7月7日(金)


 台風3号が近づいている。
 でも少なくとも、関西地方は午前中から午後くらいは天気の影響は無いよ
うだ。
 だったら、せっかくの休暇中だ。
 でかけるっきゃない!

 午前8時16分。京都駅。のぞみ1号博多行き。
 へっへっへ。そんなに遠くには行かないよ。きょうの夕方4時くらいから、
アリtoキリギリスの石井正則くんと遊ぶ予定になっているから、そんなに
遠くへは行かないよ。

 …といいながら、午前9時12分。岡山駅で、こだま609号広島行きに
乗り換える。はっはっは。ちょっと遠いかも。でもまだ京都駅から1時間た
っていないからねと、みえみえの言い訳。
 青空が広がっている。

 午前9時46分。福山駅。
 福山駅というのは、新幹線の駅のホームから、唯一お城が目の前に見える
珍しい駅だ。
福山駅
   そんなおもしろい駅を、今まで私が放っておいたことが不思議でしょ?   江戸時代の領主・水野勝成(みずのかつしげ)さんという人が当時の築城 技術の粋を集めて築城したらしいのだけど、申し訳ないけど、水野勝成(み ずのかつしげ)さんて言われても、みんな知らないよねえ。歴史好きの私が 知らないくらいだからね。  そんなわけで、後回しにしているうちに、行きたいと思い出してから、 20年ぐらい経ってしまった。  午前10時。そんなわけで、福山城に行く。  まだ朝早いから、涼しいと思ったけど、暑い。石段を登るだけで、汗がドッ と吹き出る。あぢあぢ…。
福山城
   福山城博物館というもののがあるのか。  イヤだな。えへへ。  お城を利用した博物館というと、5階建ての天守閣まで、エレベーター無 しで登らないといけないのが通例だから、つらいのよ。お城は好きだけど、 階段はねえ…。まだ足が不自由だし。えっ? 病気する前から、階段は苦手 だっただろって? ずいぶんと古い読者さんがいますねえ。  受付はどこだ? あれ。お城のなかじゃなくて、お城脇の建物の自動販売 機で買うの? 面倒だなあ。200円か。チケットが出て来た。  お城のなかに入る。おや? 受付があるのか? 何? チケットを寄越せ とな。それをしゃべって言えよ。黙って、あごでそれを教えようとするなよ。 態度悪いなあ! スポーツ紙読みながら、片手でチケット受け取るなよ。  おいおい。チケットの半券は?   戻って来ないのかよ〜!  だったら、チケットの裏に、お城の説明書きを印刷するなよ。半券で戻っ て来ると思ってたから、まだ読んでないよ。  ありゃまあ。小冊子も、「ご自由にお持ちください」の張り紙ですませち ゃってるよ〜。やる気無いなあ。このお城。  ああ、やだやだ。こんなお城、天守閣まで登っても、陳列品もつまらない に違いない。  本当につまらなかった。  クーラーも入ってない。扇風機だよ。  くやしいから全部の扇風機の「弱」を「強」にしてやった。何の意味も無 いかもしれないけれど。  私はいかにもかったるそうにふるまう受付の人間というのが、死ぬほど嫌 いなのだ。200円分くらい愛想よくしろよ。  目つき悪いやつだったなあ…。  ひいひい、ぶつぶつ文句を言いながら、階段を登って行く。  きついな。暑いな。態度悪かったな、あの男。ひいこら、ひいこら、ひい ひい…。はあはあ…。  ぷひー。登ったぞ〜!  天守閣はさすがに風が吹きぬけて、心地よい。  当然だが、新幹線福山駅が、すぐ目の前。
福山城
   午前10時30分。福山駅前に戻り、タクシーに乗る。  あぢあぢ…。真夏だよ。  タクシーの冷房で、やっと息を吹き返す。  さて、きょうの旅のメイン・鞆の浦(とものうら)をめざす。  鞆の浦(とものうら)といえば、万葉集に「鞆の浦 打ち出でてみれば  真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」でおなじみの場所だ。山部赤人 (やまべのあかひと)だったな。  って、お〜〜〜〜〜い。誰か早く私を止めてくれよ!  万葉集で有名なのは「田子の浦ゆ 打ち出でてみれば 真白にぞ…」だろ が!と、ツッコミを入れてくれいっ!  でも、「鞆の浦(とものうら)」と「田子の浦(たごのうら)」。似てる と…思わないか、誰も。  どうでもいいけど「田子の浦ゆ…」を学校で習ったとき、「田子の浦」に ついてくる「ゆ」の存在がどうにも、うっとおしかった。  その「ゆ」は何者だ! っとずっと思っていた。