4月11日(木)

 午前5時。起床。旅先では、眠りが浅くなる。
 インターネットしながら、ぼ〜っと、目の前の広島城を眺める。
 まわりのマンション群のほうが、圧倒的に高い。
 まるでお城が、盆地にようにへこむようになるなど、戦国時代にこのお
城を建てた毛利輝元さんは、想像しなかっただろうなあ。

 午前8時。リーガロイヤルホテル広島1Fのビュッフェで、サラダ朝食。

 さて、きょうから山陰地方へ行く。
 山陰というと、どの地名を知っているだろうか?
 鳥取と、島根を言えるだけでも、けっこう立派なほうである。
 鳥取と島根、どっちが西(左)にあるか言えたら、かなり知識があるか、
相当『桃太郎電鉄』をやり込んでいる人である。

 ちなみに、さすがの『桃太郎電鉄』でも、山陰地方といえば、物件駅と
して、鳥取駅、島根駅、出雲駅、萩駅の4つしか登場しない。あとは、
☆印カード売り場として、倉吉駅と、浜田駅が登場するのみである。
 実は、これからまず浜田駅に行く。

 浜田へは、私も初めて行く。
 なぜ初めてになったかというと、広島から新幹線をつかわずに行くと、
5〜6時間。新幹線をつかっても、広島から小郡(おごおり)、小郡から
山口線で、津和野、益田を通って、さらに山陰本線で北上しても、3時間
かかる難所だからだ。
 これでは、浜田に行ったとしても、その日は浜田泊である。
 できることなら、1日で何ヶ所も取材したい私としては非常に困る。
きょう1日で、駅にして、6〜7ヶ所を巡りたいと、無茶なことを考えて
いる。

 はっきりいって、きょうの日記はひさびさに、桁外れに長い。
 時間のあるときに、読んでほしいくらいだ。

 そんなときに、あれこれ調べているうちに、広島から、浜田までノンス
トップの高速バス路線があることを見つけた。
『桃太郎電鉄』の作者としては、電車がバスより不便というのは、あまり
言いたくないし、乗りたくない。でも新幹線抜きだと6時間かかるところ
まで、高速バスで、わずか1時間30分で行くとあっては、軍門に下るし
かない。

 しかも、この高速バスが、リーガロイヤルホテル広島の隣りの広島バス
センターに停車するとあっては、意地を張っている場合ではない。

 そんなわけで、午前9時30分。広島バスセンターへ。
 出発時間まで、あと5分あるので、私だけトイレへ。
 トイレから出て、売店でミネラルウォーターを買って、乗り場に行くと、
嫁がムッとした顔で「置いてかれちゃったよ〜!」と言うではないか! 
 何だって? 置いて行かれた? 誰に?
 ええっ!? バスに!?
 そんな! バスは遅れることああっても、早く出発するわけがない。
 しかも出発時間まで、まだ3分はあっただろうに!

 事情をよく聞くと、バスが停車して、何人かが乗り込んだ。嫁はバスの
前にいたけど、私がまだ来ないし、発車時間まで間があるので、乗らずに
待っていたら、いきなり走り出してしまったとうではないか。
 なんじゃい、それは!
 電車によくある、積み残し発車じゃないか。
 または漫画家いしかわじゅんサンが、雪山でバスで積み忘れられて、死
にかけ、それが元で、裁判になり、その一部始終が『鉄槌(てっつい)』
という本になって、有名になった事件と、同等の出来事ではないか!

 こいつはチャンス! うまくすれば、新聞にだって、掲載されるぞ! 
広島電鉄バスの不祥事に、私が登場したら、いかにも『桃太郎電鉄』の作
者らしいと、笑ってもらえるぞ。いい宣伝にもなる。
 私はすでに、困るより、派手な事件への発展を夢見ていた。

 さっそく、近くにいたほかのバスの車掌さんに声をかけて、事情を話す。
 なにしろ、まだ発車時間の午前9時35分になっていないのだから、圧
倒的に有利だ! こうなりゃ、旅行を中止にしてでも、とことん付き合い
まっせ〜!
 …と思ったら、なんと高速バスが再び戻って来たではないか! なぜ!?

