4月24日(火)

 午前5時起きで、『桃太郎02(仮)』のメッセージの直し。
 順調にはかどるものの、終わりにはほど遠い。

 午前9時12分。京都駅。のぞみ3号で岡山に向う。
 新幹線に乗ったばかりのときは、まだ曇天だったが、雨は降っていなか
ったのに、途中、新明石駅をすぎる頃から、次第に雨が激しくなってくる。
 おかしいなあ。取材や、アイデア出し旅行のときは、雨は降らないはず
なのなあ。もうひとつ気合いが足らないのかな。

 午前10時10分。岡山駅着。のぞみ号だと岡山は、京都からちょうど
1時間。近いものだ。近くなった分、岡山に泊まる人が激減しているらしい。

 乗り換え時間が、わずか9分しかないので、不自由な手足をフルパワー
にして、と言っても素人の競歩レベルよりもはるかに遅い。ドタバタッド
タバタという音なら、でかい。
 必死に、瀬戸大橋線に向って、小走りする。
 キャスター付きのカートをごろごろ転がして行くと、盲人用の黄色い
イボイボに乗り上げて、跳ねるのが、恐い。VAIOが入っていなければ、
気にもならないのだが。私のVAIOは、機密書類だらけなので、うっか
り消えようものなら、廃業のピンチに陥る。

 おっとっと。カートを持って、階段を降りるのは、つらいなあ。岡山駅
も在来線のほうには、エスカレーターを設置する余地がないからなあ。

 なんとか、発車3分前ぐらいで、列車の前までたどり着く。時間が空け
ば、さっそくホームの駅弁屋さんで「桃太郎祭りずし」を買う。
『桃太郎電鉄』の作者が、岡山に来て、食べるなら、まずこれでしょう。
秋になると、栗おこわ弁当も美味しいんだけど。

