11月14日(火)

 メトロポリタン仙台で起床。

 昨夜あまりにも早く寝ることができたせで、すぐ目が覚めてしまった。
 時計を見れば、まだ午前2時30分。

 メトロポリタン仙台は、けっこう豪華なホテルなのだが、微妙にセンスが悪い。
 部屋も広いし、調度品も悪くはないので文句を並べるほどではないのだが、センス
が悪い。
 自体的に書くとかわいそうなのでやめるが、ウォシュレットのひどさは猛省を促し
たい。山荘のロッジのぼっとん便所を無理やり水洗にしたような代物だ。せっかくの
ウォシュレットなのに。
 そんなに悪くないホテルなだけに、もったいない。
 
 午前8時30分、ホテルの2Fにあるカフェで、朝食。
 みんな時間通りに集まって、えらいなあ。
 最近何をしでかすかわからない若者と旅行するのが恐くて、大人たちとだけ旅行す
るように切り替えたのだが、波乱がなくて、日記的には、地味になってしまう。まあ、
健康を考えれば、楽だし、会話も楽しい。40歳を越えると、ストレスは確実に数分
単位で寿命を縮めて行く。

 午前10時16分。やまびこ101号。仙台から、さらに北に向う。

 午前10時31分。わずか20分ほどで、くりこま高原駅に着く。
 さすがの私もこの駅には、初めて降り立つ。
 もともとこの駅から、栗駒高原までは、はるかに遠いのだが、なぜかくりこま高原
駅と、わざわざ平仮名にしてまで、駅名になっている。
 くりこま高原駅から、いちばん近くて有名な場所は、今話題の「上高森(かみかた
もり)遺跡」である。
 あの旧石器捏造事件の本拠地だ。

 こっちの朝のニュースでは、宮城県が上高森遺跡の再調査をする予算がなくて困っ
ているそうだ。このくりこま高原駅が、上高森駅という名前になっていたらと思うと、
笑える。
 ちなみに、駅の売店で「原人の里」という名のカステラを売っていた。
 案の定、梶野竜太郎くんがお土産に買っていた。

 どうも、仙台から先の東北新幹線の駅名というのは、場所と地域が一致していない
ものが多い。場所も奪い合ったあげく、お互いからおなじ距離の場所に設置したため
に、駅前に何も無いといった悲しい結果になることが多い。

 このくりこま高原駅前も、見事なまでに何もない。
 バス路線すらない。

 きょうはこれから、「宮城の明治村」と呼ばれる登米(とよま)というところに行
く。松尾芭蕉の『奥の細道』にも、戸伊摩(といま)という名前で登場する場所だ。
JRの駅からは、どこからでも遠いために、私も一度も行ったことがない。

 ここでも昨日のように、ジャンボタクシーをチャーターしようとするが、どのタク
シー会社にも、用意されていないか、出払っている。仕方なく2台のタクシーに分乗
して、最初の目的地である「石ノ森章太郎 ふるさと記念館」に向う。

 あの漫画の王様・石ノ森章太郎さんの記念館である。
 私はどうしても、この記念館に来たかった。

 2年ほど前のことだろうか? TVで『第2の手塚治虫を作る』とかいう番組に出
演したとき、石ノ森章太郎さんとごいっしょさせていただいた。
 せっかくだから、石ノ森章太郎さんと、この記念館ができるそうですね!という会
話をさせていただいた。
「そうなんだよ、楽しみなんだ!」
 この言葉が、私と石ノ森章太郎さんと交わした最後の言葉になった。
 だからこそ、何があろうとも、この記念館には絶対に来たかったのだ。
 はっきりいって、交通の便が悪すぎるが。

 午前11時。「石ノ森章太郎 ふるさと記念館」に着く。
「石ノ森章太郎 ふるさと記念館」は、正しくは登米(とよま)町にあるのではなく、
登米(とめ)郡中田町というところにあるそうだ。
 まぎらわしい。都会人の感覚だと、隣りの町なら、ほとんどおなじ場所じゃないか
と思うだろうが、地方の場合、下手な市よりも何倍も大きい町というのは、ざらであ
る。
 ちなみに、この中田町から、登米まで、車でも20分以上かかるそうだ。
 そういう規模なのだ。

