1月16日(日)


 午前6時。ハイアット・リージェンシーホテル福岡で起床。
 午前8時。ショッカーO野くん、戸田圭祐の3人で、1Fの「ル
・カフェ」でビュッフェ! 何回でも何皿でもお代わり自由のビュ
ッフェである。笑う人は笑ってほしい。わからない人は、1月3日
(4日?)の日記を読んでほしい。
朝食
 いざお代わり自由となっても、現在腹八分目作戦実施中なので、 そんなにたくさん食べることができない。  朝から、テンションの高いショッカーO野くんのギャグに大笑い しながら、朝食。  午前9時。博多駅名店街に行き、恒例の「松露饅頭」の焼き立て を食べる。どうもこれを食べないと博多に来た気がしない。唐津の 名産なのに…。
松露饅頭
 午前9時17分。かもめ7号長崎行き。きょうは14年ぶりに再 会する男が長崎駅で待っている。  ショッカーO野くん、戸田圭祐にとっても、きょう会う男は14 年ぶりなので、奮発してグリーン車にする。とにかくゴージャスな ことをして、祝いたいのだ。  しかもラッキーなことに、なんと1号車の1番A、B、Cの席。 電車のいちばん前の席である。展望がよくて気持ちいい。鉄道少年 なら歓喜の場所だ。
かもめ かもめ
   電車が走り出すと、ショッカーO野くんと、きょう会う男との昔 話に花が咲く。  その男の名前は、山本耕一という。 古くからの私の読者で、『ジャンプ放送局』でも、第2期の3レー ス目か4レース目で、9位に入った投稿者である。『月刊アウト』 にも投稿していた。  その後、東京の大学に入って、うちの事務所に出入りするように なり、私が出版社を設立したときに、営業見習となった。そのとき の営業の上司が、ショッカーO野くんである。  この山本耕一というのが、とにかく気が小さい。  新聞の勧誘員が下宿に来ると、断れなくて、部屋じゅう洗濯石鹸 だらけになってしまうようなやつだった。  そんな男だから、出版営業の仕事など務まるわけもなく、書店さ んに行けば、真っ赤な顔をして、口ごもり、持っていくべき本を間 違えては、ショッカーO野くんに毎日怒鳴られていた。  雑誌に載せた広告で、売ってる本屋さんの電話番号を入れたまで はよかったけど、ほとんどその番号が間違っていて、菓子折りを持 たせて謝りに行かせたこともあったなあ。  そのうち「これ以上会社に迷惑をかけるわけには行きませんので、 辞めさせてください」と言ってきた。たしかにもう限界だと思った ので「辞めてもいいから、たまには遊びに来い!」「はい!」 「そう言っていても、来なくなっちゃうのがほとんどだから、絶対 来いよ!」「はい!」「お土産になるような話がなくても、来るん だぞ!」「はい!」  そういって、学生生活に戻り、その後やっぱり来なくなった。  それから5〜6年後かなあ。今から12〜3年前のことだ。  私がもうゲームを作り始めていて、ショッカーO野くんはラジオ ・パーソナリティになっていた頃だったかな。  ショッカーO野くんから電話があって、フジテレビの『NG大賞』 の地方局のアナウンサーのNG場面で、山本耕一にそっくりなやつ が出ているというではないか? あの気の小さい男がアナウンサー? 説明下手がアナウンサー? そんなバカな。  ご丁寧にショッカーO野くんが、番組をビデオに録画して、持っ てきてきてくれた! あっ、本当だ! 耕一だ、まさしく、耕一だ!  地方からレポートしているときに、鼻の頭にハエが乗っている!  バカだねえ! 白くて雪見大福みたいな顔をしたこの男こそ、山本 耕一に間違いない!  