 とにかく、祭りずし。
 今回の旅行の写真は、1週間後ぐらいじゃないと、アップすることがで
きないので、そのときまた写真を見てもらうとして、一応、文章で解説。

 桃太郎の絵のついた箱を、横から開けると、なかなか桃の形のプラスチ
ック容器が出てくる。桃から桃太郎ではなく、箱から桃が出てくる。
 薄いピンク色の容器を、パカッと開けると、瀬戸内名産がぎっしり。
ままかりのお寿司や、穴子、海老、アサリといった魚介類。大きな竹の子も。
 ままかり寿司は、酢が入っているので、ちょっと酸っぱいんだけど、ご 飯の上に敷き詰められた大量の錦糸玉子を口に含むと、いい味に変貌する。  レンコンのしゃきしゃきも、かじると「カシュッ!」と音がして、いい 感じ。  小さい容器だと安心していたら、けっこうボリュームがあって、お腹が 張るくらい満腹する。駅弁って、量が少ないのにねえ。  さて、昨日東京駅で、乗車券を、四国高松まで買った私は、早くも変節 する。  午前10時19分。岡山発しおかぜ7号に乗る。高松に行くなら、マリ ンライナーである。しおかぜの終点は、松山駅。  さすがに、松山までは行かない。途中に用がある。 『桃太郎電鉄』で、四国に入って、すぐ左のところに、新幹線カードなん かを売っている、けっこういい☆印カード売り場があるんだけど、あの駅 が、川之江という駅。その上にある、観音寺(かんおんじ)駅というとこ ろに行く。赤マスだったかな?  私は長いこと、旅行人生を送っているが、実は旅のきっかけは、この観 音寺なのだ。私が高校生の頃だから…げっ! もう30年前の話なの?  やんなっちゃうなあ。  永六輔さんの本に『僕のいる絵葉書』というのがあって、全国の変わっ た土地に行って、永六輔さんが写っている写真を1枚の絵葉書風にして、 文章を添えるといった旅行文を書いていたのだ。
中央公論社刊
 この本の影響が、とてつもなく強い。  人生の中で、出会って、ぐいん!と人生のカーブが変わった10冊には 間違えなく入る本だ。筆頭かもしれない。  その本に載っていたのが、きょうこれから行く観音寺なのだ。  その観音寺の浜辺、高校の野球グランドぐらいの広さのところに、なん と!砂で盛り上げられた「寛永通宝」の銭形が写っていたのだ。  東西133メートル。南北90メートル。  どっちに打球が飛んでもホームランの飛距離とおなじだ。 「何だ、この変な物! こんなのが日本にあるのかあ!」と当時驚いたの が、変なものを見たいという、私の旅好きのきっかけになった。  ところが、そう思ってから、なんと30年後にこうして初めて、観音寺 の銭形砂絵を見に来たのだ。遅いではないか。  もちろん、四国は何回となく訪れている。  高松駅、松山駅、高知駅。それぞれ5回ぐらいずつ降り立っている。実 は徳島駅にはいまだ降りていないが、またそれは別に機会に。  何で観音寺駅に来るのが、30年も遅れたかというと、やっぱり交通の 便。  旅を始めた頃は、まだ新幹線が岡山まで来ていなかった。若い人が聞い たら、びっくりするだろうけど、25年ほど前にやっと「ひかりは西へ」 というキャッチフレーズで、岡山まで延伸して来たのだ。  だから、それまでは大阪弁天埠頭から、船で高松に渡ったこともある。  それほど、四国は遠い国だった。  その後も、新幹線が岡山まで来ても、そこから在来線に乗って、宇野と いうところまで行って、連絡船に乗り換える旅だったのだ。いまでも「宇 高(うこう)連絡船」とスルッといえる人も多いと思う。  ちなみにVAIOは、「浮こう連絡線」と変換した。もう宇高(うこう) という単語は、はるか昔の古語となってしまったのだろう。  その後、瀬戸大橋が完成した年が、たしか『桃太郎電鉄』のファミコン 版を発売した年。  もちろん、瀬戸大橋見たさに、すぐ四国まで来たけど、当時はゲーム作 りに、『ジャンプ放送局』に、専門学校の講師と殺人的なスケジュールを こなしていたから、とてもとても、観音寺のようなマイナーな駅に行くヒ マなどなかった。  そういえば、瀬戸大橋開通当時、特急で通ると、橋のまんなかへんで わざわざ列車を停めて、「瀬戸内海の絶景をお楽しみください!」