7月31日(月)


 きょうは後ろめたさ半分、うれしさ半分の小旅行。
 その解説は、10秒後。

 午前9時30分。京都相互タクシーの宮本さんが休日というのに、マイカー
で、わが家族を小旅行に誘ってくれたのだ。
 これが第1の後ろめたさ。タクシーが本業の人に休日マイカーを運転させて
しまうのは、プロ野球の選手に、試合の無い日にうちの草野球チームに出場し
てくれといっているようなものだ。

 第2に、宮本さんが「行きませんか?」と言ってくれた場所が、とてもやば
い!
 その名も、出石(いずし)。
 但馬の小京都と呼ばれ、出石そばで有名な場所だ。ここは昨年すぎやまこう
いち先生ご夫妻が行って、よかったとおっしゃっていた場所だけど、着いたの
が夕方だったので、もう一度行きたい、「そのときは、さくまクン、いっしょ
に行こう!」とずっと言われていたのだ。
 なのにそこに行ってしまうのは、なんとも後ろめたい。
 どうしよう? 
 悩んだのであるが…。
 う〜〜〜、この場を借りて、「すぎやまこういち先生! 奥様! ごめんな
さい! バカ家族は、いとも簡単に誘惑に負けてしまいました!」
 何たる不忠者!

 亀岡から、高速に乗って、福知山へ。
 台風の影響からか、山間部を走るせいか、雨が降ったりやんだり。
 遠くに福知山城が見える。
 あの明智光秀が築いたいうお城だけに、立ち寄りたいのだが、きょうの予定
走行距離は、およそ350キロ。しかも山あり、谷あり、海あり。あまり寄り
道ができない。

 午前10時30分。丹波の里「やまがた屋」に寄る。街道沿いにあるドライ
ブイン形式の物産センターだ。
『桃太郎電鉄』の作者としては、条件反射で入らないといけない場所だ。
 広大な売り場に、栗ようかん、栗鹿の子、栗納豆、黒豆といった、いかにも
丹波らしいお土産品が並ぶがいずれも個性に乏しい。
 しかも試食は無いし、買い物カゴが無い。商売が嫌いだと宣言してるとしか
思えない。大量に買ってほしくないのだろうか?
やまがた屋 やまがた屋
   グルメ・バカ娘が、ジャガイモ納豆、黒豆茶などを買って終了。  もっと買い物したかった。  再び山間部を走る。このあたりはまったく鉄道が走っていないので、地名に 「但東(たんとう)」とかいう名前が出てきても、「ふへ?」というくらいピ ンと来ない。
車窓
   ギア・チェンジの見事な宮本さんの運転は本当に上手い。  静かに加速して、いつのまにかそれなりのスピードに達している。エンジン・ ブレーキばかりつかって、胃がもたれるような運転をする人がけっこういるだ けに、宮本さんの運転は安心しきってしまう。  午後12時30分。但馬の小京都と呼ばれる出石(いずし)に到着。町に入 るや、どのお店もどのお店も、手打ち出石そばの文字だらけ。東京ドーム程度 の小さな町に、40軒ほどの出石そば屋が立ち並ぶ。  そんななかで、古い店のひとつ「よしむら」に入る。  ヤンキーなタヌキが迎えるお店に入ろうとした、その隣り! なんと石碑に 「桂小五郎寓居跡」の文字が!  おお! 明治維新の英傑・桂小五郎(または木戸孝充)! これは「蛤(は まぐり)御門の変」のときに、京都を脱した桂小五郎が変名をつかって、荒物 屋をやっていたお店ではないか! 司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』で読んだ ことがあるぞ! ここだったのかあ! 予期せぬ幸せだ。
よしむら 桂小五郎