よし! いつかショッカーO野くんとふたりでこっそり長崎に行 って、山本耕一を突然訪ねて驚かせてやれ!と言いながら、私も ショッカーO野くんも本当に忙しくて、長崎まで行くことができな い。  途中、一度だけ私がハドソンのイベントで長崎に行ったとき、現 地で協賛してくれた放送局が、長崎放送だったので「山本耕一とい う社員はいますか?」と聞いたら、そんな名前の社員はいないとい う。わざわざしっかり調べてくれたのだ が、本当にいないという。おかしい。もう会社を辞めてしまったのか?   ところがあとでわかったのだが、山本耕一が勤めていたのは、長 崎放送ではなく、テレビ長崎だったのであった。まぎらわしい!  そうこうするうちに、またたくまに10年近くが過ぎていった。  ここで登場するのが、最古のさくまにあである、戸田圭祐。  ネットサーフィンしていくうちに、テレビ長崎のホームページで、 山本耕一が自分の部屋を持っていたと報告してきた。しかもメール を書いたら、返事が来たという。当時いちばん山本耕一と仲がよか ったのが、戸田圭祐だったのである。  そんな変遷を経て、なんと今回、当事者である、私、ショッカー O野くん、戸田圭祐の3人のスケジュールが、見事に皆既日食のよ うに重なり合って、長崎まで来ることができたのである。  だからもう、会う前からずっとショッカーO野くんと、昔の山本 耕一のヘマを思い出しては大笑いしていたのである。 「それにしても、O野くんは、よく耕一を殴ってたからなあ!」 「ドスドスドスッ!と、ケリを三発ぐらい入れましたね!」 「でも憎めないやつだったよなあ」 「あいつがアナウンサーになるなんて信じられないですよねえ!」 「口をすぼめて、息を吸っては、いつもすまなそうにお辞儀して、 謝ってばかりいたもんなあ!」 「いつもおどおどしてましたよねえ!」 「変わったのかなあ?」 「変わってないんじゃないですか?」  電車が肥前山口を過ぎて、有明海が見えてくると、なんだかわく わくしてくる。  諫早を過ぎた。浦上駅だ。あと一駅。 「耕一のことだから、改札口の外じゃなくて、ホームで待ってると 思うなあ!」 「お辞儀しながら、やってくるんでしょうねえ!」 「はっはっは! 絶対そうだよ!」  午前11時45分。かもめ3号が、長崎駅に着く。 「さくまサン、いました、やっぱり、ホームに! ほら、あのずん ぐりむっくりした…」 「あっ、ホントだ…いや、O野くん、あれは売店のおばさんだよ!  たしかに太ってるけど!」  ふたりとも気持ちが早っているようだ。  でも、やっぱりホームにいた! ホームのすみっこにいた!  腕時計を見た! 電車の着く時間だと気がついたようだ。こっち を見ている。  3人で手を振る。でも耕一は気づかない。  そりゃそうだ、まさか先頭車両のいちばん前に私たちがいるとは 思っていないだろう。降りよう! 降りよう!  笑いがこみあげる! 山本耕一が近づいてくる!  変わらない! ちっとも変わらない!  「耕一だ! 耕一だ!」  プロ野球のさよなら本塁打を打った選手を本塁ベース上で迎える ように取り囲む。 「うわ〜、耕一、ちっとも顔変わってない!」
山本耕一
