11月24日(土)

 今回、京都に来た目的の2番目。メイン・イベントがきょう。へっへっ
へ。いったい何でしょうねえ。

 午前10時30分。家族3人、朝食も取らずに、京阪三条駅から特急で、
大阪に向う。
 京橋駅で下車。JR京橋駅に乗り換える。大阪環状線だ。
 ほ〜、さすが大阪の駅の売店だ。スポーツ紙の自動販売機があった。
 こういうアイデアを平然と製品化する関西の地熱の強さが、いまの日本 に必要だと思う。松下幸之助さん以降、関西人の英傑が出ていないところ に、日本の不幸があるような気がする。  JR京橋駅から、JR鶴橋駅へ。鶴橋駅で下車。  たしか鶴橋駅に、黒門市場があったな、ここで買い食いをして行こうと 思ったのだ。メイン・イベントの場所はまだこの先。  しかし、黒門市場はここではなく、日本橋だった。  鶴橋にあったのは、韓国市場だった。  どっちにしても、市場で買い食いするつもりだったので、市場を回って、 お店を物色する。  しかし、どのお店もキムチが山のように積まれていて、韓国食材のほう が多くて、ご飯物っぽい食べ物を売っているお店がない。韓国衣装のチョ ゴリなんかも売っているのになあ。極彩色だなあ。
 ほとんど市場を練り歩いたと思われたときに、おお! この屋台っぽい お店は興味惹かれるなあ。お店の名前が「土井商店」というのがちょっと 気にかかるけど、いかにも美味しそうなチジミが並んでいて、まるで韓国 に来た気分になったので、ここで食べる。  私はエスニック系が苦手というか、辛いものは医者からも止められいる ので、ほとんど韓国料理は食べない。  でも韓国風海苔巻は、酢もつかっていないから辛くないといわれて、ち ょいとつまんでみる。  えっ。こんな味なの。へ〜。これはすっきりしていて美味しい。キュウ リ、ニンジン、タマゴ、タクワンか大根、蟹も入ってたぞ。うまい。うま い。カラフルな具の海苔巻は不思議。  調子に乗って、チジミも食べる。  チジミは、韓国風のお好み焼きだ。  アマダイに、キムチ、ホッペを注文。ホッペって何だ? ニラが入ってた。  これも美味しい! とくにアマダイが美味しかったな。  辛いたれにつけて食べるみたいだけど、そのまま食べても美味しい。
 辛いものに滅法強い嫁が、トッポギという見るからに、辛そうな食べ物 を食べている。コチュジャンで真っ赤っかだぞ! これはちょっとなあ。 お笑い番組の罰ゲームにつかえそうな色してるんもんなあ。  白い長ネギみたいなものは、何だ?  えっ。お餅なの? デブはみんな、お餅が好き。  食べたくなる。こんな機会はめったにない。  食べる! もぐもぐ…。  あれ? あれ? 甘いぞ? 甘いわけないだろ。  どう見たってこの色が甘いわけが…ひ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!  来たあっ!  やっぱり、辛いよ。ゲホッ、ゴホッ! ひ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!  強烈だ。でも美味しい辛さだね。  いやはや、実に楽しい昼食であった。  ここは先日の鶴見の沖縄物産センターに続いて、楽しい場所だ。  しかし、どうにもキムチの匂いが臭すぎる。このまま電車に乗っては、 ほかのお客さん方に失礼なので、市場の喫茶店で、コーヒーを飲むことに した。    ん? ん? 何だ、このコーヒー?  えもいえぬ味がするぞ。うげっ。  あっ。ひょっとして、赤いキムチのせいで、味覚がくるってる?  お水を大量に飲む。  もう一度、コーヒーを飲む。ありゃ。元に戻った。まるで手品みたいだ。  午後12時45分。JR鶴橋駅ではなく、近鉄鶴橋駅から、各駅停車に 乗る。
