4月7日(土) 毎日、午前5時に目が覚めてしまうのはなぜだ? 花粉症のせいなのはわかっているが、何も毎日決まった時間に目が覚めな くてもいいだろうに。 花粉症の薬を飲むと、眠くなって、また寝てしまう。 午前11時。東京へ戻る仕度をして、家族3人、京都のマンションを出る。 寺町三条の「とり市老舗」で、天むすを買う。春はタケノコ、秋はマツタケの「とり市老舗」 御池地下街で、「カスカード」のモルトくるみパンを買って帰るのは忘れ ない。 帰るときの儀式、すべて完了。 荷物が多いので、京都駅までタクシーで行こうと、手を上げると、停まっ たタクシーがなんと、京都相互タクシーの井堀さん! ヤサカタクシーに移 籍した宮本さんが都合つかないときにお願いしていた井堀さんだった。 相変わらず私の、ばったり道端で人に出会ってしまう、ばったり病健在なり。 井堀さんから、桜の色は、気温によって、ピンク色になったり、白くなっ たりすることを教えてもらう。2日前の疑問だ。今年は、寒かったので、例 年より、今年の桜はピンク色が多かったそうだ。 午後12時10分。のぞみ12号。 車中、「とり市老舗」の天むすで、朝食。 たった2泊3日の京都で、思い切り食べ過ぎてしまったので、今朝は軽食 で。 午後12時46分。東京ではなく、名古屋で下車。ちょっと寄り道をして 行く。 新幹線名古屋駅から、地下鉄東山線へ。 午後1時30分。地下鉄東山線で、終点の藤が丘駅へ。 駅を降りると、右を見ても、左を見ても、満開の桜、桜、桜。ちょっとや そっとの桜の量ではない。四方八方、桜だらけ。何でも土地の有力者が尽力して、藤が丘じゅうの道路という道路に、桜を 植えたのだという。 これだけの桜を、商店街で見ることはまずないよ。 別に知っていて、ここに来たわけではなかっただけに、桜、桜、桜、桜、 桜、桜、桜、桜、桜の大歓迎に、家族3人、びっくりする。 名古屋では、この藤が丘の桜は、有名になっているのだろうけど、ここ の桜が全国区になる日も近いなあ。 それにしても驚いた。 今年は本当にきれいな桜にめぐまれている。 午後2時。藤が丘から、長久手へ。戦国時代、小牧・長久手の合戦で有名 な、あの長久手である。 ここに、トヨタ博物館がある。 あの自動車のトヨタである。 『桃太郎電鉄』の作者が、自動車の博物館に来るとは、妙に思うかもしれな いが、詳しいという観点から見れば、私は自動車のほうが、詳しい。 なにしろ、父親が、日産自動車に勤務していたのだ。しかも日産自動車と 合併したプリンス自動車の出身である。プリンス自動車というのは、ゲーム でいうと、セガみたいな会社で、とにかくマニアックな車を作ることで有名 な会社だ。 日本最初のプロトタイプ・レーシングカーR380を作り、日本で唯一、 天皇陛下専用車を作っている。 そんな家に生まれているので、子どもの頃から非常に車は身近な存在だっ た。 学生時代から、スカイライン2000GTを乗り回し、ブルーバード510 を改造して遊んでいたりした。 でも車の道楽を本気で始めると、家を買うことのほうが安いと思えるほど、 果てしない散財の道が待っているので、カーマニアになることをやめた。 そんなわけで、最近はこうして自動車博物館めぐりをして、かつての自動 車好きの心を慰めているのである。 でもこの「トヨタ博物館」は、前から来たかったものの、ずっと後回しに なっていた。昔から、トヨタと日産といえば、二大メーカーとしてしのぎを 削っていたから、どうしても、ライバル会社に乗り込む気分なのだ。 たいした問題ではないだろうにと、ふつうの人は思うかのしれないが、子 どもの頃から、日産自動車の工場には、日産の車でしか入れない習慣が染み 付いている人間にとっては、大問題なのだ。日産と、たとえば富士重工の両 方と取引きしている下請け業者は、日産と富士重工の両方の車を購入して、 使い分けるものだということを聞いて育ったから。 おっとっと。車の昔話になると、やっぱり多弁になる。話を先に進めよう。 トヨタ博物館は、入場料1000円とちょっと高いが、施設の充実度、展 示品のすごさから考えれば、むしろ安いくらい。 