 山本耕一は、かくかくと進み出て、直立不動のままで深々と頭を 下げて「あけましておめでとうございます!」  それが14年ぶりに会うやつに言う言葉か〜! わっはっはっは!  とにかく4人、ホームで笑い合う! 「耕一、今度結婚するんだって!」 「その昔は大変、みなさんにご迷惑をおかけしまして…」 「おまえ、長崎じゃ大スターなんだって?」 「さくまサン、O野さんに教えていただいたことが、その後どれだ け役に立ったことか…」  あははははは! まったく会話がかみ合わない! 「とにかく、会えてよかった! 行こう、耕一!」 「きょう、みなさんはどのホテルにお泊りでしょうか?」 「あいかわらず堅苦しいやつだなあ!」 「きょうはみなさんの前で、たくさん失敗して、今後の10年間を 生き抜く勉強をさせてもらいます!」 「何言ってんだ、耕一! 行こ! 行こ!」  午前11時45分。グラバー園の脇にある、マジェスティックホ テルに着く。  チェックインを済ませて、4人で思案橋(しあんばし)まで出る。  もう道を歩いているだけで、おばちゃんたちが山本耕一に声をか けてくる。女子高生風の女の子まで「がんばってねー!」と声をか けられている。  あいかわらず、声をかけられるたびに、深々とお辞儀をしている。 「耕一、やっぱりすげー有名人じゃないか!」 「いえ、そんな。地方局ですから!」  ショッカーO野くんに話し掛けられるたびに、山本耕一はびくび くしている。  午後12時。思案橋の「ツル茶(ちゃ)ん」というトルコライス のお店まで行く。  以前から、長崎には、トルコライスというご飯があって、どのお 店でもあると聞いていた。でもその後長崎に来ていなかったので、 やっぱりまず最初はこれを取材しようとは思っていた。  トルコライスというのは、名前にそんなにいわれはないようだ。  確かに昔は作った人が思いつきで、自分の好きな国の名前を付け たなんてことが多かった。トルコライスもその類らしい。
トルコライス トルコライス
 中身のほうも、とんかつに、ご飯に、スパゲッティがひとつのお 皿に盛られているという、いかにも学生さん向けのスタミナ料理。 なんの変哲も無い。  それより大正14年から続いた味と書かれたアイスクリームのほ うが気になった。少しだけ食してみたが、神戸などで売っているア イスクリンの味である。
アイス
 やっぱり、長崎は、神戸、横浜と、3枚で1セットになるカード のようだ。  食べながらも、昔話に花が咲く。  山本耕一がどんどん自分から、当時のヘマ話を暴露していく。  こっちはけっこう忘れていたりする。  でもこうして、地方の有名人となって再会できたんだから、すべ ては時効、時効!  午後12時30分。長崎に来たら、絶対行きたかった、亀山社中 に行く。  亀山社中は,坂本竜馬が日本で最初に作った株式会社である。  長崎名物の切り立った崖にあるので、タクシーで目の前まで行く ことができない。  長崎はこういう風に、博物館の類がどこも、このパターンで、途 中から歩いて行く。  それでもタクシーは、細い道をものすごい速度で走り抜けていく。  長崎のタクシー運転手さんはどの人も、軽業師のようだ。  坂本竜馬のブーツをかたどったモニュメントを見て、亀山社中に 到着。  ところが! えっ?  本日、臨時休業? え〜〜〜〜!?
休業
 ただでさえ、土、日の午前中、午後は1〜3時までというから、 こうしてわざわざ日曜日に長崎に来たというのに〜〜〜!  がっくり〜〜〜!  とりあえず、亀山社中の前で、記念撮影。  つい昔に戻って、ショッカーO野くんが山本耕一をいじめる真似!  山本耕一もうれしそうに、自分から土下座する。  いいねえ。ショッカーO野くんが「耕一、成長したな! 成長し たな!」とうれしそうだ。
亀山 ↑ せっかくの山本耕一が写ってないー!