 どうも嫁の推理によれば、積み残されたとき、バスのなかにいたおばち
ゃんが何やら叫んでいたので、気がついたのではないかということだ。
 それにしては、このバスに乗り込んだとき、運転手のK川は、こっちに
謝罪しなかったぞ! いったい戻って来た理由は何なんだ? とにかく高
速バスは走り始めてしまったのだから、運転手に話し掛けてはいけないし
なあ。
 
 ふと、運転席の上のデジタル時計を見る。
 3分進んでいるではないか! これか! 私はまだ3分あると思ってい
たが、バスの時計は3分進んでいたのだった。まるで安っぽい子ども向け
の推理クイズみたいなオチだぞ。
 でも、時計ぐらい、ちゃんと時間を合わせておけよなあ!

 電車は時刻表に、午前9時35分と書かれていても、電車のダイヤグラ
ムには、午前9時35分15秒のように、秒単位で時間を守るようにして
いるのだぞ。だいたいバスは遅れるのが、あたりまえなのに、予定時間よ
り早く着くなよなあ! 
 それ以前に、どうしても発車したいなら、マイクで「ほかにお乗りのお
客さんはいらっしゃいませんか?」といえば、嫁が「もうすぐ主人が来る
ので、ちょっと待ってください!」と言えたのだ。ふつう、言うだろう。

 高速バスは、中国自動車道から、浜田自動車道を走る。
 車窓から、ときおり桜が目に入る。
 このあたりは中国山地なので、まだ寒いのだろう。

 けっきょくバスに乗り込んですぐ、ミネラルウォーターで血圧の薬を飲
んでしまったので、運転手に対する怒りが薄れてしまった。昔は「怒りの
さくま」などと言われたものだが、あのころは本当に血圧が高かったので、
いつも怒っていたようだ。
 血圧の薬のせいで、怒らなくなったのが、いいことなのか、悪いことな
のか、よくわからん。こういう場合は。