ちょうど午後2時から、コンパニオンのお姉さんがわざわざ館内を全部説 明してくれるというので、ひさびさに学生時代の社会科見学の気分になって、 ついていく。 すごいんだ、クラシックカーの量が。 全部復刻版(レプリカ)なんだけど、すべて走ることができるレベルの復 刻なので、当時、こんな風に新車として発売されたんだろうなあ!という空 気が伝わって来て、返って興奮する。どの車も塗装が新しくて、ピッカピカ なのだ。 トヨタの1号車・トヨダAA型からスタート。 まだ「トヨダ」と「ダ」が濁音なのが、いかにも古い。 エンブレムも「TOYOTA」ではなく、「豊田」と漢字なのが、笑える。 2Fに上がると、世界のクラシックカーのオンパレード。 もう踊り出したいくらい大好きな車が並んでいる。 1900年代初頭のキャデラック、フォードモデルA、シボレー、モーリ スオクスフォード、オースチン、ロールスロイス・シルバーゴースト、シト ロエン・5CV・タイプC3、ベンツ・パテント・モトゥールヴァーゲン、 ド・ディオン・ブートン、パナール・ルヴァッソール、エセックス・コーチ、 プジョー・ベベ、リンカーン・ゼファ・シリーズHB…といった、車好きな ら、「うわ〜!」「おお〜!」「これまであるのかあ!」「うひょひょひょ 〜〜〜!」「雑誌では見たことがあるけど、目の前で見るのは初めてだあ!」 といった叫び声の連発になること、間違いなし! 3Fは、国産車ゾーンになっていて、トヨタ以外の古い国産車も陳列して いるのだ。トヨタは度量が広いなあ。 おかげで、子どもの頃大好きだった、日産シルビアに会うことができた。 昨年も、加賀自動車博物館で見ることができたけど、あのときこの日産シル ビアに会うのは、この世で最後になるだろうなあと思っていただけに、小さ くガッツポーズである。 そして、そして、そして、このトヨタ博物館に来たいちばんの理由の車と ご対面。トヨタ2000GTである。 父親が、プリンス自動車から、日産自動車に勤務しても、密かに大好きだ ったトヨタの名車・トヨタ200GTである。 あの『007は二度死ぬ』の撮影でもつかわれたトヨタ2000GTである。 エンジンをヤマハが作った、ロングノーズのトヨタ2000GT。 たった330台しか生産されなかった、トヨタ2000GT。 お台場のヒストリー館でも見た、トヨタ2000GT。 加賀自動車博物館でも見た、トヨタ2000GT。 それでもまだ見たくて来た、トヨタ2000GT。 本当はいまでも買いたい、トヨタ2000GT。 でもいま買おうとすると、1600万円もする、トヨタ2000GT。 そのトヨタ2000GTに会いに来た。 いつ見ても、流麗なボディだなあ。 日本初、ヘッドライトが回転して出てくるリトイラクタブル式も健在だ。 純白のフォルムは、本当に美しいなあ。 三島由紀夫の『金閣寺』では、金閣寺に惚れぬいた男が、金閣寺に放火し たけど、その気持ちのゾーンに一瞬入ってしまうくらい、感動。 この場を去りがたいけど、案内のお姉さんが次に行きたがっていたような ので、泣く泣く次に進む。もう一度見に来るからねと言いながらも、すでに 館内を1時間近く歩いて、足がへろへろ状態になっていたので戻れそうもない。 午後3時。本館の見学終了。 新館に移動。こっちには車と、昔の家の電化製品、ギター、サーフボード、 漫画雑誌、音楽雑誌、フィギュアといったものが飾ってあって、戦後から現 代にいたるまでを回顧できる。 これはこれで、レトロ・ファンには、こたえられないものばかりだ。 新館のカフェテリアで、コーヒー。 テスト・コースが見渡せる、気持ちのいいエリアだ。 銀髪の老人が、じっと静かに、テスト・コースを眺めている。きっと昔、 自動車を作っていた人なんだろうなあ。 気分がいいので、カフェテリアで、ほっこりしながら、SONYの携帯電 話SO503iを取り出し、ついにメールを土居ちゃん(土居孝幸)に送る! 「メールを送ったぞー!」くらいしか書けなかったけど、約束どおり、メー ルを書いたぞ〜! 電話登録もできるようになったぞ〜! うれしいぞ〜! これからみんな、私の携帯にばんばんメール送って来てね〜!