3月30日(土)

 午前9時30分。家族3人で、京都駅に向う。

 午前10時。京都駅に着いたときに、柴尾英令くんからメールが入る。
 もう四国高松空港に到着してしまったそうだ。早すぎるよ〜!
 うちはまだこれから新幹線に乗るというのに。
 よっぽど「金毘羅(こんぴら)山の1368段の石段でも駆け登ってな
さい!」と返信しようと思ったが、ほんとにやられても困るので、やめた。

 午前10時12分。のぞみ5号。
 そういえば、京都―四国高松間というのは、あまり旅行しない人にとっ
ては、相当長い時間、電車に乗っていると思われているようだ。
 でも、京都―高松間は、2時間だ。
 京都から岡山間は、のぞみ号でぴったり1時間。岡山駅から高松までは
58分だ。 2時間を切っているのですよ。正味時間では。

 午前11時12分。岡山駅着。
 ここから、高松行きのマリンライナーが、8分待ちの場合と30分待ち
の2通りがあるので、旅なれていない人には、長く感じるのかもしれない。
 でも山形新幹線のようなミニ新幹線を作れば、新大阪から、直通で1時
間半を切るのも可能だろう。
 岡山駅構内で、忘れず「桃太郎電鉄まつりずし」と、「桃太郎電鉄人形
焼き」をチェック。おお! まだ目立ついい場所に売られているなあ。

 午前11時41分。岡山駅発マリンライナー25号。
 発車前に、3つぐらい先のホームに、カメラをかついだ鉄道ファンが鈴 なり状態になっていた。カメラの放列の先を見ると、緑とオレンジの古い 東海道本線みたいな車輌を、みんなが必死に撮っている。蒸気機関車では なく、ごくふつうの列車だ。  何でまたありふえた電車をと、不思議なので、駅員さんに聞いてみると、 その昔、岡山―宇野間を走っていた電車「鷲羽(わしゅう)」のリバイバ ル運転なのだそうだ。ふーーーん。鉄道ファンというのは、強いねえ。  宇野というのは、瀬戸大橋が出来る前の宇高連絡船の岡山側の船着場だ。  ああ! あそこまで走っていた列車なのか。何度も乗ったなあ。  ちなみに、長い間「宇高(うこう)連絡船」の名前で親しまれた連絡船 だったけど、実は「宇高(うたか)連絡船」という名称のほうが正しかっ たようだ。言われてみれば「宇野(うの)」と「高松(たかまつ)」を結 ぶ連絡船だから「宇高(うたか)連絡船」だ。  コンピュータ辞書でも、「宇高(うたか)」と変換しても「宇高(うこ う)」とは変換しない。瀬戸大橋が出来た今、どうでもいい問題になって しまったが。  電車「鷲羽(わしゅう)」のリバイバル運転に話は戻る。  驚いたのは、マリンライナーが、走り出したあとのほうだった。  沿線の田畑に、まるでスズメの大群のように、三脚を立てて、先ほどの 「鷲羽(わしゅう)」を待つ鉄道ファンたちが、あっちにも、こっちにも いるのだ。いや、はるか遠くの道路にも、望遠レンズをかまえた鉄道ファ ンがいた。  すごい動員力なんだねえ。  瀬戸大橋を渡る頃から、どんどん天気がよくなって来た。
 午後12時39分。高松駅着。  改札口の向こうにはすでに、土居ちゃん(土居孝幸)、ハドソン大里専 務、梶野竜太郎くん、石崎仁英くん、柴尾英令くん、宮路一昭くんといっ た人たちが待ち構えていた。  出迎えてくれるなんて、何てやさしい人たちなんだ!…と思ったら 「さくまサン! どこかおいしい讃岐うどんのお店ありませんかねえ!  もうお腹減って、お腹減って!」だって。  何だい。私はデータベースかい。  そのまま、タクシー3台に分乗して、「ジャパンカップ2002」の予 選会場だった「夢タウン」の近くの「あたりや」へ。  あの麺が、イカのように、ぷりっぷりに硬いことで有名なお店だ。 「あたりや」初体験の人が多いので、パチンコ屋さんの裏の駐車場の隅と いう立地に一様に驚く。そりゃ驚くわな。