 午前11時08分。浜田駅に到着。
 しつこい話を、話題にしたい。
 この「午前11時08分」という時間は、時刻表の到着予定時間。
 高速バスのデジタル時計は「午前11時04分」。
 私と嫁と浜田駅の時計は「午前11時ちょうど」を示していた!
 やっぱり、こやつ早過ぎるではないか! 
 浜田駅に出迎えた人が「早く着いたのね〜!」と言っていたぞ!
疑惑のバスと『どんちっちタウン』
 何だか、近いうちにもう一度、この運転手のバスに乗って、時間の違い を証明してやりたいものである!
 そのまま、浜田駅の観光案内所へ。  案内所で、観光タクシーを頼む。 「浜田から、石見銀山(いわみぎんざん)を見て、大田(おおだ)まで観 光したいので、解説のうまい運転手さん、いませんか?」 「いますよ! いますよ! ちょっと待ってください」 「おお! それはよかった!」  案内所のおばさんが、タクシー会社に電話してくれる。 「長距離を観光したい、いう人おるんやけど、○○○○さん、おらんかね?」  案内所の人は、みんな親切であれこれ教えてくれる。 「浜田の城跡は、石垣だけだね」 「浜田は、漁港やからね! お魚センターに行くといいでしょう」 「石見神楽を見ていくと、ええよ!」  これには、困った。 「神楽(かぐら)は夜に上演するんでしょ? きょうじゅうに松江まで行 ってしまいたいんですよ!」 「へ〜〜〜、松江まで。それは大変やね!」  とりあえず、石見神楽のビデオだけは買っておく。  土居ちゃん(土居孝幸)が絵を描く用の資料だ。  この間、案内所のおばちゃんはずっとタクシー会社の人に連絡してくれ ているが、どうも本命の人が、きょうはお休みのようで、ほかの人を探し ているようだ。  これだけ時間がかかるということは、いい人がいないのでは?  けっきょく、この次点の人に、きょう1日苦しめられることになる。  いや、結果的には、次点の次の次点のそのまた次点のような人に、さん ざんな目に合わされる。  広島のホテルで朝見た『めざましテレビ』の星占いで、獅子座が最下位 だったことを思い出す。あの占い、11位でも気にならないのだが、12 位の最下位のときだけは、気になってしまう。  まだ運転手さんが、どんな人かも知る由もない。  浜田は漁港の町だから、まずは「しまねお魚センター」に行ってもらう。  ところが、車はいきなりバイパスに入って高台へと向って行く。  山にある港は無いだろうに…と思ったら、どうも「ゆうひパーク浜田」 という浜田港を一望できる場所に連れて行きたいようだ。  地方の観光タクシーが恐いのがこれで、こっちの要望を聞かずに、ずん ずん自分が立てたプランの行路を押し付ける人が多い。
 こういう人は、話も一方的だ。  べらべら、こっちにとってはどうでもいいような話題をずっとしゃべり 続ける。 「昔、浜田城が攻め滅ぼされた人たちが、埼玉や千葉のほうにまで逃げて 行きよって、その子孫の人たちが、浜田によく来ます」 「浜田城が落ちたということは、明治維新のときのことですか? 戦国時 代ですか?」 「うーーん。いやあ、よくわからんです!」  おいおい! 自分から話題にするぐらいなら、時代ぐらい覚えておけよ。  浜田城は、かの高杉晋作が作った奇兵隊を、大村益次郎が率いて襲った ことで有名なお城だぞ。ここから明治新が始まったようなものなのに、そ れも知らないのか?   午後12時。しまねお魚センター。魚市場だ。「浜田お魚センター」と 名乗らないのが、奥ゆかしい。
 小さな魚市場だけど、売っている魚製品が、どれもこれも美味しい。  どの品物も、試食できるのもいい。  ここで食事をする予定だったのだが、時間短縮のためにも、試食と買い 食いですませることに。
 魚のすり身に、唐辛子を入れた「赤てん」が、さつま揚げ風で、ぴりっ と辛くて美味しかった。 「赤てん」はどのお店でも売っていて、浜田名産のようだ。 「赤天」という名前を商品名にしているお店もある。  サバ姿ずしも、豪快で、サバの胴体にご飯を思い切り詰め込んで、ぱん ぱんにしたものだ。これはさすがに食べられない。食べてもいいけど、ほ かの物が食べられなくなる。  何と言っても、浜田はいわし料理が有名なようで、いわしをつかった食 べ物が製多かった。なかでもいわしハンバーグが、抜群に美味しかった。 ハンバーグといっても、つみれ、またはさつま揚げ風のもの。  この「いわしハンバーグ」の5枚入りを買ったんだけど、私が3枚、嫁 が2枚、またたく間に食べてしまったほど、美味しかった。  おもしろかったのは、笹カレイを丸ごと入れたレトルト・カレーの名前。 なんと「かれいカレー」。笑わせる。  ご丁寧に、パッケージには「鰈(かれい)がカレーで華麗に泳ぐ」と書 いてある。