   出石そばの「よしむら」に入る。  平日だというのに、混んでいる。   真っ白いお皿に、わんこそばのようにおそばが乗っているのが、出石そばの 特徴。    1人前5皿からなので、20皿、いや、25皿注文する。  おそばが来る前に、25皿を30皿に変更する。  1皿、2皿、食べているうちに、10皿注文する。  …と書くと、私たちが大喰らいのように思うが、1皿の量が本当に少ないの で注文が定まらない。  麺は田舎そば風なのに、こしが無い。なのに美味しい。しかも次々にお店の 人が、皿そばを持ってくるので、必然的にお皿を目の前に積み上げていくしか なくなる。積み上げられると、ついつい枚数に挑みたくなる。   本気で枚数を競えば、ひとり20皿くらいは行ってしまうと思う。  桃太郎チーム、通称:デブ軍団なら、ひとり50皿くらいは行きそうである。
おそば
 最初おつゆだけで食べて、途中から、とろろにつけ、最後は生卵を入れるよ うになっているので、つけそば特有の途中で飽きるということがない。
皿
 けっきょく、私8枚、グルメ・バカ娘11枚、嫁9枚、宮本さん12枚、計 40枚でやめる。このあと先々で、買い食い、試食の限りを尽くしたいので、 この辺でストップしただけである。  町の中央に行く。  この町は観光地として本当によく計算されている。
出石の町
 出石城と、辰鼓楼(しんころう)と呼ばれる大時計がシンボルとなったとこ ろに、広大な駐車場を配して、池には鯉、通りには、家老屋敷、美術館といっ た観光客が喜びそうなものが、コンパクトに配置されている。  町を一周するのに、30分もかからないのではないだろうか?
出石の町 出石の町
 おそらくこの町は、わざと30分で回れるように設計されているに違いない。  町の北部に、志賀直哉と松葉ガニで有名な城崎(きのさき)温泉を控えてい て、朝、城崎温泉を出た観光バスは、この出石でお昼におそばを食べて、大坂、 京都方面に帰るのに最適なのだ。  だから見所が散らばっていては、お昼に立ち取る場所だけの観光地としては、 困るのである。  まるで先発投手をあきらめて、リリーフ投手に専念した選手のような潔さが この町にみなぎっている。  喫茶店でコーヒーを飲んだあと、この町に着いてから気になっていたお店 「まめいも屋」に寄る。不思議なお店で、入り口は八百屋さんになっていて、 店の奥が骨董品屋になっている。  変でしょ?  ところがここで売ってるトマトが特筆すべき美味しさだったのだ! 正直言 って、出石そばの衝撃よりも大きかったほどだ。  店先に置かれた甕(かめ)に、冷たい水道を流していて、甕のなかに無造作 に、小さいトマトがいっぱい入っている。  このトマトが1個30円。
まめいも屋 とまと とまと とまと とまと
 1個取り出しては、そのまま齧(かじ)る。なつかしい昔のトマトの甘さが 口じゅうに広がる。かつてトマトはみんなこんな風に甘かったのだ! いつの まに東京のスーパーのトマトは、まったく味がしなくなってしまったのだろう。  出石は、野菜王国鳥取県が近いから、野菜が美味しいのはあたりまえといえ ば、あたりまえである。  ナスなんかも、大きくて長いし、白いナスなんていうのもある。マクワウリ も美味しそうだ。へ〜。金マクワという種類なのか。  気がつくと、マクワウリを買って、枝豆買って、桃をその場で食べて(これ もうまかったあ!)、そばアイスを食べていた。  まるで旅行番組そのままの旅だ。  旅行番組では必ず、店先で売り物を食べ歩きながら進んでいくが、一般の旅 行者があんな旅などできるわけがない。すべて段取りされている。カメラが回 っていれば、お店の人だって愛想がよくなるに決まっている。  この町の人は、ごく自然体で愛想がいい。  駐車場に車を置いてすぐ野菜を買えば、「取っておいてあげるから、あとで 取りに来なよ!」といってくれる。車のなかで暑くなるからという配慮だ。ビ ニール袋に名前を書いて、キープしてくれた。  この町の素晴らしさが感じ取れる逸話でしょ。  最後に手短に、出石(いずし)を紹介。  京都というよりも鳥取に近い小さな小さな町。 