようだ。 お土産を売っている場所で、高麗ニンジン入りの抹茶に、ニンジンよう かんのセット、500円を食べる。 高麗ニンジンの味はするけど、臭くない。 本格的な高麗ニンジンは、臭くて、とてもじゃない。「良薬口に苦し」 の典型のようなものだ。 以前、アニメ・プロデューサーのひろたたけしから、高級な高麗ニンジ ンをもらったことがあるが、とてもじゃなかったけど、臭くて、食べられ なかった。 ひろたたけしが「さくまサン! 韓国で、わざわざ本物の値段の高いや つを買って来たんですよ〜!」と力説していたが、臭いものは、臭い。 もうひとつ、ひろたたけしが買って来てくれた、高麗ニンジン・ガムは、 一時期、私の事務所の拷問用につかわれたほどだ。 話がそれた。 この大根島の風景と、牡丹(ぼたん)は気に入った。 『桃太郎電鉄』の松江の物件に、高麗ニンジン畑と、牡丹園を入れるつも りだったけど、地方編では、物件駅に昇格させる! 大根島という覚えやすい名前は、捨てがたい。 ダイコン畑も一応、しゃれで入れてみようかな。 この島は、高麗ニンジンのせいで、今も経済的に裕福な島だという。 その辺を狙ってか、しきりに松江市が合併を望んでいるようだ。 江戸時代も、今も、あまり変わっていないね。 でも高麗ニンジンを育てるのには、4〜6年もかかるし、一度栽培した 場所をもう一度つかうことができないので、けっこう大変な苦労をしてい るようだ。そりゃ、楽して儲かる商売なんて、絶対無いからね。 今も、この高麗ニンジンを盗もうとしに来る人は多いようなので、島の 人たちは交代で、警備しているとか。悪いやつはいなくならないものなの かなあ。 大根島の広い舗装道路を、車は気持ち良さそうに走る。 なるほど、裕福な島のようだ。 午後12時30分。ついに境港(さかいみなと)駅に到着! やったあ! 何だか、『桃太郎電鉄』でやっと、目的地に着いた気分。 今回の旅行は、ここが最後の取材場所なのだ。 広島、浜田、江津、温泉津、石見銀山、出雲、松江、大根島と、わずか 2日間でこれだけの土地を巡って来た。ほとんど中国地方をぐるっと「の」 の字に、一周してしまった。 境港(さかいみなと)と聞いて、ピン!と来た人も多いだろう。 かつて、漁獲高日本一になったこともある漁港の町・境港(さかいみなと) は、現在、水木しげるロードで話題の町なのだ。 ニュースで一度は見たことがあるでしょ? 私が四国高松の鬼無駅に、桃太郎電鉄の石像を建てたいと思ったのも、 実はこの「水木しげるロード」の影響なのだ。本来は、高松に石像を建て る前に来る予定だった。 でも、石像を建ててから、ここに来てよかった。 俗に「ハンマーで後ろから殴られたようだ」という言い方があるけど、 今の私はまさにこれだ。ハンマーどころか、後ろから鉄球をぶらさげたク レーン車で、ゴ〜〜〜ン!と殴られたような衝撃を受けた! 私といっしょに驚いてくれ! 境港(さかいみなと)駅の前から、まっすぐ伸びた広い水木しげるロー ドは、なんと800メートルも続き、道の両側には、83体ものブロンズ 像が並んでいるのである。83体だよ、83! もうちょいで、100の 大台だよ! ねこ娘、河童の三平、ぬらりひょん、砂かけ婆、ねずみ男、小豆洗い、 一反木綿(いったんもめん)、赤ん坊時代のゲゲゲの鬼太郎にお父さん、 のんのんばあ、こなき爺、百目…、なにしろ83体もあるのだから、書き きれない。 たった一体の石像を駅のホームに建てただけで、喜色満面の海にプカプ カ漂っていた私は、見事にうろたえて、腰くだけているのだ、今。 しかも、このブロンズ像の出来が、素晴らしい。 細部まで緻密で、芸術作品のようだ。 まさに水木しげるマニアが実際に絵筆を取って、作ったことがひしひし と伝わってくる造形だ。 このあと、さらに驚かされる! ゲゲゲの鬼太郎グッズ屋さんが、1軒、2軒ぐらいはあるだろうと思っ ていた。 しかし、あるなんてもんじゃなかった。 