 あれ? では本名「小野寺章太郎」さんであるはずの「石ノ森章太郎」さんの名前
の由来である「石ノ森町」はどこにあるのだろうか?
 たしか石ノ森章太郎さんは、そのペンネームを故郷の町の名前から取ったはずと、
記憶していたはずだ。運転手さんに聞くと、この場所が中田町石ノ森という場所なの
だそうだ。どうも石ノ森という地域もかなり大きいようだ。
 あまり深く考えないようにしよう。
 まずは、サイボーグ009の彫像の前で記念撮影だ。  ちょっと色がよくないな。  サイボーグ009は、私のイメージでは、朱色に黄色のマフラーだなあ。あとでわ かったのだが、5種類のパターンのコスチュームが、漫画、劇場用アニメ、TVアニ メなどで、用いられたようだ。 「石ノ森章太郎 ふるさと記念館」に入る。  おお! 広いぞ〜!   庭に石ノ森キャラが!  受付までが遠い。  おおおっ! 受付の後ろの中庭は、大きな大きな生前の石ノ森章太郎さんの写真が!  トイレの男子用の表示は、ロボコン。女子用は、さるとびエッちゃんだ。
 併設で、『まんだら屋の良太』の作者である、畑中純さんの特別展をやっていたが、 申し訳ない! 石ノ森章太郎さんの展示室のほうを急ぎたい。  畑中純さんは好きな作家なのだが、駆け足で見てしまいました。  いよいよ石ノ森章太郎さんのほうの常設展。  うわっ! いきなり、あのときわ荘時代の石ノ森章太郎さんの部屋が、再現されて いるではないか!!!!!  私にとって、ときわ荘という、漫画ファンにとっては、誰でもが知ってるキーワー ドは、「憧れ」などという言葉で括りたくないほど、ずしりと重い響きを持っている。    書き損じの原稿、古ぼけた机をじっと見ていると、じわ〜〜〜っと涙が…。  一体この感情は何なんだろうか?  悔し涙かな?  走馬灯のように昔の景色が思い出される…。  小学校1年生になる直前、我が家に、継母がやってきた。  漫画家になりたくて、なりたくて、毎日漫画を模写していた日々。  継母が最初にやった政策は、私から漫画を取り上げることだった。漫画を描くこと を禁止され、漫画を読むことも禁止された。  仕方なく、近所の床屋さんに置かれてあった、月刊『少年』を読むのが、唯一の楽 しみだった。その楽しみだって、いつまでたっても帰ってこない私を、床屋さんから 引き剥がすために、継母はやってきた。  小学校5年生のとき、いまTVで、NTTドコモのCMに登場するスーパージェッ ターを模写するのが上手い、大沼くんという転校生徒がやってきた。  その見事な画力を見る度に、継母を呪った。 「私も漫画を描きたかった!」。  高校生になったとき、たまたま入った本屋さんで『巨人の星』を立ち読みした。こ の梶原一騎という原作者は、昔々、『チャンピオン太』を作った人じゃないか!  継母に内緒で、『巨人の星』を買うようになった。  そのうち、永島慎二さんの『青春裁判』にショックを受ける。 『巨人の星』のときは、子供の頃と変わらぬ漫画に喜び、『青春裁判』には、映画の ような表現にまで進歩していた漫画というものに驚いた。  この頃には、完全に継母と対決できる年齢になっていたので、まもなく内緒ではな く、漫画を買いあさるようになった。小学校3年のときに、20歳になるまでは、継 母の言いなりになるが、20歳になったら自分の人生を歩むぞと決めていた予定を少 し早めることにした。  いかん、禁断の継母ネタをぺらぺらしゃべり始めてしまった。  話すのは全然嫌ではないのだが、このネタは私にとって、佐々木様のフォークボー ルのように、決め球なので、人生のもう少し最後のほうにとっておくことにしたいの だ。  少し明るいほうの描き方に戻す。    高校2年生のときに出会ったのが、現在赤川次郎さんのカバー表紙で有名な、画家 の北見隆である。  彼も漫画が大好きで、お互いそんなにお金がないものだから、北見隆が、手塚治虫 さん担当で、私が石ノ森章太郎さん担当という風に分けて、漫画本を買って、回し読 みするようになった。  おかげで、私は石ノ森章太郎さんの本のほとんどを読むことになった。  大学時代に入った頃は、ときわ荘に憧れて、漫画研究会に入った。  