 午後1時。八戸ノ里(やえのさと)駅下車。  もうこの地名で、わかる人なら、わかる。  この駅に、かの「司馬遼太郎記念館」があるのだ!  オープンしたのは、11月1日。  もちろん、当日に行くつもりだったんだけど、ちょうど仕事が入ってい て、来ることができなかった。やっと来たぞ。  昨日も、実は東京から直行でここに来るつもりだったけど、新幹線がな く、着いても夕方になってしまうので、きょうにした。  斎戒沐浴して、口をゆすいで…の神聖さが欲しいのに、おもいきりキム チを食べてくるなっ。などと軽口を叩けていたのも、いまだけ。 「司馬遼太郎記念館」が近づくにつれ、顔がシリアスになって行くのがわ かる。  八戸ノ里駅に貼ってある、地図の道順に沿って歩いて行く。  あちこちに、司馬遼太郎記念館→の支柱が立っている。  何だか、東京杉並区の住宅街のように地味な場所だなあ。  何で、司馬遼太郎さんはずっと死ぬまで、こんな地味な町に居を構えて いたのだろう。不思議だ。司馬遼太郎さんの財力をもってすれば、京都御 所のすぐ側も可能だったろうし、『街道をゆく』の取材が楽なように、新 大阪駅前でもよかったろうし、伊丹空港を半分ぐらい買い占めることだっ て、できただろうに。  おお! 司馬遼太郎記念館が見えて来た!  八戸ノ里駅から、徒歩8分ぐらいだ。  ぶるぶる…! おっと、武者震いしてしまった!  何で緊張しちゃうんだろう!?  たしかにこの世で、いちばん尊敬している人の記念館だからねえ。  今朝の京阪電車のなかでも『夏草の賦』を選んで、読みながら来たんだ よ。  司馬遼太郎さんの作品だけは、毎年20冊ぐらいずつ読み返すことにし ている。    大きな家だ! 順路はまず、自宅の書斎を庭から眺めることができる。  ああ! ここがいつも雑誌やTVで見た、書斎だ!  感動〜! でもなかに入ってみたいよ〜〜〜! 
 へっへっへ。この記念館設立のときに募集した寄付金を送った人全員の 名前が彫られたレリーフが建っていた。  私の名前ももちろんある。目立つように、ちゃんと平仮名の「さくまあ きら」にしておいた。面映い。
 自宅の脇に、天保山のサントリー・ミュージアムなども建築した安藤忠 雄さんの手になる「司馬遼太郎記念館」が! 大きくカーブした美しい建 物だ。  緊張しながら、記念館に足を踏み入れる。  おお! いきなり、話題の1F〜3Fまで貫く、蔵書の壁面が見える!  転げ落ちるように、階段を下りて行って、本棚を見上げる!  まるで、映画『クリフハンガー』の絶壁のように、本の山が私に襲いか かってくる。  その数! 2万冊だよ! 2万冊!  豪華化粧箱入りの難しい歴史の本がずらり、ずらり、どどど〜〜〜んと だよ!  2万冊っていったら、町の小さな本屋さんの10軒分ぐらいじゃないの!?  でも2万冊で驚いちゃいけないよ! 自宅にある4万冊のなかから、2 万冊を選んで、この吹き抜けの壁面に陳列しただけなんだよ! どうも自 宅には4万冊のほかにも、本があるみたいよ。  そうでしょ、そうでしょ。ここには古文書が1冊も展示されていないも んね。  しかも、あなた。ここに展示されている本を司馬遼太郎さんは全部読ん でいるだから、すごいよ! 2万冊だけなら、私も漫画評論家をやってい たときに、1万冊以上の蔵書を誇っていたけど、漫画と歴史の書物じゃね え。重みが違うにもほどがある。  蔵書のほかにも、生原稿がたくさん。  司馬遼太郎さんは、七色の色鉛筆で、自分の原稿を何度も何度も推敲す ることで知られている。  いったいぜんたい、何回推敲しているんだろう。  