 午後1時。あっというまに讃岐うどんを食べたら、今度は「さくまサン、 これから6時まで、時間が空いてしまったんですけど、どこかおもしろい 所はないですかねえ!」と来た。  予定されていた私と土居ちゃんのラジオの出演と、ファミ通の取材は、 明日になったようなので、時間が空いたそうだ。 「時間があったら、平家物語の歴史館に行こうと思っていたんだけど、い いかどうかは、わかりませんよ!」と答える。 「じゃあ、そこに行こう! 行こう!」  おいおい! 少しは考えてから、行動したほうがいいぞ。  私がこれだけ昨年から、何度も高松に来ていて、まだ一度も行ったこと がないというだけで、少しはためらったほうがいいと思うが。  とりあえず、タクシー3台で「高松平家物語歴史館」に向う。  私が乗るタクシーには、家族3人と、柴尾英令くんが乗っていた。  柴尾英令くんが「午後6時にホテルのロビー集合ってことは、けっこう 時間ありますねえ!」と、何気なくいう。 「けっこう時間がある…」。  おっと、柴尾英令くん! 私に「けっこう時間がある…」という言葉は、 悪魔のささやきだよ。  思わず「運転手さん! 脇(わき)町っていうのは、けっこう時間かか りますか?」と聞いてしまった。 「いやあ! 30、40分もあれば行けますよ!」  何!? 30〜40分とな。  午後6時まで、まだ5時間もある。 「じゃあ、脇(わき)町まで行ってください!」 「さくまサン! 脇(わき)町って、どの辺なんですか?」 「徳島県!」 「ぎゃっ!? 徳島県! さくまサン! 何てことを!」 「30〜40分だから!」  かくして、ほかの2台のタクシーの追跡を巻くかのように、私たちの車 は、ぐいんと国道を左折して、香川県から、徳島県へと向うのであった。 「さくちゃん! 向こうのタクシーに乗ってる梶野さんが、うらめしそう な顔でこっちを見ていたよ!」と、うちの娘。 「それは、悪いことをしたな。でも、脇(わき)町は、どうしても取材し ておきたい町なのだ」と苦しい言い訳。 「何があるんですか?」と柴尾英令くん。 「卯建(うだつ)のある町なんだよ!」 「宇多津(うたづ)ですか?」とおしゃべり好きな運転手さん。どうも 「卯建(うだつ)」を知らないらしい。  宇多津は、四国の玄関口の駅名だ。  卯建(うだつ)というのはよく「うだつが上がらない」という言い方を 耳にしたことがあると思う。 この「うだつが上がらない」の語源だ。 「卯建(うだつ)」というのは、家の2階から突き出させた「火よけ壁」 のことで、家から家へ火災が起きたときに、類焼させないためのものだ。 白いしっくいを塗り固めて、鬼瓦などを配した巨大なものが多い。  防火のためとはいえ、何でこんなに大きくて重そうなものを2階に置い ているのだろうという疑問が起きる。大きいとはいえ、一部屋分あるほど ではない。どこまでいっても、装飾品だろう。  この「卯建(うだつ)」の発生がおもしろい。 「本能寺の変」で、織田信長が暗殺されたあと、この脇(わき)町を治め たのが、豊臣秀吉が歴史の舞台に登場するきっかけとなった、蜂須賀小六 (はちすかころく)。  この蜂須賀家が江戸時代に奨励したのが、阿波藍。  いわゆる「藍染め」だ。  これが目の前を流れる吉野川の水上交通で、作ったそばから、送り出せ るものだから、一大産業へと発展した。発展すると、たくさんの豪商が誕 生する。  豪商は、お金がいくらあっても困らない。困るのは何てったって火事。  だから、「卯建(うだつ)」と呼ばれる防火壁を、家の2階に作るよう になったのだが、一軒が「卯建(うだつ)」を作ると、もう一軒が「あの 家より、大きな卯建(うだつ)を建てたいものじゃ!」ということになっ て、あれよ、あれよという間に、どんどん大きな「卯建(うだつ)」が、 あっちの家にも、こっちの家にもどんどん建って行くではないか。 「卯建(うだつ)」は2階に押し上げることから「卯建(うだつ)が上が る」わけですな。