当時、博多から上京してきた、現・集英社勤務の牧野弘の下宿先である沼袋の「双 葉コーポ」を「ときわ荘」に見立てて、青春を謳歌したものである。  その後も、漫画の出版社を狙うも、色弱のせいで、試験を受けることも叶わず、漫 画評論家になろうにも、漫画の世界に詳しくなければいけないと、漫画原作者志望と 偽り、週刊少年ジャンプに潜り込み、原作者志望ではないことがバレて、居辛くなり、 『子連れ狼』の小池一夫さんが主催する『劇画村塾』の門を叩いた。  ここでも漫画編集者になることができず、再びフリーライターに戻り、漫画評論家 となり、2冊の単行本を発表したが、当時、漫画評論家という職業自体が確立されて おらず、とても主食になれず、いつしか廃業。  その後、やっぱり漫画の近くにいたくて、週刊少年ジャンプで、『ジャンプ放送局』 を始めるも、漫画の出版社創設の夢が忘れられず、『マンガハウス』という新人漫画 家養成雑誌を作った。  これが、大失敗で、2億円ほどの赤字を作り、ゲーム作家へと転進したのだった。 その後も、『チョコバナナ』なる漫画雑誌を作り、またまた失敗する。  どうしても、漫画とは相思相愛になれない。  私は継母に止められた漫画への夢をずっとずっと追い続けているようだ。  この「石ノ森章太郎 ふるさと記念館」までの町の風景が、石ノ森章太郎さんの代 表作である『ジュン』の景色とまったくおなじであることを千夜一夜語れるほど、私 は漫画が好きである。  その私がいま、こうして漫画とは無縁の男として、記念館の前に立っていることに、 かなり狼狽しているようだ。  まあ、漫画であれ、ゲームであれ、表現方法に違いはないのだが。  長い余談になってしまった。    この「ときわ荘」再現の間を見ただけで、遠路はるばる来ただけのことはあった。 この記念館のためだけのオリジナルアニメも上映されている。  生原稿がほとんど無いのは、ちょっと残念だけど、ジオラマ形式の「生家のひみつ」 は、いかにも石ノ森章太郎さんらしい仕掛けがあって、今後ここを訪れる人のために、 大切な秘密にしておきたい。  しかし、生前の石ノ森章太郎さんの人柄が偲ばれるかのように、この記念館に寄贈 された有名漫画家さんたちの色紙と、絵扇子は豪華だ。  順不同、覚えているだけで、ざっとこんな人たちが名を連ねていた。  モンキーパンチさん、水島新司さん、里中満智子さん、竹宮恵子さん、矢口高雄さん、 松本零士さん、藤子不二雄Aさん、新谷かおるさん、島本和彦くん、勝川克志さん、 伊万里すみ子さん、原哲夫くん、やなせたかしサン、ささやななえサン、石井いさみサン、 さだやす圭さん、古谷光敏さん、一峰大二さん、さいとうたかをサン、北見けんいちサン、 影丸譲也さん、倉田よしみサン、中山星香さん、井出智香恵さん、川崎美枝子さん、 永井豪さん、かわぐちかいじサン、寺沢武一さん、浦沢直樹さん、つのだじろうサン、 池上遼一さん、萩尾望都さん、弘兼憲史さん、村野守美さん、ちばてつやサン。  全員が、自分の画風で、石ノ森章太郎さんの作品群のキャラを楽しそうに描いてい る。とくに、原哲夫くんの力が入った、サイボーグ009は、この絵を見に来ただけ でもよかったと思えるほどのものだ。  おそらくここに絵を寄贈していない有名作家は、石ノ森章太郎さんよりも先に亡く なった手塚治虫さんぐらいのものだろう。  おおっ! ビデオライブラリーで、『キカイダー』が上映されているぞ。  誰だ! 壁のスピーカーに耳を押し当てて、泣きそうな顔をして、聴き入ってるお 客さんは! 梶野竜太郎くんかいっ! マニアだな、あいかわらず!  いや、でも、もし今、漫画家をめざしている人がいるなら、どんなに苦労してでも この「ふるさと記念館」に来てみるといい。  ここに来て、朝から晩まで、ここで佇んでいたなら、漫画家をめざす資格があるだ ろう。そうでなかったなら、自分の漫画への情熱は薄いと思って、諦めたほうがいい。  私も梶野竜太郎くんも、土居ちゃんも、柴尾英令くんも、実はずっとこの場所を離 れたくなかったのだ。  うちの娘は置いてある石ノ森章太郎さんの作品をずっとさっきから読んでいる。  それにしても、石ノ森章太郎さんの作品タイトルを見るだけで、どれだけ私が影響 を受けてきたのか計り知れないくらいだ。  グッズ売り場で、散財するのをぐっとこらえて、「佐武市サブレ」を買う。