日本文学史上不世出の文章の達人である、司馬遼太郎さんのことだから、 文章なんか、一度書いたらそれで完成でもおかしくないはずなのに、生原 稿は、最初に書いたほとんどの文章に、赤入れが入っているくらい、何度 も、何度も、書き直している。  ぶるぶる…。ぶるぶる…。ぶるぶる…。ぶるぶる…。  また武者震いが始まった。 私の場合、いくら無料の原稿とはいえ、毎日この日記を、1回か、2回ぐ らいしか推敲しない。思わず恥ずかしさがこみ上げてくる。    またひとつ司馬遼太郎さんから、大切なことを学んだような気がする。  そのうち、地下のホールで上映会が始まった。  司馬遼太郎記念館オリジナルの『時空の旅人』のビデオだ。  司馬遼太郎さんが生まれた奈良県竹内街道から始まって、司馬遼太郎さ んの生前の姿が映し出される。聞きなれた肉声だ。  ニュース素材として、田中角栄が登場して、狂乱の日本列島改造論を非 難するような司馬遼太郎さんの談話が流される。  そうか。司馬遼太郎さんが、こんな地味な場所から動かなかったのは、 無用な土地投資に対する批判だったのか。いかんな、自分は。何軒も家を 買ってしまっている。投資が目的ではないけどね。言い訳かな。 「この国はこのままでは滅んでしまう」という生前最後の言葉が、ここで も「この国はこのままでは無くなってしまう」というナレーションでまと められていた。  司馬遼太郎さんが、3年間限定でもいいから、日本国の総理大臣を務め てくれたら、今日のような不景気や、不良債権など生まなかったんじゃな いのかなあ。  上映後も、また蔵書の山に戻って、執筆につかっていた万年筆や筆記用 具を頭に焼き付ける。少しでも爪の垢を暗記して帰らないとね。 『街道をゆく41・北のまほろば』取材のおりに、参考にした青森地方の 地図が展示されていた、ところどころにマーキングがされてある。  ぶるぶる…。ぶるぶる…。  また武者震いだ。  何回、武者震いすればいいんだ。  たぶん、またここには来るだろうな。何回か来るだろうな。新しい発見 をしに来るだろうな。来ないといけないよな。  ぶるぶる…。ぶるぶる…。  司馬遼太郎さんに対して、武者震いしなくなったらお終いだ。  いつまでも、司馬遼太郎さんに対して、武者震いしながら奇声をあげて、 立ち向かって行く自分でありたい。  帰りは、隣りの駅である、河内小阪(かわちこさか)駅をめざして歩く。  鶴橋韓国市場を歩き、八戸ノ里駅から歩き、司馬遼太郎記念館でも歩き、 さらに河内小阪駅まで歩くので、疲れた。予定通り、喫茶店で、ピットイン。  午後3時。近鉄河内小阪駅から、各駅停車で、近鉄日本橋駅へ。  今朝、間違えた黒門市場に行く。  ここの市場くらい、道路が広い市場は珍しい。  何でも現在、NHKの朝の連続ドラマ『ほんまもん』がこの市場が舞台 になっているようで、そこらじゅうに、『ほんまもん』のポスターが貼ら れている。  以前、ここでたくさん買い食いをしたけど、さすがにまだお腹が減らな い時間なので、見てまわるだけ。食い道楽娘が「フグが安い!」と叫ぶの を無視する。  フグの相場の値段を知っている中学生は生意気である。
 う〜ん。思わず買い食いしたくなるような甘い物を必死にかわして、ウ インドウ・ショッピングに徹する。  疲れた。市場は楽しいけど、歩き疲れるな。    午後4時15分。淀屋橋駅から京阪特急に乗る。  この路線は、かつて南森町駅で『桃太郎電鉄』シリーズを作ってくれた メイク・ソフトさんの会社からの帰り道のコースだ。なつかしい。メイク・ ソフトさんとゲームを作っていた頃が、いちばん楽しかったなあ。  車中、司馬遼太郎さんの『夏草の賦』を読みながら、熟睡。歩いて疲れ たし、司馬遼太郎さんの偉業に、ドッと疲れた。