10月4日(木)

 きょうから、しばらくは京都だ。
 どうせ京都に行くなら、どこかに寄り道して行きたいものだ。
 静岡で、海老のかき揚げを食べるとか、浜松で、鰻まぶしを食べるとか、
名古屋で、みそかつを食べるとかだ。

 午前9時30分。いつものように東京駅の資生堂パー…、おや? 景色が
違うぞ! む? ん? こ、これは!
 新宿駅ではないか〜!…って、旅行好きの男が、東京駅と新宿駅を間違え
るわけがない! 嘘ぴょんだ。
 なんと新宿駅から、長野県松本に向うのだ。わっはっは!

 京都行くのに、何でわざわざ松本へと思うかもしれないが、私はこのわざ
わざが好きなんだから、仕方がない。
 人生は遠回りが、大事だ。急がば回れ!

 しかして、長野県飯田市出身の菅沼真理(通称:すがねまチャン)さんと
の昨日の会話を再現してみよう。
「すがねまチャン、これを見よ!」
「あ〜〜〜っ、それは新宿駅から松本駅までの乗車券&特急券〜〜〜!」
「それだけではな〜い!」
「あっ〜〜〜、スーパーあずさ! 新型車輌のスーパーあずさだ! し、し、
しかもグリーン車! き〜〜〜!」
 ふっふっふ。「ふ」が3つ!
 大いに、悔しがれ〜〜〜! 
 実は、すがねまチャンは、隠れ鉄道マニアなのだ。
 ローカル線のことになると、私より詳しかったりする。
 しかも彼女は今週末にでも、故郷の長野県飯田市まで新型スーパーあずさ
に乗って帰ろうかと思っていた矢先だったのだあ! 
 ふっふっふ。「ふ」が3つ!
「き〜〜〜! 私よりも先に、さくまサンが新型車輌に乗って松本に行くな
んて、許せな〜い!」
「ふっふっふ。もっと悔しガリレオ・ガリレイ!」
「き〜〜〜!」
「この間、私が松本城に登ったことがないのをバカにした天罰じゃあ!」
「き〜〜〜! くやしいいいいいっ! ♪ファソラシド〜!」

 午前10時。嫁に新宿駅まで送ってもらって、私はスーパーあずさ5号へ。
 ふっふっふ。「ふ」が3つ。
 すがねまチャンは、旅行から帰ったら、新型車輌の乗り心地はどうだった
か教えてと言っていたなあ。そんなもの、デジカメして、今度会ったとき、
目の前でリアルに悔しがらせてあげよう! ふっふっふ。
 デジカメを出して、プチッとなっ! カシャン!
 ん? なんじゃ。もう一度。プチッとなっ! カシャン!
 何で、ロボコップみたいな音がするんだ。
 カシャン! カシャン! カシャン!
 ひえ〜〜〜! デジカメの充電目盛りがひとつしかない。一昨日、充電し
たのに〜! あのとき、時間が少なかったのかあ!
 くそ〜〜〜! すがねまチャンをいじめたせいで、天に唾する者になって
しまったかあ!
「は〜はっはっは」と喜ぶ、すがねまチャンの顔が浮かぶようだ。
 しかも本日、天罰は終日続くのであった。

 どうもこの車輌、グリーン車のくせして、座席が少々狭い。
 新車両のわりには、座席の色がけっこう色褪せている。最初からこういう
色なのかなあ。色といえば、さっき乗るとき、このスーパーあずさの色は、
アイボリーホワイトだったような気が…。
 そ、それは最新鋭のスーパーあずさのひとつ前の車輌なのでは!!!
 スーパーあずさは、1日8本走るといっていたから、全部が新車輌なのだ
と思い込んでいたっ!!!!!!
「お〜〜〜っほっほっほ!」。
 すがねまチャンが、白鳥麗子の笑い声になっているのが、目に浮かぶ。
 運動会で、スタートと同時にこけてしまった学童の気分だよ〜〜〜!