ちょっと、だじゃれがくどい。  魚とカレー・ルーが別になっているとも書いてあるので、買ってみた。 味はまだ確かめていない。  珍しいところでは、のどぐろの一夜干しというのもけっこう多かった。 「のどぐろ」という名前の魚で、本当に喉のところが墨のような色で、黒 くなっている。  これだけ魚の種類が豊富だと、『桃太郎電鉄』の地方編に登場させると きには、相当助かる。取材が大漁、豊漁だ。    ・赤天料理屋    ・いわし料理屋    ・のどぐろ一夜干し屋    ・ふぐのみりん干し屋    ・かれいカレー屋  1000万円物件ばかりで、独占しやすい都市になりそうだ。目的地に するほどではないかなあ?   石見神楽面工房、神楽グッズ屋も、候補になりそうだ。
 午後12時30分。運転手さんが、大阪から来るお客さんがたくさん買 って行く和菓子があるというので、駅前に戻って、利休饅頭を買う。  黒蜜が入ったあんこで、これは確かに美味しい。  ちょっとメモっておこう。
 浜田名物 利休饅頭  「仲屋老舗」  島根県浜田市新町24 電話0855(22)1201  いいかげんな運転手さんだが、こんな美味しいお饅頭屋さんを紹介して くれたのだから、許してあげよう。私は食い物による貢献に弱い。  ところが、この男は、私達が利休饅頭を買って食べてから、「でも、私 はこの道の向こうの○○○○饅頭のほうが美味しいですけどねえ」と言い 出す。おいおい! だったら、先に言えよ! おまけに、そのもう1軒のお店の前を通ったときも「ここです!」という から、「寄って行きましょうか?」というと思ったら、さっさと通り過ぎ てしまうではないか! 次第に、イライラしてくる。  だいたい、こっちは嫁と、つねに『桃太郎電鉄』を作ったときのことを 想定して、会議をしながら車に乗っている。  浜田を地方編に登場させた場合、物件は5件がいいのか? 8件がいい のか?   安い物件だらけで、初の16件もおもしろいかな?といった会話をする。  ところが、ふたりでしゃべっていると、割って入ってくるのである。  よりによって、私が嫁に話し掛けると、1秒と待たずにしゃべりかけて くる。  そのくせ、こっちが運転手さんに話し掛けると、返事が無くて、ほかの 話をし始める。まいった。    どこが解説のうまい運転手なんだよ〜!  午後12時45分。石見畳ヶ浦へ。  私にとっては、中途半端な風光明媚なところを見るくらいなら、先に歩 を進めたいのだが、ここか観光案内所のおばちゃんが「ぜひ見せてあげて ください!」と言ってしまったので、ガマンするしかない。  まあ、奇岩は奇岩なのだが、安っぽい『火曜サスペンス劇場』などで、 最後に犯人が逃げ込むようなところにしか思えないような場所である。
 さらに、水難に遭った人の石碑があるところとか見せてもらってもね〜。  午後1時。ちょっとそろそろ、運転手さんと呼ばずに、運転手が…と、 呼び捨てにしたくなってくる。  こっちは、雪舟が作った庭園があるので、寄って行きたいというのだが、 どうも「たいしたことがない…、畑のなかにあって…」と話をそらせて、 行きたがらない。こっちは見たいのだ!  なんとか、小川家雪舟庭園に行ってもらう。  最近、年のせいか、私も嫁も、急速に日本庭園に心を惹かれている。  ここは室町時代に、雪舟がこの家に6年半滞在して、その間に中国の蓬 莱(ほうらい)山を模した庭園を作り上げた。  入場料500円とあるが、家の持ち主が、書院に通してくれて、親切に 説明してくれる。こちらの会話のテンポに合わせてくれる見事な会話術だ。 運転手も、見習え! こういうときに、ついて来ない。  庭を楽しむことにする。
 まだまだ日本庭園に対する知識のない私ではあるが、こじんまりとした、 いい庭である。  この書院も、江戸時代のものなので、300年経っている家で、風情が ある。そのせいか、神棚の形も変わっていた。
 庭園もいいけど、この小川家を入ってすぐ左にあった庭も美しかった。
「こっちは由緒あるものではないんですが…」と謙遜するが、後ろの青々 とした森を借景にした美しい庭だ。日本庭園は無理でも、こんな庭なら作 ってみたい気になった。  午後1時30分。江津(ごうつ)駅へ。