巨大なる象の前の蟻でし かない自分に気づいて、疲れた。  午後5時。京阪四条駅で下車。  このところ、すっかり京都で、いままで見つけたお店や、すぎやまこう いち先生ご夫妻に伝授されたお店ばかり食べに行っているので、そろそろ 新しいお店を開拓しなきゃ!  というので、挑戦してみたのが、四条縄手通り上ルの「キッチン・ミヤ タ」。  有名なロシア料理のお店「キエフ」が入っているビルの地下だ。  このお店は昭和39年創業で、日本で初めて、備長炭でハンバーグを焼 いたお店なんだそうだ。備長炭で、ハンバーグと聞いただけで、私の口は、 あわあわと欲しがっているようなので、来てみた。  ステーキも美味しいらしい。    私はハンバーグ狙い一本槍だんたんだけど、お店の人が、お得なコース があると教えてくれた。ふたりで注文すると、このお店の名物料理が3品 食べられるという。へ〜。  カニクリーム・コロッケに、ハンバーグが半分の大きさ、ステーキは、 ふたりで150グラム。ひとり75グラムってことね。ほかにコーンポタ ージュに、野菜サラダ、ポテトなどがつく。  こういう風に少量ずつ、たくさんの種類が食べられるのは、大好き。 「さくちゃん、これ、美味しいよ! ドレッシングがいいよね!」と、娘 が騒ぎ出す。野菜サラダがべらぼうに美味しいのだ。お代わり自由の張り 紙に、何度お代わりしようと思ったことか。最近体重増加が、国家規模の 問題になって来ているので、我慢、我慢。
 ハンバーグ! これはまいった! 美味しいなんてもんじゃない! な るほど、備長炭! こげた匂いがぷうんと鼻腔をくすぐる。匂いは最高の 調味料だよねえ。  ステーキもうまい! 細くスライスされた肉に、にんにくチップをはさ んで食べる趣向。もはやこの文章と画像を見て、興奮しまくっている柴尾 英令くんの顔が、くっきり画像で転送されて来ているかのようだ。    ひさしぶりに、「食賓館」に初登場で加えられるお店だ。  土居ちゃん(土居孝幸)、もうこのお店の名前暗記したでしょ!  「キッチン・ミヤタ」だよ。午後5時からの営業で、ランチが無いのが残 念だけどね。月曜日が定休日。  午後7時。新京極のお土産品屋さん「濱口珍品堂」へ。
 なんと、3日前に初めて知り合ったばかりの、フレパーネットワークス の濱口太一さんの実家が、この新京極のお土産品屋さんだと聞いたのだ。 せっかく知り合ったのだから、ご挨拶だけでもと入ったら、本当にいらっ しゃった。  以前から、観光物産のお店の人と知り合いになりたかったので、うれし い。  人の縁って、本当に不思議だなあ。  あっ。しまった。濱口太一さんの写真撮るの忘れた。  午後8時。京都のマンションに戻り、司馬遼太郎記念館で買って来た小 冊子などを読む。  すぎやまこういち先生からメールが入る。 「北岡夫妻とSHEF‘S(シェフズ)に来ています」。  はっはっは。やっぱり! 何て負けず嫌いなグルメのお師匠様たちなん だろう。  2日前に、土居ちゃんたちと「SHEF‘S(シェフズ)」に上海蟹を食べ に行ったのは、すぎやまこういち先生ご夫妻方への、牽制球だったのだ。 昨年、こっそり先に行って、悔しがっていたただこうと思ったら、「もう 今年は見えられましたよ!」とお店の人に言われて悔しい思いをしたのだ。  なんとか一矢報いたが、速い! 私の日記を読んだ、その日に「プティ・ ポワン」の北岡夫妻を誘ったとみた。   豊臣秀吉の中国大返しのように速い!  速いといえば、京都に滞在も2日目が過ぎた。  あっというまに、明日はもう東京。
 

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