何10軒もの商店が、水木しげるロードに協力しているのだ。 水木ロード郵便局。妖怪神社。妖怪ショップ「ゲゲゲ」、ゲゲゲの鬼太 郎へアーサロンには、ゲゲゲの鬼太郎の絵とともに、「あなたの個性に合 うシンプルなヘア」というコピーまで。 下駄屋さんがあった。もちろん、下駄のデザインは、ゲゲゲの鬼太郎だ。 まさに町に「ゲゲゲの鬼太郎」があふれている。 1軒のゲゲゲの鬼太郎ショップに入った。 ブロンズ像の原型になったものが展示されていた。 この町のすごいところは、ゲゲゲの鬼太郎グッズのオリジナル性だ。 どうしてもこういうグッズ・ショップというのは、コストを下げたいが ために、キーホルダーとか、携帯ストラップ、メモ帳といったものを、既 製品にシールを貼って、それでお終いという商品が多い。 ところがこの町のグッズは、ほかでは見ることができないような商品ば かりなのだ。ゲゲゲの鬼太郎飴とか、完全にここでしか買えないデザイン だ。 嫁とふたりで、茫然自失状態になっていると、お店の人が話し掛けて来 た。 かろうじて、私も「この水木しげるロードは、相当物好きな市長さんで もいて、こうなったのですか?」と声を発した。 すると「いいや、行政はちっとも協力してくれませんよ! 全部、町の 人の力で始めたんですよ!」 「でも、これだけの規模を、いくら町の人でも…」 「実は私が最初に始めたんですよ!」 「ええっ!?」 なんと、偶然話し掛けて来てくれた人が、この水木しげるロードの 立役者・黒目友則さんだったのだ。あいかわらず私は、運がいい。 黒目さんは、市役所に勤めていたときに、この水木しげるロードを思い つき、提案したのだが、ちっとも行政が協力してくれないので、とうとう 市役所を辞めて、10数人の協力の下、会社を作り、この水木しげるロー ドを作り始めたというではないか。むむむっ。ますますシ〜ョック! よかった。よかった。水木しげるロードを見る前に、石像を建ててしま って! 先にここを見たら、全財産を投げ打ってでも、「鬼無駅に100体の 桃太郎電鉄石像を寄贈するだ!」といって聞かなかっただろう。 世の中には、すごい人がいるものだ。 あとで知ったのだが、黒目さん。今は市会議員に当選したので、かなり 市も協力体制が出来つつあるようだ。 行政というのは、民間が率先して動いて、事を起こすと、あわてて負け まいとするので、あとから協力的になるものだということも教えてもらっ た。 たしかに、最初の交差点に、妖怪公園が出来ていたし、街路灯が目玉 おやじになっていた。 午後1時10分。水木しげるロードの「神戸ベーカリー」でひと休み。 ここでは、ゲゲゲの鬼太郎パンを売っている。 ねずみ男パンを食べた。美味しかったよ。味までじゅうぶん吟味して作 っているのが、えらい。商店街の人たちの愛情がびりびり伝わってくるよ。 ほかのお店がやっているから、しぶしぶ参加したって感じじゃないもん! 余談だけど、このパン屋さんのトイレにも、石見銀山資料館の「ピスト ルでお流しください」の水鉄砲があった。そうか。こっちではごくポピュ ラーなものだったんだな。 800メートルの水木しげるロードを歩き切った。 終点の近くに、水木しげる記念館建設予定地という空き地があった。 まだ具体的な建設計画はまとまっていないようだが、土地だけは確保し ているようだ。 この先に古い商店街があって、妖怪オブジェ・コンクールというのを開 催していたけど、便乗企画の域を脱していなかったなあ。 日本全国の商店街を滅ぼしているのは、この古い考え方をする人たちで あることに気付かない人が多すぎる。 古い商店街をあっという間に通り抜け、住宅街を歩く。 このあと魚市場まで行きたいのだが、この先1キロ以上歩かないといけ ない。 水木しげるロードの800メートルは、ちっとも苦にならなかったんだ けど、住宅街の平凡な景色は、ひたすら私の足を棒にする。 しかし、この町には人が歩いていないなあ。 