 Tの字形に、鉄道路線が交差する駅なので、かなり大きい駅だと思った のだが、浜田駅よりも小さい。日本海は遠いというイメージを固定させる のに、一役買っているような駅ではある。  道路側から見る山陰本線は、本当に小さい。  本線といいながら、単線だし、一瞬、都電とか市電の線路かと間違うく らい、ひなびている。  おっ。1両編成の電車がこっちの車を抜いて行くではないか。がんばれ!  車より電車のほうが速くあってほしいぞ。鈍行のわりには速いじゃないか。  たまにライトバンに抜かれる電車ってあるからな。  ちなみに、江津(ごうつ)には、江の川という高校があって、この高校 が甲子園に出たときの捕手が、元横浜ベイスターズの谷繁選手である。  また谷繁選手の中日移籍を思い出して、センチメンタルになってしまった。  午後2時。今回の山陰取材のきっかけになった駅に着く。  この駅の名前を、クイズ問題形式で紹介しようと思う。    【問題】     島根県にある<温泉津駅>の読み方は?     1.おんせんづ     2.おんせんつ     3.ゆのつ     4.おんいずみつ  答えは…、まだ言わないほうがいいですか?  じゃあ、ちょっと、待ちましょうね。  チッチッチッチッ…。  いいですか?  では、答えをいいますよ。  答えは、3の「ゆのつ」。 「温泉」という文字があるから、言われてみれば「ゆのつ」と読めないこ ともないけど、ノーヒントでは想像のつかない名前だよねえ。  温泉津(ゆのつ)の人たちも、この地名が読みづらいのを自覚している ようで、数年前、全国の難読地名の町村がここに集まって、サミットを開 いたようである。  これはいいアイデアだね。 『桃太郎電鉄』の地方編なら、この温泉津(ゆのつ)駅に停まったときに、 確率で、難読地名のクイズが出題されるようにしたらおもしろいだろうな あ。  しかし、ここでもまた、運転手にいい様にされるところだった。  観光タクシーの料金が決まっているせいか、この人は基本的にどうも先 を急ぎたいようで、この温泉津(ゆのつ)駅に寄らずに、石見銀山のほう に直行したかったようだ。  でもこのあたりから、こっちも「運転手さん、次はどこに行くのですか?」 と先回りして聞くことで、応戦するようにした。うっかりすると、重要な 場所を見過ごすはめになりそうだからだ。
 温泉津(ゆのつ)駅を見たあとも、運転手さんに聞く。 「このあと、この車は温泉津(ゆのつ)温泉を通りますか?」 「いや、通りませんよ!」 「だったら、通ってください!」  もうまったく! 行く先々の近辺にあるものを、まったく言わないんだ よ、この運転手は! 観光に従事する者がする所業か!?  温泉津(ゆのつ)温泉を行く。  ここは石見銀山の銀の積み出し港として栄えた町で、古い旅館が立ち並 ぶ。  温泉津(ゆのつ)焼きという水瓶の陶器も有名らしい。 「うわあ! 風情のあるいい町だなあ!」 「あっ、ここもいいなあ! あそこもいいなあ!」  しかし、観光タクシーは停まってくれないのだ。 「すいません。停めてください! 写真を撮りたいんで!」 「停めてください!」と言ってからも、かなり長い距離を走ってからでな いと停まらないので、嫁が車を降りて、走って行って、写真を撮ってくる はめになってしまう。なんなんだよ、こいつ!  血の気の多い若い頃なら、このあたりで大喧嘩である。
 運転手は、温泉津(ゆのつ)がものすごい歓楽街だった頃を、必死に自 慢する。  道いっぱいに、観光客があふれかえっていて、自分もここを歩くと、客 引きの女性に、袖を引っ張られて大変だったという。  でも、もはやこの人に対して、信頼感が無くなっているので、どうも言 ってることが本当なのか疑わしくなってくる。  この運転手は、昭和8年生まれだという。  温泉津(ゆのつ)温泉は、石見銀山で栄えたという説明も嘘ではない。 こっちも石見銀山のことは事前にしっかり調べてから来ている。  でも、その石見銀山は、大正12年に廃坑になっているのである。  廃坑になってから、11年目に生まれた運転手が、20歳になる頃には、 廃坑から30年経っているはずである。  廃坑から30年後の温泉津(ゆのつ)温泉は、本当に観光客でごった返 していたのだろうか? 廃れるときは、急速に人はいなくなるものだ。お まけにこの人の青春時代は、第二次世界大戦後のはずだぞ。    こういう刑事のような詮索をしたくないのだが、この運転手の説明には、 あまりにも嘘が多いので、ついアリバイくずしをしてみたくなる。  だいたい、そんな青春の1ページのような場所だったら、こっちが見た くなくても、「寄って行きましょうよ!」と、いいたくなるはずである。  どうも変である。  温泉津(ゆのつ)の「やきものの里」に行ってもらう。  長さ30メートル、15段の見事な登り窯(のぼりがま)が道にまでせ り出している。これだけの登り窯は、有田焼や、益子焼のふるさとでも、 なかなかお目にかかれないほどの迫力だ。  でも、このジャンボ登り窯は、現在つかっていないそうだ。  登り窯の隣りに陶芸資料館があるので、立ち寄ってみたいのだが、どう にも運転手は、まだ先を急ぎたいようだ。こっちのテンポを一向に理解し てくれないようだ。  こっちが折れるしかない。嫁が窓を開けて、車のなかから、登り窯を撮 影した。