『佐武と市捕物帳控』とサブレのだじゃれである。  ああ! 3万円もするこの記念館オリジナルのサイボーグ009フィギュアが欲し かったなあ!  午後1時。記念館から50メートル先の、石ノ森章太郎さんの生家を見せていただ く。特別に見せていただいた。  昔の日本の家はみんなこういう家だったと思えるような大きな家だ。    記念館に戻る。  このあと、本当は仙台に戻る予定だったのだが、これだけ感動したら、このままで は引き下がれなくなっていた。  石巻に、現在マンガアイランドという一大漫画パークが建設中である。その一部が、 この4月にオープンしている。さらに石ノ森章太郎萬画館というのも、来年の8月を めざして建設中である。  行きたい! 全員の意見が一致した。  今度こそ、ジャンボタクシーをチャーターしたい。  石巻までは、ここから1時間ほどかかる。  もちろんバスもない。近くにJRもない。  ジャンボタクシーはないが、マイクロバスならあると、記念館の人が手配してくだ さったと思ったら、石ノ森章太郎さんの弟さんであった。  マイクロバスが来るまで、この夏のオープンのときに、ひろたたけしと、ショッカ ーO野くんが来たでしょうという話をして、しばらく思い出話やら、この記念館の元 デザインは石ノ森章太郎さんが描いていたことなど教えていただく。  あれ? まさか、あれがマイクロバス? うそ!  世間では、観光バスと呼ばないか?  そ、そんな! わずか6人しか乗らないのですよ。  いいそうだ。  石ノ森章太郎さんの弟さんにお礼をいって、記念館をあとにする。
 本当に素晴らしい記念館だった。  でもどうやってここまで漫画ファンは来ればいいのだろうか?  くりこま高原から、ツアーを組むしかないのかな?  何だかすごくもったいない場所だ。  観光バスは、北上川に沿って、南下する。  途中、本来の目的地であった、登米を通る。ジャンボタクシーだったら、運転手さ んに登米も観光したいので、寄ってください!と言えるのだが、わずか6人のために 大型観光バスを走らせてしまったので、とても気がひけて、言い出せない。しかもこ の大型観光バスの料金いくらだと思う?  石巻まで、1時間の道のりなんだよ。  大型観光バスなんだよ。  5万円? 10万円? ふつうそう思うよね。  な、な、なんと12000円なんだよ〜!  恐縮しちゃうでしょう!  そんなわけで、登米に寄ってください!と言えないまま、国道342号線を走る。 昔から北上川は歌になるほど美しくて、盛岡駅近くの桜並木は絶品なのだが、このあ たりの北上川も美しい。
 ちょうど、現在『桃太郎大全集(仮)』で執筆中の村が、このあたりの景色にそっ くりなイメージなので、よけい親近感を持つ。  午後2時。石巻着。  橋の向こうで、体育館よりもはるかに大きな「石ノ森章太郎萬画館」が、いままさ に建設中である。
 景色が広いので、すぐ目の前に見えている「石ノ森章太郎萬画館」まで、歩いてい ったら、やたらと遠いではないか。しかも本当に建設現場だけらしく、今年の4月に オープンしたはずのマンガアイランドはこの場所ではないようだ。  その場所も見当たらず。  もう全員、その場所を見つけ出してまで行く気力ゼロ!  石巻駅に向って歩く。  石巻は、道路にも漫画のレリーフのようなものから、旗まで設置されているので、 歩いているだけでも、RPGの宝箱を見つけたときのような楽しみがある。
 途中、ホテルで朝食を食べて以来、ずっと食べていないので、町のパン屋さんで、 焼きそばパンを買って、食べながら歩く。こういう大人のいたずらッ子な旅は楽しい。