 あとで調べたら、新型車輌は、スーパーあずさではなく、E257型と呼
ばれる特急あずさの系列の新型だったようだ。
 新型なら、スーパーあずさにつかって、お古の車輌を、あずさのほうに回
せよなあ。紛らわしい。
 新宿駅で買った、あずさ弁当を食べる。  本当は、小淵沢名物・駅弁の王様「元気甲斐(げんきかい)」を食べたか ったのだが、現在は扱っていないそうだ。  それでも、あずさ弁当は、新宿駅限定と書いてあった。美味いに違いない。  むむむ。不味くはないが…凡庸な味である。鮭に、卵に、ちょっと山菜が 多いだけの何の特徴も無い駅弁であった。くそ〜.お弁当運にまで見放され た〜!  おとなしく、仕事しよっと。  午後12時30分。車窓から見える景色が山だらけになった頃、松本駅に 着く。  駅舎が意外と小さい。もっと大きい駅かと思った。  長野の代表的な都市にしては、駅前もあまり大きくない。  松本へは、学生時代に来たきりだ。その頃まさか『桃太郎電鉄』を作るな んて思ってなかったから、何も覚えていない。 しかも中部地方は必ず自動車で来ていたから、よけい街の景色を覚えていな い。 どうせ30年前のことだ。町並みも変わっているだろう。  さっそく、駅の土産屋とか、駅ビルの物産展などを物色するが、これとい って目新しいものはない。  長野県人というのは、日本でいちばん生真面目な県民性を持っているから、 変なお土産品を作ろうという気もなければ、変なアイデアを受け入れる土壌 がないような気がする。  おそばに、民芸家具に、りんご。『桃太郎電鉄』のデータ通りだ。  せいぜい「松本てまり」かな。手まりじゃ、地味だ。
 おまけに駅の看板に「松本〜新宿 二時間以内の特急実現を」とある。  新幹線を要求しないとは、生真面目な。  午後1時。ホテル・ブエナビスタにチェック・イン。  駅から、歩いてこれる距離とは思わなかった。  どうもこの街は、本当に小さいようだ。  午後2時。松本城。  松本といえば、松本城。何でそんなに松本城をことさらに名物にするのか、 昔から不思議でしょうがなかった。  別に、武田信玄や上杉謙信といった歴史上の有名人が築いたお城でもなけ れば、姫路城のように、世界遺産に指定されるほど、由緒があるわけがない。  最初にここにお城を築いたのは、小笠原氏とかいう人で、その後、何代か 城主が変わり、徳川家康の大名から、豊臣秀吉の元へと、FA宣言して移籍 した石川数正がマニアックに有名な程度だ。  しかし、こういう疑問は現地に行って、初めてわかるものだ。  お城に入ってすぐに、ふたりのレリーフがあった。  聞いたことのない人の名前だ。  小林有也(こばやし・うなり)  初代松本中学校長。天守閣保存会を起こして、松本城の修理に当たり、 天守閣倒壊の危機から救った。  市川量造(いちかわ・りょうぞう)  明治5年天守閣が競売で、235両で売れてしまったのを憂い、必死の努 力で買い戻して、保存に貢献した。
 このふたりが、松本城を危機から救っているだけに、この街の人の松本城 に対する感情は非常に濃いものになったのだろう。  それに長野県民の実直さが加わるから、まあ、松本城のきれいなこと、 きれいなこと。ゴミひとつ落ちていないし、案内板が実に丁寧。  しかもお濠から見える松本城の美しさといったらない。  石垣の傾斜といい、屋根のそりといい、なんていい姿勢をしているのだ。  美男子のくせして、壁には鉄砲狭間(ざま)とか、矢狭間といった、実戦 に即した設備も持っている。なんとも美男子にして、豪傑。憎いじゃないか!
 乾(いぬい)小天守閣が、現在公開中のようだ。  あんまり観光客がたくさん押し寄せると、お城が傷んでしまうので、規制 しているようだ。なかなか熱心だなあ。  さらにお城のなかには、バカ丁寧な火縄銃に関する資料や、お城の歴史な どが、まあ事細かに展示物として陳列してあるものだ。  などと、感じ入ったのは、ここまで!  本日、最大の災害が私を襲った。  乾(いぬい)小天守閣と呼ばれる側の天守閣は3階建てで、ずいぶん階段 が急な作りだなあと思っていたのだが、本館?ともいうべき、天守のほうが、 なんと6階建て!  ただでさえ6階建て!だけでも類を見ない高さなのに、1フロア上がる ごとに、次の階段の位置が離れているのだ。敵に攻め込まれたときに、らせ ん状の階段ではすぐ敵が天守閣まで登れてしまうことを防ぐようにしたのだ ろうが、ふだんの生活の昇り降りのほうがつらくないか? こんなに階段離 れていたら、おしっこ漏らしちゃうぞ。  しかし、階段が離れているだけでは、本日最大の災害とはいえない。  階段が急なのだ。それも半端な急勾配ではないのだ。 