『応仁の乱』でおなじみの山名氏が本拠地としたくらいだから、けっこう由緒 ある町だ。江戸時代でも5万石と評価されていたから、電車が通っていたら、 さぞや大きな町となったことだろう。ただし、この美しい町並みは消えただろ うが。  全国の「小京都」と呼ばれる町は、1冊の本になって発売されているほど、 その数は多いが、そのほとんどが失望させられる。この町はまさに小京都の名 にふさわしい。宿泊するほどではないが、一度は訪れておきたい町だ。  午後2時。出石(いずし)を出発。  再び山間部を縫うように走る。  1時間も走って、天橋立に出る。天橋立は一昨年の3月に行っているので、 パス。野田川から、丹後半島一周道路へ…。
車窓
 し…、しまった。  私は冒頭、すぎやまこういち先生ご夫妻に対して、後ろめたい旅と書いたが、 さらに後ろめたい…、いや、ふとどきな場所をめざして車はひた走っていたの だ。  ホームページというのは、コンピュータなんだから、うまいことすぎやまこ ういち先生ご夫妻がこの日記を読んだときだけ、違う文章にならないもんかな あ。ははは…。ゲームで、上、上、下、下…とか入力すると裏技ができるよう に、別の文章に飛べないものか。  とても師匠であるすぎやまこういち先生ご夫妻に、この先の日記を見られた くないんだよ〜! 師匠の御前で、喜びまくりづらい場所なんだよ〜。  う〜、場所をいいたくなーい。  しかし、私には報道の義務がある…って、私は新聞記者かい? 従軍記者か い?  ええい! 「またまたごめんなさい! 昨年すぎやまこういち先生ご夫妻が 昨年天橋立までは来たけれど、時間がなくなって、行けなくなったあの場所に 行ってしまいますうっ!」  ふひいっ。きょうの小旅行は本当に後ろめたいよ。  さて、その場所とは、「伊根(いね)」!  誰も知らないでしょ、この場所?  知らないよねえ。  まさか私だって、生涯この場所を訪れる日が来るとは思ってもいなかったも の。 「伊根(いね)」という名前から、明治維新のシーボルトおいねサンが生まれ た場所として知られると…嘘を書いてもほとんどの人が信じるほど、地名度が まったくないと思う。  ちょうどこのところ『風雲児たち』(みなもと太郎・潮出版社)が、シーボ ルトおいねばかり出て来るのだよ〜.  すでにグルメ・バカ娘が、「伊根(いね)? いーねー!」というギャグを 飛ばしているが、先を急ごう。  とにかく私はかつて、こんな不思議な景色を見たことがない。  しかもこの不思議さを筆で伝えることができないことが悔しい。文章力のつ たなさもあるが、デジカメでも難しい、絵でも描くことすら難しい。何度も写 真や、絵画でこの地を見ていたのに、まった く印象が違うのだ。  とにかく、『桃太郎電鉄』の作者として、ほぼ日本を2周している男がいま だかつて味わったことのない町に遭遇したことを、稚拙な文章とデジカメで綴 ってみようと思う。  午後3時30分。伊根(いね)着。  場所は、丹後半島。伊根湾。  伊根は、ブリ漁で知られる、京都府随一の漁港だそうだ。丹後半島は北陸の ように思うが、京都府である。京都府は、京都市内だけのような印象だが、よ 〜く地図帳をながめると、やたらと広い。    その漁港だが、天然の湾にめぐまれて、200軒あまりの家が、湾の入り江 にへばりつくように、家が建っている。
舟屋