って、言っ ておきながら、私の携帯電話の番号を知っているのは、10人とちょっとぐ らいしかいないのである。 2001年、4月。さくまあきら、ついにIT革命なる! …と、年表に書いておこう。 いやあ。話は、トヨタ博物館に戻るけど、これほど満足度の高い博物館は ないね。本当におみごと! 館内の美しさは、抜群。トイレのきれいさは類 を見ない。どのコンパニオンさんも親切。 まわりの景色の開放感ったらないよ。 午後4時。さすがにまったく歩行困難な状態なので、タクシーを呼んでも らって、名古屋方面へ。 長久手の桜も車窓から見物。東山の平和公園の桜も美しい。 この長久手は、2005年愛知万国博覧会の予定地になっているそうだ。 万博のついでに来るには、絶対いい場所だよ! 4年後は、ちょっと遠いなあ。 午後5時。大須。名古屋で、大須といえば、私の場合、大須観音ではなく、 みそかつの「矢場(やば)とん」である。 私はすでに何度も訪れているのだが、嫁と娘は一度も来ていなかったのだ。 というわけで、どうしても来たかった。 娘は、みそかつ丼。 嫁は、特製串かつ定食。 私は、ひれかつ定食。 もちろん、みそだれにしてもらって、しばし待つ。 私の後ろの座席では、「佐久間さん」とか言って会話している。 驚くほどのことではない。 名古屋では、佐久間という苗字は非常に多い。加藤さんも多い。 だから名古屋で、会話のなかで「佐久間…」という単語が出ても、私のこ とではないのである。 「佐久間さん…」 また言っている。 「さくまサン!」 人の話し声が、「佐久間」から「さくま」と平仮名に変わるわけがない。 後ろを振り向く。 おお! なんと! 大阪の売れっ子放送作家・小林仁くんではないか! 昨年バッファロー吾郎くんのホームラン寄席の仕事をセッティングしてくれ た、『ドラクエ7』のガボちゃんに似ている、小林仁くんである。 「いやあ、びっくりしましたよ!」 「こっちもびっくりだよ!」 小林仁くんは、名古屋でも番組を構成していて、きょうは放送作家の後輩 といっしょとのこと。 私のばったり病って、本当にすごいでしょ? 自分でも恐ろしくなるときがある。 小林仁くんとは、東京で会うことを約束して、店内で別れる。 みそかつのほうは、やっぱり娘が選んだ、みそかつ丼がいちばん美味しい。 あいかわらずの嗅覚だ。ロースとみその相性がいいんだろうなあ。 今度からは、みそかつ丼にしよっと。 午後5時30分。名古屋駅。 運良く、15分後ののぞみ22号の座席が取れた。 のぞみ22号以降の指定席がずっと満席なので、運がいい。 その分、座席は家族3人、離れてしまったけどね。 午後7時28分。東京駅着。 午後8時。原宿の自宅に戻る。 しばらくして、ヤサカタクシーの宮本さんから電話が入る。 「先日は、ありがとうごいざいました!」 「いえ、こちらこそ!」 このあと、宮本さんからちょっと変な話を聞く。 私の知り合いだという人から、ヤサカタクシーに電話が入って、あの名前 を公表しない、京都の割烹料理のお店「M」の電話番号を教えてほしいと言 ってきた人がいたそうだ。 私の知り合いだという「S」という人に、覚えが無い。 だいたい私の知り合いなら、私に連絡を取るはずである。 「M」は、一見さんお断りのお店なので、こういう嘘をついてまで、「M」 に行かないように。 困ったねえ。今後この日記の書き方も考えないといけなようになって来た。 店名を公表しているお店に行くのは、全然かまわないんだけどね。むしろ 行ってほしいと思うし、そこで偶然私に会ったら、しゃべりもする。 「M」のお父さんが雑誌などの取材もほとんど受けないようにしているん だから、むりに探し出して行かないようにね。 テレビ神奈川で、横浜ベイスターズ対阪神タイガース戦を観戦。 なんとか勝つには勝ったけど、どうも打線に迫力が無いなあ。 金城選手が、2号本塁打を打ったけど、これが横浜ベイスターズの今期通 算本塁打2本目! 金城選手以外、誰も本塁打を打っていないんだよ〜! 非力にもほどがあるぞ〜! でも勝ったから、幸せ。 今夜は、スポーツニュースをはしごだ!
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