10月27日(土) おろ? まだ疲れが取れない。 朝から京都のマンションで、うだうだTVを見る。 毎週、大阪へ行って、「いつでも笑みを」に生出演しているアリto キリギリスのふたりはえらいなあ。 それにしてもタレントの奥山佳恵さんって、何でこんなに関西のTV でレギュラーが多いの? 昨日もきょうもずっと京都でTVを見ている とよく出ている。 私にとっては、サザンオールスターズの事務所の人のイメージがある ので何か不思議。こっちの出身なのかな。 午前11時30分。新京極の「田毎(たごと)本店」で、にしんそば 定食。 いかにも町のおそば屋さんといった感じで、こういうお店で食べると、 気分が旅人というよりも地元民になったようで、なんか誇らしい。 食後、地下鉄の京都市役所前駅から大津に向う。 大津というのは、滋賀県の県庁所在地である大津のことだ。 「またそんなところへ遠出して!」と思われるかもしれないが、JR京 都駅から琵琶湖線に乗れば、次が山科駅、その次が大津駅と非常に近い。 10分ほどだ。私がJR京都駅ではなく、京都市役所前駅から乗車する理由は、まず 京都のマンションから近いから。歩いて5分とかからない。 JR京都から大津へ行くほうが早いが、この京都市役所前駅から、 浜大津駅までは、わずか21分である。 これだと京都のマンションから、JR京都駅へ出て、大津駅へ行くよ り近い。 それと、私はこの路線が非常に好きなのだ。 京都のマンションからいちばん近い電車ということで愛着があるのだろ うが、ほかにも理由がある。 この路線は、始発の二条城駅を出発したときは、地下鉄だけど、御陵 (みささぎ)駅を過ぎると、地上に出て、通常の電車になる。いわゆる 専用軌道を走る電車ということになる。おまけに東海道と併走する。 さらに大津市内に入ると、今度は路面電車となって、自動車と併走する のだ。 まさに三段階で変化する不思議な路線なのだ。 こういう変り種にしては、密かに変わっているところが奥ゆかしくて いい。 地上に出てからも、急カーブで悲しい悲鳴をあげながら走ったり、東 海道の古い町並みの横を走ったりと、けっこう変化に富んでいる。 午後12時05分に京都市役所前駅を出発した電車は、午後12時34 分に浜大津駅に到着。琵琶湖が目の前に見えるターミナル駅だ。 ここで石山坂本線に乗り換える。 何番線かな?と探すと、これがいま降りた2番線にやって来るという ではないか。何とも省エネな駅だ。 2〜3分待って、2両編成の京阪電車が入って来た。 庶民の足として、じゅうぶん活用されているようで、いつ乗っても満 席だ。 ちょうど関東の江ノ電の雰囲気に似ている。琵琶湖の近くを走るせい もあるだろう。 午後12時40分。京阪膳所駅へ。 膳所駅というのは、必ず鉄道ファンの間では、難読文字として登場す る名前だが、膳所(ぜぜ)駅と読む。読めないよなあ。 歴史マニアなら、膳所城として知っているかもしれないが、琵琶湖に 面した桜のきれいな城跡としかイメージがないと思う。むしろオールド 甲子園大会ファンのほうが、強豪・膳所高校として記憶に残っている人 が多い。私もこっちだ。 さて、京阪膳所駅と、JR膳所駅は並んで建っている。 そのまま乗り換えができるわけではないところが、隣同士のわりに よそよそしい。何か歴史的にいろいろと事情があったのだろう。 京阪膳所駅に「義仲(ぎちゅう)寺」と案内板があったので、踏切 を越えて、義仲寺に向う。 この義仲(ぎちゅう)寺は、字面から想像がつくように、あの木曾義 仲の墓があるお寺である。歴史好きの私だが、源平のあたりは、さほど 詳しくない。なのに何で、このお寺をめざすかというと、松尾芭蕉のお 墓がここにあるからなのだ。 松尾芭蕉というと、伊賀上野のイメージがあるので、てっきりお墓は 伊賀上野、または『奥の細道』の出発点である、江戸深川にあるのだと ばかり思っていたのだが、わざわざこのお寺に埋葬してほしいと遺言に 残したそうである。 どうもこのお寺に一時期住んでいたようだ。 それより松尾芭蕉は相当、木曾義仲のファンだったらしい。 ってことは、松尾芭蕉のファンである私は、木曾義仲のファンにもな らないといけないな。新しい目標がみつかることは楽しいことだ。 というわけで、木曾義仲、松尾芭蕉という二大歴史的有名人の墓があ るお寺はどのくらいの規模なのか、ちょっと不安になる。 