ということは「卯建(うだつ)」を作ることができない 家は「卯建(うだつ)が上がらない」ということになる。  ここに「うだつが上がらない」という耳慣れた言葉が誕生したわけだ。  長い解説だ。  この「卯建(うだつ)」発祥の町が、この脇(わき)町なのだ。  この脇(わき)町自体には、高松から1時間以内で到達したのだが、ど うも行けども、行けども、「卯建(うだつ)の町並み」という看板すら見 えてこない。  脇町は、相当広いようだ。  午後2時30分。なんと、脇(わき)町に入ってから、30分ほどでや っと「うだつの町・脇町」「うだつの町並み・脇町」の文字が見えて来た。  大谷川の橋を越えるが、どうも「卯建(うだつ)」らしいものが見当た らない。  タクシーの運転手さんが、町のおばちゃんに聞いてくれた。 「おばちゃん、うだつの町並みって、どこ?」。  すると、おばちゃんは恥ずかしそうに「ここやー!」。 「この人たちは、東京からわざわざ来てくれたんや!」 「まあ! 恥ずかしいの〜、何もなくて!」。
 まずは大谷川の橋のほとりに、映画『虹をつかむ男』のロケでつかった 映画館が保存されていたので、その劇場を見に行く。  まだこの劇場は、芝居小屋としてもつかわれているようだ。
 でも『寅さん映画』の後釜として、鳴り物入りでスタートした映画『虹 をつかむ男』だっただけに、今もこの映画のシリーズが続いていれば、観 光名所として大いに賑わったのだろうが、現状は知ってのとおりなので、 物悲しい。  このあと、脇町でもいちばん豪商の多かった、南町地区へ歩いて行く。  おお! 出た! 出た! あっちにも、こっちにも、家の2階から、大 きな「卯建(うだつ)」が突き出ている。  はっはっは。これは絶対、防火壁が目当てではなく、意地の張り合いだ なあ。  こんな意味の無い分厚い白の壁を作っただけでは飽き足らず、鬼瓦まで 乗せ、虎の置物まで乗せている家まである。
 木造の古い家が多い町並みというのは、今まで何度も見て来たし、蔵の ある町というのも、見て来た。  でもこの白い壁が2階から突き出た、「卯建(うだつ)」の町は、貴重 だ。  かなり観光に力を入れ始めているようだけど、ここは今後、観光地とし て発展するのに十分なパワーを秘めている。
 こんな「卯建(うだつ)の上がった」豪商の家は、どんな家だったのだ ろうというのは、吉田家住宅というところで、実際に見ることができる。  「藍商佐直(あいしょう・さなお)」という屋号の家に入ると、「でっ けえ〜〜〜!」「何じゃあ、この家の広さは!」「廊下が、畳だよ! 畳!」 「まるで赤穂浪士が討ち入った、吉良家だな、こりゃ!」と口々に叫ぶぐ らい、広い。  部屋数が25とかいっていたな。
「卯建(うだつ)の町並み」で、『桃太郎電鉄』用の取材。  それぞれの土産物屋さんで、次々にいろいろな和菓子、せんべいの類を 買って、その場で食べまくる。  意外とこの町並みには、食べ物がたくさんあったのだ。  お店の店先では、豆腐田楽、こんにゃく田楽などを焼いている。  こんにゃく田楽は、やけにからい味で、特徴的。  うちの娘があわてて、ポカリスエットを買いに走る。ここは徳島県。大 塚製薬の本拠地だから、ポカリスエットは強いぞ。
 ほかにも、「うだつあがります」と書かれたおせんべいが、歯応えのい い薄さで美味しかったし、麦だんご、ラグビー饅頭、脇美人饅頭、ぶどう 饅頭といった、『桃太郎電鉄』的には、おもしろいネーミングの甘いもの が多く売られていた。  ナショナルのFAX製造工場もあるようなので、これはもし『桃太郎電 鉄』で四国編でも作ったときには格好の物件駅になるなあ。  午後4時。想像以上に、おもしろい町であった、脇町は。  タクシーは、再び高松をめざす。  実は、このあと、私は建設会社の穴吹工務店の発祥の地・穴吹(あなぶ き)駅から、徳島線で、徳島駅へ出て、徳島駅から高徳線で、高松駅へ向 うコースを狙っていたのだが、徳島線の電車の本数が極端に少ないことを 見抜かれて、断念することに。 