だいたい、45度の勾配だと、人間は恐怖感を覚えるというのに、ここの お城の階段でいちばん勾配のきついところは、びっくり仰天の、55度〜61 度だ。  しかも横幅が狭い。  さらに一段ずつの上下の間隔が広い。  いちばん大きな段差のところは、39.5センチあるそうだ。 もうほとんど梯子(はしご)をよじのぼるようなものだ!  なにしろ、階段ごとに交通整理をするおじいちゃんが配されているぐら いだ。 「はい! みなさん! 左側通行で登ってくださいねえ!」  げげっ。左側は困る。  私の場合、左側の手足が不自由なので、左側の手すりをつかむことがで きない。しかもお城というのは、靴をビニール袋に入れて、順路を歩かさ れる。だからもうすでに私の右腕は、靴用につかわれてしまっていて、 つかいものになる手がもう残っていないのだ。阿修羅じゃないからね。  仕方がないので、まずビニール袋の靴を左腕に通す。  しかるのち、右腕で、右側の手すりをつかんでよじ登る。  と思ったら、交通整理のおじいちゃんがことさらのように「左側通行を…」 と叫ぶ。横幅が1メートルぐらいしか無いのに、2車線昇降させるわけよ。 登るほうが左。私にはつかむものがない。  絶体絶命! 3階に上がったところで、本気で断念を検討する。  きつい。健常者でもきついのに、私にはとても無理だ。  靴をビニール袋を持って歩くだけでもバランスが悪くて、平地でもぐら つくぐらいなのに、この急階段はいったい何だ! せめて10人登ったら、 10人降りるといった交通規制でもしてくれればいいのに。無神経なおば ちゃんとすれ違うのは恐すぎるよ〜!  ええい、せっかくここまで来たのだ。  たぶんもう二度とこの階段を登ることはないはずだ。たった一度の苦労 なら買ってやらあっ!  買わなきゃよかった…。  身体を横にして、必死に6階の天守まで登った。
 でも本当に恐いのは、下りなのだ。  降りようとするだけで、まっ逆さまに落ちるような気分になる。ただで さえ高所恐怖症なのだ。しかもオバタリアンたちが「な〜に〜! この階 段〜! ○○○○さん、下からスカート覗かないでね〜! ガハハハッ!」 と下卑た嬌声を上げながら、腰をふりふりしつつ登ってくるではないか!  万事休す。なんとか人が登ってこない瞬間に降りようと思うのだが、 松本城は観光客が多くて、ちっとも切れ目ができない。  意を決して、オバタリンとすれ違ってもいいから降りようと決心するが、 左足ががくがく震えて、危険な状態。    どうする? どうにもならない。  お城に非常口はない。関係者用通路もない。  6階の天守閣には交通整理のおじいちゃんがいないから、登ってくる人 を規制してもらうことすらできない。  ふつうの人なら、「かなりきついなあ!」レベルだが、もはや私には、 エベレストの山頂を前にして悩む登山家の心境だ。  でも階段を降りるという選択肢しか私にはない。  ええい、ままよ! いざとなったら、オバタリアンの群れに落ちてやる!  脂肪のクッションは豊富だ、あいつらは!  5階に向って、降りる。  ぎえええええっ! さらに最悪の事態!  右足の指が、親指と小指を残して、3本攣(つ)ったあっ! いたたたっ。  ああ! 右足の3本が上を向いたまま、攣(つ)っているぅ〜〜〜!  私は水泳部だったから、足が攣(つ)っても、泳げるだけの技を身に つけているが、左足は動かないで、右足が攣(つ)ったままの歩行は、さす がにもう無理だぞ!  無理でもいかねばならぬ。  5階から、4階の降りる階段の一段が、約40センチのいちばんきつい 場所だ。ここさえ降りれば。ぐぬぬぬぬぬっ。婆あっ! 歯茎見せながら 登ってくるなあ!  ああ、もう。ここで落ちて、病院にかつぎこまれるのはつらいなあ!  ぎえええええっ! きょうはなんて日だ!  下から、身体の不自由な人たちの一団が登ってくるではないか! お〜い!  同業者として言うが、「やめろ! あとでひどい目に会うぞ! 悪いこと は言わん、戻れ! そして登るなっ!」。  身体の不自由なもの同士がすれ違えるような場所ではない。  だいたいこの急な階段は、身体の不自由な人は登らないようにというほ うが親切ってもんだ。  あと4段ほどを残して、さくまあきら人生最大のピ〜〜〜ンチ!  そのとき、奇跡が起こった!  なんと、交通整理のおじいちゃんが、階段にへたり込んでいる私の異変 に気づいた。  というより、たったいま身体の不自由な人たちの一団が登り始めたから、 私をその一団のうちの最初に降りて来た人と思ったのだろう。  おじいちゃんが、階段の一段目に足をかけて、腕を伸ばして、私の右腕 をつかんでくれたのだ! 助かった! 私は身体を預けて、思い切って、 階段を降りる。  4階で、倒れ込む。  おじいちゃんが「はい、そっちでゆっくり休むといいよ!」