どうも私がひとり旅をすると、みなさんの笑い声が聞こえてくるほど、 ひどい目に会うことが多い。本気で『行ってはいけない』という旅の本 を出版したいほど、ネタがたまって来ている。 きょうは湖にほど近い、市街地にあるお寺を選んだから、遭難するよ うな目には会わないと思ったのだが、どうも道を間違えたようだ。手ぶ らで来ただけに、地図を携帯していない。いつもの『旅・王・国』もマ ンションに置いてきてしまった。幼稚園の前の地図で間違えに気づいた。 危ない、危ない。このまままっすぐ進んでいたら、また話が日記が長 くなってしまうところだった。 午後1時。義仲寺へ。 えっ? ここ? と思うほど、小さなお寺だ。 200坪あるかなあ。無いだろうなあ。 「こぢんまり」を絵で描いたような小さなお寺だ。 何でも戦国時代は、琵琶湖に面していて、後ろの山をバックに広大な お寺だったらしいが、このちょっとした住宅街の駐車場規模のお寺に縮 んでしまったわけは何なのだろう? 気になる。 それより、このお寺のエピソードが泣かせる。 1184年。膳所で討ち死にした木曾義仲が、この地の墓に眠って、 数10年後。ひとりの尼僧が現れて、草庵を結び、日々の供養を続けた という。里の人がいくら聞いても「われは名も無き女性」と答えるのみ だったが、この尼こそ、あの木曾義仲の側室として有名だった、巴御前 の晩年の姿だったそうだ。 ええ話ですなあ。しくしく…。 巴御前といえば、男勝りで武勇にすぐれた人として、歴史上でもベス トテン入り間違いなしの女性ですからねえ。最後までいい人だったわけ だねえ。 うちの嫁に匹敵するぐらい、いい女ですな。誰だ? 武勇の点でも うちの嫁が巴御前に似てるというやつは。 そんな巴御前の塚と、木曾義仲さんと、松尾芭蕉さんの墓が、3つ並 んで建っている様は、ちょっと豪華な気分。 コンサートでいきなりヒット曲を3曲も歌っちゃって、あとは大丈夫? と心配になる気分だ。 それでもそこかしこに、松尾芭蕉を始めとする俳人たちの句碑が立っ ていて、あっ、こんなところにも句碑があったと見つける楽しみがある。 翁堂には、正面祭壇に、松尾芭蕉の坐像が。左右の壁上には三十六人 の俳人たちの画像を掲げている。何でも天井の絵は、伊藤若沖(いとう じゃくちゅう)の作のようだ。 もうちょっと、ゆったりとした境内で、それぞれのお墓や「翁堂」が 建っていれば、もっと大きな感慨を持てるのだろうが、あまりにもコン パクトで無駄のないお寺だ。でもその無駄のなさが松尾芭蕉が眠るお寺 にふさわしいのかな。 興味のない人だったら、5分で見終わってしまうことだろう。 お寺を出ると、住宅の向こうに、大津パルコの銀色の建物がのしかか るように見えて、とても無粋。本来、このお寺の真ん前の小さな通りが、 旧東海道なんだそうだ。 午後2時。国道に出て、大津パルコの前のスターバックス・コーヒー で休む。 スターバックス・コーヒーに来る若いカップルは、全国共通の姿・形 をしているなあ。もう少し地方性があってもいいのに。 午後3時31分。JR膳所駅まで歩いて、湖西線で京都駅へ向かう。 何てたって、駅数にして、大津駅、山科駅、京都駅である。 午後3時40分。あっというまに京都駅に着く。 まだ時間があるので、プラッツ近鉄の5F「旭屋書店」で、鉄道関係 の本を漁る。現在製作中のiモード・ゲームのクイズ作成用だ。 この本屋さんはおそらく京都でいちばん鉄道関係の本が揃っていると 思うので、よく利用する。無意識にあれもこれも買うときりがないし、 持てなくなるので、10冊ほどでガマンする。 午後3時37分。京都駅に、新幹線で到着した嫁と、娘を迎えに行く。 午後4時。そのまま京都のマンションへ。 しならくして、嫁と娘は、近所に散歩にでかける。 私は買って来た鉄道関係の本を読みながら、クイズ問題を考える。 午後6時30分。家族3人で、木屋町御池近くのひさびさに和食の 「忘吾(ぼあ)」に行く。 通いなれたお店は、ホッとするし、無理が利いていい。 いつもながらお刺身が美味しい。 午後8時30分。京都のマンションに戻って、少しずつクイズ問題を 書き出す。いよいよターボがかかって来て、いつでもどこでも目の前の ものをクイズにできるようになって来た。300問突破も見えて来たぞ。 明日は、東京から土居ちゃん(土居孝幸)と、柴尾英令くんが来る。
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