誰か博識な方、教えてい ただきたいものだ!  車は、広くておだやかな芦田川沿いを快適に走る。  のどかでいいなあ。  川が見えなくなって、すぐ今度は海が見えて来た。  瀬戸内海だ。  いつ見ても、プールみたいだなあ、瀬戸内海は。  台風3号は今ごろどこにいるんだろう。  こんなにいい天気だと、つい台風の存在を忘れてしまう。  地震で揺れる神津島に台風が向かっているというのに、私はこんなところ で、何をしてるんでしょうねえ。ふとどきかな?  車は、鉄工所団地という所を通る。  なるほど、両側に「○○○○鉄工所」といった看板がどこまでも続く。ど の工場も錆びついた壁面をそのままに尽き果てさせている。  鉄鋼業といえば、私が子どもの頃は花形産業だったのにねえ。  企業30年説。  たしかに花形と呼ばれてから、40年以上経つ。  衰退するのも無理の無いことだ。  私もデビューが、22〜3歳の頃。  やっぱり50歳すぎたら、リタイアしたいものである。  でも私の場合、つねに産業が変わっているし、新しい産業にばかり手を出 しているので、企業30年説は関係無いのかもしれない。  物は考えようだな。  午前11時。鞆の浦(とものうら)に着く。  運転手さんが、しきりに、「鞆の浦(とものうら)は道が狭いからなあ!」 を何度も何度も言っていた。  へ〜。そんなに狭いのかなあとタカをくくっていたら、本当にタクシーが これ以上入れないような場所に来てしまった。  どうやら目的の場所は近いらしいので、歩いていくことにした。  車を降りる。
鞆の浦
   おお! 港だ。こういう景色好きだなあ。  まるでお城から突き出たような港だなあ。  後ろから10人くらいのおばあちゃんを引き連れた観光ガイドさんがやっ て来た。よしよし。説明を盗み聞きしてやろう。  へ〜〜〜。やっぱり昔ここにお城があったんだ。福島正則が命じて作らせ たの? そりゃあいい。  ビッグ・ネームがようやく出て来た。  1藩1城の制度のせいで、廃城になってしまったのかあ。  やっぱりガイドさんがいるといいなあ。    この港は「潮待ち風待ちの港」と呼ばれているのか。  かっこういいねえ。このキャッチフレーズ。  このまま曲のタイトルになりそうだ。
鞆の浦
   江戸時代の航海というのは、陸から遠くを航海するのではなく、陸から陸 を線を繋ぐような航海だったから、潮流とか、風が強いとか弱いとかが重要 だったんだろうなあ。 『電波少年』のスワン・ボートを思い出した。  あれとおなじシステムだね。  ん? もうあのふたりのコンビの名前を忘れてしまった。  ああ、ロッコツ・マニアだった。  Rマニアと表記していたな。  家と家の間をすり抜けるようにして、歩いていく。  おお! さっきの港から見えた常夜燈のある岬、岬ってほどじゃないか、 でっぱりの場所に出た。 「いろは丸展示館」だ。  この名前だけで、「おっ!」と叫んだ人は、「超」がつく、明治維新マニ ア。
いろは丸展示館
   そう。江戸末期1867年。  坂本竜馬の海援隊が所有する、いろは丸が、瀬戸内海で、紀伊藩の船と衝 突した。いろは丸は損傷して、この鞆の浦に曳航中、よーするに、引っ張っ て来た途中で、あはれ沈没してしまった。  あの事件の「いろは丸」だ。  この近所だったんだな、沈没した場所は。  そのいろは丸はその後、町おこしグループが動いて、ソナー調査、潜水調 査を繰り返したのだそうだ。  その沈没した状況を、この展示館では、ほぼ原寸で(70%)パノラマ復 元しているのだ。ちょっと魅力的でしょ。  昔の船って、本当に小さいよなあ。  よくあんな小さい船で「大航海時代」とかいって、七つの海を渡ってきた もんだよ。
いろは丸
   当時、坂本竜馬は、このいろは丸に、400挺の鉄砲を積んでいたと主張 して、紀伊藩相手に約8万両の損害賠償を要求した。  でも引き上げられたいろは丸には、鉄砲はなかったようだ。何でも砂糖を 積んでいたようだ。  当時、坂本竜馬は倒幕に燃えていたから、お金のために嘘をついたんだろ な。こういう人間臭いエピソードがあると、歴史はとても身近なものになる。  坂本竜馬らしいなあ。
坂本竜馬
   この展示館の2Fには、この鞆の浦(とものうら)に坂本竜馬が来たとき に、隠れ住んでいた部屋も再現されている。  これもマニアなら、ちょっとうれしい展示物。  こぢんまりとした歴史館だけど、思いのほか、がんばっている感じで、な んとなく応援したくなる。  かなりお勧め。  「いろは丸展示館」を出て、狭い町並みを寄り道していく。  道が狭いせいか、モータリゼーションの波の汚染されていなくて、本当に 古い建物がそのまんま残っている。