「午後6時から、ホテルで、桃太郎電鉄石像除幕式の壮行会パーティがあ るんだから、さくまサンいないと、まずいじゃないですか!」と、柴尾英 令くん。  午後5時。おなじみ全日空ホテルクレメント高松に到着。  思ったよりも早く着いたので、家族3人で、高松駅まで本を買いに行く。  ホテルを出たところで、地元出身のお相撲さんがいた!と思ったら、放 送作家の福本岳史くんであった。はっはっは。  わが桃太郎チームは、目的地の集合時間と場所だけ知らせると、いつ、 何時に、どこからやって来てもいいことになっている。  だから、放送作家の福本岳史くんは、きょう高知からやって来た。 「桂浜に行って、坂本竜馬の記念館行ってから来ました!」。  このあと、薬局に寄りたいので、福ちゃんと商店街に行ったら、琴平電 鉄の片原(かたはら)町のほうまで行ってしまった。  でもちょうど、鳴門金時の美味しいスイートポテトと、きんつばを売っ ているお店に出くわしたので、みんなへのお土産に買って行くことにした。  ここのスイートポテトは、絶品ですぞ。 「さくまサン、急がないと時間ないですよ!」と言っていたはずの現在 115キログラムの福ちゃんは、きんつばを見るや「1個、ください!」 といって、「ふおおおっ! ほれは、あたふぁふぁくて、おひひいなあ!」 と目を細めて食べていた。  午後7時。全日空ホテルクレメント高松2階の「桃太郎電鉄石像除幕式・ 壮行会」へ。  作曲家の池毅(いけたけし)さんも到着していた。  ちなみに池毅(いけたけし)さんは、地元四国は善通寺(ぜんつうじ) の出身で、現在も丸亀(まるがめ)に実家がある。  そんなこともあったので、お誘いしたら、わざわざ来てくださった。  けっきょく、明日の「除幕式」には、桃太郎チームでは、サザンオール スターズのベーシスト兼ウクレレ伝道師・カズ坊(関口和之)と、漫画原 作者の井沢どんすけが来れなくなってしまった。  井沢どんすけも、カズ坊(関口和之)と同様、仕事が忙しくて来れなく なるとは、立派になったもんだ。あんな鼻ちょうちんふくらませているよ うな男が…って、鼻ちょうちんは、『週刊少年ジャンプ』でのキャラなだ けだ。  この壮行会には、「桃太郎電鉄石像」建立のために、努力していただい た人たちがたくさん出席してくださった。 「鬼無(きなし)駅に、『桃太郎電鉄』の石像を立てた〜〜〜い!」と、 私がまるで『電波少年』のように無茶な提案をお願いしたのに、快くOK してくださった、JR四国の梅原利之社長。  その無茶な提案を梅原社長に持ちかけ、橋渡しをするハメになってしま った、高松では、毎度おなじみFMマリノの酒井秀樹くん。酒井くんは、 土居ちゃんの大学時代の同級生である。  最後は、予算オーバーでかなり自腹を切っていただいた、三好石材の社 長さん・三好康治さん。人形焼のデザインに『桃太郎電鉄』を推薦してく ださった久本酒店の佐藤哲也さん。 『恐るべきさぬきうどん』にも登場するセーラー広告の安藤芳樹さん。  全日空ホテルクレメント高松の総支配人の宮本盛治さん。副総支配人の 一色勉さん。「ゆめタウン」支配人の河野光晴さん。  ほかにもたくさんの方々の出席で、楽しい宴席となった。
 この1年間で、この人たちと知り合うことが出来て、「桃太郎電鉄人形 焼き」から「桃太郎電鉄石像」にまで発展したということは、素晴らしい ことだと思う。  つくづく物事は、人間が人間を呼び、人間が人間を動かさないと、何も 生まないということを痛感した。  この場にいた方々に、あらためてもう一度「ありがとうございました!」 だ。  午後9時。散会。  明日は、いよいよ「桃太郎電鉄石像除幕式」!
 

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