たまにおじいちゃんやおばあちゃんが通りがかるだけだ。 水木しげるロードを通って来ただけに、おばあちゃんが妖怪に見える。 ううっ。遠い。 ここまでタクシーを駆使して来たから、本格的に歩くのはここが初めて だ。ラスト・スパート用に体力を温存して来たから、まだいいけど、疲れ る。 思えば、昨日のいいかげんな観光タクシーの運転手が、歩かせてくれな かったおかげで、この体力が残っていたのかもしれない。 何でもいいや。魚市場は、まだか…! 午後2時30分。境港(さかいみなと)水産物卸売りセンターへ。 ふんぎゃあ! 疲れた! 腹減った! もう歩けない! げげっ! レストランがないって!? しかも魚市場は、やけに小さいぞ! 本当にかつては、漁獲量日本一に輝いたこともある港なの? とにかく魚市場のはじっこにある自動販売機が並ぶ一角のイスにへたり 込む。 じ〜〜〜! じ〜〜〜〜〜! とにかく、ただいま、じっとしちょります。 歩きつかれたのと、食堂ひとつ無い事実に、微動だにできない状態に陥 っちょります。ぐで〜〜〜ッ。 このまま、ここにたたずんで、日暮れを待つわけにはいかない。 ガイドブックを取り出して、タクシーを呼んで、お寿司屋さんに寄って、 帰ることにしよう。ちょっと拍子抜けするぐらい小規模な魚市場だった。 タクシーに電話する。 「はい! みなとタクシーです。魚市場にいる? 橋の下のほうの魚市場 ですね! はい、わかりました!」 目をとろ〜んとさせて、タクシーを待つ。 待つ間にちょっとだけ、頭が回転したようだ…。 タクシー会社に電話したときの会話を反芻する。 「橋の下のほうの魚市場…」 タクシーに乗ってすぐ、「運転手さん! ここ以外にも、魚市場ってあ るんですか?」 「うん。あるよ。境港おさかなセンターっていうのが!」 「それだ! 運転手さん! そっちに行ってください!」 予定の時間をかなりオーバーしているけど、もうひとつやり残したこと がまだあった。境港の魚市場にひとり会っておくべき人がいるはずだった のだ。 かつて私が『チョコバナナ』という投稿雑誌を発刊していたときの投稿 者・楠のすくサンが、たしか魚市場のお土産品売り場で、店員をしていた はずなのだ。 せっかくここまで来て、会わずに帰るのも、もったいない。 私も今年で50歳になる。 訪れる町が、今生最後の訪問になる可能性は高くなって行く。 午後2時50分。境港おさかなセンターに着く。 丸い大きな建物の「夢みなとタワー」というのがあった。物産観光セン ターの文字もある。ああ、こっちにいるな。 お土産品売り場に入る。 探すが、いない。 もうすでに3年ぐらい会っていないから、辞めてしまったかもしれない。 売り場を一周するが、見当たらない。 ダメ元で聞いていこう。 「ここに、楠真紀子さんって方が勤めていませんか?」 「いますよ! 今、事務所で休憩しています。呼んで来ましょうか?」 「あっ。ぜひお願いします!」 よかった。まだいたんだ。 売り場のベンチで待たせてもらう。 しばらくすると、びっくりした顔の楠のすくサンが目の前に立っていた。 もともと感情の起伏が激しい子だった。 やっぱりもう、目がうるうるしている。 「あー、やー、ずっと音信普通で、すみませんでした!」 「いいよ、いいよ!」 「あー、もー、何ていったらいいか、浮かびません!」 「いいよ、いいよ、こっちも驚かしに来ただけだから。はっはっは!」 市場食堂で、食事する。 ここのお寿司は、何でこんなに握りが大きいんだ? ふつうのお寿司屋さんの握りの3倍くらいの大きさがある。 イカも、サーモンも、白身も、だら〜〜〜んと、しゃりの上に長々と乗 っている。握りの横には、ちゃんとナイフが付いている。これで切れって ことか。切るほどの長さだよなあ。 「変わったことはない?」 「えー、いやー、はー、何も変わっていないです〜!」 「病気とかはしていない?」 「はい!」 「健康がなによりだよ!」 「ほかのみなさんは元気ですか?」 