 驚くのは、ここからだ。  なんとこの200軒あまりの家。1階が舟のガレージになっている。この説 明が難しい。  マジンガーZだの、ショッカーの基地、鉄人28号だの、すべてのヒーロー 物には、秘密基地の階段を下りていくと、そこから海に出るところがあって、 子ども心にあんな風に、家の中からモーターボートで海に出て行けたらとあこ がれたものだが、あれが200軒の家全部がその形式で建っているのである。  出漁も直接この舟のガレージから出て行くという。    道路側を歩いていると、道路側の家の中に自動車が駐車している。  その向こう側の家の中にボートと海が見えるのだ。  道路と海の位置がおなじ。  海と家が同居している。  この不思議な光景はどうにも説明しようがない。  この町の隣り、本庄浜(ほんじょうはま)には、浦島伝説が長く語り継がれ ているが、浦島太郎が、漂流したといわれる常世(とこよ)の国というのは、 ここだったのではないだろうか?  そんな気分にさせられる。
舟屋 舟屋
 町には人影も少なく、おじいちゃん、おばあちゃんだけが時折道端に座って いるが、まるで異国人に思える。  邪馬台国の時代の人が、日に日を次いで歩き、たどりついて、隣りの国の人 に会ったときというのは、こんな感じだったのではないだろうか? 失礼な妄 想だが、おばあちゃんに話し掛けたら、日本語以外の言語で答えられそうな、 そんな気分だ。  売店ひとつない。  釣り舟の船宿があるだけである。  その不思議さを除けば、絶景である。  ちょうど、台風の影響で、天気晴朗なれど、波高し。どこかで聞いたことの ある言葉だが気にしないように。  湾にもかかわらず波が白く、1階が舟のガレージ、2階が住居になった家の、 いわゆる舟屋(ふなや)と呼ばれる家の壁に、波が当たってはくだける。勇壮 な景色だ。
舟屋 舟屋
 ここに来るまで、道には信号もなく、ほとんど人家も見えず、山と海しか見 えなかった。  それがひとつ山を越えたとたん、200軒に及ぶ、奇怪な家。  誰がどう見たって、秘密基地としか思えない。  かつて水軍でもいたのだろうか?  第2次世界大戦のときに、国から密命でも帯びていたのだろうか? それと も町の人全員が、宮崎駿監督『紅の豚』のファンなのだろうか?  日本じゅう、この建築様式を真似た場所を私は知らない。知らないだけに、 この町の特異性を感じ、再び異国に紛れ込んだ不思議さを感じるのだ。  ただ町の人はしゃべらなくとも、暖かい眼差しで迎えてくれる。決してよそ 者を見るような目ではない。 「都会の暮らしで疲れたでしょう? ここでちょっと休んでいけばええ!」と いっているかのようだ。
舟屋 舟屋 舟屋 舟屋 舟屋 舟屋
 家が途切れた駐車場で、しばし海を眺める。 『海を見ていたジョニー』は、五木寛之氏だ。かつて『海を見ていた序二段』 というギャグを書いたことがあるが、今はこの景色にギャグはいらない。    グルメ・バカ娘がうれしそうに、海に足をつけている。  このままずっと日が沈むまで、こうしていることが全然苦になりそうも無い。  しかしもうひとつ私たちは向かわないと行けない場所がある。  再び、海と山の道を走る。  宮本さんは、子どもを連れて、よくここでキャンプをしたりしたそうだから、 すいすい走ってくれるが、私が車で来たら、絶対途中で帰ってしまったと思う。 舗装はされているが、ほとんど林道のようだ。このまま進んでも、行き止まり か、公共施設にたどり着くとしか思えない道ばかりだ。  驚いたのは、この伊根(いね)の町まで、バスがあることだ。しかもバスに、 先導車というものがあるのだ。  道が狭くて、とてもバスと乗用車がすれ違うことなどできないため、小型車 がバスの先を走り、対向車をバスがすれ違うことができる場所で、止めておく そうだ。  露払い付きの、横綱ではないか!  ますます異国を感じる。
海 畑
 午後4時30分。新井漁港。何度も車を止めては、海をながめる。どこから 見ても絶景だ。嫁は今朝デジカメの電池を換えてきたというのに容量が少なく なってきたくらいビューポイントだらけだ。    午後5時。本庄浜(ほんじょうはま)に着く。  ここに浦島神社がある。  ガイドブックに載っていなかった「浦嶋館」というバーチャル・シアターが 完成していたが、午後5時なので、まさにちょうど「蛍の光」のメロディが流 れていた。