という。  ふつうの人でもこの階段はやっぱり大変なのか、廊下にぺたんと座り込 んでへばっている人がふたりもいた!  私も並んで、腰を降ろす。  右足の指は攣(つ)ったまま。痛い。戻らない。  窓から吹いてくる風がうれしい。  汗びっしょりで、すでにハンカチ2枚ともぐしょぐしょだ。  ああ! もう本当に死ぬかと思ったよ。  絶体絶命だった。  10分ほど、3階で休んでから、2階、1階へと降りて、広場に出る。  二度とこのお城には登らないな。  お城としては抜群にきれいなのになあ。  とくに赤い欄干の橋から見上げるお城は、絶景だ。  でもあの階段を思いだすと、暗くなる。  お濠を通って、大名通りを歩く。  大名通りから、縄手通り商店街へ。  縄手通り商店街は、お店の形を整えて、川が脇にある、まさにリバー サイドなんだけど、お店が金物屋さんだったり、おもちゃ屋さんだったり して、風情がない。何だかもったいないお金のかけ方だ。  午後2時。蔵のある中通りへ。  ここが松本でいちばん風情のある、蔵の多い通りだ。  蔵シックタウンなどと呼んでいるらしい。  でも、ここも惜しい!  いい商店が揃っているのだ。  和菓子屋さん。民芸家具屋さん。畳屋さん。漬物屋。ギャラリー。漆器 屋さんといった日本的なお店が建ち並ぶ。  でも8割方、この日本的な建物なのに、あとの2割が、現実的なお店で、 ほかの8割のお店を邪魔しちゃっているのだ。中途半端に道が広いし。  もったいない。  道路を石畳にするなりして、統一感を持たせた上で、自動車の通行を禁 止したら、ここは観光地として一級品になる可能性があるのになあ。もっ たいない。
 午後2時30分。この通りにある、はかり博物館に行く。  度量衡(どりょうこう)の秤(はかり)に関する博物館だ。  何気なく入ると、お客さんは私だけ。嫌な予感がする。きょうはついて ないからなあ。  受付のおじいちゃんが、ヒマなもんで、ひとつひとつに解説を始めてし まった。  私はすでに松本城で、ほとんどの体力を消費し尽くして、さらに蔵のあ る中町通りまで歩いてきて、立っているのもきつい状態なのだ。  しかもこのおじいちゃんの話は、はかり博物館だから、何貫目、何匁目 といった古い単位を延々説明している。天秤棒とか、繭の数を計ることが できる天秤の話をだらだらと続けている。  あ〜、江戸時代の両替商がつかっていた、分銅を取り出しちゃったよ!  えっ? 私にこの分銅を持たせるの? 重そうじゃない! 重たい。 「これが何キロぐらいだと思います?」  パターンなんだろうな、これが。 「2キロ弱!」 「……………。おや、男性はふつう正解しないもんなんですけどねえ!  女性はスーパーで買い物したりするから当たることが多いのですが…」  おじいちゃん、あんた運が悪いよ。私は2キログラムのリストバンドを もう3年間毎日筋力トレーニングしているのだ。2キログラム近辺の重さ については、日本一くわしいぞ! くわしくても何の意味もないが。  私の正解におじちゃんがひるんだ好きに、博物館を後にする。  ふう。正解しなかったら、ずっとあそこにいたまんまになるところだった。  午後4時。腹が減った。もう待てない。  カレーの「デリー」に入る。  このお店もかつて呉服屋さんだった土蔵をつかっている。  ビーフカレー、600円。  ガイドブックに美味しいと書いてあったけど、本当に美味しい! めち ゃくちゃお腹が減っていたせいもあるけど、いかにも長時間煮込んだ感じ の美味しさだ。    このお店で聞いたところによると、来年の3月ぐらいには、この蔵のあ る通りの電線は地中に埋められて、新しい街路灯ができるようだ。  それはいい。地中に埋めたのち、道路の模様を統一してくれるかな。  食後、松本民芸家具屋など覗きながら、松本駅方面へ。  しかし、これでほとんど松本のほとんどを見てしまった。  この時間なら、電車に乗って、京都までたどり着けたな。そう思うと、 無性に悔しいなあ。でもホテル取っちゃっているしなあ。  まさか主だった場所の端から端まで、私の足で歩けると思っていなか った。    午後5時30分。ホテルに戻って、喫茶室で、『桃太郎電鉄11(仮)』 のアイデア出し。昨日土居ちゃん(土居孝幸)に伝えた、ゲスト怪獣が 全然違うキャラクターになってしまった。いつもこうだな。土居ちゃんに 話したあと、「あのキャラはダメだな!」と気づいて直すことが多い。  まあ、おもしろくなったからいいだろう。  ホテルでTVを見ながら、仕事をしたり、日記を書いたり。  明日はどこを通って、京都まで行こうかな。
 

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