などと アナウンスしたものだが、高所恐怖症の私にははた迷惑なだけだった。  丸亀(まるがめ)駅を過ぎて、多度津(たどつ)駅に着くころには、雨 が上がり始めた。これは好都合。京都のマンションから傘を持って出るの を忘れていたからだ。やっぱり真剣に車中で、アイデア出しをしないとい けないかな。  さっき、貧乏神の新しい悪行をひとつ思いついたのだ。  多度津駅で、高松から来た列車を連結するので、3分停車するという。  おお! 一気に話題が、ローカル列車の旅っぽくなってきたぞ。  へ〜、多度津駅で、松山方面に向う列車は、しおかぜ+いしづちの連合 軍になるのか。あっ! そういうことか!  岡山駅から、しおかぜ7号に乗ったとき、アナウンスで「この列車は、 いちばん前から、4号、5号、6号、7号、8号車となっております」と 言っていたのを、変だなあと思ったのは、このことだったのか。高松駅か ら、1〜3号車の3輌編成の列車が来てるわけだ。  西村京太郎さんなら、トリックのネタにつかいそうだ。  午前11時25分。30年越しに、やっと来ました、観音寺駅。いやあ、 ただホームに降り立っただけだけど、私の旅好きのきっかけとなった駅だ けに、満足、満足、達成感めいっぱい。
 地下を通って、改札から見える景色は、あれっ?と叫んでしまうくらい、 小さな構内。自動改札はもちろんない。改札のボックスに人はいず、駅員 室から、キップを受け取るだけの、実にローカルな駅である。  いつもなら、駅舎の「観音寺駅」という文字をデジカメするんだけど、 駅前にロータリーがないので、商店街まで行って撮らないと、文字が入ら ない。その商店街までがまた遠い。  迷うことなく、タクシー乗り場へ。駅前のヒマそうに、みんなで談笑し ている10台くらいのタクシーの先頭車に乗って、市内をぐるっと回って もらうことにする。タクシーは地元の人の本音が聞けるからいい。これは 司馬遼太郎さんの本から学んだ。  まずは、念願の「銭形の砂絵」から。  タクシーは、琴弾(ことひき)公園の頂上まで登って行く。ほとんど小 山である。この小山からでないと見下ろすことができないモニュメントな のだから、いかに大きいか想像がつくと思う。  嘘ではなく、校庭ぐらいの大きさがあるのだ。  頂上から、見下ろす。  おおっ! 念願の銭形だ! 来たぞ、来たぞ! アラレちゃんだ!  う〜〜〜ん、感無量。
「寛永通宝」の銭形砂絵
 しかし、何でまたこんなだだっ広い砂浜に、こんなに巨大な「寛永通宝」 の形に砂を盛り上げたのだろう。  しかも「寛永通宝」という文字の溝にあたる部分は、深さ1.5メート ルもあるんだってさ。  いちばん多く広まっている話としては、徳川家光の頃。  寛永10年(1633)。時の丸亀藩主・生駒高俊の藩内巡視を歓迎す るために住民が一夜にして掘り上げたというもの。  しかし、歓迎するためだけに、わざわざ1日で、こんなもの作るか? しかも、この「寛永通宝」の文字。  琴弾山山頂の展望台からは、ちょうどまあるく見えるけど、実際はタテ に細長いそうだ。左右も対称ではないらしく、ちょうど展望台から見たと きに、丸く見えるようにしたと、念が行っている。  そこまで緻密なアイデアを、1日で作り上げるようなドキドキするよう な状況では実行しなかったと思う。  どうもこの「銭形」に関する史実が、いっさい残っていないことから、 地元では謎が謎を呼んでいるようだ。  ただタクシーの運転手さんにいわせると、「ここらの人間はのんびりし てるから、そんな謎なんか真剣に考えないなあ…」とのこと。  そんな調子だから、この土地の人たちはこれだけおもしろいものをちっ とも、宣伝して世の中に広めようという気すらない。    琴弾山山頂の立て札には『見た人は一生お金に不自由しない』と言われ ています』と書いてあるのだから、観光地としてもっと盛り上げるのは、 楽だと思うのだが。  だいたい、これだけ巨大なものを見るのに、無料というのも、のんきだ。  しかも、年に2回、観音寺市ではなく、町のボランティアの人たちが、 「砂ざらい」といって、「寛永通宝」の文字を、修繕するのだそうだ。  今年は、ゴールデンウィークに200人ぐらいの人たちが総出でやるの で、いまがいちばん「寛永通宝」の形が崩れている時期なんだそうだ。ち ょっと残念なとき来てしまったようだ。