「連絡くれる人は、元気だということがわかってるんだけど…」 「すみません! 2年以上も連絡しなくて!」 「はっはっは。そうだった! まだインターネットやっていないの?」 「はいー。最近やっと携帯電話を…」 「メールアドレス教えてよ!」 「ううっ。ちょっと…」 「自分で言えないのか。おばちゃんと会話しているみたいだぞ!」 「はい〜〜〜!」 ちょっとでも間があくと、泣き出しちゃいそうな楠のすくサンであっ た。 「あの〜〜、そろそろ売り場に戻らないといけないんで…」 「うん。いいよ。また今度ゆっくり来るから!」 桃太郎チームのスタッフに、水木しげるロードは、ぜひ見せたいので、 また境港(さかいみなと)に来ることもあるだろう。 「また会おうね!」 午後3時30分。JR境港(さかいみなと)駅へ。 駅で、京都までのキップを買っているうちに、2両編成のワンマンカー が、ごとごとゆっくりホームに入って来た。1時間に1本あるかないかの 時刻表だから急がないと。きょうも実にあわただしかった。 ああ! 残念。鬼太郎列車じゃなかった。 車輌にゲゲゲの鬼太郎がプリントされた車輌があったのだ。 松江からこの駅に着いたとき、ちょうど走り出したところだった。 午後3時48分。境港(さかいみなと)駅を出発。 ディーゼルカー特有の身体をぶるぶる震わせて、ゆっくり、ゆっくり、 電車は平野を走って行く。 電車のリズムに合わせて、ぐっすり寝込む。 駅から、魚市場まで、歩きすぎた。 この2日間の疲れも、ドッと出てきた。 午後4時32分。車なら、20分のところを、40分以上かけて、米子 駅に到着する。ローカル駅なので、乗り換えのコンピュータ表示板がない。 2番線と3番線が、岡山方面のようだが、駅のアナウンスを聞いていると、 どうも次の列車は1番線に到着するようだ。 何でバラバラなの? 午後4時42分。米子駅から、特急やくも24号。 これから伯備(はくび)線で、岡山駅をめざす。 米子―岡山間は、2時間15分もかかる。 この路線は昔から、ちっとも早くならないなあ! いかにも遅い。遅いくせに、特急を名乗らないでほしいよなあ。 江尾(えび)、根雨(ねう)、生山(しょうやま)と、鉄道ファンでも、 あまり暗記していないような駅で、特急は停車する。 やっと、新見(にいみ)駅が、かすかに知名度がある町だ。 このあとは、備中高梁(びっちゅうたかはし)、総社(そうじゃ)、倉 敷(くらしき)と、知名度の高い駅を通って、岡山駅に着く。 午後6時57分。岡山駅。 新幹線の乗り換え通路で、「桃太郎電鉄まつりずし」を買って行こうと したら、またしても売り切れ! この「桃太郎電鉄まつりずし」は、かな り売れ行きがいいようで、インターネットなどの掲示板でも買えなかった という文字を目にすることが多い。売り切れは、うれしいのだが、晩御飯 をどうしよう。 午後7時05分。岡山駅から、のぞみ28号に乗る。 JR境港線、伯備線と、並外れて遅い電車を乗り継いで来たので、のぞ み号に乗ると、まるでロケットに乗っているようだ。新幹線って、本当に 早いんだなあ。 午後8時08分。京都駅着。 駅まで、おなじみヤサカタクシーの宮本さんに迎えて来てもらっている。 午後8時30分。この2日間、魚市場を巡って、魚ばかり食べていたの で、「はふう」で、ハンバーグセット。 午後9時30分。京都のマンションに無事、ゴールイン! ひっくりがえる。ひっくりがえる。ベッドにひっくりがえる。 いやあ、疲れた、疲れた。 しかし、今回の取材の密度は濃かった。今後のゲーム作りに、大いに役立ちそ うだ。九州編の次の「地方編」を、中国編のみにするか? 四国編のみにするか? まとめて中国・四国編とするか? さらに近畿地方まで加えて、西日本編とする か、いろいろな可能性が見えて来た。 その前に、疲れた! 寝る!
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