町並み 町並み 町並み 町並み
   昭和初期のカフェのような喫茶店とか、船具店、民芸品のお店など、観光 のために作られたのではなく、はるか昔に建てたものがそのまま残っただけ というお店が多い。  蔵も多いし、この町を本気で観光地にしようと思えば、あっというまに若 い子たちであふれかえる町になることは間違いない。  今のうちに、ここを訪れるほうがいいかも。
町並み 町並み
   どことなく大林宣彦さんの映画の1シーンみたいな町並みに似ている気が するなあと思ったけど、新幹線の福山駅の次は、新尾道であった。似てるわ けだ。山ひとつ越えると、もう尾道だそうだ。  あんな感じの「風光明媚」という言葉が似合うような小さな町だ。  午後12時。鞆(とも)シーサイドホテル1Fの「とと屋」で、鯛めしデ ラックスを食す。  ここの鯛めしは、おひつに鯛めしが入っていて、それを食べるだけ。宇和 島のように、卵を溶いて入れるのでもなく、松江のように、お茶をかけるわ けでもない。  鯛だけである。  相当、鯛に対して自信があるようだが、それもそのはず、鞆の浦(ともの うら)の名物が、鯛なのだそうだ。とくに「鯛の浜焼き」というのが美味し いらしい。
とと屋
   鯛めしデラックスには、鯛のお刺身も3切れあったんだけど、これがもう ぷりっぷりっで、噛み切れないくらい弾力があって、口の中で押し戻される。 豪快な味だよ。  この鯛の刺身を食べるだけのために、もう一度ここに来てもいいと思った ほどだ。  シャコも姿のまま出て来たし、海老、タコまでついた豪華な料理だ。デラ ックスだもんな。 「とと屋」のご主人は、いかにも料理の達人そうな顔しているし、このお店 はぜひお勧め。  午後12時30分。帰りは、鞆鉄バスで、福山駅へ。まだほかにも、見た いところがあるのだけれど、もう一度来たときのためにとっておく。非常に 私はこの町が気に入った。
鞆鉄バス これでもバス停
   それと、この鞆の浦(とものうら)に来るきっかけになった、内田康夫さ んの「鞆の浦伝説殺人事件」を読み直してから来たい。かなり内容を忘れて から来てしまったことが悔やまれる。  それと、もうひとつ仕掛けがあるので、早く帰りたい。  アリtoキリギリスの石井正則くんと、夕方に会うことになっているのだ が、午後3〜4時くらいに、私の携帯に電話が来ることになっている。  実直な彼のことだから、「きょうはさくまサン、ずっとマンションでお仕 事だったんですか?」と聞くに違いない。  そのとき「いや、ちょっと午前中、外に出ててね。広島まで…」 と平然と言いたいのだ。  こういうくだらないことに熱中するのが、業界人の掟だ。  バスは、福山駅をめざす。  行きのタクシーと違って、視線の位置が高いのでおなじ景色でも違って見 えるのでいい。しかも私以外のほとんどの乗客が60歳以上である。真昼間 だもんね。  おじいちゃん、おばあちゃんっていうのは、みんな帽子をかぶっているけ ど、年取ったら、帽子が必要になるのかな。  最近老人を見て、いろいろ準備をしている自分がいる。  海沿いを走るバスは、すこぶる心地よい。  午後12時56分。福山駅に着くと、5分後に発車するひかり号があった ので、あわててキップを買い、不自由な足を駆使して、走る。かなり小走り が上手くなって来たと、自画自賛。  それでもぎりぎりの乗車はちときつい。  思い切り息が上がる。はあはあ…。  ひかり122号に乗車。  車中、『風雲児たち』(みなもと太郎・潮出版社)の続きを読む。  いよいよ10巻に突入中。  9巻に出て来た、小田野直武という人は、昨年入った、秋田角館の武家屋 敷に住んでいたそうな。ああ、あのとき『風雲児たち』を読んでいたら、も っと楽しい旅になったのに。  ちょうど、江戸時代の航海の話があって、「いろは丸」が沈没しやすい船 だということがよくわかった。  すごい偶然だ。  江戸時代、徳川家康が作った、臆病の限りを尽くした制度で、舟の大きさ はあくまで小さく、帆は1枚だけという無茶苦茶な制約のせいで、あの大き な帆掛け舟しか作ることができなくて、ちょっと風が強くなると、すぐ遭難 してしまうのだそうだ。  