 午後2時30分。石見銀山跡へ。  ちょいと、石見銀山について解説。  この銀山が最初に発見されたのは、14世紀。  その後、関が原の戦いに勝った、徳川家康が真っ先に欲しがったのが、 この石見銀山だったそうだ。  そうか。関が原の戦いで、中立を守った毛利家をいったんは許しておき ながら、防府、長州の2カ国に押し込めてしまったのは、この石見銀山が 欲しかったからなのかあ。抜け目の無い奴だなあ、徳川家康は。  江戸時代に銀山の産出は最盛期を迎えて、当時、世界でいちばん銀を産 出していたらしい。そりゃ、すごいね。  しかもこの石見銀山を中心に、人口20万人、寺院の数がなんと100 を越え、京都にも負けないほどの大都市が形成されたという。  いまは、もちろん、人っ子ひとり歩いていない。  大森代官所跡へ。  江戸時代、石見銀山を管理した代官所跡が、石見銀山資料館になってい る。  銀山の採掘の方法が、イラスト入りで紹介されている。  まあ、ありふれた小規模な町の資料館である。
 ここでひとつおもしろいものを見つけた。  トイレである。大都市ではすっかり見なくなってしまった、ボットン便 所である。水洗式ではないボットン便所は、私が子どもの頃は、ごくあた りまえのものだった。ところが、ここの便器の脇には、水鉄砲のようなも のが吊り下げられていて、「ピストルでお流しください」と書かれている。 こういうのは初めて見た。
 資料館のなかは撮影禁止なんだけど、トイレの水鉄砲を撮影するののは、 いいよね。こんなものに興味を持つのは、私くらいなもんだろうし。  このあと、重要伝統的建造物保存地区を通ったのだが、またしてもこの 道を運転手は、さっさと通り過ぎようとするので「停めてくれ!」と、無 理やり言って、停めさせる。お土産品を売っているお店で、「げたのは」 という甘いおせんべいのようなものを買った。これは美味しい。銀山の人 たちが、下駄をはいて、銀を掘ったことにちなんだお菓子という由来でよ かったかな。  きょう1日で、ものすごい量の知識が、私の小さな頭に流れ込んで来て いるので、細かい部分について、確信が持てない。きょうの運転手のよう に、知ったかぶりをするのも嫌だし。
「両替屋」の看板が掛かった家も、風情満点だ。  たぶん、この石見銀山はゆっくり歩いてまわったら、もっと素晴らしい 町と感じたことだろう。  あとで調べたら、見残したお店が、2〜3軒あったようだ。  くそ〜〜、あの運転手め〜!    最後もまた、無理やり、車を止めさせて、銀細工を売るお店に入った。  石見銀山は、廃坑になっても、銀をお土産品として売るお店ぐらい無い とねえ! あやうく、このお店ですら、見落とすところであった。
 さすがに、何万円もする銀を買うわけにもいかないので、嫁は銀のつま ようじを買った。おしゃれなお土産品だ。  ついでに、間抜けな名前の「いも代官」というお饅頭を買う。石見銀山 の代官所で有名だった井戸(いど)さんとかいうお役人さんが「芋代官」 と呼ばれていたらしい。  とうとう時間が無くなって来たので、山陰本線の特急が停まる駅へと、 急いでもらう。もちろん、特急が停まる駅といっても、2時間に1本しか 停まらないので、この機会を逃すと、何もない場所で、2時間佇まないと いけない。  午後3時30分。大田市(おおだし)駅。  太田(おおた)と読まずに、大田(おおだ)と濁る。  群馬県の大田駅と区別するために、大田市(おおだし)駅と「市」とい う文字を入れているようだ。  大田市駅の駅前は何もないのだが、駅は大きい。なにより特急が停まる 駅なのだから、もう少しお店とかたくさんあっていいと思うのだが、さみ しそうだ。
 この駅で、運転手と別れる。  それにしても、取材旅行は出会う人によって、ずいぶんと印象が変わる ものだ。  まだ運転手が、ロクなやつでないと判明する前の、浜田の「しまねお魚 センター」は、かなり好印象だった。いわしのハンバーグを買い食いして、 車のなかで食べて、それは楽しいスタートだった。  しかし、こっちの会話に割って入る攻撃には、ほとほと疲れた。  温泉津(ゆのつ)温泉の古いたたずまいは、ここを10分ほど歩いただ けで、タイムスリップしたような気分に浸れたと思う。  石見銀山も、もっと美観地区として、整備すれば、いい町になると思う。  それぞれの位置関係を身体が覚えたので、時間があったら、もっとゆっ くり来てみようかと思ったほどだ。  午後3時49分。大田市(おおだし)駅から、スーパーおき4号に乗る。  荷物を抱えての移動で疲れたのと、運転手の会話遮り攻撃に疲れたので、 グリーン車に乗ろうとしたのだが、「グリーン車はありません!」と改札 口で言われてしまう。特急なのだから、グリーン車をつけてくれよ!   よく見れば、2両編成であった。  ふつう列車と、どこも変わらない。  午後4時11分。このまま松江駅まで行く予定だったのだが、次の出雲 市(いずもし)駅で、衝動的に降りる。