 午後1時。眼鏡橋のそばの喫茶店「グリーンノート」でお茶。 ここでも山本耕一はお店に来ていた人に挨拶をしている。このお店 に来るまでも必死に、長崎の観光名所のエピソードを私とショッカ ーO野くんに説明しようとする。  たどたどしさはあいかわらずなんだけど、山本耕一にとって、 きょうは大事な試合なんだろうなあ。精一杯成長した様を私とショ ッカーO野くんに見せたいんだろうなあ。そんなに無理しなくたっ ていいよ!  午後3時。シーボルト記念館。  午後4時。出島資料館。  どこへ行っても、山本耕一は博物館の人と挨拶している。道行く 人が声をかける。 テレビの力というものは、本当にすごい! 「耕一、市会議員に立候補しようとしてんじゃないのか?」 「そ…、そんなこと無いですよ!」  けっこうあるな、この線は…。
記念館 出島
 出島資料館は以前来たときよりも、ずっときれいに大きく新しく なっていた。まだ完全に完成したわけではないそうだが、完成した ら、新しい長崎の顔になるような充実度だ。ぜひ来て見てほしい。  やっぱり長崎といえば、出島だもんね!  午後5時。長崎駅前の物産館で、『桃太郎電鉄』シリーズの新物 件になりそうなものを探す。平戸あたりの「あごだしラーメン」と か、五島列島の「ゆでぼし大根」とかは、いかにも『桃太郎電鉄』 風の名前である。  午後5時30分。前から一度は行きたかった、料亭「一力(いち りき)」に行く。 山本耕一が、右から書かれた「一力」の看板を見て、「カーです!」 とまでギャグを言えるまでに打ち解けてきた。
一力
 この「一力」は、創業が188年前。  明治維新の高杉晋作、井上聞多といった英傑が利用した料亭であ る。  坂本竜馬がつけた刀傷などもいまだに残っているようなお店だ。  若女将さんがまた、いかにも眉目秀麗という言葉をそのまま人間 にしたような美人で、一同感激する。
一力
 ちょっとお店のレベルを下げるような珍客たちなのだが、ここで も山本耕一が有名人なので、スムーズに会話することができた。    このお店は長崎名物、卓袱(しっぽく)料理で有名。  しっぽく料理というのは、よく聞く名前なのだが、実際に食べる のはきょうが初めて。和食、洋食、中華の3つを和洋折衷…いや、 和洋中と3国を折衷した、ミックス料理らしい。  和=日本、華=中華、洋=和蘭(オランダ)というところから、 和華欄(わからん)料理とも言うそうだ。うまいね、どーも!  『笑点』でいかにも座布団が1枚もらえそうだ。  まず「おひれ」と呼ばれる、お吸い物が出る。  これを飲み干すまで、ほかの料理を食べてはいけないという作法 があるそうだ。
一力
 鯛のお吸い物で、なかなかいい味。  このあとに、お刺身とか、焼き物、黒豆といったものを食すが、 やたらと甘い味付けのものが多い。お漬物まで甘酢っぽい。
一力 一力 一力 一力
 甘さがどれもしつこくなくて、おいしいのだが、最後は、締めと して「おしるこ」が出てきたのにはまいった。これもしっぽく料理 の定番なのだそうだ。  今までずっと甘くてもさっぱりしていた味なのに、このおしるこ は歯が浮くほど甘い! ちょっとこれはいただけない。  あとは老舗料亭だけに、仲居さんの接客はお見事だし、申し分ない。  年内には結婚予定だという山本耕一をさらに尋問する。  話し上手のショッカーO野くんがいるから、話しても話しても終 わりがない。  このまま放っておいたら、明日の朝までここにいそうである。  食後、戸田圭祐と山本耕一は、耕一の家に行き、私とショッカー O野くんはホテルへ。  ショッカーO野くんがホテルまでのタクシーのなかで私に「あ〜、 よかった、よかった! 来てよかったあ! 14年かかってこんな 楽しく会えることもあるんですねえ! 耕一のやつ…」とうれしそ うにつぶやく。  私ももっともっと山本耕一のことを日記に書いてあげたいのだが、 書きたいことがたくさんありすぎて、書ききれない。  でもいいだろう。おそらくまた長崎に来て、会うこともあるだろ うから…。    午後9時。マジェスティックホテルに戻る。  私だけここで別れ、ショッカーO野くん、戸田圭祐、山本耕一の 3人は、飲みにでかける。私はまだまだ休み休み旅をしないといけ ない。元気を続けていれば、こういう旅を何回もできるのだろう。 いっしょに飲みに行きたかったけど、我慢する。人生も腹八分目作 戦だ!
お別れ 夜へ
 さて、明日、ショッカーO野くんは東京に戻る。  私と戸田圭祐はどこへ行くのかな?
 

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