1月4日(木)

 外に出て、綿毛のようなものを手でつかまえると、雪であった。
朝から、小雪がちらちら、寒い京都だ。
 
 午前11時30分。毎年恒例「京都文化博物館」のお餅料理屋さ
ん「きた村」主催のお餅つきに行く。
 すぎやまこういち先生ご夫妻はさすがに例年でお餅に飽きたよう
で、湯豆腐を食べに行くとの連絡が入る。
 なのに餅に執念を燃やすバカ家族であった。もはや我が家にとっ
てこのお餅つきは年中行事になっている。

 しかし、待てどくらせど、いつまでたっても、お餅つきが始まら
ない。
 昨年のお正月の日記で、午後11時30分から始まったことを確
認して来ているだけに、お腹が減って来た。
  
 そこへ、ひとりの男の子が「さくまあきらサンですね!」と話し
掛けて来た。
「ボク、広瀬と言います!」
「おお! 調布市の広瀬友伸くんか!」
 はっはっは。『デジタルさくまにあ』になっても、『ジャンプ放
送局』からの癖で、地名といっしょに名前を覚えてしまう。
「これ、吉祥寺の駅ビルにある舟和で買って来た、芋ようかんで
す!」
「おお! 舟和の芋ようかんかあ! うちが舟和を好きなのよく覚
えていてくれたねえ!」 
「それと…」
「えっ? まだあるの?」
「これは、武蔵野珈琲のコーヒー豆です!」
「おお〜! あの吉祥寺のコーヒーだあ! うれしいなあ!」
 食い物に弱い家族の心臓部をもろに突いた、広瀬友伸くんの攻撃
であった。カンタンに撃沈される。

「狙って来たの?」
「ええ! ここに来れば、会えると思って!」
「いい読みだねえ!」
 何たって広瀬友伸くんは、いつも私の日記に登場する「M」を、
日記のなかから場所を類推して見つけ出し、食べに行ってしまった
ほどの行動派さくまにあなのである。
「ところがねえ。まだお餅つきが始まらないんだよ〜!」

 午後12時を過ぎる。食い意地の張ったバカ家族はいいかげん、
お腹が空き過ぎて、苦しくなって来た。
 そこへ娘の悪魔のようなささやき声が…。
「ねえ、さくちゃん、一度イノダコーヒでちょこっとフルーツサン
ドでもつまんでから、もう一度ここに来るのってどう?」
 どうしてこういうことになると、都合のいい悪智恵が働くのだ、
こやつは! しかし、「イノダコーヒ本店」は満員であった。戻るか? 
広瀬友伸くんをほったらかしたまま来てしまったし…。

 そこへ再び、娘の悪魔のようなささやき声が…。
「ねえ、さくちゃん、清水寺のイノダコーヒなら、フルーツサンド
あるから、ちょこっと行って、また戻って来れば?」
「ずいぶん遠くないか? そっちのイノダコーヒは…」

 けっきょく清水寺の「イノダコーヒ」まで行ってしまうバカ家族
であった。わざわざタクシーで。
 しかもクラブハウスサンドを食べ、お腹いっぱいになってしまう
私であった。しかし悪魔の娘は、京都文化博物館に戻って、お餅を
食べると言い張るのであった。
 まだ食うのか〜?

 私はマンションに戻り、嫁と娘はお餅に向うことになった。
「もし広瀬友伸くんに会ったら、よろしく言っておいてね〜!」
「あ〜い!」

 私は、マンションでお仕事。
 そういえば昨夜iモード・ゲームの原稿を完成させて、嫁のiM
acに送ったつもりが、ハドソンの國政修くんのほうに送ってしま
っていたようで、わざわざ國政修くんが、インデックスさんに原稿
を転送してくれたそうだ。恥ずかしい〜!
 私のVAIOの送信先は、嫁と國政修くんの2ヶ所しかないのだ
が、何かの拍子に順番が逆になってしまう。
 すると、上のほうが嫁のアドレスと思い込んでいる私は、今まで
に何度も國政修くんに、日記の原稿を送ってしまっているのであっ
た。まったく穴を掘って、入りたいくらいだ!

 午後3時30分。嫁と娘が帰って来る。
「さくちゃ〜ん! 行ったら、もうお餅なくなってたよ〜!」
「え〜、イノダコーヒに行ってから、1時間も経ってなかったよな
あ! そんな早く終了しちゃったのかあ?」
「舟和くれた人もいなくなってたよ〜!」
「おまえなあ、人を食べ物くれた人で覚えるのよせ! 広瀬友伸く
んだ。名前で覚えてあげろよ!」
「じゃあ、舟和をくれた広瀬くん!」
「お笑い芸人か、おまえは!」

 午後7時。近所のイタリア料理店に行くも、味の濃さに閉口して
帰ってくる、味にうるさい家族であった。
 口直しに、広瀬友伸くんからもらった、大好きな武蔵野珈琲のジ
ャワロブスターに舟和の芋ようかんをすかさず食べる懲りない家族
でもあった…。
 

-(c)2000/SAKUMA-