 あの『桃太郎電鉄』で、出雲そば屋しかないことで、有名な出雲である。  地元の読者からも、「出雲に、出雲そば屋以外の物件も登場させてくだ さい!」と、リクエストは来るのだが、ではどんなものを物件に加えてく れ!とは来ない。  めぼしい物件がない…、わけではない。  張子の虎の人形があるし、黒豆なども名産である。  でもゲームの構成上、目的地に到着して、物件を買おうとしたら、8件 全部「出雲そば屋」というインパクトは、捨てがたい。  だから、今後も『桃太郎電鉄』全国編では、出雲駅の物件は、未来永劫 に渡って「出雲そば屋」の予定である。その代わり、地方編では「出雲そ ば屋」以外のものを登場させてあげたいものだ。 「因幡(いなば)の白うさぎグッズ屋」なんていうお店も登場させたいが、 文字数11文字は困る。 「ゴリラの鼻くそ」という『桃太郎電鉄』にふさわしい食べ物も売ってい た。中身は黒豆のようだ。私は買いたかったのだが、嫁が嫌がった。嫌が るほうが正常だが、私はお下品な『週刊少年ジャンプ』育ちだ。
 午後4時34分。出雲市駅に隣接する、「電鉄出雲市駅」から、一畑 (いちばた)電気鉄道に乗る。 「一畑(いちばた)電気鉄道」という言葉の響きが、ローカルでいいでし ょ?  25年前に、松江を訪れたとき、市電のように、のんびり走るこの一畑 (いちばた)電気鉄道に乗りそびれていたので、今回どうしても乗ってみ たかったのだ。  国鉄が、JRになったときに、そこらじゅうのローカル電鉄が廃業に追 い込まれたので、この一畑電気鉄道も、いつ廃線になるか、ひやひやもの だった。  終点の「松江しんじ湖温泉駅」までは。40分以上かかる。  宍道(しんじ)湖に沿って走る景観もまた、楽しみである。  しかし、相当古い車輌を想像していたら、真新しい車輌なので、まずが っくり。  始発の「電鉄出雲市駅」からして、まるで新幹線駅のように大きくて、 高架のホームで、コンクリート打ちっぱなしのおしゃれな作りで、拍子抜 けした。
 新しい車輌なので、音もなく電車は滑り出す。  そろそろこのあたりで、きょうのツキのない旅を一挙に逆転するかのよ うに、松江宍道湖の美しい夕陽でも眺めたいところだ。  ところが、あいにく天気は今にも雨が降り出しそうな曇り空。どこまで もきょうはついていない。  しかも、電車はちょうど学生たちの下校時間がぶつかり、女子高生たち の嬌声が、うるさいなんてもんじゃない! ピーピー、ガーガー、キャア キャア、ワーワー、頭が痛くなりそうだ。  女子高生の大群の脇で、男子高校生たちが、じっと静かに本を読んでい る姿は、20年前の日本の風景とは、まったく逆である。
 女子高生たちは、途中の平田市(ひらたし)駅でドッと降りた。  車内に「シーーーーーーーーン!」という擬音文字が目で見えそうなく らい、静かになった。  見え隠れしていた宍道湖も、ようやく車窓から、いつでも見えるように なって来て、旅の気分が盛り上がって来た。  それにしても、宍道湖は大きい。  この一畑(いちばた)電気鉄道は、宍道湖の半分の沿岸をなぞるように 走るのだが、その駅の数は20駅ぐらいあるのだから、その広さが想像で きると思う。  駅と駅の間隔がそんなに長くないといっても、20駅はすごい。  そのうち、アナウンスの奇妙さに気づくまでに、余裕が出てきた。 「次の駅では、扉を2両いっせいに開きますので、ドア付近の方は、ご注 意ください!」  これは、どういうことだ?  扉を2両いっせいに? ドア付近?  そうか。だいたいの駅は、2両編成のうち、先頭車両のドアしか開いて いなかったのか。ちょっと大きい駅になると、2両全部のドアが開くって ことか。開かないと思って、ドアに寄りかかっている人が、ひっくりがえ ることが多いわけだな。コントみたいだ。  終点のひとつ前の駅の名前が「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」 と長ったらしい。  実は、ちょうど私が『桃太郎電鉄X(ばってん)〜九州編もあるばい〜』 を作っていた頃、この駅が誕生して、日本一長い駅名を言い出したものだ から、あわてた。『桃太郎電鉄X(ばってん)』を買ってくれた人なら、 知っていると思うが、九州編の目玉のひとつは、日本一長い駅名が目的地 になることだった。 「南阿蘇水の生まれる里白水(はくすい)高原駅」だ。  