そういう悪政を、300年近くも守る江戸幕府って、すごいねえ。    午後1時15分。岡山駅着。  なぜか下車する。  先日岡山駅構内で買った、スイカゼリーをもう一度買いたくなったのであ る。それだけのために降りたのかと言われると、その通りなので、どうしよ うもない。ここでしか売っていないのだ。しいて言えば、けっこう美味しか ったので、美味しい物センサーを持つグルメ・バカ娘の判定を聞いてみたい のだ。  絶対的にお勧めというわけではないのだが、なぜか気になる。  ただきょう、このスイカゼリーを買おうとしたら、1個600円とう値段 だったことに気がつく。高いな。値段を聞くとちょっといまいちかな。まあ、 グルメ・バカ娘には値段も何も関係無い。  あやつは、100円だろうと、1億円の食べ物であろうと、美味しい物と そうでないものの2通りしかない。
スイカゼリー
   午後1時30分。スイカゼリーと、地方限定マーブルを買って、駅構内の 喫茶店に入って、コーヒー。  ♪チャララララーラー。チャーラーラー(ただいまの着メロは、サザンの 「YaYa〜あのときを忘れない」でございま〜す)。  ありゃ、石井正則くんだ。 「撮影の時間が意外なほど早く終了したんで、電話したんですが、さくまサ ンはまだお仕事中ですか?」  いや〜ん。せっかくもうちょっとで、何食わぬ顔して京都に戻れたのにィ〜。 「1時間半後に、京都駅で待ち合わせしない?」 「えっ? どこに今いるんですか?」 「岡山!」 「え〜っ!」  なんか、くやしいやら、うれしいやら。えへへへ。  午後2時12分。のぞみ18号で、岡山を出る。  車中『風雲児たち』10巻目を読み終える。  引き続き「IT時代・成功者の発想」(樋口廣太郎、福川伸次・PHP研 究所)を読み始める。  旅をしながら、本を読む。  このパターンがいちばん好きだ。  午後3時9分。京都駅着。  ホテル・グランヴィアで、石井正則くんと待ち合わせ。  おお! マネージャーの阿部さんもいっしょだ。  しばらく雑談。  石井正則くんはいま、毎週NHKの仕事で、京都の撮影所に来ている。か なりビッグというか、ビッグすぎる仕事なんだけど、もうちょっと待ってい てね。何たって、10月からの新番組をいまから撮影中なんだから。さすが に題名までいうのは早すぎる。  でも聞いているだけで、心躍るような番組だ。  午後4時。京都相互タクシーの宮本さんが、到着。石井正則くんと食事に 行くのは、午後6時すぎなので、その間出来たら、市内観光をしたいと思っ たのだ。  こういうときは、京都の穴場を知り尽くした宮本さんにかぎる。  石井正則くんが、まだ「哲学の道」に行ったことがないというので、行く ことに。  阿部さんはそのまま大阪へ向かう。  午後5時。哲学の道。車を降りて、少し歩く。  桜の季節でもなく、紅葉の季節でもない哲学の道に来たのは、初めてなの で、私も妙に新鮮。  緑色の木々だけの哲学の道もまたいい。  樹木から発散される空気が美味しいので、ふたりで何度も深呼吸する。男 ふたりの散歩はちょっと情けない。
哲学の道
   ここからが、宮本さんの本領発揮。  午後5時過ぎに、どこか連れて行ってというのは、京都では無茶だ。お寺 のほとんどは、午後4時30分か、午後5時にどこも閉まってしまう。  その無理難題をすり抜けるように、法然院、真如堂へとつれて行ってくれ る。  どこも緑の木々が美しい。  しかもこの時間なので、まったく観光客がいない。
   何だかものすごく得した気分。武道館コンサートの舞台裏を見せてもら ったときの得した気分だな、これは。 「そうだ、京都、行こう」のCMにつかわれそうな景色の連続をたっぷり 味わう。  午後6時。いよいよ石井正則くんと、あの「M」へ行く。  我が家の全料理ランキング、不動の1位を続ける、あの和風割烹料理の 「M」だ。私の日記では言わずと知れた「M」である。  私がこの日記で、イニシャル表記する場合は、美味しくないお店だった ときなのだが、この「M」だけは特別。  一見(いちげん)さんお断りのお店なので、イニシャル表記なのだ。  この「M」で、石井正則くんがどんな反応を示すか楽しみ。  いつものように、おいしそうな顔したご主人の鮮やかな手つきで次々に 料理が出来上がって行く。  ぷりぷりのジュンサイからスタート。    石井正則くんが、とろステーキを食べる。 「ははは…」と笑ったきり、言葉が出ない!