浦島神社 浦島神社 浦島神社 浦島神社
   浦嶋神社の資料館も見ることができず。  一応、浦嶋神社にお賽銭をあげて行く。『桃太郎伝説』の作者だからね。こ の浦嶋神社は、全国にたくさんある浦島神社のなかでも、いちばん由緒あると されている神社で、『日本書紀』や『万葉集』にも出てくるそうだ。私はあま りこの辺の書物を信用していないのだが、先日全国の浦島神社の人たちがここ に集まって、浦島サミットをやったことだけは、ニュースとして知っている。
浦島漁港
   午後5時30分。再び伊根(いね)方面に戻り、丘の上に建つ日本旅館「油 屋」に寄る。  海鮮料理が美味しいことで知られる旅館らしいが、さすがに料理は予約制で、 きょうは無理だという。  館内の海が見える喫茶室で、コーヒーだけ飲んでいく。  この眺望も絶景である。
油屋 油屋
   もう完全に帰るのがイヤになってしまう。  でも私も明日は東京に帰らなければいけないし、宮本さんも明日は仕事であ る。  何日間ここに逗留したら飽きるか、試してみたいくらいだ。  ようやく重い腰をあげて、帰り道に着く。  午後6時30分。丹後宮津海岸に着く。大坂や京都からもわざわざ食べに来 るとガイドブックに書いてあったお寿司屋さん「S」に入る。「魚の町・宮津」 と大書された看板が町の入り口にあった。  これは期待できる。  お寿司屋さんだから、カウンターに座るが、板さんはまったしゃべらない。 それどころか、並んだ同僚と目も合わせない。その同僚は、おにぎりを握るよ うに何度も何度も手をこねている。「それじゃ、美味しくないよ〜!」と叫び たくなるような手つきだ。  まいったなあ。  味も覇気のない店内そのまま。シャリがゆるくて、怒るどころか、かわいそ うになってしまった。板さんふたり、大喧嘩をしたあとなのだろうか? 「若い板さんに、奥さんを寝取られちゃったんだよ!」  中学2年生の女の子がいうギャグか! アホ!  一人前だけで、何も追加せずにお店を出る。  グルメ・バカ娘は、怒っているのである。  再び車に乗ると、「お腹減った! お腹減った!」と叫んで、味噌空豆や、 イカの珍味をほうばり始める。  私も、味噌空豆が止まらない。  最高の旅に、画龍点晴を欠いたようだが、夕飯のまずさも「まあ、仕方がな いか」とガマンできるほど、伊根(いね)の景色は絶景だった。もちろんこの 恨みを忘れるような家族ではないが…。  いつも食べ物しか覚えていないグルメ・バカ娘もさすがに、伊根(いね)の 舟屋の景色は目に焼きついたことだろう。  ひと通りお菓子を口にしたグルメ・バカ娘は、さっさと寝てしまった。  宮津から、舞鶴へ。午後7時を過ぎて、やっと暗くなって来た。  舞鶴から、福知山へ。  午後9時。京都着。途中、コーヒー屋さんでひと休み。  午後9時55分。京都のマンション着。今朝宮本さんがマンションに到着し た正確な時間が、午前9時55分。今、午後9時55分。  宮本さんらしい計画どおりである。  絶対狙ってたな、宮本さんは! ぴったり12時間を。    いやあ、密度の濃い旅行だった。とても小旅行と呼べない距離だ。  あの伊根(いね)の奇観は一生忘れないなあ。  デブ軍団にも見せてあげたいけど、あの狭い道を1ボックスカーが通れるか なあ? 冷たいトマトも食べさせてあげたいな。  まだまだ日本には素晴らしい場所がたくさん残っているもんだなあ。『桃太 郎電鉄』の作者よ! やり残している仕事はたくさんあるようだねえ。まだま だ日本じゅうを回りきれてないね。  今後の目標が決まったな。
 

-(c)2000/SAKUMA-