銭形を真横からながめる
 しかし、もったいないなあ。こんなにおもしろいもの。  私だったら、観音寺市内に、あと5つか、6つ、似た古銭の砂絵をつく って、見て回れるようにしちゃうけどなあ。 「和同開珎」とか「天正小判」、「天保一分銀」といった古銭の砂絵があ ったら、それだけで話題になるよねえ。 「寛永通宝」のすぐ近くに、世界のコイン館という、しょぼい博物館作る くらいなら、土地も余ってるんだから、砂絵(サンドアート)をもっとた くさん作るべきだと思うなあ。  お金にご利益があるといえば、間違いなく私の友人で、ひとり「ぼ、僕 は、行かないのねん!」とか言いながら、こっそり行くやつがいる。  立派な観光資源になると思うけどなあ。  その前に、こんな素晴らしいものを、町のボランティアの人たちに頼っ ていちゃいけないよ。  あともうひとつ、観音寺という町は、大林宣彦監督の映画『青春デンデ ケデケデケ』の舞台になった町でもある。向かい側の倉敷には、大林宣彦 さんの映画に関する名所ができつつあるらしいんだけど、この観音寺には 何もないという。 「もうあの映画も、10年くらい前になるもんね〜!」と、運転手さん。  あとで調べたら、1992(平成4)年の作品だった。  8年前になるんだなあ。  午後12時30分。あっというまにすべてを見終わって、観音寺駅まで 戻る。  わずか1時間の旅である。  やっぱり銭形砂絵を5つは作って、観光客を足止めしないといけないよ。  午後1時3分。観音寺駅から、いしづち12号に乗る。  なるべく身体をいたわらないといけないので、観音寺駅でグリーン車を 予約しようとしたら、いしづち号には、グリーン車はついていないという。 ふぉわんふぉわんふぉわん…。気の抜ける会話だ。  しかも、指定席の1号車11番C席に行くと、サラリーマン風のおっさ んが、がーごーがーごー熟睡している。気持ちそうだ。  ほかの席にすわってあげよう。  そういえば、四国は土居ちゃん(土居孝幸)を生んだ国だ。  誰もがのんびりしてるのは、仕方ないかな。  午後1時49分。高松駅着。  観音寺から高松まで、40分ちょっと。こんなに近いと思っていなかった。  ずいぶん四国の列車は、便利になっているようだ。  偏見だけど、まさか観音寺駅から、高松行きの列車が、1時間に1本走 ってるとは思わなかったもん。  高松駅は、ちょうど5月13日のJR新高松駅の完成に向けて、急ピッ チで工事が進んでいる状況。ベニヤ板がそこらじゅうに貼ってあって、い かにももうすぐ完成の雰囲気。  こういう舞台裏っぽい景色が見えるのは、大好きだ。  ステージより、楽屋のほうに興奮する性質(たち)だからね。  なつかしい高松駅構内のさぬきうどんの立ち食いスタンドが残っていた けど、駅の完成後、ここは閉鎖しちゃうのかなあ。高松に来た旅好きの人 なら、一度はこのスタンドで食べたことがあるはずだ。そんなに美味しく はないけど。  高松駅から、琴電高松築港駅のほうに向って歩く。  フェリー乗り場があるのだ。  ここで、今回の旅第2の念願を叶えようと思っている。  ちなみに、今回の念願は、3つか、4つぐらい用意されている。本当に 私は旅のことになると、強欲ですな。  しかし、この第2の念願はまたしても、失敗に終わる。  高松の北に、女木島(めぎじま)という小さな島がある。  この島は、通称「鬼が島」と呼ばれていて、鬼たちの洞窟やら、桃太郎 関連のものがあるらしいのだ。  実はこの女木島(めぎじま)も過去2回チャレンジして、いずれも失敗 に終わっている。フェリーの出航時間と毎回どうも相性が悪いのだ。  きょうも、いま午後2時10分。午後2時に出たばかり。次の船は、午 後4時。  まだ2時間もある。  前もこのパターンでダメになっている。  実はファミコン版『桃太郎電鉄』の攻略本には、この女木島(めぎじま) の取材記事が載っている。当時忙しかった私の代わりに、ファミコン神拳 でおなじみのキム皇が行ってくれた。だから早い時期になんとか行ってお きたかったのだ。