ところが、この「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」が、日本一 を名乗りだしたから、さあ! 大変。  けっきょく、ゲームでは「平成13年1月1日現在日本一長い 駅名と して鉄道ファンには 有名です!」と表記するしかなかった。    現在もこのふたつの駅は、「音読みだと、こっちのほうが長い駅名だ!」 とか「ルイス・C・…と、『・』まで数えるのは卑怯!」と、論争が続い ているようだ。  ちなみに「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」の前の名前は「古 江(ふるえ)駅」と、平凡な名前である。  ついでに言わせてもらうなら、電車のなかの電光表示板には、「庭園美 術館前」としか表記されていなかったし、車内アナウンスでは「次は〜、 ティファニー庭園美術館前〜」としか言っていなかったぞ。せっかく日本 一を標榜するなら、フルに「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」と 発音して、日本一長い駅名であることまで、毎度言ってほしいものだ。  午後5時31分。終点、松江しんじ湖温泉駅に着く。  雨がぽつぽつ降り始めた。
 取材中には、絶対雨が降らないという法則を持つ、私ならではの天気の 変化である。きょう1日分の取材は終了した。  駅前の「ホテル一畑(いちばた)」へ。  はあ。これで、ゆっくりできるぞ〜。それにしても、1日でものすごい 量の取材をこなしたものだ。自分を誉めてあげたいぞ! 電車をつかうこ とが少なかったことは、ご内密に。電車がバス輸送に負けるわけだよなあ。 「ホテル一畑(いちばた)」でも、ひと悶着。  松江というのは、古い旅館ばかりで、どういうわけか新しいホテルや日 本旅館が建たない。それでもこのホテルが「松江屈指のリゾートホテル」 とガイドブックに書いてあったので、選んだのだが、部屋に入って、びっ くり。  ドアが、黒光りするほど、古い。  お風呂も、タイル貼りの道後温泉のように古い。  もちろん、部屋も古い。   これはちょっと気が滅入る。  いや、ちょっと背中が寒くなって来た。  松江といえば、『雪女』の小泉八雲の町だからだけではないだろう。  どうするか、悩む。  お金だけ払って、ほかのホテルを探すか? それはちょっと贅沢、いや、 わがままにも、ほどがある。野村サッチーみたいなことをしちゃいけない。  けっきょく、嫁が「ほかの部屋を見せていただけませんか?」と交渉し てくれた。すると、平成4年にオープンした東館があるというので、そっ ちの部屋に変えてくれることになった。  まあ、平成4年といっても、もう10年になるので、さほど美しい部屋 ではないが、親切な対応は評価してあげたい。
窓から宍道湖を望む
 午後6時30分。ホテルで食事する気にならず、松江大橋に向って歩く。  松江は現在、あちこち工事中。  宍道(しんじ)湖沿いを歩くうちに、歩道が無くなってしまった。きょ うはどこまでついていないんだろう。ダメな日は、とことん最後までツキ がないねえ。  京橋川沿いも、工事中。  ここは、小樽の運河のようだ。工事が完成したら、若い女性がたくさん 来るようになりそうだ。
 午後7時。ちょっと高級そうな居酒屋「くろうど」に入る。  郷土料理屋というわけではないのだが、お惣菜が美味しかった。  とくに、人気の「おうなめし」というのが、よかった。
 ご飯の間に、ウナギが挟まっていて、ゴボウとか刻み込んだお漬物など をかき回して、出汁を入れて、お茶漬けのように食べる。名古屋の「ひつ まぶし」にもちょっと近い。  食後、京橋川沿いに立つ、草の絡まる「珈琲館」で、コーヒーを飲む。  雰囲気のいいお店だ。  雨が強くなってきた。  タクシーを呼ぶが、15分以上かかるという。  15分なら、歩いたらホテルに着いてしまうので、断わって歩いて帰る ことに。  雨が降るなか、ホテルへの道を急ぐ。  しかし、松江は交差点に信号が少なく、横断歩道を歩くと、自動車が疾 走してくるので、危ないったらありゃしない。運のない日は、注意しない といけないので、信号が青の交差点も、左右を確認しつつ、渡る。  午後9時。ホテルに着く。  ホテルの展望風呂にも入ったんだけど、細かい部分で苦情を言い出した ら、きりがないような露天風呂であった。  お風呂上りにTVを見れば、横浜ベイスターズはちゃんと負けていた。  取材の成果は大いに上がったのだが、どうも残塁の山を築いたような1 日であった。明日は楽しい1日でありますようにと、念じつつ就眠。
 

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