 土居ちゃん(土居孝幸)と、20年後ぐらいに、私と土居ちゃんの記念館は建つか なあ?と話す。 「はっはっは。無理でしょうねえ!」 「できたとしても、貧乏神のお尻の絵とか、下品だもんなあ。石ノ森章太郎さんのサ イボーグ009とかって、格好いいもんなあ!」 「おならプーばっかですからね!」 「オレ、ゲームの仕様書なんてほとんど残ってないしなあ! 横浜ベイスターズ・グ ッズならたくさんあるから展示してもらえるけど、作品に全然関係ないもんなあ!」 「土居ちゃん(土居孝幸)が先に死んだら、生前愛用の品々っていって、エロ本とか たくさん陳列してやるからな!」 「やっぱり、必ず建設されるであろう、堀井雄二記念館にいまから、一部屋用意して おいてもらうように交渉しておこうか! 私と土居ちゃんの分で、4畳半もあれば十 分だろう」 「きっと、そのとき、えのサン(榎本46歳が)まだ生きていて、受付かなんかやっ てるんでしょうね! 適当な作り話して!」 「いつも土居ちゃんには、悩み相談持ちかけられて困ったのねん!てか?」  悩み相談をいつも持ちかけるのは、榎本46歳である。  どうせいつも、土居ちゃん(土居孝幸)は何を聞かれても「それがいいんじゃない!」 としか答えないのを知っているくせに。  なんとも情けない会話になってきたぞ。   午後3時。石巻駅前のシネコン「ビブレ」で、コーヒーブレイク。  さっきパン屋さんで、ナポリタンパンとあんぱんを食べていたはずの梶野竜太郎く んが、コーヒーではなく、ピラフを食べているぞ!  柴尾英令くんも、ハンバーグステーキを食べているではないか!  このあと仙台ですぐ食事をするぞ!というのに、この人たちの胃袋はいかがなもの か!  午後3時58分。うみかぜ16号で、仙台に向う。  この電車の終点が「あおば通り」である。  あれ、去年この電車に乗ったときの終点は、仙石線の仙台駅だったはずだぞ。  午後4時55分。仙台駅着。  仙台駅は、地下の駅になっていた、なるほどこの先の地下鉄あおば通り駅まで繋が ったのか。廃線の多い、北の鉄道にあって、うれしい発展ではないか。もうひとつ勢 いつけて、仙台から、石巻まで、30分で結ぶ特急を走らせてくれないかなあ?  仙台駅で、横浜ベイスターズ・斎藤隆投手のポスター、発見!  斎藤隆投手は、地元東北福祉大学の出身なのだ。  うれしくて、嫁に「写して! 写して!」と叫ぶと、みんなが「さくまサン! 脳 検査のポスターですよ〜!」という。 「何? 脳検査? まさに私にふさわしいポスターではないか!」
 ちなみに、今年横浜ベイスターズを逆指名した吉見投手も、東北福祉大学の出身で ある。私が仙台びいきなのは、この地元東北福祉大学の出身が横浜ベイスターズに多 いからなのである。中根選手もそうだったかな?  午後5時30分。仙台駅地下街で、お土産屋さんを物色し、荷物を置いていたメト ロポリタン仙台に寄って、地下の「牛たんの喜助」に行く。  仙台は牛たんが有名である。  なかでも、「牛たんの太助」は特別有名である。  でも去年食べに行ったけど、格別美味しいとは感じなかった。  そこで、2番目に人気のある、この「牛たんの喜助」に来てみた。  正しくは、「牛たんの喜助」の喜ぶという字は、七を3つ並べるやつである。  このお店では、塩焼きと、たれ焼きの2種類ある。  6人中4人が、塩、2人がたれにして、両方の味を確かめることにした。  私は、たれ味。仙台でいちばん有名な「牛たんの太助」は、塩味のみである。
 たれ味は非常に美味しい。  あとで食べた塩味もいける。  結論は、このお店に来たら、たれ味と、塩味の両方を注文して、交互に楽しむのが いちばんいい食べ方だ! 「牛たんの喜助」は、メトロポリタンホテルの地下。  ただいま、仙台でいちばん美味しい牛たんのお店として、ランキング入り。  午後6時47分。やまびこ24号。  あっといいうまに牛たんを平らげたので、予定より4〜5本早い新幹線に乗ること ができた。しかも大宮しか止まらないやつだ。  車中、真剣に『桃太郎大全集(仮)』の打ち合わせ。  かなり重要な部分が決定し、同時に、来年、柴尾英令が相当働かないといけないこ とになりそうなことだけ、決定する。  巨人の工藤並みのFA入団だと思ってるんだもん。  1年目から、エースになってくれなきゃね!  いっぱい働いて、いっぱい美味しい物を食べに行きましょうや! 桃太郎チームの みなさん!  午後8時26分。東京駅着。  午後9時。自宅に戻る。  さすがに、疲れた。  寝る!
 

-(c)2000/SAKUMA-