たいしたものが置いていないというのは、百も承知なの だが。  というわけで、午後3時。リーガホテルゼストにチェックイン。  さっそく、『桃太郎02(仮)』のメッセージ直しを始める。  何で高松まで来て、真昼間ホテルにこもって、原稿を書かにゃならんの かいなあ。ああ、無情のジャン・バルジャン!  午後5時。さすがに食事がてら、町の探索に出る。  丸亀町通りを歩く。  長い、長い、本当に長い、アーケードだ。  しかもこの商店街、どのお店にもお客さんが入っている。  いま地方のこういうお店は、シャッターが閉まりっぱなしの「シャッタ ー商店街」と呼ばれる廃墟みたいな商店街ばかりなのに、この繁栄の仕方 はなんだ!?  学生服の若者たちも圧倒的に多い。  こんなに学生服を見ることのできる地方都市って、珍しいよ。  行けども、行けども、まだアーケードが続いている。  やっと左折できるアーケードがあったので、曲がってみる。  しばらく歩く。  げっ! げっ! げげげのげっ!って、鬼太郎が出てきたわけではない。  前方の大きなビルはなんだ?  ファッションビルっぽいぞ。えっ! うっ! あっ! 「コトデンそごう」!!!???  そごうデパートではないか。  どこでも斜陽で、閉鎖! 閉鎖!が続いている、そごうなのか。  しかも、えっ!? 琴電「瓦町(かわらまち)駅」と書いてあるぞ。  嘘でしょ! 琴電っていったら、正式名称・高松琴平電鉄。以前、金毘 羅様(こんぴらさま)から、高松まで乗ったことあるけど、ほとんどちん ちん電車のような、おんぼろな電車だったよ。  東京でいうと、三軒茶屋から走る、世田谷電鉄と似たようなものだ。  とてもじゃないが、こんなおしゃれなファッションビルのなかを走るよ うな電車ではない!  走っていた…。  エスカレーターを登り、エスカレーターで降りるような近代的な駅舎の ホームに、堂々とちんちん電車のような、塗装がハゲまくった電車が走っ ていたのだ。  なんたるミスマッチ。  この落差は、おもしろすぎて、呆然とするくらいだ。  まあ、このファッションビル形式の駅舎に驚き、たったひと駅だけ乗っ てみる私もじゅうぶん変なやつではある。  午後5時52分。琴電琴平線で、ひと駅。「片原(かたはら)駅」まで 乗る。  片原駅は、やっぱりいつもの琴電の駅だ。  古いなんてもんじゃない。  東京オリンピックの頃の駅のようだ。  こうでないと、私のコンピュータは暴走してしまう。  しかし、ここの商店街もみごとなまでに繁盛している。  すごいなあ。いったい何キロメートルにわたって、この商店街は繋がっ ているのだろう。明日、こっちの人に、この町の繁栄状況をじっくり聞い てみよう。まさか高松には、一太郎の会社と、大塚製薬があるからじゃな いだろうなあ。  午後6時。「かな泉紺屋町」で、特上天ざるを食べる。  高松には、700軒以上の讃岐うどん屋さんがある。高松では、喫茶店 でもうどんがメニューにあるという噂は、冗談になっていない。事実である。
 この「かな泉」もけっこう美味しいと評判のお店なので来てみた。  ぷりっぷりっの弾力ある讃岐うどんを食べることができて幸せ。  最近観光客のあいだで、讃岐うどんの麺がやわらかいほうが好きだとい う人が増えているそうだけど、讃岐うどんと銘打つかぎりは、腰のある ぷりぷりでありつづけてほしいものだ。  讃岐うどんに関しては『恐るべきさぬきうどん』(麺通団・新潮文庫) という名著があって、讃岐うどん好きなら絶対に読んでいる本がある。  この本ともうひとつの名著『うまひゃひゃさぬきうどん』(さとなお著) については、またいつか触れてみたい。  きょうは、本当に『桃太郎02(仮)』のメッセージ直しがピンチなの で、日記のほうもこれで終わりにしてもらう。  國政修くんのほうからも、さっき催促の電話が来たばかりだ。  なにしろ文筆業を、25年やってきて、一度も催促されたことのない のない男なだけに、気が動転している。  そんなわけで、また明日。  明日、土居ちゃん(土居孝幸)と、石崎仁英くんが合流する。
 

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