石井正則くん
   どんな料理でも、熱く語るあの石井正則くんが、言葉が出なくて苦しん でいる。  やっとのことで、「これは芸人殺しの味ですよ〜! 言葉が出なくなっ てしまいますよ〜」とだけいう。  その後も、巨人の重量打線のように、北海道から今朝届いたばかりの毛 蟹、鱧(はも)の梅肉和え。豪快に太い鮎。鴨鍋マツタケとじ鱧入り…と 続くも、あの能弁な石井正則くんが、まったく声を失っている。
M
   「もしボクがこれを料理番組の取材で来たとき、『おいしい!』とひとこ とだけいうとしますよね。当然そのときのディレクターは、『おいしい以 外の言葉を言え!』と言いますよね。でもボクは『おいしいものを美味し いといって何が悪いんですかあ!』と言ってしまえるくらい美味しいです よねえ!」。  おお! ようやく、石井正則くんが言葉を取り戻したようだ。  このあと、ご主人が「トウモロコシ食べまっか?」という。私は知って いるので、もちろんお願いする。  わが家にとってはおなじみの「トウモロコシの天ぷら」を石井正則くん が食す。  また、声が出なくなっている! ははは。 「これ、トウモロコシなんですかあ?」  うん。いっそ、違う名前にしてくれたほうが、納得しやすい。  こんな美味しい食べ物が、トウモロコシと思えないもの。  石井正則くんはもはや、マウンド上で、ホームランを打たれて、首をかし げている状態。 「何で自信もって投げた球をホームランするかなあ!」といった表情。わか る、わかる。私もかつてそうだった。  そして、とどめは恒例のカレー。 「カレーですか?」  もちろん石井正則くんが驚く。これだけ豪華な料理の最後がカレーだなん て、誰も想像しないよなあ。  きょうは、鱧(はも)で出汁をとったスープで作ったカレーだそうだ。 「ええ〜〜!?」  石井正則くんが、カレーを口にして驚いている。 「桃太郎チームのメンバーがここの料理を食べ続けたいばかりに、一致団結 して、いいゲームを作ろうと必死になるのがわかるでしょ?」 「わかります、わかります!」  さらに、食べ終わるのを測っていたかのように、迎えに来る京都相互タク シーの宮本さんに、驚きながら、ブライトンホテルへ。 「M」のお父さんといい、宮本さんといい、一流のプロフェッショナルを見 るのが大好きな石井正則くんにとっては、充実の1日だったようだ。  ブライトンホテルで、コーヒーを飲んで、そのまま石井正則くんは、大阪 へ。明日の朝8時30分から『いつでも笑みを』の生放送が待っている。  午後9時30分。マンションに戻る。  私も充実の1日。ここちよい疲れ。仕事もオフなので、疲れ方が少ない。  うひょ。日記を今夜じゅうに書ききれそうもないな。    明日も、天気さえ良ければ、小旅行にでかける予定。  宿題がたまっていくかのように、日記がたまるのはイヤだな。だったらマ ンションでおとなしくしてなさいよね。  でもせっかくの休暇中だ。  たっぷり遊びたい。  っていっても、けっきょく『桃太郎電鉄』の取材になってしまうんだけどね。
 

-(c)2000/SAKUMA-